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15.世の中金にならないものはない。


 見習いとは言え、神官のすべきことは掃除と祈りだけではない。

「エディット殿は、水のスキル。クレマンス殿は水の魔法が使えますね?」

 ルシアン神官じゃなくて良かった。眼鏡をかけた柔和そうな男性神官を前にエディットが思った事である。これがルシアンであれば、話を聞くどころではなかった。未だに耐性はゼロである。今日は、聖水を作る教えを受けている。神官には、聖水を作るスキルがある。但し、水のスキルか魔法が使えなければ作れない事情があった。全ての神官が作れるわけではないのだ。男性神官は二人の少女に、空の容器を手渡した。

「さて、二人とも、聖水を作ることが出来ますか」

 この問い掛けには覚えがある。神官のスキルを持っていると知ったあの日、アーローズ・オブライエンにも問われたのだ。その時のエディットの答えは分からない、だった。水は分かるのだ。念じれば出る。だが、聖水、ともなると、全く分からなかった。浮かばないのである。そもそもエディットは聖水が何かを知らないのだ。知らないものは作れない。知らないから神を信じなかったのと同じである。

「あの、聖水を見せてもらう事は出来ますか」

 だから、勇気を絞って問うたのだった。別に見ればできる、等と思ったわけではなかった。だが、知らない物はどうしようもないのだ。面食らったように眼鏡の奥で神官が瞬きをした。そうして、二人に渡したのと同じ空の容器を手にすると、無言で二度ほど振ったのである。呪文も何もなかった。しかし容器の中にはみるみるうちに、透明の液体が現れたのである。見た目は只の水だ。エディットは身を乗り出して見たし、何ならクレマンスも同じことをした。二人の少女の仕草に、男性が笑みを浮かべた。微笑ましいとでも言いたげに。

「これが、聖水ですか」

「そうですよ。見て御覧なさい」

 言いながら、一枚の紙を取り出した。赤混じりのどす黒い、紙だった。二人の少女は眉根を寄せた。この紙から、見えない嫌な空気が漂ってくるのが分かるのだ。

「これは、魔物の血を浸したものです」

 えっ。

 乗り出した体を二人揃って引いた。まさか、そのようなものが出てくるとは思っていなかったのだ。少女たちの反応を見て、神官が容器を紙に向かって傾けた。水が落ちる。するとどうだろうか。紙が白くなったのだ。まるで一瞬で、漂白されたようだった。不思議な現象である。

「さあ、どうぞ」

 白くなった紙を前に、にこやかに男性は言った。見たのだから後はやれ。言外にそう告げている。どうやら今日は此処で、聖水を作るのが役目らしい。出来るかどうかは別である。いや、出来るようにならなければいけないのだろうが。

 隣でクレマンスが何かを呟いた。見れば容器には透明な液体が満たされている。どうやら、魔法を使ったようだ。エディットは初めて魔法を見た。成程、呪文が必要なのだと知ったのだ。つまり、この男性神官はエディットと同じ、水のスキルの持ち主である。何かを唱えた様子はなかったのだ。クレマンスは、水の入った容器をじっと眺めている。エディットにも分かる。問題は此処からなのだ。この水を如何にして、聖なる水に変えるか、と、言う問題である。意図も容易くやってのけた男性を見る。果たして何が違うのか。聖水とは一体。魔物を浄化する力がある? 遠ざけるのではなく? それとも作り手の技量によるのだろうか。聖水、聖水、と、内心で唱えながら、先程の神官の遣りようを思い出し、空の容器を振ってみた。

 ちゃぷん、と、水が揺れる。

 水を、出した感じはなかった。だが、容器の中には透明の液体が満ちている。果たしてこれは何であろうか。水も聖水も、見た目には同じである。ただの透明な液体だ。容器を振って見る。揺れるだけだ。

「エディット殿」

「はい?」

「どうぞ、容器を此方へ」

 深く考えず、言われるがまま手渡してしまった。一体何枚あるのか、あの嫌な紙を神官が再度机の上に載せる。首を傾げてエディットはその様を見ていた。何せ普通の水だと思っているのだ。隣のクレマンスも興味深げに眺めている。神官が容器を傾けた。液体が落ちる。紙に当たる。

「あっ」

 白く、なった。

「成功ですね」

「えっ」

「あなたは見事一度で聖水を作ったのですよ」

 にこやかに眼鏡の神官が言う。エディットは思った。どうやって? 自分でやった事なのだろうが、全く分からないのだ。

「どうやって作ったの?」

 絶対に男性神官にも聞こえているだろうが、小声でクレマンスが問うた。エディットは眉根を寄せた。

「分かんない」

「えぇ……」

 嘘偽りない本音である。本当に分からないのだ。

「どうして出来たんだろう……」

「わたくしが聞いてるのに」

「さて、容器は幾らでもありますから、出来るだけ作って下さい。それがあなたの収入にもなりますからね」

 事も無げに言われた言葉に、エディットの動きが止まった。収入。そう、今確かにこの神官は、収入と言ったのだ。つまり、お金である。信じられない顔で、エディットは神官を見たのだ。

「お、お金が、いただけるんですか?」

「はい、勿論。教会は、あなたの労力に見合った対価をお支払いします」

 原理も何もどうでもいい。作れるだけ作ろう。エディットの気持ちが切り替わる。正直この三年で、収入を得らえるなどとは全く思っていなかったのだ。己は十歳の、それも役に立たない見習いである。その子供の衣食住の面倒を見てもらうのだ。支払いがないだけ良しとしなければいけない。そんな風に思っていたのだ。なのにまさか、収入を得られると言うのである。

「あなた、お金が欲しいの?」

 心底不思議そうにクレマンスが問うた。本当に理解出来ないのだろう。生まれてこの方、お金に困った事など無いのだ。エディットとは違うのである。尤もエディットも、金があっても、滅多と使えないような辺鄙な所に住んでいたのだが。しかし、あるに越したことはない。もし十分な収入があれば、あの村から家族で引っ越せるかもしれない。アグロレーの街とは言わない。その手前で十分である。現金であるが、エディットのやる気に火がついた。容器は幾らでもあると言う。だったら、幾らでも作ってやろう。

「クレマンス殿。私は、お金が欲しいのです」

 全く恥じ入る事なく堂々と言い切り、男性神官が机の上に並べた空の容器へと手を伸ばしたのだった。

 ただ、やる気とは裏腹に、五つほどで終わったのだった。

「エディット殿、あなたは見習いです」

「……はい」

 体から力が抜ける。そう思った時には、もう水すら出せなくなっていたのだ。たった五つばかり作っただけである。

「ですから、日々の鍛錬が必要なのです」

「……はい」

 数を熟していく内に、作ることが出来る量も増えるのだろう。やっと分かった。意気込みだけではどうにもならないのだ。その隣ではクレマンスが、透明の液体を睨んでいる。此方は相変わらずただの水だった。

「クレマンス殿もですよ。先ず聖水を作れるようになりましょう」

「……はい」

 不承不承と言うよう返事をする。結局この日、クレマンスが聖水作りに成功する事は無かったのだ。そしてエディットも、後一つ作っただけで、完全に沈黙したのだった。椅子にだらりと体を預けながら、三年の内に、どれほど作れるようになるだろうか、と、そのような事を考えていた。また、頑張ることが増えたのだ。生きるためである。

「どうしてあなたはお金が欲しいの?」

 聖水作りを終え、部屋に戻る最中だった。クレマンスが尋ねた。考えるまでもなく、エディットは言った。

「貧しいのです」

 たった一言。でも、他に理由など無かった。クレマンスは不可解な顔をしている。貧しい事が想像できないのだろう。しかし事実見ただけでも分かる事だった。同じ年でありながら、クレマンスとエディットでは体格が違い過ぎるのだ。身長も体つきも違っていた。早い話が、同い年に見えない。エディットは、十歳よりずっと幼く見えたのだ。それは、今までの環境の違いが大きい。碌に栄養を取らず生きてきたエディットは発育が悪いのだ。

 部屋に戻ったエディットは、収入について考えていた。これは嬉しい誤算である。その上で、金銭を実家に送る方法はあるのだろうかと、そこまで考え、いや、その前に聖水を送ったらどうだろうかとも思っていた。ただ問題は、運んでくれる人がいるか、である。あの場所は遠くて辺鄙で、つまり、運ぶ人を雇う金がいるのだ。聖水を作ることはできる。でも、その聖水にしろ金銭にしろ送るお金がない。結局、金である。そもそも、金を人に任せて送るなど、リスクがあり過ぎる。前途多難だった。一先ず、三年だ。三年頑張って貯めて、自分で持ち帰ろう。結局は、それが一番である。前世の事をふと思う。送金するのも楽だったな、と。成熟した社会だった。大体、この世界に銀行があるかどうかも知らないし、あったとしても村にはない。どうしようもなかった。


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