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18.神の仕業かもしれません(明後日の方向を見ながら)


 聖水の需要と言うのは、己の想像よりもきっとあるのだろう。

 空の瓶を見ながら、エディットは思ったのだ。今日も聖水作りに励んでいる。目下の目標は、七本作る、である。今の所、六本を超えた例がなかった。とんでもない疲労感に襲われるのである。眼鏡をかけた柔和そうな男性神官が容器を片手に、二人の見習いを見ている。因みにこの神官、名をマーヴァルと言う。きっと、教会の中でも聖水作りのエキスパートなのだろう。勝手にエディットはそう思っている。この上がゴロゴロいたら、少し自信を無くす。それくらい、聖水を作るのは難しいのだ。大体、真似をして容器を振ったら出てきたので、未だに作り方は分かっていないのである。やったら出来た。これである。だが、そのエディットよりも顔を顰めているのが、クレマンスだ。此方はそもそも、未だ作ることに成功していないのだった。

「どうして、わたくしは作れないのでしょうか」

 とうとうクレマンスが弱音を吐いた。普段の何処か勝気な様は形を潜め、眉が下がっている。エディットは困った。慰めたいのは山々だが、何せ此方は出来るので、何を言っても逆効果になりそうなのだ。だから、助けを求めるよう、マーヴァルを見たのだった。

「クレマンス殿」

「はい」

「聖水とは、つまり、水に祈りを付与したものなのです」

 クレマンスが眉根を寄せたが、隣で聞いていたエディットも同じ表情を浮かべたのだった。つまり、二人揃って理解できていなかった。果たして祈りとは。エディットは思った。自分が一番苦手な分野である、と。だが、出来ているのだ。分からないのに、出来てしまっている。なので余計に理解出来ていなかった。

「水に向かって、祈りを捧げる、と、言う事ですか」

 難しい顔をして、クレマンスが問う。

「やってごらんなさい」

 柔らかく笑みを浮かべ、マーヴァルは応えた。腑に落ちない顔で、クレマンスが容器を睨む。そうして短く言葉を発すれば、先ず水が生まれた。エディットが持たない力、魔法である。だが恐らくこれは、ただの水だ。まだ聖水ではない。見た目では判断できないが。エディットは、じっとその様を見ていた。恐らく、マーヴァルよりずっと真剣に。何故なら、祈りを付与する事すら理解していないのである。やったらできた。これが一番質が悪い。人に説明も出来ない上に、今は再現出来ているから良いようなものの、出来なくなった時改善の仕様がないのだ。だから何とか盗んでやろうと、真剣に見たのだった。隣の少女がそのような事を考えているとも知らず、小さな容器をクレマンスは両手で握って目を閉じた。如何にも、祈りを捧げている。もしエディットが同じよう、祈りを捧げてみせよと言われても、似たような仕草をしただろう。果たして、神に祈っているのか、それとも願っているのか。ふと、エディットは疑問に思った。祈りとは、何なのか。願いは分かる。この水が、聖水になりますように。では、祈りは? この水を聖水にして下さい? それもまた願いでは? 悩むエディットの視線の先、変化が起きた。僅かに容器が光ったのだ。それはクレマンスから常に発されている光のように淡く、だが確かに信仰を表していたのだった。

「貸して御覧なさい」

 静かに、マーヴァルが言う。眉根を寄せて、クレマンスは渡した。目を閉じていたから、変化に気付かなかったのだろう。その隣でエディットはワクワクしながら、男性神官の手元を見ている。あの、魔物の血を浸した紙に、仄かに発光した液体を垂らしてみせた。するとどうだろうか。僅かに、ほんの僅かではあるが、白くなったのである。浄化されたのだ。つまりこれは、聖水だ。効果のほどは然程ではないかもしれないが、確かに聖水と呼んで差し支えないものが生まれたのだった。パチパチと、思わずエディットは拍手をした。呆れたようにクレマンスが目を細めて視線を送った。馬鹿にされたように感じたのかもしれない。何せ此方は、最初から出来てしまったのだから。

「クレマンス殿、確かに聖水ですね」

「これが、ですか」

「ええ、あなたも見たでしょう。浄化の作用を」

「どうやって作ったんですか」

「あなたは出来るでしょうエディット殿」

 どさくさに紛れて方法を聞こうとしたが、駄目だった。まさか出来る事が弊害になるとは。方法も分からず作っているとは、誰も思わないだろう。何と言っても、この男性神官の真似をしただけなのだ。無言で、二度ほど振ったその仕草を。だからエディットは、今度はクレマンスに倣おうと思ったのである。分からないのだから、真似るしかなかった。空の容器を両手で持つ。そのまま、額に当てて、目を閉じた。そうして、念じたのだ。

 神様、神様、神様、神様、神様……。

 最早祈りと言うより内心で唱えただけであり、完全に神頼みの様相であった。ただ、傍目には全く分からないのだ。何せ、エディットが神様と、心の中で唱えれば唱える程、輝きが増すのである。空の容器にはいつの間にやら水が満ち、なんとも神々しい光を放ち始めていた。そろそろ何か変化があっただろうかと、エディットが目を開ける。そうして、自身の手の中にある不可解なものを見て、眉根を寄せたのだった。

 えらく、眩しいな。

 無色透明な水が満ちている筈の容器は、これでもかと光を放っていたのだ。クレマンスが祈った時もほんの僅か光ったが、その比ではなかった。いや、その光はすぐさま消えてしまったのに、エディットが手にした容器は光り続けているのである。答えを求め、エディットはマーヴァルの方を見た。だがそこにいるのは、いつもの柔和な顔をした男性ではなく、驚きを露わにし目を見開いた姿だったのだ。何なら、眼鏡が少しずれているような気すらした。仕方がないのでエディットは、同い年の少女を見た。此方も驚いてはいたが、マーヴァルほどではなく、目が合うと、顔を顰めたのだ。

「あなた、それ、何?」

「聖水じゃないでしょうか」

 そう答えたものの、本音としては、聖水だったらいいな、である。作ったであろう本人が分かっていない現実。確かにクレマンスの真似をしようと思い実践したわけだが、想像を超えたものが生まれてしまったのである。端的に言って、困った。

「エディット殿」

「アッハイ」

 眼鏡の位置を直しながら、マーヴァルが呼んだ。どうやら我に返ったようである。

「これと同じものをもう一度作れますか?」

 真剣な声音で問われ、自然とエディットは容器を手にした。疑問を呈する事すら出来なかったのだ。余りにもマーヴァルが纏う空気が、ひりついていた。これはただ事ではないと、伝えている。恐る恐ると言った体で、エディットはもう一度空の容器を両手で握り、内心で唱えた。

 神様、神様、神様、神様、神様……。

 している事は、先程と同じである。何度も呟いた後、目を開けた。

「あれ?」

 すぐさま、違和感に気付く。なんと視線の先にある容器は、空のままだったのだ。水すら入ってはいなかったのである。

「成程、再現は、無理、と」

 ぽつり、と、男性神官が呟いた。いつもの柔和さは形を潜めている。マーヴァルの独り言を聞き、エディットは内心で焦っていた。無理と言われると、何だか酷く駄目なような気がしてしまったのだ。これは、やはり、修業が必要なのでは。だが、修行と言えど、何をしていいのかは分からないのである。もう一度同じ事をする以外に思いつかなかった。そもそも知識がない上に、祈りを理解していないのである。未だに。

「エディット殿」

「はい」

「いつも通りの聖水をお願いしますね」

 今までの出来事を無かった事にするかのように、マーヴァルがにこやかに言った。エディットは頷くしかなかった。態度こそ柔らかいものの、有無を言わせぬ気迫があったのだ。言われた通り、空の容器を手にし、軽く振ってみる。何も考えずに。

「あれ?」

 しかし、何も生まれなかった。

 振っても振っても、ちゃぷんとも言わないのだ。

「今日はもう、駄目みたいですね」

 マーヴァルが静かに止めを刺した。どうやら、弾切れらしかった。

 結局クレマンスも祈りを捧げれば僅かには光るものの、大した聖水にはならなかった。恐らく、クレマンス自身の祈りの力が足りないのだ。信仰の度合いは、神官を見れば分かる。神官が放つ光の強さが目印だ。それは、祈りを捧げれば捧げる程、増していく。見習いになったばかりのクレマンスの光が弱いのは当然だった。異常なのは、エディットの方である。此方は単純にズルに近い。祈りを捧げたわけではなく、極まった煩悩が神の元へと届いた結果だった。通常有り得ない事である。そのエディットは全身から光を放ちながら、一人食堂で食事をとっていた。同じ見習いであるクレマンスは部屋で取り、他に知り合いがいないわけではないが、彼女の周りには誰も寄ってこないのだ。これは別にエディットが嫌われているわけではなく、眩しくて食事に集中できないからである。ただ本人に自覚は無いので、物知らずの田舎者の子供と食事なんて一緒に取りたくないよなあ、と、思っていた。そんな中、一人だけ、彼女と同席を拒まない人間がいる。

「御機嫌よう、エディット殿」

「ひっ」

 エディットと同じくらい光を放つ神官、ルシアンである。

 未だに顔の眩しさに慣れず、悲鳴染みた声が出た。不可抗力だ。こうなるともう、食事の味が分からなくなる。だが逃げるわけにもいかない。覚悟を決めた顔で、エディットはルシアンと相対したのだ。勿論エディットはルシアンを嫌っているわけはない。逆である。抱いているのは多大なる好意だ。ただし対象は顔である。為人は、いまひとつ分かっていない。顔を強張らせてカトラリーを握るエディットに、にこやかにルシアンは話かけてくる。

「素晴らしい聖水を作られたと聞きました」

 果たしてあれは、素晴らしい聖水なのだろうか。問われエディットは考えた。そもそもあれが本当に聖水かどうかも分かっていないのだ。いつもならば聖水かどうか確かめる為、不穏な空気を醸し出す黒い紙に液体を垂らすのに、マーヴァルはそうしなかったのである。よってエディットは、正体を知らなかった。でもルシアンは聖水だと言っている。ならばそうなのかもしれない。

「もしかすると、私が作ったわけではないのかも知れません」

 思案しながらエディットは答えた。実はあれから考えていたのだ。あの液体の正体である。もし聖水だとして、本当にあのようなものが見習いに作れるものだろうかと。あのマーヴァルの驚きようから言って、普通の聖水ではないに違いないのだ。実際今ルシアンも、素晴らしい聖水と言ったのである。

「と、言いますと?」

 エディットの物言いに、何処か興味深げにルシアンは尋ねた。ともすれば、楽しんでいるようにも見えた。尤も、エディットは気づかない。ルシアンの顔を前にすると、思考力が下がるのだ。眩しいので。故に、深く考えず口にした。

「神の仕業かも知れません」

 まるで、宣告のようだった。周囲は確かに賑わっているのに、急に此処だけ静けさが満ちた。エディットにすれば、ふとした思い付きだった。だが聞いたルシアンは、背筋を正したのだ。カトラリーを手にしたまま。

「神が手を加えたと言うのですか」

「そういうことも、あるかも知れません」

 なんと言っても、神様神様神様と、五月蝿いほど呼んだのである。内心ではあるが。でも相手は神だ。届いたのかも知れない。そうして、エディットを黙らせるために干渉したのかも。等と思うこと自体が、普通ではなかった。神とはそこまで身近な存在ではないのだ。祈りを捧げるべき絶対的な存在である。だが、エディットは違う。相見えてしまったのだ。それによって、勝手に身近な存在として感じてしまっていたのである。姿を見、声を交わした。その事実は大きかった。そうして、誰にも理解されないのだ。大体、神官が作った聖水に神が手を加えるその事自体が、有り得ない事だった。通常ない事なのだ。だから神の仕業だと考えるのはエディットだけであり、他の神官からすればエディットの力だと認識していたのである。つまり、謙遜だと思われていたのだ。

 エディット曰くのキラキライケメン事、ルシアンは思案していた。このとんでもない見習いを謙虚だと褒めるかどうかである。しかし自分如きが、この若さで神の園に招かれた選ばれし存在に物申して良いものかどうか。エディットと同等の輝きを放つ神官は、至って真面目であった。そうして、互いに何処か難しい顔で食事を取る眩しい二人を遠巻きに、他の神官は眺めていたのである。揃うとやはり落ち着かないな、と、思いながら。尤も、何方か片方でも気を留めずにいられないのだが。どの神官も多少なりとも光ってはいるが、この二人は別格だったのだ。昼だか夜だか分からなくなるほどには。


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