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17.貧富の差と罪悪感。


「お嬢様?」

 部屋に戻って来た主人を訝し気にメイドは呼んだ。初日こそ廊下で待っていたものの、今では部屋の中で帰りを待つようになっていた。此方は慣れるし、主人は成長するのだ。アミシーの主人は、十歳の少女である。見ての通りの子供だ。でもただの子供ではない。貴族の子女であり、神官のスキルを持ち、更に幾つかの魔法の素養を持つ選ばれた子供だった。神官、と、言うものがどう言ったものか、一般的な事しかアミシーは知らない。毎日教会で主人が何をしているのかも、詳しくは知らない。知っているのは、主人が話してくれる事だけ。アミシーは、主人に同行する事すら出来ないのだ。出歩く許可を得ているのは、この神官たちが寝泊まりしている区域だけだった。だからアミシーは、見送って、出迎える事しか出来ないのである。クレマンスは朝出ていくときには明るい顔をしていても、戻ってくる頃には、大抵疲れ切った顔をしている。アミシーには慮ることしかできない。しかし今日はまた、一段と暗い顔をしていたものだから、流石に心配になったのだ。

「わたくし、酷い事を言ってしまったわ」

 問うていいものかどうか、と、悩んでいた。悩みながら、何時も通りの働きをしていたアミシーの耳に、ようやく一息ついた主人の呟きは、自棄に大きく届いたのだ。尋ねるべきか、尋ねないべきか。力にはなりたい。しかし、出過ぎた真似はすべきではない。さじ加減が難しい。

「聞いてくれる、アミシー?」

「勿論です、お嬢様」

 漸く主人が向いてくれたので、心置きなく返事をした。注いだ紅茶は温かく、湯気がふわりと香った。

「わたくし、恥ずかしい事を言ってしまったわ」

 酷い事、と、言っていた筈が、いつの間にやら変わっていた。だが、改めて問うような事でもない。アミシーは黙って先を促したのだ。

「エディット殿に、ズルいと言ってしまったの」

「ズルい、ですか」

 何とも珍しい言葉だった。少なくともアミシーは、主人の口から聞いた事がない。人を羨むような子供ではなかったからだ。財力にしろ才能にしろ、他の子供より抜きんでていた。故に、何とも意外な言葉であったのだ。

「わたくしは、聖水も作れないし、怪我だって全然癒せないわ。でもね、エディット殿は、最初から完璧なのよ。何でも出来てしまうの。それを、ズルいと思ってしまったわ。どうして、あの子に出来て、わたくしに出来ないのって」

 分かりやすい嫉妬だった。そうしてアミシーは、エディットと言う少女の事を思い浮かべたのだ。面識はある。何せ、この大聖堂で神官見習いはたったの二人しかいないのだ。アミシーは主人が心配でたまらない。だからこそ、同い年の少女に頼むしかなかったのだ。現に彼女は、主人と仲違いすることなく、上手に付き合ってくれている。最初から薄々気付いてはいたが、精神年齢が高そうだと見ていた。正解である。エディットは、普通の子供ではない。本人以外誰も知らないが、前世の記憶を薄らと持つ子供なのだ。そこいらの十歳児とは訳が違うのである。精神的な面で。だからこそ安心していた面もあるが、まさか、己の主人よりも才覚に秀でているとは想定外である。クレマンスは、普通の十歳児よりずっと大人びていて、ある意味で子供らしくない子供であった。大人顔負け、と、言う言葉が脳裏に浮かぶくらいには。そのクレマンスが、嫉妬する相手なのだ。アミシーは混乱した。

「でも、もしかしたら、エディット殿も、わたくしをズルいと思っているのかもしれない」

 そうして、ポツリと呟いた言葉に、何と返事をしてよいか、分からなかったのだ。

 クレマンスは、湯気を立てる紅茶を見て、更に、与えられた自室を見て、エディットの部屋の事を思い出していた。何もない部屋だった。必要最低限の物しか。寂しい、部屋だった。でもそう思うのは、クレマンスが持っている人間だからである。最初から持っていないエディットには、浮かばない感想であった。それにエディットの精神は、十歳ではない。だから、必要以上に他人を羨んだりもしないのだ。だが、それを知る由もなく、クレマンスは一人罪悪感を抱える事となったのだった。

「謝った方がいいかしら」

 呟きながら、そのような事出来るだろうかと、疑問を抱く。クレマンスは、上位者である。少なくとも、平民に謝罪したことなど無かった。する理由もなかった。だからきっと思うだけで、出来やしないだろう。それでも、償わなければいけない。上の人間だからこそ、下を羨んではいけないし、憐れんだとしても、同情されてはいけなかった。そうして十歳でありながら、自分を縛り付けている。

 悩むうちに紅茶は冷めてしまった。それを手際よく、アミシーが下げようとするのを制した。粗末にしてはいけないと、初めて思った。冷めた紅茶は少し苦くて、顰めた顔には後悔が見て取れる。それでも飲み干したその時、恐らくクレマンスは少し成長したのだ。成長とは、目に見えるものだけとは限らないのである。

 教会にも休みはある。勿論神官が、全員一斉に休むわけではない。それでも見習い二人の休みは同じ日だった。たった二人しかいない事に、教会側も気を利かせたのかもしれない。そう、例え見習いと言えど、常に学んでいるわけではないのだ。

「あなた、休みの日はどうしているの?」

 結局謝りそびれたものの、二人の少女の関係は変わらなかった。特に気まずくなったわけでもなく、まるで友人のように接している。クレマンスもエディットも、同い年の同性の友人がいなかった。だから、これが友人関係なのかどうか、と、問われると分からないのだ。

「どう、とは?」

 クレマンスに問われ、エディットは聞き返した。休みという感覚が、よく分からなくなっていた。この世界、一週間、と、言う概念がないのだ。一月はある。だが、週はなかったのである。故に教会の休みと言うのも、何日毎、と、明確に決まっているわけではなかった。三日だったり、五日だったりと、その時々で違うのである。ただ、気を利かせてか、見習い二人の休みは同じだった。それでも、これまで共に過ごしたことはなかったのだ。エディットは一人だが、クレマンスは一人ではない。行動を合わせる必要がなかったのである。

「出掛けたりとか」

「クレマンス殿はお出かけをされているのですか?」

「そうよ。折角王都にいるんですもの。あなたは?」

「一度もないですね」

「えっ」

 端的に答えたエディットを、目を丸くしてクレマンスは見たのだ。誰がどう見ても、驚きを示していた。何故そのような顔をされるのか分からず、エディットは首を傾げたのだ。

「どうかしましたか?」

「えっと、ずっと教会にいるの?」

「そうですよ」

「何故?」

「なぜ」

 思わずエディットは復唱してしまった。何故、と、理由を問われるとは思っていなかったのだ。大体エディットは、田舎から出てきたのである。それも、辺鄙すぎる程の農村から。王都など、存在位しか知らない。行きたい場所、と、言われても、知識がない。そもそも、金がない。服もない。ないない尽くしである。別に休みだからと言って教会から追い出されるわけでもない。自分が休みであっても、他の神官が休みであるわけでもない。神官ごとに、休みは違うのだ。だから、探索がてら教会を歩けば誰かが構ってくれるし、食事だっていつも通りであるし、風呂だって入る事が出来る。何も不自由していなかったのだった。ただ、金儲けの手段がないだけである。

 そのような事を告げれば、クレマンスが呆気にとられた顔をした。まるで想像もしていなかったことを言われたと、そう態度が告げている。つまり、衝撃を受けているのだ。余りにも、境遇が違い過ぎた。同い年の同じ神官見習いでありながら。

「エディット殿、ここは、王都なの」

「はい、知っています」

「なんでも、あるの」

「すごいですね」

「わたくしが、案内するわ」

「いえ、お気持ちは嬉しいんですけど、手持ちのお金もないですし、服も本当、これしかないんで」

 これ、と、言うのは、現在身に付けている見習いの神官服である。あくまで仕事着であって、普段着ではない。しかし、エディットが持っている物の中では、悲しいかな、一番上等だったのだ。平然と言われ、クレマンスが両手で顔を覆った。泣いているようにも見えた。だがこれは、嘆いているのだ。どうしようもなく埋められない差に。そうして暫く黙り込んだ。エディットが、慰めた方がいいだろうか、と、悩みだしたその時、貴族の少女は勢いよく顔を上げたのだ。その目を見て、エディットは僅かに後ずさった。何やら、決意が見て取れたからである。何だか、嫌な予感がした。

「わたくしが、全部なんとかするわ!」

「えっ」

「だからエディット殿、一緒に王都を歩きましょう!」

「えっ」

 いや、なんとかって何。勢いに押されながら、エディットは内心でツッコんだ。口から出なかったのは、相手が十歳だからである。十歳児を問い詰めても仕方がないと思ったのだ。己も十歳でありながら。大体、何とかすると言ったところで、それはきっと、クレマンスではなく周囲の人間の仕事なのである。このお嬢さんは指示するだけなのだ。でも、きっと、貴族の子女と言うのは、そう言うものなのだろう。半ば納得しながら、流石にお嬢さんの我儘くらい、止めるだろうと安易に考えてもいた。エディットの感覚で言えば、ちょっと質の悪い子供の冗談である。説き伏せるのは、大人の仕事だろう。だったらまあ、いいか。クレマンスの様子を眺めながら、一先ず忘れることにしたのだった。どうせ、実現しないだろうと思っていたのである。されても困る、とも。


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