坂道の裏側
【 のぼり坂 】
早朝から降り続いている霧雨のせいで景色が白っぽく霞んでいる。まつ毛にとまった雨粒がすぐ目の前に小さな波紋を作り視界を狭くさせる。もしかしたら自分の涙なのではないか。否定するように慌てて手の甲で拭う。
坂の上に人影を見つけ、電信柱の陰に身を潜めた。パーカーのフードを被り、ゆっくりと深呼吸をしてからもう一度人影を確かめる。間違いない。
幸せになってくれているのならどれだけ救われただろう。幼かった頃も、離れてからもずっと、母の幸せだけを願っていたのに。
※
「あのね。母さん、いい人がいるの。その人に一緒に暮らさないかって誘われてるんだけど」
そう告げられたのは高校の卒業式の夜だった。
夕飯に僕の好物を作ってくれるという約束に一日中心は浮かれ、帰り道には一緒にスーパーに寄った。食材を選ぶ母の真剣なまなざしを見つめながら、作ってくれるメニューを推理してふざけていたのに、食材を選んでいた時と同じまなざしを向けられ、その言葉の意味を理解するのに時間はたいして必要としなかった。
春巻き、鶏と野菜のカレーミルク煮、レバーのかりん揚げ。好物が並んだ食卓はお祝いムードに溢れ、せっかくの雰囲気を台無しにしてしまわないように口にしていたものがまだ咀嚼し終わらないふりをした。心を落ち着けてようやく味のしなくなった何かを母の言葉と一緒に飲みこむ。
「大丈夫だよ。これからは自分の幸せを考えてよ」
裕福とは程遠い母子の暮らしだったが、それでも母と共に過ごす時間はかけがえのないものだった。愛されている。守られている。そう感じていたし、母も同じように大切にしてくれていたはずだった。僕に母の幸せを奪う勇気などなかった。身を引くことが正しいと信じて疑わなかった。
母は僕の体を抱きしめ、永遠の別れを迎える前のように喉を絞って泣いた。そうか、と僕は泣き崩れる母を見て納得した。僕たちは親子はもう、今まで通り会うことは許されないのだと、このときになってやっと理解した。
就職先が決まっていたため、僕はすぐに引っ越しの準備に取りかかった。予定外だったのは、母と一緒に暮らしていたアパートから通える勤務地への希望を出していたのに、引っ越しをするので住所変更の手続きを、まだ入社もしていない職場に届けに行かなくてはならなくなったことと、相変わらず食事や家事を母に甘えられるつもりでいたために何の技術も習得していなかったことだ。
母の再婚相手が、僕の当面の生活費と家賃の支払いをすると申し出てくれたらしいが、丁重にお断りした。母との暮らしのために貯めてきたバイト代が用途を変えて役に立った。
調理器具など揃っていない部屋で、包丁を使わなくても済むものを考えた結果、もやしとウインナーを塩とコショウで炒めるだけの食事を十日間続けたりもした。それでも母が幸せに暮らしていることを想像するだけで僕の食欲は二倍にも増した。
三年も過ぎた頃には料理を作る楽しさを覚え、そこそこの腕前にまで上達していた。1DKの小ぶりなキッチンに入りきれなくなった調理器具が本棚の一部を占領し、炊飯器から噴き出す蒸気がテレビの画面を曇らせた。仕事で帰りが遅くなっても疲労感より自炊することへの楽しみが勝った。自分好みの味付けにするためあれこれ調味料を足す作業は実験のようで、白い粒、茶色の粉末、緑の乾燥した葉っぱが、熱せられたフライパンの中で懐かしい香りを放った。自分なりに工夫しているつもりだったが、気づくとどれも思い出の母の味に近かった。
鶏と野菜のカレーミルク煮は、一番母の味に近づくことのできた料理だった。これを作るとき、母は必ず包丁を研ぎ石で研いでいた。リズミカルに、勢いよく、神聖な儀式を行うように、集中している母の背中を眺めるのが好きだった。
「この作業をするとしないとでは味が全然違うのよ」
自慢げに言っていた母の言いつけを守り、包丁を研ぐことも怠らなかった。これを母に食べさせたらどんな表情をするだろう。例えば僕がいつか結婚をして、奥さんと子供と、そこに年老いた母がいて、僕の作ったこの料理で食卓を囲む。みんながおいしいねと僕を称えてくれる。自信作に妄想は膨らむばかりで、結婚の予定どころか、彼女の気配もないことは都合よく改ざんしつつ、そんな日を夢見て作る料理は一層力が入った。
母との再会は突然訪れた。
春だというのに、寒の戻りで酷く冷たい風の吹く日だった。休日の人で溢れた街の中で偶然母に似た人を見かけたのだ。
母を見間違えることはないと過信していたが、この時ばかりは自信が持てず確認するために人の波をかき分けた。
母は男性と一緒に歩いていた。再婚相手だろうか。それにしては少し母と年が離れている気がする。そもそも僕は母の再婚相手が一体どんな人物なのか何の情報も持っていなかった。
男性は僕とは無縁な高級デパートで扱っていそうな帽子を風に飛ばされないよう片手で抑え、コート、手袋、マフラーでしっかりと防寒対策をしている。それに比べて母は数年前に購入してから一度も買い替えたことのない萎んだダウンコートを着ていた。胸のあたりまで伸ばしていた髪も耳たぶの下で揃えられ、俯いて露わになった首が寒々しかった。腋の下に腕を回され、夫婦というより連行する警察官と犯人のような関係性だった。
どこかで会えることを期待していたはずなのに、三年ぶりの再会は思い描いていたものからほど遠かった。もしかしたら母ではないかもしれないと淡い期待を抱きながらも、見覚えのあるダウンコートが僕の視線を奪って離さない。
信号待ちでやっと止まった二人に追いつき、顔の確認できる場所にまわる。何かの間違いではないかと疑った。胸が苦しくなったのは再会の喜びなんかじゃなく、容姿があまりにも変貌していたからだ。
哀れだった。たったの三年で、僕の知っている母は別人になっていた。
見失わないように必死に視界の隅に母の姿を捉え追いかけていた。近くの駐車場に止めてあった車に乗るのを見て、僕はすぐさまをタクシーをつかまえ後をつけてもらう。考えるより先に体が動いていた。こんなことをして何になる。でも家を知るくらいなら構わないのではないか。何度か頭の中で警告音が鳴ったが、タクシーの運転手の働きは優秀だった。母の乗った車を見失うことなく家を突き止めると、そのまま家の前を通り過ぎ、怪しまれない距離で僕を下ろして颯爽と消えていった。
海の見える高級住宅地の坂の上にその家は建っていた。ただそれだけを確認して歩いて帰宅した。その日、僕は料理を作らなかった。頭の中には昼間見た母の姿と、坂の上の家が鮮明に浮かんでいた。それからの生活は一変し、料理をしていた時間はすべて、母の行動を探ることに費やされた。
休日は早朝から家の様子を伺った。出勤前や帰宅途中にも海辺の町を訪れては、母の行動パターンを調査すると、平日の早朝に一人で外出するのが日課があることがわかった。その姿は住んでいる家とは似つかわしくない、みすぼらしい格好で、遠出をするわけでもなく、家の前の坂を往復するだけで、自分の意志というよりも何かの決まりごとのように正確に、的確に済ませられた。晴れの日も、雨の日も、強風の日も、母は感情のないロボットのように精巧に帰宅した。
母の幸せを望んでいた僕は初めて憎しみの感情が沸いていた。二人で支え合って生きてきた時間を汚され、希望の芽を啄まれ、裏切られた気分だった。そして母に対してそんな感情を抱いた自分に対しても嫌悪感に溺れ、毎日無心で包丁を研いだ。
※
さっきよりも潮の香りが強くあたりに充満している。背後から生暖かい風が坂をのぼっていき、靄を拭き去ろうとする。
タイミングを見計らい、僕は坂の真ん中に歩み出た。母が坂道をくだってくる速度に合わせ、ゆっくりとこの時間を噛みしめるように坂をのぼっていく。白んだ景色に浮かんでいるのは母の姿と自分の息遣いだけだった。靄が一瞬開け、僕と母との空間だけが晴れた気がした。
自分の息子の顔を忘れたわけではないだろうと、見せつけるようにフードを外し、まっすぐに母を見据える。母が顔を上げこちらを見る。目が合う。
だが、母は歩みを止めず、僕はふたたび置き去りにされる。
幸せでいてほしかった。それだけなのに……。
それが二人の生活を壊してでも欲しかった幸せなのかと問いたいだけなのに、ポケットの中の震える手は今朝研いだばかりの包丁の柄を強く握りしめていた。
【 くだり坂 】
千百八十一日目、と心の中でカウントする。
愛する息子と離れ離れになってからの日々を数えるのは、自分への戒めであり、憤りであり、慰めでもある。この数字が増えていくほど、自分の罪が重くなることをどこかで期待している。軽い刑罰では自分の心が治まらない。だからこそ、この現状にも何の不満も抱いてなどいない。今のわたしには相応しいと思っている。
肌は敏感に空気中の湿り気に反応するようになり、今では家の中にいてもある程度の天候を予測することに長けてきている。雨季の匂いと、海の街に漂う潮の香りが嗅覚を刺激する。最近ではその潮の香りの強さで風向きや強さまでも予測できるようになってきている。生きていくためにこの罰に対応しつつある自分が憎くてたまらない。
ここでの生活は不満だらけだった。何もかもが揃っていて、不自由なく暮らせることが怖かった。息子と暮らしたアパートの狭さや寒さがいかに心地よかったか思い知らされる。
息子に別れを告げた日のことは鮮明に思い出せる。まだ甘えてくれると思っていた。母さんと一緒にいたいと言ってくれるとどこかで期待もしていた。もしそう言われたら、わたしの決心は揺らぎ、あの子を不幸にさせていたかもしれない。けれどあの子がいない喪失感は三年が経った今でも体中にまとわりついている。ちょうどこんな湿度の高い日の空気と同じで、どうしようもない不快なぬめり気は、どんなに泣いても洗い流されることはない。
思い出すのはいいことばかりだ。
真冬の水仕事であかぎれだらけの手に軟膏を塗ってくれたこと。
誕生日や母の日には必ず花や手紙や手作りの肩たたき券をくれたこと。
「母さん、明日は冷えるんだって」と、十代の男の子には似つかわしくないしもやけの手で灯油の缶を部屋に運び入れてくれたこと。
やさしさに満ちた自慢の息子だった。贅沢なんかさせてあげられなかったけれど、一切の不平不満も漏らさず、すくすくと育ってくれた。それはわたしの手柄なんかじゃなく、あの子の生まれ持った才能の一種に違いない。いつも二、三歩先を見据えている『転ばぬ先の杖』のような子で、その大事な杖を失ったわたしは、息子の代用にもならない本物の杖を手に入れ、地面を叩きながら歩かなければならなくなった。
こんな姿を見たら、やさしいあの子は心底心配するに違いない。そう思ってわざと杖を持たず幾度となく家を出た。背後から追いかけてくる夫の声が鬱陶しかった。無理矢理右手首に輪っかをかけ、杖を握らされ、左手は夫の腕に添えられた。そうやって、いつもわたしの体は独りきりになることを拒まれ、付属品付きでしか生きていくことができなくなっていた。いや、もしかしたらわたしの方があの子の付属品だったのかもしれない。
息子の就職内定の連絡をもらった頃には異変は始まっていた。進行が早く、視力を失うことは約束されていた。それが数年後なのか、数カ月後なのか、それとも明日なのか、見通しが立たない病状にわたしは毎日怯えていた。
離婚してから十年以上、心療内科の受付として働いていたが、カルテの文字が紙面を勝手に動いて読み取れなくなり、仕方なく退社した。適当な理由を考えて息子に話すつもりだったが、結局最後まで退社したことは話せなかった。一日中そこら辺をぶらぶらして夕方帰宅する毎日なのに、「仕事お疲れ様」と気遣ってくれる息子のやさしさが申し訳なく、罪悪感ばかりが募った。
これ以上迷惑なんてかけられない。けれどいい解決策も見つからない。夜が来るたび眠りにつく虚しさに押しつぶされてしまいそうだった。徐々に眠りは浅くなり、真夜中に目が覚めて目の前が真っ暗であることに恐怖を覚え、枕元にいつも小さな灯りをともして眠った。
そんな矢先再会したのが、退社したばかりの心療内科の先生だった。先生はわたしの不安をすぐに見抜き、せっかくの休日だというのに親身に相談にのってくれた。目が見えなくなる不安より、息子に迷惑をかけてしまうことが怖いと、胸の内をぽつりぽつりと涙と共に体外に排出した。先生は一滴残らず汲み取り、「では、こうしてみませんか?」と提案してきた。それが、息子と離れて、先生と一緒に暮らすというものだった。
先生の奥様は、わたしが心療内科で働き始めたときにはすでに他界されていて、お手伝いさんに来てもらっているのは知っていた。
「だから一切の家事をする必要はない。できないことが増えていっても負い目を感じることは何一つないんだよ」
先生の言葉に吸い込まれるようにわたしはその提案を受け入れることにした。
あの子を忘れてしまおうなんて考えたこともないのに、更新されない思い出は私自身も気づかないうちに間引きされ、記憶のファイルからひらひらと零れ落ちていく。
真っ暗な世界にいる今のわたしには、息子を思い、辛さや悲しさを感じることだけが生きている証だったのに、もうこれ以上、生きている意味を見出すことができなくなっている。けれど大丈夫。ちゃんと準備は整っている。
この家に嫁いで、まだ目が見えるうちに海まで続く坂道の傾斜、感触、距離をインプットしてある。杖を持たずに歩く練習も夫に隠れてこっそり続けてきた。
出勤する夫を玄関で送り出し、お手伝いさんが来るまでの一時間が私の秘密の特訓の時間だった。そして今日、実行する。
後ろめたい気持ちがないわけではない。夫には本当に感謝している。三十歳近く年の離れた奥さんをもらったことで近所では、わたしは夫の財産目当てで、夫は嘘も見抜けないだらしない男だと聞くに堪えない噂も流れた。もともと、贅沢に興味はなかったため、新しい服も鞄も靴も一切購入しないでもらった。息子と時間を共にした地味で古びた服と鞄と靴だけで、化粧もせずに過ごすことが一層不信感を与えたらしく、わざわざ玄関ベルを鳴らして助言に来るおせっかいなおばさまもいた。夫はいつでも穏やかな声で「ご忠告感謝します」と応えていた。その頼もしさに守られてきた暮らしはわたしには似つかわしくなかっただけ。
玄関を開けると、波の音が耳の奥に流れてくる。粒子の細やかな水分が外気を満たしている。靄が出ているのかもしれない。わたしにはちっとも関係ないのだけれど。
門からの距離は三歩がベストだ。あまり塀に近いと側溝の穴につま先が入る危険がある。一度転んでしまうと、左右の間隔がぶれてしまうので命とりだ。そこからは左に向かって坂をくだって行くだけでいい。
ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつ、この世界を嚙みしめながら歩みを進める。
風に乗って人の気配を感じる。坂をのぼってきた軽い疲労の息遣いと、下に広がる海の潮の匂いを連れている。こんな早い時間にめずらしいなと顔を上げるも当然何も見えない。この世で最後に会ったその人の幸せを願い、微笑みながら通り過ぎる。
海まであともう少し。
見えなくなった瞳の奥で、十八歳の息子が笑顔でこちらに手を振っている。