19.厄介払い。
エディットは外にいた。
別に教会を追い出されたわけではない。しかし、事実見習いとしてアルメヴレハ大聖堂を訪れてから、外へ出たのは初めてだった。何せ、外に用事がないのだ。後金もない。因みに今日は休みでもない。立派に見習いの仕事の一環として、エディットは外へと出たのだった。所在なさげに、立派な門の前に立つ。教会は都の端の方にあるのか、それともそもそも人気のない場所なのか、行き交う人は疎らだった。それでも、視線が此方を向いているような、そんな気がした。エディットは、己が田舎者だと言う自覚がある。世間知らずだとも分かっている。だから、何となくこの都会の風に気後れしてしまうのだ。
ふと、人の足音とは別の音が聞こえ、そちらを見遣った。車輪と、蹄の音を鳴らして近付いてくるのだ。
「ご機嫌ようお若い神官殿」
馬車はエディットの前でピタリと止まり、中から颯爽と長身ではあるが女性の騎士が出てきて言った。
「レモンド殿!」
アグロレーの街からこの大聖堂まで同行してくれた神殿騎士である、レモンド・フォン・マレであった。目を丸くするエディットを見て、此方は目を細める。悪戯が成功したような顔だった。
「おや、暫く会わない内に背が伸びたのでは?」
「えっ、本当ですか?」
「いや、靴の所為かな」
「前と同じ靴です」
「これは失礼」
おどけながら手を差し出した。何とも憎めない。エスコートされながら、エディットは肩を竦めた。こいつはどう足掻いても勝てないの意である。前回乗った時と同じく、馬の足は六本で、車体は二人乗りだった。人が乗った事を察すると、指示を受ける事無く馬は歩み出す。相変わらずの賢さだった。そもそも、馬ではないらしい。馬に似た、別の生き物なのだ。
「レモンド殿」
「はい?」
「この馬車は何処へ向かっているのですか」
今更ながら外で待っていろと言われただけで、行先を聞いていない事を思い出した。恐らく、この騎士に聞けと言う事だったのだろう。想定の内と言わんばかりに、レモンドは答えた。
「冒険者ギルドですよ」
「なんて?」
思いもよらぬ言葉が飛び出して、咄嗟にエディットは聞き返してしまった。
「冒険者ギルドです」
すると、物わかりの悪い子供を諭すかのよう、再度レモンドが続けた。つまり、二回聞いても答えは同じだったのだ。冒険者ギルド。聞いた事がある。だがそれは、今世ではない。前世の、それも、創作の中の話である。だから、冒険者ギルドが何であるかと問われても、エディットは知らないのだ。創作と現実が同じとは限らないので。
「冒険者ギルトと言う事は、冒険者が沢山いるって事ですか」
「まあそうでしょうね」
「冒険者って何ですか?」
「物好きの別名ですかね」
レモンドは簡単に纏めてしまった。結局何も分からないままである。若しくは、知らずともよいと思ったのかもしれない。エディットは神官である。冒険者とは、縁がない。ある必要がなかった。なのに今、冒険者ギルドとやらに向かっているのだ。全く理解出来ずに、とうとうエディットは言った。
「私、冒険者になるのですか!?」
つい声が大きくなり、一瞬、馬車が大きく揺れた気がした。馬が驚いたのかもしれない。そうして車内には静寂が満ちたのだ。だが更にその一拍の後、笑い声が響いたのだった。勿論笑ったのは、レモンドである。しかも、中々笑いの波が引かない。
「あの、笑い過ぎじゃないですか」
どうやら冒険者になるわけではない、と、分かった。この態度を見れば一目瞭然である。すみません、と、小さく謝罪の言葉を発して、レモンドが口元を押さえた。馬鹿にしているわけではなく、単純におかしかったのだと分かる。
「エディット殿は神官でしょう。冒険者になる必要がないじゃないですか」
「だって」
「それに、冒険者として登録できるのは十三歳からですからね」
神官云々の前に、制度的に無理だった。それならそうと最初から言って欲しいところである。何処か騙された思いを抱えながら、馬車は進んでいく。結局行先は分かっても、目的は知らされないままだった。
馬車が進むにつれ、人通りが増えていく。だが道行く人は慣れているのか、奇麗に馬車を避けていた。尤も馬車の数は多くない。物珍しく外を眺めるエディットの目に映ったのは、二台ほどだった。でもそれは普通の馬車であった。この場合の普通というのは、馬の足が四本で御者が居る事を指す。自分の常識が生きている事に密かに安堵した。全ての馬車に六本足の馬が繋がれていたらどうしようかと思ったのだ。どうやら教会が特異らしい。
景色が止まった。小さな窓の向こうに建物が見える。冒険者ギルドとやらに違いない。三階建ての立派な建物だった。レモンドが先に降り、エディットに手を差し伸べる。二回目でも慣れないな、と、思いながら、エディットは女性騎士の手の平に自らの手を重ねたのだ。馬車から降りると、街の喧騒が直に耳に入る。賑やかだった。エディットは、街を知らないわけではない。ここへ来る前、アグロレーの街でお使いをこなした事もある。だが、冒険者ギルドは初めてである。明らかに、普通の町民とは違う様相の人間が多い。ふと、故郷のケヴィンと言う名の木こりを思い出した。彼は、斧のスキルを持っていた。恐らく、木こりになる前は冒険者だったに違いない男だ。数ヶ月前に別れたのに、何年も会っていないようなそんな気持ちに襲われた。元気にしているだろうか。問う手段はない。レモンドに続いて、ギルドの入り口へと向かう。好奇の視線が向くのが分かる。エディットは場違いだった。十歳の、神官見習いである。冒険者ギルドに用などない人間だ。両開きの扉を潜れば、歓迎されていないのがより分かった。そもそもエディット自身、訪れた理由を知らないのだ。だからまるで他人事の顔をして進んだのである。中に入れば窓口カウンターがあり、役所を彷彿とさせた。何人もの受付がいるのが分かる。女性も男性もいて、年齢もバラバラである。レモンドが適当に、空いている受付の女性に話しかけた。こういう時、下手に口を出さない方がいいことを知っている。エディットは黙って、直立不動で待っていた。話が一段落すると、ついてくるように言われた。建物は三階建だ。受付の女性はカウンターから離れ、階段へと向かっていく。レモンドが続き、エディットも従った。階段を上れば、喧騒が遠のいていく。少しだけ、ホッとした。気にしないようにしていたが、やはり多少なりともダメージを受けていたらしいと知る。知らない人間、それも複数から向けられる厳しい視線は、少女の気力を削いだのだ。受付の女性がドアの前で立ち止まる。どうやら目的地らしかった。
「覚悟は出来ましたかエディット殿?」
「なんの!?」
レモンドの問いかけに、思わず素で返してしまった。呆気に取られた表情を浮かべるエディットを見て、容赦なくレモンドは笑った。更に躊躇することなくドアを開けたものだから、一層エディットは驚いたのだ。せめて何某かの説明が欲しかった。子供に厳しい。らしくもなく、そのようなことを思った。当人すら忘れがちだが、子供なのである。少なくとも見た目は。
ノックもせずに立ち入った先には、部屋の主がいた。厳つい男である。椅子から立ち上がることもなく、重厚な書斎机の奥からこちらを見ていた。完全に値踏みする目だ。レモンドの後ろに隠れてやろうかとも思ったが、それはそれで癪なので、見返してやった。普通の子供であれば怯んだかも知れないが、エディットの精神は大人なのである。ついでとばかり、エディットは息を吸ったのだ。
「初めまして! アルメヴレハ大聖堂より参りました見習い神官のエディットと申します!」
先手必勝とばかり声を張り上げた。何も分からずとも、まずは自己紹介である。名乗らないことには始まらない。しかもエディットは一番下っ端なのだ。自分が始めなければいけないと、そう、思ったのだった。ぐ、と、腹に力を入れ、大人達を見る。迎え撃つ気概は十分だった。別に敵ではないはずである。部屋に満ちた静寂を破ったのは、大人の笑い声だった。
「形は小せえが、肝は座ったお嬢ちゃんだな」
野太い声には深みがあり、エディットは怯みそうになった。黙っている分には耐えられたものも、口を開いた事で単純に恐れたのだ。どうにも、エディットが今まで接した事のないタイプの人間だった。普通の人とは違うと、素直にそう思わせたのだ。尤も見た目からして厳つく、顔には大きな傷がある。武勇伝の一つ二つ持っていそう。そんな風に思ったのだ。
「オスニエル・ランドン・ベイトソンだ」
そうして簡潔に名乗ったのである。エディットは困った。名前は分かったが、役職があるのではないかと思っているのだ。だが聞き方が分からない。助けを求めるよう、レモンドを見た。
「事前にお知らせしたとおり、此方のエディット殿が癒しの業務を引き受けさせて頂きます」
「癒しの業務なんてものはギルドにねえがな」
「出来たじゃないですか」
「やらせたの間違いだろ」
「お話し中すみません」
レモンドの言葉を聞いてから、ぽかんと呆けていたエディットだったが、やっと我に返ったのだった。子供の声に大人二人が黙って視線を寄越す。意図せずして注視され、エディットは顔を顰めた。
「お話が分からないのですが」
そうして、素直に白状したのである。再度訪れる沈黙。大人二人は一度顔を見合わせ、もう一度エディットを見た。
「説明してねえのかよ」
呆れながら声を発したのは、ベイトソンである。
「教会は、まずやらせてみよが鉄則でして」
果たして事実だろうか。聞いたことはないが、頷く内容ではある。何せどの神官も、何につけてもすぐ実践せよと言うのだ。既にエディットは諦めの境地であった。どの道、拒否など残されていないのだ。やるしかないのである。例え、説明がなく理解及ばずとも。
「大体分かりましたか、エディット殿」
「分かるわけねえだろふざけてんのかこの騎士殿は」
「はい、ここ、冒険者ギルドで、癒しの力を振るえば良いのですね」
堂々とエディットは答えてみせ、ベイトソンは目を丸くしたのだ。更に得体の知れないものを見る目を向け、頭痛を堪えるよう額を押さえたのだった。
「物分かりよすぎだろ! ガキじゃねえのかよ!」
「十歳です」
「ガキじゃねえか! 分からねえって言ってたのは何なんだよ振りかよ!」
「いえ、本当に今もよく分かっていません。どういうことですか?」
「えぇ……」
二人のやり取りを見て、レモンドが口元を押さえた。笑いを堪えているのは明らかである。いい年をした厳つい男が、年端もいかぬ少女にいいようにあしらわれているようにしか見えなかったからだ。既に怯んでいたことなど忘れ、堂々とエディットは向き合っていた。慣れるのが余りにも早かった。
「今年は見習いが二人いますからね、片方は冒険者ギルドで預かってもらうことになったのですよ」
まるでいつもは、一人のような言い草である。しかし、実際がどうかなど、エディットは知らないのだ。何故なら、似たような歳映えの子供が、アルメヴレハ大聖堂にはいないのである。それこそ、同期のクレマンスだけだ。レモンドの説明を聞き、ベイトソンが鼻を鳴らした。
「要は、厄介払いだろ」
「ベイトソン殿」
流石にこの言い草にはレモンドが鋭く制した。しかし、エディットは考える素振りを見せている。ベイトソンの言葉など、意に介していなかった。いや寧ろ、心当たりがあったのだ。先日、初めて癒しの力を使った時のことである。大きな切り傷を癒すため、クレマンスは出血を止めた。だがエディットは、綺麗さっぱり消してしまったのだ。癒した、と、言うより消したと言う方がしっくりくる出来だった。そう、同じ見習いでありながら、実力に差が出過ぎてしまったのである。勿論エディットは無意識だ。意図して、完璧に癒したわけではない。やったら出来てしまったのである。何方にも非はなかった。困ったのは、教会である。見習いは見習いである。出来たから免除、と、言うわけにはいかない。例え完璧だとしても、修行させなければならないのだ。そうして困った結果、頼ったのが冒険者ギルドだというわけである。
「おう、お嬢ちゃん」
「はい」
「仕事があるとは限らねえぞ」
「はい」
「料金は千トリオレだ」
五百ではなく? 聞いたエディットは内心で首を傾げた。教会で癒した時は、五百だったのだ。見習いの治療費は、五百。治せても、治せなくても同じ。そう、聞いている。だがここは冒険者ギルドだ。何方の取り分かは知らないが、マージンが登場していた。確かなことは、エディットの懐には入らないと言うことである。残念ながら。
とにかく、と、エディットは頭の中で流れをまとめた。己の扱いに困った教会側が、冒険者ギルドに一時的なものだろうが、預けることにした。その際、治療を請け負うことにした。但し治療費は千トリオレで、もしかすると依頼などないかも知れない。と、こう言うわけである。また、薄々気付いているが、よく思われていない。冒険者と神官は、仲が悪いのかも知れない。片や実力主義、片や神頼み。そんなふうに思われているのかも知れない。正直、神頼みは否定できないわけであるが。現にエディットは困ればすぐに呼びかけているのだ。そして、念じれば、何となく上手くいく、そんな気がしていた。何しろ、運がいいと思い込んでいる人間の方が物事上手くいく可能性が高いと言う。似たようなものだろう。
十歳の見習い相手とは思えぬ程雑な説明を受けた後、エディットは又階下へと向かっていた。つまり、冒険者ギルドの受付である。役所を彷彿とさせるような長いカウンターがあり、数人の受付がいる。その一番端に、小さな椅子があった。考えずとも分かる。エディット用である。どう見ても厄介払いの体だが、立っていろと言われるより幾分もマシである。ちょこんと座れば、他の受付より頭一つ分は確実に小さい。そうでなくともエディットは、同年代の子供より小さいのだ。
「エディット殿」
座ったのを見計らったよう、レモンドが呼んだ。因みに、隣に立っていた。更に言うなれば、カウンターからはみ出ている。本当に端なのだ。
「私は暫く席を外しますが、よろしいですか?」
「はい」
何も考えずエディットは返事をした。元よりいたところで、やる事はない。居場所もない。自分だけ座っていると言うのも、気が引ける。本音を言えば知らない場所である。傍にいてくれた方がずっと安心なのだ。だが、我儘を言える立場でもない。木製の丸い椅子の上、両手を膝の上に置いて、エディットはぼんやりしていた。ギルドに訪れる冒険者たちが、エディットを見ている。しかし逆にエディットもまた、冒険者たちを見ていた。変わった格好の人が沢山いるな、とか、銃刀法なんてものは存在しないんだな、とか、年齢も性別もバラバラだな、とか、そのような感想を抱いていたのだ。最早ただの見学である。騒がしい空間の中、エディットの周囲だけが静かだった。見えているのに、見えていないみたい。まるで空気に徹するかのよう、エディットも又、誰にも話しかけたりはしなかったのだ。きっと今日はこのまま終了だろう。本当であれば、売り込むべきなのかもしれない。これが修行の一環と言うならば、頼み込んででも、癒しの力を使わせてもらうべきなのかもしれない。でも、そう言う気持ちにならないのだ。恐らく、願われもしないのに、力を振るうのが嫌なのだ。しかもこれは、慈善事業ではない。ある意味、商売なのだ。なればこそ、求められてすべきなのである。
どれ程、時間が経過したのか。ふと、視線を彷徨わせた。時計を探したのだ。この世界にも時計はあり、エディットにとっての前世同様、一日は二十四時間だった。文明が進んでいるのかいないのか、よく分からなくなる。科学を、魔法とスキルで補っている、そんな風に感じていた。農村で暮らしていた時とは想像できない程、快適に暮らしているのだ。結局時計は見当たらなかった。代わりと言っては何だが、視界に人が入り込んだのだ。それは勿論、元々複数映り込んでいたのだが、意図してエディットの視界に入ってきたのである。気のせいではなかった。何故なら、そのまま近付いてきたのだ。嫌でも、自分が目当てだと分かってしまう。隣の受付嬢とは距離がある。カウンターを挟んで、向き合った。
「こんにちは、お嬢ちゃん」
「こんにちは……」
笑みを浮かべて、極普通に挨拶をしてきたものだから、咄嗟に返した。但し、小声ではある。警戒しているのだ。エディットは相手を見た。女性である。そこまで大柄ではないが、一般の女性よりも、逞しいのが服の上からでも分かった。特に露出はしていないのだ。でも、武器を振るって戦う人なのだと、分かる。背中から、槍が見えているのだ。剣と違い、腰に佩くには邪魔である。故に、背負っているのだろう。だがそれよりも目を引くのは、顔だった。美醜の問題ではなく、左目、およびその周辺を布で覆っているのである。怪我をしている。普通に考えれば、そうだ。ぐるぐると、包帯のように布を巻いているのである。
「此処で、何をしているんだい?」
てっきり、怪我の治療のために話しかけてきたものだと認識していたものだから、エディットは驚いてしまった。まさか、問われるとは思わなかったのだ。だが、聞かれたからには答えなければいけない。
「私は、神官見習いです。此方で、癒しの業務を承っています。但し、治っても治らなくても、料金は千トリオレです」
冷静に、落ち着いて言えただろうか。周囲に頼れる大人がいない、これは、例え中身が子供でなくとも不安であった。もしかすると、特に興味本位で話しかけただけで、用事はないのかもしれない。いや、ないだろう。すぐに去るだろう。そのようにエディットは予想し、だが、すぐに裏切られることになった。
「へえ、じゃあお願いしようかな」
えっ。
声には出さなかった。しかし、顔には出た。驚きで目を丸くした少女を、女性は楽しげに見ている。揶揄っているのだろうか。エディットはまだ、信じていない。どうにも冒険者というのは、神官に対して当たりが強いのだ。恐らく、信用されていない。だからこそエディットは警戒している。
「あの、治っても治らなくても、千トリオレですよ?」
取り敢えず、念を押す。
「ああ」
返ってきたのは、短い了承だった。こうなるともう、言うべきことはない。効果がなくても、知らないんだから。そのような気持ちで、立ち上がった。
「分かりました。では、どこを癒せば良いですか?」
女は無言で、己の左目を指さした。案の定ではある。しかし、布を取る素振りは見せない。これでは、怪我の具合はおろか、治ったかどうかも分からないのではないか。そう思うのは当然で、だがエディットは黙って手を伸ばしたのだ。女が僅かに上体を倒した。少し、手に顔を近づけたのだ。
やるしかない。
出来るかどうかではない。やるしかないのだ。
エディットは目を閉じて、祈りを捧げた。