24.神様に土下座案件。
神の園をご存じだろうか。
誰に言うでもなくエディットは話しかけた。土下座しながら。そう此処は、選ばれし者、大神官のスキルを持つものが、命を懸ける程の願いを神へと請うた先にあると言う、所謂伝説の場所である。最初に訪れた時は訳も分からず歩いてなどみたが、今回は違う。即、その場に土下座である。するとどうだろうか。エディットの前に、泉が現れたのだ。エディットが歩まないなら、と、泉の方から寄ってきたようだった。不可思議な空間である。それでもエディットは微動だにしなかった。気分は、沙汰を待つ罪人である。
「エディット」
突然、音が耳を擽った。気配など無かった。いや、そもそも相手は神である。人間如きが推しはかるような相手ではないのだ。名を呼ばれても、エディットは動かなかった。いや、声が出なかったのだ。単純に慄いていたのである。信仰対象が恐怖の対象に早変わり。それも、他でもない自分の所為で。
「毎日祈りを捧げていますね。大変よいことです」
「えっ」
出なかった筈の声が出た。しかも、顔まで上げてしまった。見えたのは、衣の裾である。神は地に足を付けていない。自然と視線が上へと動いてしまった。人の顔をした、人ならざるものがそこにはいた。今更ながら、絵本で見たのと同じ髪色である事に気付く。一度目はそんな余裕すらもなかったのだ。女性の姿をした神は、長くうねった水色の髪を揺らしている。但し、風は吹いていないのだ。エディットは目を丸くしている。叱られる事はあれども、褒められるなどとは微塵も思っていなかったのである。
「あなたの祈りは、確かにわたしの元へと届いていますよ」
祈りと言うのは目に見えないものである。祈ると言う行為は、自己満足だと思っていた。だが、神には届いていると言うのだ。日々の行動が報われたようなそんな気持ちを抱いた反面、滅茶苦茶話しかけている事を思い出してしまった。日々祈っている、等と偉そうに言ってはいるものの、未だに祈りがよく分からず、気付けば神に現状報告をしている始末。でも、誰にも分からないからいいや、と、軽い気持ちで考えていたのだ。
「街で食べたと言う菓子は大層美味だったようですね」
はい、死んだ。心が死んだ。母親に日記を読まれた気持ちである。勝手に話しかけておいてである。祈りが届くのは分かるのだ。分かっていなかったが、理解出来なくもない。神官がすべき事だからである。だが、日々の語り掛けまで届いている等と、誰が思うだろうか。
「毎日毎日お耳を汚してしまい大変申し訳なく……」
果たして神に耳と言う概念はあるのか。言ってから気付く。聞かずとも知っていて、見ずとも分かる、みたいなそう言う事ではないだろうか。神なので。
「エディット」
「はい」
「神に語り掛ける人間は、珍しくありません」
「えっ」
驚いてみたが、確かに、そうかもしれない。神とは、恐らくエディットが思う以上に身近な存在なのだ。特にこの世界に生きる人々は、スキルの事があるからか、比較的神を信じているように見える。寧ろ、信じていなかったエディットが異端である。
「熱心に祈り語り掛けを続けた結果、わたしの声が届いたものもいます」
「大神官でなくとも、ですか」
「神官でなくともです」
別に、神を奉ずるのは、神官の専売特許と言うわけではないのである。誰だって、祈りを捧げようと思えば、可能なのだ。神官とは、神の声を聞いて伝える職ではないわけである。但し、一番神に近いのは間違いないのだ。現にこうしてエディットは、二度も神の園に到達しているわけなのだから。
「ですが」
あ、なんだか、嫌な予感がする。
エディットは、身を引き締めた。
「こんなにも短期間に二度も神の園に訪れた人間は、あなたが初めてです」
一見褒めているようで、その実違うと分かっていた。これは、呆れている雰囲気である。神を呆れさせるなんて、我ながらやるな。エディットは現実逃避を始めた。そもそも、ここ自体が現実とも言い難いわけであるが。
「二度、訪れた人間がいないわけではありません。しかし、その若さで到達したものはいないのですエディット」
「はい」
「よくないことです」
はっきりと釘を刺されたのが分かった。暗に来るなと言われているわけである。
「エディット、神に祈りを捧げるのはあなたの役目です。語り掛けるのもよいでしょう。しかし、頼りすぎてはいけません。分かりますね」
優しい神様だ、と、エディットは思った。
本来であれば頼るなと一喝してもいい所、逃げ道を残してくれているのだ。どうしようもなくなったら、呼べばいいと、そう言ってくれているのだ。
神は、頼るものではない。
初めてエディットはその言葉を胸に刻んだ。それこそ、命の危機が迫った時くらいしか、頼ってはいけないのだ。最初に訪れた時に言われたはずだ。大神官が神の園へと招かれるには、生命の危機に瀕する程の状況で、それこそ命と引き換えにするくらいの強い祈りが必要だと。
エディットは反省した。
何せ、初めて来た時の理由が、大変面の良い生涯かけて推すしかないと決意する程の男を見たからであり、二度目は、その男の前で、記憶に無い人間の事を知らないと言えず、詳細を知りたいが故である。要は見栄。
軽い。
うん、軽いな。
いや、軽すぎるな?
命、懸けてないな?
寧ろ、命が軽いまであるな?
「エディット」
「はい」
「あなたは大神官です」
「はい」
「そして、日々祈りを捧げています」
「はい」
「わたしに、語り掛けてもいます」
「はい」
「祈りの力が他の者より抜きんでている事もあるでしょう」
「はい」
「なので、恐らくわたしやあなたが思う以上に、道が繋がり易いのです」
つまり歴代の大神官が、それこそ身を擲ってまで祈りを捧げた結果得たものを、神様、助けて下さぁい!! くらいの、軽い感じで以て、成し遂げる可能性が……あってはいけないわけである。そう、流石にこれは駄目だ。現状そうなっているも同然だが、駄目すぎる。相手は神である。全知全能である。崇め奉るべき存在である。そんな軽い気持ちで、それこそ母親を呼ぶように縋ってはいけないのだ。
「エディット」
「はい」
「もう、来てはいけませんよ?」
「はい!!」
一際大きく返事をした。
これは、決意である。二度と、神の園へと足を踏み入れない為の。やめよう、困った時の神頼み。標語である。紙に書いて壁に貼ろう。どの程度効果が見込めるかは分からないが。何より、大事なのは気持である。今だって、気持ち一つでこの場にいるわけである。いや、それが駄目なのだが。
「さて、それはそうとエディット」
「はい?」
人間であれば、咳払いくらいしていたかもしれない。それくらい、空気が変わった。いや、話が変わったのだ。
「望みを」
「えっ」
「前にも言ったでしょう。神の園へと招かれた者は、望みを一つ叶えると」
「あれって、一度だけじゃないんですか!?」
「都度です。大抵一度しか来ませんので」
「アッハイ」
こんな事なら、考えておくんだった。エディットは悔やんでいる。まさか人生で二度も神から能力を授かるなどとは想定していなかったのだ。急に言われても困る。だが、何かを望まなければいけない。それでいて、贅沢なものは駄目だ。身の丈にあったものでなければいけない。それこそ、神に叱られてしまう。エディットは立派な神官にならなければならないのだ。こんな所で、資格をはく奪されるわけにはいかないのである。来るべき日々、明るい未来のために。
「では、」
考えた結果、当初に戻ることにした。
最初、つまり、この場へと来ることになった理由である。
「知らない人の事が分かるようにして下さい!」
「それでよいのですね?」
「はい!」
もし神が人間であったなら、きっと溜息を吐いていただろう。多分に呆れを込めて。
「エディット」
「はい」
「望むので叶えますが、当人に聞けばいいと思いますよ」
ド直球ストレートな正論だった。余りにもその通り過ぎて、エディットは胸に穴が開いたかと思ったのだ。刺さったを通り越して、穿っていったのである。だが訂正しようにも時すでに遅し。内心で呻いている間に、前回同様浮かび上がった水は弾け、エディットの頭上に降り注ぎ、気付けば、泉は消えていたのだ。願いの変更及び訂正、そう言うサービスはありませんとばかりに。
神の姿既に無く、エディットは、初めて入ったばかりの応接室にいたのである。




