31.予期せぬプレゼント。
現状たった一人の友人である、同じ神官見習いのクレマンスの部屋にエディットは呼ばれていた。因みに今の所、逆はない。「あなたのお部屋で、一緒に水が飲めるの楽しみにしているわ」そう、以前言われたものの、誘う気は全くなかった。流石にする勇気がない。何故ならこのお嬢さんを招待すると言う事は、侍女も一緒だからである。あの狭い部屋で傍に立たせたままでいられるだろうか。エディットの精神の方が先にやられるだろう。
丸いテーブルに向かい合って座っている。湯気の上がるティーカップの扱いには未だに慣れない。真ん中には、お茶請けであろう焼き菓子があった。どのタイミングで食べればいいのか分からない。寧ろ食べていいのかどうかも分からない。小分けにして目の前に置いてくれないだろうか。言えるはずがなかった。
「お出かけの話だけど」
「えっ」
完全に思考が焼き菓子に向いていた為、反応が送れた。
「ほら、一緒にお出かけしましょうって言ったでしょ」
「無理です」
「劇を見に行きましょうよ」
「なんて?」
基本貴族のお嬢さんは、エディットの言い分など無視である。無理の一言は、完全に耳に届かなかったようである。この距離で。
「折角王都にいるのよ」
「すみません、王都と劇の繋がりが分からないのですが」
何も理解出来ないので素直に問えば、クレマンスが焼き菓子に手を伸ばしたのが見えた。なのでエディットもつられてみた。少し劇から意識が遠退く。
「王立劇場があるでしょう」
「そうなんですか」
「行くわよ」
これを日常的に食べているとしたら凄いな。おやつなど、人生で数えるほどしか食べたことが無いエディットは素直に思ったのだ。最早持つべきものは、お金持ちの友人等と言う言葉が頭に浮かんだ。尤も今その友人によって、困らされているのだが。
「もう少し理由とかありません?」
「行きたいから行く以外にある?」
ない。しかし、じゃあいきましょうか、とは、ならないわけである。少なくともエディットにすればそうだ。王立劇場なんて知らないし、当然劇を見た事も無いし、幾らお金がかかるかも分からない。不安要素しかなかった。だがここで幾ら固辞しようとも、このお嬢さんは強行する。それが分かるくらいには、クレマンスとの仲は深まっていたのだ。しかも善意百パーセントである。この物知らずの田舎者を引っ張ってやろうと言う好意でしかないのだ。無下にし辛い。その上、部屋から去る時、余った焼き菓子を包んでくれたのだった。もし自分が男ならば絶対に惚れている自信がある。エディットは軽い女だった。大体もしエディットが男子ならば、この付き合いは生まれていないわけであるが。
王立劇場かあ。
冒険者ギルドの受付カウンターの端に座りながら、ぼんやり考えていた。想像がつかない。頭に浮かぶのは、前世で見た行った事も無い海外の劇場だった。ああいう感じだろうか。そもそも劇とはなんだろうか。演劇? 歌劇? どうせ言っても分からないと思ったのか、クレマンスから詳しい説明はなかったのだ。
「オイ」
「あ、おはようございます」
思考を打ち消すかのよう、渋い声がかかった。咄嗟に挨拶をしてみれば、いたのはギルド長である。今日はいつも以上に不機嫌そうな顔つきだった。ただ理由が分からないので、エディットは普通に接しようと思ったのだ。そのベイトソンは不機嫌そうな顔のまま、受付カウンターに物を置いたのである。
「ええと、これは」
「やる」
「えっ」
端的な物言いにエディットは驚き、そうしてカウンターの上の物と、ベイトソンを交互に二度見したのだった。全く意味が分からなかったのである。果たしてカウンターに置かれたものは、小さなポシェットであった。明らかに女児用である。しかもピンク。如何にも過ぎた。何だか不気味としか言いようがなく、答えを求め、エディットは男を見たのだ。だが、どうやらこちらも居た堪れないらしく、結局ベイトソンも横を向いたのだった。
「オイ、説明!」
そのまま、よく通る声で、少し離れて隣に座る女性に命じたのである。ギルド長の横暴さには慣れていますと言わんばかりに、女性は立ち上がり、にこやかにエディット近付くと話しかけたのだった。
「これはね、ギルド長からよ」
「違ぇわ」
だがベイトソンは即座に否定したのである。しかし女性は聞かなかった。
「あなた、お財布持ってないんですって?」
「あ、はい」
「それでね、ギルド長が私たちに命じてね、一式揃えさせてもらったの」
「一式!?」
鞄だけではないのか。驚いたエディットは咄嗟に、触ることすら躊躇していたポシェットを開け、中を確認したのだった。そこには、小さな白い革の財布と赤いハンカチが入っていたのだ。その驚いた顔のまま、エディットはベイトソンを見たのだった。
「俺じゃねえからな」
「素直じゃないでしょうこの人」
「ウルセェ、仕事に戻れ」
「呼んだくせに」
「あの、ありがとうございます」
軽口を叩く二人を見ながら、おずおずと言った。未だに本当に貰っていいのかどうか、分からないのだ。だが、エディットの為に用意してくれたのは事実である。少なくともそのことについての礼は必要だった。
「本当はね、話しかけて良いかどうか迷っていたの」
「え?」
去れと言わたにも関わらず、女性はそのまま話しかけ続けた。同じくその場に残り続けているベイトソンは詰まらなそうな顔をしている。
「こんな所に連れて来られて、可哀相だなって思ってたの。それも一人で。ずっと黙って座ってるでしょ。大丈夫かなって、心配していたのよ。困った事があったら、頼っていいのよ。ごめんなさいね、もっと早く言えば良かったわね。いえ、そもそも、ギルド長が言っていると思っていたんだけど」
それまで優し気な口調だったのに、最後の最後に声のトーンを落としてベイトソンを見たのだった。どう言うやり取りがあったかは分からないが、ベイトソンがエディットを放置していたことが知れ渡ったようだった。
「あの、嬉しいです。ありがとうございます。私も、どうしていいか分からなくて」
そうしてエディットは、初めて本音を口にしたのだ。
「そうよね、分からないわよね。教会からは?」
「特に何も……」
「厄介払いされてんだよこいつは」
「ギルド長」
「いえ、でも、そうだと思います」
「オイ、冗談だぞ」
突然沈んだ顔でエディットがそう言ったものだから、男が慌てた。流石に一端の大人が、十歳の子供を苛めるのは不味い。でもエディットからすれば、それは紛れもない事実だった。普通であれば、クレマンスと共に教会で治療に当たっている筈なのだ。
「鞄とお財布ありがとうございます。困っていたのですごく嬉しいです」
でもそれは、エディットの事情であって、他人を煩わせる事ではないと思ったから、努めて明るい声を出したのだ。話を変えたのである。
「実は、友人に誘われていて」
少女の気持ちが分かったのだろう。二人もまた、エディットの話に乗ることにしたのだ。
「何処へ行くの?」
「王立劇場だそうです」
えっ。二人の顔を見て分かった。明らかに、驚きを呑み込んでいる顔だったのだ。大人の反応を見て、一気にエディットは心配になったのだ。
「あの、服は? 服はある?」
女性の言葉から察した。どうにも、格式が高いらしいと。エディットには縁がない、ドレスコードの文字が浮かんだ。大体行く相手が貴族のお嬢さんである。向こうはそのような事全く気にしていないに違いないのだ。こうなると、そもそも観劇の金額も心配である。今になって何も聞いていない事が酷く心配になって来た。クレマンスからすれば、態々説明する必要性を感じなかったのかもしれないが、こっちは平民、それも貧しい部類である。問題しかなかった。
「服は一応、ちゃんとしたのが一着あるんで……多分それで何とかなります……多分……」
その一着とは勿論、貴族のお嬢さんに頂いたものである。エディットの物言いを聞いて、二人が顔を顰めた。心配しかなかった。大体エディット自身失念しているが、あの服は夏に貰った物である。今は秋。それも、冬に近付きつつあったのだった。普段着がないに等しい状態なので、疑問を抱いていなかったのだ。
「おや、取り込み中かい?」
さてどうしたものかと、渋い表情で黙り込んだ三人の重い空気を割って入る声がした。




