テレワーク、サボれてラッキーと思ったら鬼上司(女)に見つかる
新種のウィルスが世界中に蔓延し、人との交流を極力禁止された現代。血気盛んな若者にとっては苦痛でしか無い状況だが、俺、加藤英治はこの生活を存分に楽しんでいた。
入社3年目の俺は午前中に仕事を終わらせ、午後はゲーム三昧、定時になったら社用PCを閉じるという社会人生活を送っていた。
そんな夢のような生活も、鬼のように怖い女課長、江崎麻里によって終わりを迎える。
「加藤君、やっぱり仕事中サボっているでしょ?今日もPCがずっとオフラインになっているわよ」
最初のうちはPCの不調や電話対応で忙しかったなど言い訳を並べていたが、一度目をつけられたら最後、その上司からの信頼を失い、とうとう自分だけテレワーク禁止令が出されてしまった。
「でも江崎課長、今は会社の方針で出社禁止ですよ」
「もちろん知っているわよ。だからこれからは私が加藤君の家に行って一緒に働きながら見張るわ」
「え!?!?」
なんの冗談かと思ったが、翌日の朝、始業時間の30分前に住んでいるアパートのドアホンを鳴らす江崎課長を見て驚愕する。
江崎課長のことは正直苦手だった。歳は俺の5つ上でかなり美人な方だが仕事ではちょっとのミスでも盛大に叱り、いつも厳しかった。
それに入社当初は俺の教育係でもあったからしょっちゅう顔を合わせていた。
テレワークになってからようやく離れられたと思ったのに、まさかこんな形でまた顔を合わせるようになるとは….。
そもそも上司が勝手に部下の家に上がって良いのか?職権濫用にならないかと抗議してみたものの、サボっている証拠を盾にされてしまい何も言い返せず、無駄な抵抗に終わった。
こうして始まった江崎課長とのテレワーク生活だが、彼女は仕事だけでなく、俺の私生活にも口出しするようになった。
「何よこの汚い部屋!よくこんなところでテレワーク出来るわね!本当に加藤君ってだらしないんだから!」
「いや、最低限のスペースはあるので」
「食事もカップ麺とコンビニ弁当だけ!?だらしない食生活ね!」
「まあ、自炊面倒ですからね」
江崎課長は散々怒鳴り散らかした挙句、それでも行動に移さない俺を見て呆れ果ててしまった。
それからは、いつも”だらしない!”と言っては、部屋の片付けと朝昼晩の3食を作ってくれるようになった。それを見て俺は、世話好きな人だなぁ、と感心した。
ある日の月曜日、いつも通り江崎課長が(俺の部屋に)出社した時、たまたま休日に連れ込んだセフレのピアスを見つけてしまう。
「ちょっと何このピアス、女物じゃない!?….加藤君、もしかしてこの部屋に女を連れ込んでいるの!?」
「まあ、はい。3人くらい」
「3人!?」
それを聞いて江崎課長の顔がゆでだこのように赤くなる。ああ、まずい、なんで怒っているのか分からないけど、これは最高潮に怒った時の顔だ。
「あなたって人は!だらしないだらしないって思ってたけど、女関係もだらしないなんて信じられない!女に手を出すなら私だけにしなさい!」
..ん?最後の言葉は聞き間違いか?怒られるのが怖くて瞑っていた目を開けた瞬間、顔の前まで迫っていた江崎課長にベットに押し倒され、そのまま致すこととなった。
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それからの時間の流れはとても早く感じた。
いつの間にか俺と江崎課長は上司部下の関係から恋人に変わっていた。お互いの呼び方も変わったが、相変わらず俺が叱られるという構図は変わらなかった。
「ちょっと英治君!待ち合わせの時間から30分も過ぎているじゃない!もう、時間にもだらしないんだから!」
「いやぁ、麻里さんに会えると思ったら準備に時間かかっちゃって。今日も美人ですよ、麻里さん」
「なっ….そんなこと言っても許さないよ!今日のランチ代は英治君の奢りだからね!」
「ええ〜勘弁してくださいよぉ」
付き合い始めてからの方が江崎課長、じゃなかった麻里さんに叱られる頻度は増えたが、不思議と仲は良好だった。それから結婚するまでそう時間はかからなかった。
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「ちょっとあなた!いつまでゲームしてるの!江美を見習って家事の手伝いくらいしたらどうなの?娘よりだらしないじゃない」
「麻里は厳しいなぁ。休日くらいゆっくりゲームさせてくれよ」
そろそろ40代に差し掛かろうとしていた時、俺は麻里と娘の江美と一緒にローンを組んで買った一軒家に住んでいた。
ここ最近は家にいるといつも七歳になる娘と比較され、家庭内の地位の低さを痛感する。
娘の江美は本当に俺の子供か?と思うほど麻里に似て真面目な子に育った。父親としては寂しくもあり、誇らしくもあった。
「江美、こっちおいで。パパとゲームしよう」
「そんなことしてないで、おそうじてつだってよ。パパだらしない」
「ええっ、江美まで….そんなぁ」
とうとう娘にまでだらしないと言われるようになってしまったか….。
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その娘が俺と麻里が出会った時と同じくらいの年齢になった頃、江美は男を家に連れて来てこの人と結婚すると言い始めた。
俺は江美にまだ結婚は早いと捲し立てたが、麻里は”あなたよりはしっかりしていて良い男じゃない”とえらく相手を気に入ってしまい、結婚話はとんとん拍子で進むこととなった。
そして結婚式当日、俺は娘とバージンロードを歩くことになった。
なんとか娘のドレスを踏まないよう不器用ながらにエスコートし、そして娘が自分の元を離れて新郎の元に行った時、目頭が熱くなるのが分かった。
「もう、何よあなた。そんなだらしない顔して!」
披露宴で江美が親への手紙を読み上げている時に、麻里にそう言われハンカチを渡された。
気がついたら俺は大粒の涙をこぼしながら泣いていた。だけど隣を見ると俺なんかよりずっとだらしない顔をして泣いている麻里がいて、ついクスッと笑いながら背中をさすった。
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それから暫くして、娘夫婦にも子供ができた頃、麻里は大病を患った。
長い闘病生活が始まり、麻里は全快を目指して懸命に治療に専念した。しかしその甲斐も虚しく、麻里の病気は悪化の一途を辿った。
「何よ….だらしない。そんな顔しないの」
俺は病室のベットで寝ている麻里の手を握っていた。久しぶりに握ったその手は、最初に会社で出会った時より随分と小さく、皺くちゃになっていた。
「….なあ、麻里。俺を置いていかないでくれ」
「何言っているのよ、当たり前じゃない。こんなにだらしないあなたを置いていけるわけないじゃない」
麻里は笑顔で俺の手を握り返してくれたが、その力は弱々しく、少し冷たかった。俺は麻里が遠くに行ってしまうような気がして、両手で麻里の手を優しく温めた。
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「お父さん、これであらかたお母さんの物の整理は済んだからもう行くね。何か困ったことがあったら連絡してね」
「ああ、ありがとう江美」
麻里が亡くなってから四十九日が過ぎた頃、俺のことが心配でしばらく家に滞在してくれていた娘夫婦は自分たちの家に帰り、俺はとうとう一人になってしまった。
家族3人で暮らしていたこの家は、俺一人にはあまりにも広過ぎた。
辛い。麻里がいなくなって、ただそれだけが残った。朝起きるのも、ご飯を食べるのも、歯を磨くのも、寝るのも、全てが辛い。全ての行為に麻里との思い出が付き纏ってきて、離れない。
麻里に出会わなければこんな辛い思いをしなくて済んだかもしれない。そう思ってしまうほど今の俺は、麻里がいないと生きていけない身体になってしまった。
きっと生きている限りこの苦しみは続くのだろう。そう悟った時、俺はおもむろに浴槽に水を溜め始めた。それからリビングにあったカッターナイフを持ってきて水の溜まった浴槽の側に座る。
もし麻里がいたら”だらしないことしてないで、しっかり生きなさい!”とでも言うのだろうか。久しぶりに麻里の怒った顔を思い出して少し良い気分になった。
そして、そのままカッターナイフを自分の手首に当てた。もしあの世があるならば、麻里にまた逢いたい、そう願って。
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「ちょっと何このピアス、女物じゃない!?….加藤君、もしかしてこの部屋に女を連れ込んでいるの!?」
「….麻里?」
「はっ?なんでいきなり私を下の名前で呼び捨てにしているのよ」
そこには顔をゆでだこのように赤くして怒っている、若かりし頃の麻里の姿があった。
「麻里!!」
「ちょっと加藤君!?」
俺は目一杯、目の前にいる麻里を抱きしめ、あらん限りの声を上げて麻里の胸の中で泣いた。麻里は唐突な部下の行動に呆気を取られ、ただなされるがままに抱きつかれた。
しばらく麻里を抱きしめた後、俺は麻里を離して辺りを見渡した。ここは俺が若い時住んでいたアパート。そして目の前にはスーツ姿の生きている麻里。
もしかして、今までの人生は夢だったのか?それともタイムリープでもしたのか?
結局何が起きたのか分からなかったが、どうやら俺は麻里と付き合う前の頃まで戻ってきた。そうだ、確かこの日を境に俺と麻里の関係は進むはず。
ふと、戸惑っている麻里の顔を見る。もしここで麻里を突き放せば、俺は麻里を愛さなくて済む。将来、辛い思いをしなくて済む。
「ま….江崎課長。俺、ずっと言いたかった事があったんです」
「何よ….改まって。なんか今日おかしいわよ、加藤君」
そうだ、ここで今後俺の家に来ることをやめるように言おう。
そもそも普通に考えれば部下の家に勝手に上がるなんて職権濫用以外の何者でもないし、何か言われてもきっと法が味方をしてくれる。
俺は深呼吸して、自分の人生をやり直す意思を固める。
「江崎課長、あの、その….」
「何よ、早く言いなさいよ」
「好きです!俺と付き合ってください!」
「えっ、はい!?」
しまった!なんで俺はそんなこと言ったんだ!慌てて言い直そうとするが、勢い余って近くの洗っていない食器の山を倒してしまう。
「もう!こんなに洗い物溜めちゃって!だらしないわね、本当に」
麻里は呆れた顔をしながら俺が倒した食器を片付け始める。しかしその顔は先ほどとは違い照れているのか、怒っている時より真っ赤になっていた。
あー、やっぱりダメだ。俺に麻里を選ばないという選択はできなかった。
たとえこれからどんな辛い思いをすると分かっていても、俺はこのおこりんぼで世話好きな鬼上司との未来を選んでしまうのだろう。