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38.ただ働きは御免だ。


 翌朝、エディットは外にいた。見習いの神官服を身にまとい、馬車が来るのを待っていたのだ。王立劇場跡までは、徒歩で行けない距離でもないが、教会が馬車を手配したのである。十歳の見習いを、野放しには出来ないと言わんばかり。そもそもエディットだから、と、言う事もある。見習いになり数か月。早くも異質であった。教会内で、今一番、何をしでかすか分からない人間であった。無論、本人に自覚はない。

 車輪の音がする。

 迎えだろうと目で確認し、違うな、と、エディットは逸らした。何時もの馬車ではなかったのだ。エディットと、もう一人しか乗れない慣れつつあるサイズの馬車ではなく、もっと大きな馬車であった。教会で馬車を使う人間は、他にもいるだろう。そう思い、自分が乗るべき馬車を待つつもりでいたが、知らない馬車はエディットの前で止まったのだった。エディットは困惑した。思ってたのと違う。扉が開く。中は無人ではなかった。尚、教会の馬車は無人でも動く。馬が賢いからである。正確に言えば、只の馬ではなく魔物であるらしい。エディットにはよく分からない。

「おはようございます、エディット殿」

 此処で漸くエディットは胸を撫で下ろした。知らない馬車であるが、降りてきたのは見知った人物だったのだ。

「おはようございます、レモンド殿」

 何度も世話になった相手である。神殿騎士のレモンド・フォン・マレであった。今日も今日とて、男装の麗人っぷりが板についている。もしかすると、本人にそのつもりはないのかもしれないが、そこら辺の男性よりずっと素敵なのだ。女性で良かった。エディットは割と自分が惚れ易い体質であると自覚していた。だからこそ、レモンドが女性である事を感謝したのである。男性だったら恐らく初日で落ちていた自信がある。この神殿騎士、ずっと、エディットに優しいのだ。それでいて、揶揄ってもくる。親近感まで覚えさせてくるのだ。言いがかりである。

 見知った顔で良かった。だが、安堵したのも束の間。エディットの気持ちに影を差すかのよう、更に足音がしたのだ。レモンドが、馬車から降りる。普通ならそこで終わりだ。なのに、終わらない。エディットは内心で動揺していた。他に誰かが出てくるなど、予想だにしていなかったのだ。ただ黙って、扉の方を見る。目が、合った。

「ご機嫌よう、お若い神官殿。神殿騎士のベルンフリートと申します」

「はじめまして、神官見習いのエディットと申します」

 咄嗟に挨拶を返したものの、呆気に取られていた。レモンドに続いて現れたのは、大柄な、男性だったのだ。ギルド長のベイトソンを彷彿とさせたが、ずっと若く端正な顔立ちだった。レモンドと同じ騎士服を着ている。だが、サイズが違う。エディットは、レモンドの事を今はっきりと女性だと認識したような気がしていた。隣の男が大きかったからである。如何にも男装の麗人じみていようとも、実際に隣に男性が立てば、女性に他ならなかったのだ。同僚だろうか。そうだろうな。勝手に納得して、二人を見た。親し気な雰囲気だったのだ。

「今日の護衛は我々です」

「お二人も?」

「ええ、崩壊した劇場跡など、何が起こるか分かりませんから」

 尤もらしい事を言う。だがこれ以上問う事は止めた。どうせエディットが何を言おうとも決定事項であろう。見習いには何の決定権もないのだ。先ず、レモンドが先に乗った。馬車は四人掛けだった。十分な広さである。次に、男性騎士が乗るだろうか、と、エディットは思ったがそうではなかった。手を差し出されたのだ。

「お手を」

「えっ、あっはい」

 まるで貴族の令嬢の扱いである。ただ、当初はレモンドとて、同じ事をしていたのだが。しかし確実に違う点があった。性別である。初めてだった。男性からエスコートされる、それ自体が初体験で、エディットは動揺した。お手を、と、言う短い言葉が自棄に脳内に残った。低い、いい声だったのだ。そっと男の手に、自分の手を重ねる。胸が高鳴った。これはまずい。冷静に考えれば、騎士で端正な顔立ちで体格も良く、しかも、紳士。惚れない方がおかしいのでは? 段を上りながらエディットは暫し目を閉じ、脳裏にルシアンを浮かべた。神々しい顔である。よし、まだ大丈夫。ちょっと気の迷いで惚れかけようとも、脳内に実在する超絶好みの男の顔を思い描くことで、現実に戻る作戦である。エディットは惚れ易い質であった。

 馬車の中では、騎士二人が並んで座り、その前にエディットが一人で座った。騎士の方は少し狭そうだった。ベルンフリートが大きいからである。レモンドと自分が並んだ方がよかったのではないだろうか。思ったが言わなかった。もしかすると、何か考えがあるのかもしれない。例えば、仕事上の都合だとか。

「それで、何故王立劇場に行こうと?」

 カラカラと車輪が回る音を遮るよう、レモンドが話しかけてきた。たわいもない世間話だ。誰が指示せずとも、馬車は進んでいる。レモンドが言ったよう、王立劇場へと向かっているのだ。正しくは、王立劇場跡、だが。突如として無くなってしまったので。

「あんな事があったので、怪我人でもいれば大変だと思いまして」

 昨日、ルシアンと話していた時に思った事をそのまま言った。いや、もういないだろう事はエディットとて分かっているのだ。

「昨日の話でしょう? いたとしても、既に教会に行った後でしょう」

「それでも、行かねばならぬと思ったのです」

「それは、神官としての責任感ですか?」

「責任感と言うか……私は、神様に怒られたくないのです」

 エディットの物言いに、二人の大人が不思議そうな顔をした。意味が分からなかったのだろう。普通の人間にとって、神とは遠い存在である。まかり間違っても個人を怒ったりはしないのだ。なのに母親に怒られたくない、と、言うようなニュアンスで言ったものだから、不思議に思ったのである。しかし、未だ十歳だ。大人びた事も言うが、実際はまだまだ子供である。もしかすると普段教会で、悪い事をすると神様に叱られると注意されているのかもしれない。そんな風に結論付け、大人は納得したのだった。まさかエディットが本当に、神に叱られることを危惧しているとは思わなかったのだ。他の人間が思うよりもずっと、エディットにとって神とは身近な存在だったのである。

 馬車が止まった。

 目的地に着いたのだろう。先ず、ベルンフリートが降りた。車内は窮屈だっただろうから、早く降りたかったのかも知れない。次はエディットだった。扉を潜ると案の定、手があった。男性騎士が差し出しているのだ。それにまた、おっかなびっくり乗せた。最後にレモンドが、事も無げに降りて終わりである。馬車はそのまま待機している。

 エディットは、少し顔を顰めた。人が、沢山いたのだ。騒がしくて、驚きが表情に出たのである。まるで、解体現場だった。但し建物は解体済みで、後始末をしている状態である。細かい瓦礫が沢山あった。崩れた時を思い出す。但し、エディットはよく見ていなかった。怒りに任せ、周りを確認することなく外へと出たからである。あの時建物は、ガラガラと音を立て崩れたわけではなかった。砂のように細かい粒となり、消えていったのだ。故に、片付けも難航していた。スコップで掬い、一輪車のようなものに乗せ、運んでいく。その繰り返しだ。屈強な男達が大勢働いていた。昨日までここに、劇場があったなど、信じられない様であった。

 エディットは一通り視線を走らせた。どうやら、怪我人などはいそうにもない。最初から分かっていた事だが、不思議なくらい、何もなかった。もしかしたら、来た意味など無かったのかもしれない。誰も、エディットなど見ていない。皆、自分の仕事に夢中である。だが、何も無くて良かったのだ。問題がなかった事に胸を撫で下ろし、帰りましょうと、そう言おうとした。自分の我儘に付き合わせてしまった、二人の騎士へ。

「お二人とも、」

 先ずは謝罪だな、と、そう、思った矢先だった。

「お嬢さん!」

 大きな声が、耳に届いたのだ。思わずエディットは顔を顰めてしまった。昨日会っただけの人間だが、良い記憶がない相手の声だったのだ。

「お知合いですか?」

 レモンドが小声で問うた。

「いえ」

 短く答えた。実際、知り合いではなかった。エディットは後悔している。もっと早く帰ればよかった。だがこうしている間にも、向こうは近付いてくるのだ。逃げられない。いや、流石に今から逃げたら失礼だろう。そもそも、エディット一人去るわけにはいかないのだ。今エディットは一人ではない。二人の神殿騎士に守られている状態である。気付けばもう、直ぐ隣にきていた。出そうになった溜息を堪える。

「サドリセスア卿、此方が例の女子です」

 しかも、一人ではなかった。知った顔は、知らぬ顔と共に向かってきたのだ。エディットはチラリと其方を見た。神経質そうな男性がいる。ただ、酷く仕立てのいい服を着ていた。更に言えば、その後ろにもまだ人がいた。その数、二。此方の二人は、レモンドとベルンフリートと似た服装である。騎士然としている。

「お前、名は何という」

 嫌な人だな、と、エディットは思った。だが、思うだけに留めた。

「エディットと申します」

 名乗りもせずに、人に名を問う人間が、いい人間であるはずがないと思っているのだ。この時点で、身分の事等忘れていた。どう見ても相手は貴族である。平民を下に見て、許される立場の人間であったのだ。

「劇場の崩壊を予知したそうだな」

「していません」

 全く予想しない問いかけであったが、はっきりとエディットは否定してみせた。何故なら本当に、予知能力などないからである。エディットの物言いに、男が眉根を寄せた。

「話が違うではないか、チャペック」

「い、いえ本当なんです! このお嬢さんが劇場が崩壊すると言って、それで、壊れたんです!」

「そう言っているが?」

「正確には、劇を見ている最中に柱が倒れて来たのでそれを止めただけです。崩壊の予知などしていません。一本倒れたので、後はなし崩しです。ただそれだけです」

「だが君は、崩壊させただろう!」

「逆です。崩壊を止めていたのです。でもいつまでも止めているわけにもいかないでしょう。私にも帰る場所がありますし」

「お前には崩壊を止める力があると?」

「いえ、そのような大層な力は持っていません。只単に、倒れてくる柱を止めただけです。その間に、全員逃げてもらえばいいと思って」

「チャペック、話が違うな?」

「いえ、いえ、考えてもみて下さい、劇場が急に壊れるなどと言う事がありましょうか! 彼女の仕業です!」

 成程、と、漸くエディットにも事の次第が分かってきた。どうやらこの劇場支配人、建物が崩れた責任を自分におっ被せるつもりだと。いい迷惑である。やっぱり来るんじゃなかった。とうとうエディットは大きく息を吐いた。神様に誓った以上、やはり、来てはならなかったのだと。これはその罰だとすら思い始めたのである。

「ルボシュ・チャペックさん、私はあなたに言いましたよ? こんな大きな建物が急に壊れる訳ないでしょうとね。普段から点検していたかと聞きましたよ? 異変を見逃していたんじゃないですかとも言いました。劇場には沢山の人がいて、命まで懸けると仰る方がいて、本当に今日まで何一つとして気付かなかったのかとそう問いましたよ。その答えは出たんですか?」

 エディットの物言いは、凡そ十歳のそれではなかった。だから、神殿騎士二人も、貴族も、そして貴族の後ろに控える騎士も驚いたのだ。驚いていないのは、既に昨日接していた支配人だけだった。

「し、しかしだね、君、これだけ古い劇場ともなると、曰くつきの話が沢山あってだね」

「何の話ですか?」

「だから、誰もいないのに人の話し声がするだとか、物音がするだとか、そう言ったものだ。柱が揺れても、女優の亡霊の仕業だろうとか、床が軋んでも、見えない誰かが稽古をしているだとか、そう言う……」

 呆れた。やはり、異変はあったのだ。それを全て、怪異のせいだと思い込んで調べもしなかったわけである。結果、壊れたと言うわけだ。幾らだって防ぐ手立てはあった筈なのに、見て見ぬふりをした。

「私のせいじゃないじゃないですか」

 だからそのまま、エディットは口にしたのだった。恐らく支配人は、子供だからだと侮ったのだろう。どうとでも言い含める事が出来ると踏んだ。しかも自分には貴族が付いているのだ。どんな子供だって、平民ならば貴族の恐ろしさは知っている。幼いころから口を酸っぱくして、逆らってはいけないと言われる筈だからである。しかし、エディットは例外だった。何せ、ド田舎の出なのである。周囲に貴族など影も形もなかったのだ。当然村にいる筈もなく、出会ったのは、王都に出て来てからだった。それも、同じ神官である。恐ろしいイメージなど、未だに持っていなかったのだった。

 見苦しく言い訳を続ける支配人を、人々は冷めた目で見ている。どう見ても子供の言い分にこそ理があったからだ。

「結局、お前の力とは、柱を止める、つまり、物の動きを止める、と、言う事でいいのか?」

 貴族の男がエディットに問うた。さて、どうしようか。エディットは悩んだ。素直に言うべきかどうかである。だが、物の動きを止める、と、言うのは大層過ぎたので、訂正することにした。

「いえ、物を浮かせる力です」

「つまり、倒れてくる柱を浮かせた、と、言う事か。今何か浮かすことは出来るか」

 一体この貴族の男は何を探ろうとしているのだろう。それとも純粋な好奇心だろうか。分からないながら、此処で逆らうのはきっと得策ではない。エディットは、劇場跡を見た。沢山の人が働いている。その今正に、スコップで掬おうとした瓦礫が目についた。あれでいいや。軽い気持ちで、念じた。

 エディットは、二つの物を浮かせる力を持っていると思っていた。

 しかし、そうではないのだ。神より授かったのは、物を浮かせ自在に動かす力である。数は関係ないのだ。

「なんと……」

 そう、呟いたのは誰であったか。だが、場にいる全員が同じ方向を見て、呆然としたのだ。瓦礫の山が、浮いていた。丁度、一輪車に乗る程度の量であるが、そのまま、浮いていたのだ。現場で働いていた人間も、皆手を止め見入っている。

「これが私の力です」

「おお! では、お嬢さんに片付けてもらえば直ぐに終わりますな!」

 支配人が調子のいい事を言った。その瞬間、瓦礫は下に落ちた。

「お断りします」

 そしてエディットははっきりと断ったのだ。

「な、君、不敬だぞ! こちらにおわすのは何方と心得、」

「ルボシュ・チャペックさん。私、見習いなんです」

「それが何だと言うんだ!」

「ですので、勝手な真似は出来ません。もし私の力が必要でしたら、教会に頼んで下さい。それで命じられれば働きますので」

「神官がなんだ! こちらは、」

「もうよい」

 硬い声音に支配人が黙れば、空気すら止まったようであった。人に命じる事に慣れた響きだった。

「一つ聞きたい」

「はい、なんでしょう」

「何故お前は今日此処へ来た?」

 ふと、エディットは貴族の男を見た。鋭い眼光であった。嘘を許さぬと、そう言外に告げるような。だが元よりエディットは嘘など吐くつもりもない。正直に口を開いたのだ。

「昨日、咄嗟の事とは言え私も逃げてしまったので、あの後怪我人など出ていなかっただろうかと気になりまして」

「それだけか」

「はい、それだけです」

 貴族の男がエディットを見る。見定めんとするかのように。それに真っ向からエディットは対峙してみせた。不思議と何も恐ろしくなかった。相手が自分よりずっと上の身分である事等、忘れていた。寧ろ周囲の方が固唾を吞んでいたくらいである。

 周囲は決して静かではない。瓦礫を集め働く音、そして人の声がひっきりなしに響いている。なのに此処だけ別世界かと思う程、静かだった。先に動いたのは、貴族の男だった。

「チャペック、お前には未だ話がある。これ以上私を謀ろうなどと考えるな」

「は、は……」

 氷よりも冷たいのではないか、と、思われる声音で言えば、支配人が項垂れた。そうして、エディットの事等端から知らぬとばかりに、背を向け去って行ったのである。エディットは、狐につままれたような気持ちで、その背を見送ったのだった。挨拶一つしなかったけど、良かったのだろうかとそのような事を思いながら。

「えっと、帰りましょうか」

「そうですね」

「はい」

 そして漸く此方も、帰路に就くことにしたのである。

 三人が車体に上がれば、自然と馬車が動いた。エディットは大きく息を吐いた。急にどっと疲れが押し寄せてきたのだ。

「お疲れのようですね」

「疲れますよ。何ですかあの方」

「貴族でしょう」

「それはそうでしょうけども」

「貴族なのに、よく普通に話せましたね?」

 そう、問うてきたのはベルンフリートだった。ふとエディットが見れば、面白がるような目をしていた。だが、その隣のレモンドも似たような目である。どうやら性格の悪い大人しかいない。そう、気付いたのである。

「エディット殿はお強いですね。我々が口を挟む間もなかった」

「口を挟む気なんてあったんですか?」

「ありましたとも。口籠ったらお助けしようと思っておりましたのに、ずっとスラスラと応対されるものだから」

「いやいや、感心しました。まさか、貴族相手に口で勝つとは。エディット殿は大物ですな」

「それで、本当は昨日何があったんです?」

 そう言えば、行きでも話さなかったことに気付いたのである。昨日の話だ。何故行くのかとは問われたが、何があったかは聞かれていない。別段話しにくい事でもない。神様の部分だけ省いて話そう。そう、決めて口を開いたのだ。

「昨日、同じ見習いの方と王立劇場に劇を見に行ったんです」

「楽しかったですか?」

「途中までは。見ていたら、急に柱が倒れて来て、咄嗟に止めたんです。その間に逃げてもらえばいいと思って」

「それで、皆逃げた、と」

「いえ、それが、倒れてこないのをいいことに、劇が続行しまして」

 あの時の嫌な気持ちを思い出し、エディットは顔を顰めた。折角全員助かるようにと、神に願ってまで力を振るったのに、全く自分の思う通りにならなかったのだ。

「倒れかけた柱の下で? 続行?」

「そうなんです! こっちは早く逃げて欲しいのに、普通に続いちゃって……」

「まさか終わりまで?」

「そのまさかですよ! こっちは柱止めてるのに最後まで演じ切っちゃったんですよ!」

 エディットの物言いがおかしかったのか、大人二人が声を上げて笑った。完全に他人事の空気だった。

「笑わないで下さいよ! もう、腹が立つやら何やら、困ったんですから」

「それでどうしたんですか?」

「どうしようもないですよ。私が動いたら劇場は崩れるでしょうし、観客が全員外へ出ても未だ座ってましたよ。その内、さっきの支配人が来て、」

「ああ先程の、支配人だったんですか」

「ええ、そんで何か、ごちゃごちゃ言うから頭に来て出て行きました」

 思い出しているのか、非常に不快気な顔を子供がする。それがまたおかしくて、笑った。

「しかも私、神様に誓ってこんな所二度と来ません! なんて、宣言までしたんですよ! なのに今日来ちゃって……本当、来なければよかったですよ……」

「災難でしたね」

「その後、劇場が崩壊したと言う事ですか」

「そうでしょうね。腹が立ってたので余り見てなかったんですけど、奇麗さっぱりなくなったみたいですね」

 意図も容易くエディットは言ったが、大人二人は訝しんでいた。そう、余りにも奇麗に崩れすぎているのだ。何やら、不自然な程に。だからこそ、貴族の男も疑ったのだろう。誰かが意図的に壊したのではないか、と。だがエディットにそのような力はないと言う。見ていた二人の目からしても、子供の言葉に嘘はないように思えた。大体、神に身を捧げた人間である。そう簡単に嘘などつかないであろうとの思惑もあったのだ。

「ああ、でも、本当に教会に文句言ってきたらどうしましょう」

 あれだけ堂々と啖呵を切ったくせに、急に心配し出した子供を不思議そうに大人は見た。

「例え言ったとしても、上の方で何とでもしますよ。あなたは見習いなのだから、気にする事はありません」

「それに、手伝わなくて正解です。もし了承したらどうしようかと思いました」

 その場合、きっと、騎士二人も手伝いに駆り出されたに違いないのだ。誰だって、仕事以外の事はしたくないに決まっていた。

「大体、タダなんておかしいと思いませんか? 神官て慈善事業じゃないんですけど」

 この物言いに、また車内で笑い声が響いた。そう、一番エディットが引っかかったのは其処である。他の人間が金銭を貰ってやっている事を、何故自分が無料でしなければならないのか。エディットは貧しい育ち故に、金には五月蠅い質である。無償奉仕など御免であった。神官は神に祈りを捧げはするが、人に身を捧げているわけではないのだ。怪我の治療にも対価を貰うし、聖水だって売る、スキルを見るのもそうだ。決してボランティアではないのである。勿論、寄付も募る。奇麗ごとだけでは生きていけない。その事をエディットはよく理解していた。

 馬車が揺れる。行きよりもずっと和んだ空気を漂わせて。

「思ったんですけど、柱が揺れても女優の霊かも知れないって言ってたじゃないですか」

 ふと、思い出したようにエディットが言う。

「ええ、それが何か」

「柱を揺らす女優って、かなり、こう、いい体格ですよね」

 その時エディットの脳裏に浮かんだのは、ゴリラだった。この世界にいるかどうかは別として、ドレスを着たゴリラだったのだ。何故なら柱を揺らすのである。とんでもない怪力である。もしかすると過去にそう言う女優が本当にいたのかもしれないが、エディットの脳内にいるのは完全に人外であった。

 神妙な顔をしてとんでもない事を子供が言ったものだから、やはり、大人は笑ったのである。



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