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11.人生は驚きに満ちている。


 世界遺産か。

 アルメヴレハ大聖堂を目の当たりにしたエディットの感想である。新しく遭遇するものの全てが、エディットの想定を超えてくる事態。きっと王都と言うからには、都市に入るだけでも一苦労なのだろう。通常であれば。この馬車は顔パスだった。これを顔パスと言うのかどうかは分からないが、恐らく出所がはっきりしていて一目見れば分かる仕様なのだろう。何故ならエディットは兎も角として、レモンドも降りなかったのだ。そのまま都市に入り、馬は迷うことなく大聖堂まで向かったのである。そうして辿り着いた先が、世界遺産だったと言うわけだ。考えてみれば、街の教会とは違い、きちんと騎士がいるのである。何の為だかは知らないが。つまり、人が多いのだ。よって、建物もそれなりの大きさなのである。エディットは思った。普通に観光客入れて入場料取ったら儲かりそう。このような事を考えている時点で、神官失格である。

「さあ、着きましたよ。お若い神官殿」

 案外このレモンドと言う騎士は、冗談好きなのかもしれない。先に降り、それこそ姫宛らに手を差し出され、戸惑いながら思ったのだった。このような扱いは初めてだった。此処で放り出されたらどうしようかと危惧したが、ちゃんとレモンドは付き添ってくれた。教会の中まで、である。まるで城のような佇まいだった。一体どれほどの人間が寝泊まりしているのか知らないが、こんなに広い必要があるのかと思う程には。複数の尖塔、大きな窓と扉、中に入れば天井は高く、息苦しい程に空気が澄んでいた。

「ようこそ、アルメヴレハへ」

 エディットの何倍もある扉を潜れば、一人の神官が立っていた。今までエディットが出会った神官は全て物腰が柔らかく、この人物もその例に漏れない。柔和が滲み出ている。

「ではわたくしはこれにて失礼させていただきます」

「ありがとうございました、レモンド殿」

 引き渡しは済んだ、と、挨拶をしたレモンドに、エディットが頭を下げた。

「また機会があればお会いしましょうエディット殿」

 最後まで、男前な騎士殿だ、と、エディットは感嘆したのである。女性だが。二人のやり取りを、年配の女性神官が目を細めて見ていた。

「さて、今日はもう遅いですからね。長い話は明日にしましょう。ついてきて下さい、あなたの部屋に案内しますよ」

「ありがとうございます。御世話になります」

 神官の後に続いて、静かな廊下を歩いた。これだけ広い建物だ。居住する場所は離れて固められているのだろう。どのくらいの人がいるのだろうか。そう思えども、他に誰とも会わない。きっともう、出歩く時間が過ぎているのだろう。決まりはあって当然である。

「ここがあなたの部屋になります」

 案内された部屋を見て、エディットは感動した。寝台、机、椅子、ただそれらがあるだけの質素な部屋であった。しかし、エディットの実家よりずっと立派だったのだ。この一人部屋を貰える、と、そう思うだけで感動したのだった。しかもちゃんと、寝具やランプは最初から置いてあるのだ。寝泊まりするには十分だった。

「それと、此方を明日から着て下さいね」

 部屋の中には備え付けのクローゼットがあり、同じ服が三枚あった。見習いの、神官服である。これにも大いに感動した。何故なら余分な服など持っていなかったからである。オブライエン親子やジョアンが不憫がり下着や生活に必要なものは揃えて持たせてくれたが、何でも余分にあるに越したことはないのだ。

 ここに来てよかった。

 心底思ったのである。そうして、普通なら神に感謝を示すところ、オブライエン親子とジョアン・シーラーに感謝をしたのだった。人としては何も間違っていない。但しエディットは神官である。神にも祈りを捧げるべきなのだ。本来であれば。その他手洗いの場所や簡単な説明を聞き、眠りに就いたのだった。

 こうしてエディット・マルカンの立派な神官になるための三年が始まったのである。

 部屋には時計が無かった。しかし、現在時刻は分からずとも、起床だの朝食だのと言った決まり事には、鐘で知らせてくれるシステムが出来ていた。だから困ることはない。困りはしないが、驚きはした。鳴り響く鐘の音が、想像以上に大きかったのだ。翌朝エディットは飛び起きたのである。災害でも知らせるような音だった。尤もこのくらい大きくなければ、聞こえないのだろうが。何せ、広いのである。

 身支度を整え食堂へと向かえば、思った以上に沢山の神官がいた。成程、広いだけはあるな、と、納得しながら見知らぬ人に挨拶をする。すると向こうは必ず、挨拶を返す前に驚いた顔をするのだった。田舎者で小さいのが来たから驚いているのだろうか。エディットはそんな風に思ったが、実際は違っていた。もっと根本的な問題に、エディットだけが気付いていないのだ。朝食は、質素だった。しかし貧しさに慣れているエディットにとっては、十分だった。何でも有難く感じる素質を持っていた。但し感謝を捧げる相手は、人であって神ではないのだ。

 昨夜エディットを案内してくれた、ナジマと名乗った神官が再び現れた。どうやら、指導をしてくれる神官らしい。何と言ってもエディットは見習いである。習う事しかないのだ。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「はい、お陰様で!」

「それは良かった。今日から、お勤めが始まります。先ずは、掃除からです」

「はい」

 素直にエディットは頷いた。これだけ広いのだ。掃除だって必要だろう。ナジマの後に続く。辿り着いた先は、使われているのかいないのか、よく分からない部屋だった。何のための部屋かも分からないが、ただ、窓が沢山あるな、と、そう思ったのだ。ステンドグラスではないが、天井付近まで窓がある。絶対に届かない事は確定していた。そもそもエディットは背が低いのだ。言われた通りにバケツに水を張る。木製ではあるが、水が漏れる様子は全くない。するとナジマは、二つ雑巾を用意していた。まさか一緒に掃除するのだろうか。そうエディットが思った時だった。扉が開いた。自然と視線がそちらへと向く。

 少女が、現れたのだ。

 何処か不機嫌そうな、それでいて不安も窺える顔をしている。そうして明らかに、エディットとは違う形だった。服は同じなのだ。神官の、それも見習いの服である。エディットと同じものだ。だが、身形は整っていた。一つに纏められた黒髪は艶があり美しく、肌も滑らかで、手には傷一つなかった。

「エディット殿、彼女がもう一人の見習いですよ」

「初めまして、エディットと申します」

「……クレマンス」

 ともすれば聞き逃してしまいそうな程の声音だった。不満が感じられる呟きだった。きっと、来たくなかったのだろう。エディットからすればこの環境は願ってもないが、もっと恵まれた環境にいた人間にとっては、文句しかないに違いない。でもこれは、国が定めた事である。王侯貴族だって、逆らう事が出来ないのだ。

 もう一人の少女の態度に何を言うでもなく、ではちゃんと二人で掃除をするんですよ、と、言い残してナジマは出ていってしまった。指示はするが、指導はしない模様である。それとも掃除だからだろうか。上手くやれるだろうか。エディットは少し心配になったのだ。でも、やるしかない。

「……あなた、」

「えっ?」

 エディット見て、少女が何かを言いかけた。でも、口を噤んだのだ。不思議そうにエディットは首を傾げている。少女が顔を逸らした。

「わたくしの分も、やって頂戴」

 そうして、尊大に言い放ったのだった。パチ、と、エディットは瞬きをした。

「はい」

 素直に頷きながら。

「えっ」

 エディットの肯定に、少女が驚きの声を上げた。マジマジとエディットを見てくる。信じられない、と、顔に書いて寄越す。だがエディットからすれば、特に驚くような事ではなかったのだ。余りにも、奇麗な手をしていた。子供だから、と、言うのではなく、雑用などしたことが無いと示していた。家事も手伝いも何もせずに生きてきたに違いないのだ。そんな子供に急に掃除をしろと言っても無理である。考えずとも分かる。でも、教会側としては特別扱いは出来ないのだ。だから代わりに、誰も見ていないところでエディットがやる。それをズルいとは感じなかった。出来ないのだから仕方がないとしか、思わなかったのだ。自分も子供の癖に、相手は子供なのだから、と、そんな風に思ったのである。

 驚いて立ち竦む少女を前に、エディットは水の中に雑巾を入れて、絞った。

「でも誰か見に来た時、何もしていないと疑われるかもしれないので、雑巾だけ持っていてもらってもいいですか」

 そう言って手渡したのである。つられるがまま少女は受け取ってしまい、顔を顰めたのだった。冷たかったのか、それとも、エディットの態度がそうさせたのかは分からない。ただ、エディットと言う少女が、彼女にとって不可解である事は間違いなかったのだ。部屋の隅で、雑巾を手にしたまま立つ少女の視線の先で、エディットは窓を拭き始めた。どうにも届かないな、と、思いながら。エディットは雑用に慣れていた。何せ、此処に来る前も二か月教会にいたのである。掃除には慣れていた。手際よく拭きながら、あの椅子の上に立ってもいいだろうか、等と考えている。

「あなた、」

「はい?」

 小さい声で、少女が話しかけてきた。だからエディットは手を止め、其方を見たのだ。何とも、居心地が悪そうな顔をしていた。

「嫌じゃ、ないの」

「あっ、慣れてますので」

「えっ」

「私は平民で、ええと、貧しくて、だから、あの、こういう事には慣れているんです。気にせず任せて下さい」

 あっけらかんとした物言いに、少女は困惑している。そう言われても、と、言いたげな顔で。でもきっと、掃除をすることは出来ないのだ。そこまでの踏ん切りはつかない。三年間、代わりにやってもいいけど、と、既にエディットは思い始めていた。本当に苦ではなかったのだ。寧ろこんな奇麗な子に無理矢理掃除をさせる方が酷いのでは、等と考えていた。発想が十歳ではない事に、本人は気付いていないのだ。

 会話が途切れたその時、コンコン、と、ドアをノックする音が聞こえた。自然と二人は顔を見合わせた。何方が許可を出すかを無言で問い合っている。エディットからすれば相手に言って欲しかったところであるが、どうにも動きそうにない。

「はい、どうぞ」

 仕方なく、許可を出した。絶対に向こうの方が身分上、上の人間だと思っているので、本音を言えば言って欲しかったところである。でも訪ねてくる人間は、身分は兎も角神官としては上位である。無視できる筈がなかった。

 果たして開いたドアから現れた姿に、自分が雑巾を取り落とさなかったことが不思議だった。エディットはポカン、と、口を開けたのだ。一瞬で、呆けたのだった。

 現れた人間は勿論神官である。見習いの服とも、また、ナジマの服とも違うデザインの神官服を身に付けた男性であった。見た瞬間、頭の中が真っ白になり、その次にエディットは内心で叫んだ。

 神様、ありがとうございます!!

 生まれて初めて真剣に心の底から、感謝の言葉を携えて神へと祈りを捧げたのだった。これが全ての契機であった。


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