第5話「告白ドッキリ 如月心乃香side-その2」
心乃香はその日の天気予報を見て、これは使えると閃いた。
「お母さん、もっと小さい折り畳み傘ない?」
「え? 今日、雨降りそうなの? だったら、大きいのの方がいいんじゃない?」
「小さいのがいいの」
「鞄に入れやすい様に?」
「……まあ、そんな所。じゃあ行ってきます!」
***
更に幸運な事に、この日は大量の新刊を図書室に運ぶ事になり、心乃香はこの日、図書委員の当番だったのだ。
完全に神が味方していると思った。
「如月さん! ちょっ! 手で運ぶの? 重いわよ! 台車使いなさいよ」
「大丈夫です、このくらい。それに私が運ぶんじゃないんで」
そう言うと、心乃香は本の入った箱を、よっと持ち上げた。
***
まだ教室に八神の鞄がある。学校内にいるはずだ。心乃香は、八神が教室に戻ってくるのを待った。
注意深く、心乃香は廊下の隅で、八神が現れるのを待つ。階段から登って来る八神の頭を確認すると、本の入った段ボールを持ち直し、わざとフラフラしながら八神の前に躍り出た。
私を告白ドッキリに嵌めたいなら、この状況、必ず何か八神からアクションを起こして来るはず――心乃香には確信があった。
「如月、大丈夫? 手伝うよ」
ほら来た、引っかかった! 心乃香は今、八神に気がついたとばかりに、わざとらしく反応した。
「え⁉︎ あ、八神君⁉︎ わわっ!」
突然声を掛けられた体で、心乃香は荷物を持ったまま、バランスを崩して倒れ込みそうに装う。
八神は咄嗟に、心乃香の体を支えてきた。中々の反射神経だ。帰宅部なのが本当に惜しい。
(ひっ!)
ただ計算外だったのが、八神に体を、背後から抱え込まれる形になってしまった事だ。
他人に触れられる嫌悪感から、心乃香は反射的に飛び退きそうになったが、すぐに理性のスイッチで上書きした。
(ヤバイ、鳩尾に一発食らわす所だった……)
以前書物で読んだ「痴漢撃退法」が無意識に体現される所だった。
八神は、心乃香の体に触れてしまった事に慌てたのか、急いで飛び退いた。――いや、そう言う「ふり」かもしれない。恋愛経験が無さすぎて、どちらなのか見極められないと、心乃香はイライラしてきた。
「あ、ありがとう」
心乃香は焦る気持ちをぐっと堪え、謙虚さをアピールした。ここで本性を見られようものなら、計画が台無しだ。
八神は「手伝うよ」と心乃香の持っていた荷物を持ち上げて、少しふらつく。
(カッコつけて……女子が運んでいるものだから、自分なら楽勝とでも思った?)
本というのは重いのだ。たかだか紙の集まりと、舐めている人がいるかもしれないが、集まると大変な重量になる。
心乃香は図書委員なので、この重たい本を、比較的楽に運ぶ方法を熟知していた。
当然、八神はその方法を知らないらしい。そんな持ち方では、腰に負担が掛かりすぎる。
(ま……教えてやらないけど)
心乃香は、八神にささやかな復讐を果たした。
***
八神に、荷物を図書室の指定の場所に置かせている間、心乃香は図書準備室の冷蔵庫から、冷えたお茶のペットボトルを取り出した。
何で図書準備室に、冷蔵庫があるか知らないのだが、自分が入学した頃には既にあった。
お陰で助かった。買っておくと温くなるし、自販機まで買いに走るのは、わざとらし過ぎる。
心乃香は一息ついている八神に「これ、お礼。良かったら飲んで」と、ペットボトルを差し出した。
だが、八神は中々受け取らない。しまった、わざとらし過ぎたか? いや、そもそもお茶がダメだったのかもしれない。心乃香は自分のリサーチ不足に気がついた。こういうちょっとした事から、完全犯罪は綻ぶのかもしれないと思った。
「あ、お茶嫌いだった?」
ならここはすぐに引っ込めて、健気さをアピールだ。切り替えろ、安西先輩ならきっとそうする。
しかし八神は、引っ込めらそうになっていたペットボトルを掴んで「いや、嫌いじゃないよ。ありがとう」とお礼を言って来た。
心乃香はホッとして、顔が綻びそうになった。そうだ、忘れてた。仕掛けているのは、向こうも同じなのだ。私の機嫌を害いそうな事は絶対しないはず。受け取らないという選択肢は無かったのだ。
これは「相手を落とせるか」という攻防戦だ。
「如月、今日一緒に帰らない?」
八神はペットボトルを受け取ると、すかさず次を続けてきた。ほらそうだ。気を抜いている場合では無い。ただこの申し出は好都合だ。こちらから折を見て、誘うつもりだったからだ。
「……え? でも、これから委員会の仕事あるから」
すぐにOKは出さない。ここは焦らして様子を見る。
「待ってるよ」
もう少し……
「いや、悪いよ。時間かかると思うし。……それにうち遠いし……」
帰る方向が違うとアピール。それでも食い下がって来るのか?
「それなら尚の事送るよ。待ってる」
「……」
「……やっぱ、迷惑? オレと帰るのイヤかな?」
「え? ……その……」
心乃香はたとえ作戦だったとしても、ナチュラルに女子に接して来る、八神のスキルに少し脱帽しかかった。正直こんな勝ち組を、自分が本当に落とせるなんて思えなくなって来た。
昔祖母の家で読んだ、少女漫画の台詞が急に思い出された。美内すずえ風に言うなら「恐ろしい子」だ。負けたくない……こんな生まれた時から、勝ってきた奴なんかに。
立ち向かうと決めたのだ。まだ負けてない!
「分かった。多分一時間くらいで終わるから、待っててくれると……嬉しい」
この「嬉しい」というフレーズが重要なのだ。「感謝の言葉」というのは、どんな人にとっても嬉しいはずた。たとえ八神を籠絡出来ないとしても、彼は自分の作戦が上手くいっていると考える。
私が八神に気があると、きっと思っているはずだ。
***
心乃香は、図書室を出て行く八神を見送ると、委員会の仕事をしながら、雨が降って来るのを待った。
降水確率通りなら、神が味方をしてくれているなら、きっと雨が降って来る――
***
図書室を閉める時間になった頃、本当に雨が降って来た。
それを望んでいたはずなのに、心乃香は体が少し震えてきた。殺人犯が計画的に人を殺しに行く時、もしかしたら、こんな心持ちなのかもしれないと思った。
別の不安もあった。もう八神は待っていないかもしれない。帰ってしまったかもしれない。そうなれば計画は誤破産だ。また新たな計画を立てるか、そのまま祭りの日を迎えるしかない。
だが、八神は教室で待っていた。机に突っ伏して寝ていた。こいつにとっての、人を騙して笑いたいという原動力は、相当なものだと思った。
「……八神君、八神君!」
徐に八神が目を覚まし、起き上がる。本当に熟睡していたのだろう。頬に指の跡が付いていた。
「ごめん、お待たせ。帰ろっか? ……ふふっ」
ここは何か、リアクションしておいた方がいいかもしれないと、安西先輩を思い出し「跡が付いてるよ」とはにかんでみせた。
八神は、照れ臭そうに腕で顔を覆う。なんだその可愛い子アピールは。これが演技だとしたら、アカデミー賞ものだ。
***
「げっ……雨! さっきまで降ってなかったのに……」
八神は、昇降口の扉越しに外を眺めて、嫌そうに呟いた。
このリアクション、傘は持っていない様だ。もし八神が傘を持っていたら、自分は傘を忘れたふりをし、八神の傘に入れてもらい、八神が傘を持っていなかったら、自分の折り畳み傘に、彼を入れるつもりだった。
相合傘ーー
古典的な方法だが、極めて自然に体を密着させられる。その為に、わざわざ小さな折り畳み傘を母から借りてきた。正直、自分の貧相な体を密着させた所で、この男が、自分を女として意識するとは思えなかったが、逆にその貧相さが、ギャップとして響くかもしれない――
いや、何を言ってるか分からなくなってきた。ただ、やるからには、ゼロじゃないと思いたかった。何かしら、効果があると信じたかった。
「今日夕方から降水確率50%だったよ」
心乃香はそう言うと、鞄から折り畳み傘を取り出した。
「……一緒に入っていく?」
心乃香は上目遣いで聞いてみた。自分としては、精一杯ぶりっ子してるつもりだが、他人から見たらどうか分からない。
八神は一瞬たじろいだ。まずい、わざとらしかったかと心乃香は焦った。大体女子の傘に、一緒に入る事に抵抗があるかもしれない。
普段の私だったら、逆の状況だったとして、まずその誘いに乗らないだろう。男子と傘という密室に閉じ込められる拷問を考えたら、そのまま雨にうたれながら、走って帰る事を選ぶだろう。
「うん。助かるよ」と八神は続けた。凄いなリア充、と心乃香は素直に感心した。
***
外は大分薄暗くなってきていた。雨のせいか、外練の運動部の人たちも、早めに練習を引き上げており、生徒の数も疎だった。
自分で誘っておいてなんだが、出来るだけ人に、特に知り合いには、見られたくないと心乃香は思っていた。
心乃香が持ってきていた、小さめの折り畳み傘に、二人で入りながら歩く。雨が当たらない様にすると、自然と肩が触れる。
作戦通り……作戦通りなのだが、八神の体温を肩に感じて、心乃香は羞恥で、心臓が飛び出しそうだった。
これは諸刃の剣だ。少なからず、相手側にもダメージが行くかもしれないが、こちら側のダメージが酷い。耐えられない。初めて感じる異性の体温に、体がどうにかなりそうだった。
何も気取られてはならないと、心乃香は必死に何かに耐えていた。そんな時、八神が心乃香に話しかけてきた。
「如月んちって、どこら辺なの?」
「駅向こうだよ」
「如月って、本好きなの?」
「え?」
「いやだって、図書委員で文芸部って……」
「良く知ってるね?」
「そりゃ……」
相当にリサーチされてる。心乃香は血の気が引いた。こいつらは弱者を常に笑者にしてきたのだろう、嫌がらせに対する経験が、こちらとは全然違う。ずっと格上だ。
心乃香は恐ろしくなり、ふっと八神を見遣った。相手もこちらを見ている。顔が近い……ウソ……ヤダ……殺られる!
心乃香は何とか視線を逸らした。ちょうどバスがやって来る音がした。神の助けだ。
本当は、駅までは一緒に歩くつもりだった。だがもう限界だ。私にはこれ以上無理だ。心乃香は何とか次の言葉を絞り出した。
「ここでいいよ。ありがとう。ここからバスだから、その傘貸してあげる」
「え?」
止まったバスのステップに、心乃香は飛び乗った。ただこのままでは、今までの苦労が、水の泡だと我に返った。勇気を出せ!
ドアが閉まる前に「お祭りの日は晴れるといいね」と何とかギリギリ柔らかく囁いてみせた。
車窓から八神が見えなくなるまで、作り笑いで耐えた。
八神の姿が視界から消えた途端、腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。
八神は今日の事を何とも思ってないかもしれない。なのに自分はこんなにダメージを受けてる。
心乃香は、強者と弱者の間のレベルの差をまじまじと感じ、この世の不公平さを改めて身に感じていた。
***
心乃香が自宅側のバス停に着いた時、まだ雨が降っていて、心乃香は鞄を頭に翳し、走って自宅まで帰ることになった。先程、傘を八神に貸してしまったからだ。
こうなる事にも気が付かなかったとは、自分は相当動揺している。
自室に何とかたどり着き、ベッドに倒れ込んだ。何をやっているのかと、自分が惨めになって来た。この弱音が弱者の本質なのだ。
分かってる……分かってるが、虚しくて居た堪れない。負けそう……。
心乃香は、復讐の続きは、明日からの自分に任せる事にして、枕に顔を埋めて、声を押し殺して静かに泣いた。
つづく
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