二章 ルーモニの古代遺跡と龍と 3
「VoRururururu――――!!」
「きゃぁ!」
「うわぁ!!」
大気を震わさんばかりの咆吼に、反射的に耳を塞ぐ五人。顰めた顔を上げ辺りを見渡すと、地下にいたはずの彼らの頭上には青い空が広がっていた。
「何だよ、いったい!? どうして外にいるんだ?」
「デジが原因ですの。ごめんなさいですの」
彼女の手にあるコンソールのパネルには、床に描かれたのと同じ魔法陣が描かれていた。
「どうやら、古代の転送装置のようですね」
「それで俺達が飛ばされたってことか? しかし、今の咆吼は何だ?」
「ちょっとあれ! あれ見てよ、あれ!!」
ピアが指さす先には、周りに転がる巨石群から頭一つ分以上は突き出た、巨大な生き物の姿があった。
眉間に長い一本角を伸ばし、皮膜の羽を持つ赫金色の巨体をした存在。
「龍!?」
それは、資料映像でしか見たことのない龍種だった。
唸り声を上げては激しく暴れ回る龍。
「ここってまさか、隔絶領域なのか!?」
小型の龍ならばまだしも大型の龍がいるとされるのは隔絶領域以上。一介の学生は元より、並みの探求者でもおいそれと立ち入れる場所ではない。そんな場所、一級の探求者達がパーティーを組んで訪れる場所だ。
視線すら合わせていないのに、見るだけで心は芯から震え身は竦み、動けなくなる学生達。
目を背ければ殺られる。そんな脅迫概念が心を支配していく。それほどまでに、龍と言う存在は人を圧倒していたのだ。
だが、そんな極限状態だからこそ、逆に心の一部が冷静さを取り戻してくれた。
「あれって、少し変じゃない?」
「変って何がだよ!? それより、早く逃げないと!!」
金縛りが解け、逃げることを提案するモノクだが、ピアは一点を見つめるだけだ。
「あの龍、誰かと戦っていない?」
「え?」
よくよく見れば、金色の光に包まれた人らしき存在が見えた。
「あの輝きは雷の鎧……あれって、雷姫ですよ!」
ファンだけあってか、ラティがその正体を看破する。
「あれが雷姫だって?」
「……ファイが戦ってるのか?」
呆然と見上げるフィル。彼の耳にモノクの声が届く。
「思いだした! あの龍は一角炎雷龍だぞ!!」
かつてプレイしたゲームに出てきたのを覚えていたのだ。
「いくら雷姫とは言え、雷の力を持った龍相手じゃ分が悪すぎる!!」
正に、モノクの叫ぶ通りだった。
同種の力は互いを掻き消し合い、強い方の力が僅かながらに通る。
雷の精霊を憑依させて戦うファイの力では、炎雷龍の纏う雷に敵うはずもなかった。
雷気を帯びたドラゴンブレスが放たれれば、帯電した盾で防ぐも耐えきれず、砕け散る。逆に、雷で作った槍を振るうも龍の鱗を貫くことが出来ない。
圧倒的な力の前に疲弊していくファイ。
「どうして逃げないの?」
ピアの疑問はもっともだった。
雷の精霊。それは、光の精霊に次ぐ速さを持つ精霊である。そんな神速の精霊を憑依させている神楽女の身体は精霊寄りの存在となり、神速で飛翔することが出来た。
対して炎雷龍もまた、龍の中では速い飛翔速度を誇るが、その巨体故に雷の精霊と比べれば遙かに遅い。
その気になれば、容易く逃げおおせるのだ。
「あそこ、あそこを見てください!」
ラティが見つけたのは、倒れた三人の人間だ。
ファイと共にこの地へとやってきたパーティーであり、龍にやられたのが見て解る。そして、かろうじて生きていることも。
「あいつ、仲間を見捨てられないんだ!!」
クッ――と、奥歯を噛み締めるフィル。倒れている人達の元へと駆け出す。
「おい、どうするんだ!?」
「助けるしかないじゃないか! あの人達を助ければ、ファイのヤツだって逃げられるんだからさ」
激しい戦いで地面は削られ、崩れまくった大地を進む。
「大丈夫か!?」
声を掛けるも、誰からの反応も無い。
辛うじて息をしているのは解るが、かなりやばそうだった。
「デジちゃん、さっきの転送装置って使えるかい?」
「今、座標をセットしているですの。もう少し待ってくださいですの」
年不相応な冷静さをもってしてはコンソールを操るデジ。相当、ネガポジ夫妻に鍛えられているのが窺えた。
「モノクさん。フィルさんの声をファイさんの元まで届けることって出来ます?」
「俺の声を?」
「私達がいなくなれば、ファイさんも戦わずに逃げることも可能なはずです」
交渉役にフィルを選んだのは、単純に面識があったからだ。
「少し距離があるけど、何とか届くと思う」
モノクは彼が契約している音の精霊の中から木霊を呼び、ファイの声を届かせるように命じた。
「いいぜ、フィル」
コクッと頷き、フィルは龍と戦うファイへと呼び掛けた。
「ファイ、聞こえるか、ファイ」
「私を呼ぶのは誰?」
無事に応答できたことに、まずは胸を撫で下ろすフィル。
「俺だ。覚えていないかも知れないけど、昔向かいに住んでいたフィルだ」
「フィル君!? どうしてフィル君が?」
「詳しく説明している時間はないから、手短に話す。俺達は魔導具の誤作動でこの領域へと転送された」
龍の攻撃を躱しながらも、一字一句聞き漏らさないようにとファイは耳を澄ませる。
「今、お前の仲間と思われる人達のとこにいる。見えるだろ?」
そこまで伝えると、ファイがこちらを確認するのが見えた。
「今からもう一度魔導具を使って、傷ついた彼らと共にこの場から転移する。一人になったらお前は全力で逃げるんだ。出来るだろ?」
「あっ、う――逃げて!」
承諾の言葉は悲痛な叫びに変じた。
闖入者の存在に気付いたのか、はたまた偶然か、龍の顔がフィル達の元へと向いたのだ。
そして、
「VoRururururu――――!!」
「危ない!!」
放たれる雷を纏ったブレス。咄嗟にファイは、その軸線上に身を挺す。憑依精霊の力を振り絞っては雷の盾を作りだし、その一撃を相殺し合う。
それで終わりかと思いきや、龍の攻撃は続いていた。
「VoRururururu――――!!」
一際高く上げる咆吼。その叫びを真っ正面から受けるファイ。
「きゃぁ――――!!」
激しいスパークを発しては、その身は地面へと落ちていく。
「ファ、ファ――――イッ!!」
フィルが絶叫を上げる。突如起こった目の前の出来事が理解出来なかった。
「何だよ、これ!? 俺の木霊が砕け散ったぞ!」
モノクもまた混乱していた。突如、ファイの元へと飛ばしていた契約精霊が砕けたのだ。
酷く狼狽する。精霊が砕けるなんて普通じゃあり得なかった。
「ファイを助けなきゃ……」
幽鬼の如くゆらりとした足取りで歩みだすフィル。そんな彼をラティが引き留める。
「ダメですよ、フィルさん。私達じゃ、龍の相手なんて無理です」
「無理でも無茶でも助けなきゃ! あいつは俺達を庇ってやられたんだよ!! それに、あのまま放置していったら、あいつが殺される!」
見捨てておくなんて出来なかった。
「みんなは転移の準備を!! それと、時の精霊! 最大加速に入るぞ!!」
己の心を鼓舞するように叫ぶ。
刹那、発動した精霊魔法によって、フィルの身体は一気に加速する。
疾く――
――速く。
その身を時流の外に置いては駆け抜けるフィル。ずたぼろで倒れているファイの元へと辿り着くと、その身体を拾い上げた。
あれだけ激しい戦いをしていたと言うのにその身体は華奢で軽い、普通の年頃な女の子だった。
「……フィル君だ。本当にフィル君だ」
金色から黒へと戻りゆく瞳に涙を浮かべるファイ。
「……やっぱり、フィル君は私のゆ……」
そこまで言いかけ、彼女の意識は完全に途絶えた。
それでも、彼女の言いたかった言葉が解るフィル。
『フィルくんは、わたしのゆうしゃさま』
幼い頃、ファイが何かにつけてトラブルに巻き込まれる度に助けていたら、そう口にするようになったのだ。
懐かしい言葉を聞かされては、頑張るしかなかった。
歯を食いしばっては仲間達の待つ場所へと駆け戻ろうとする。そんなフィル達の背後には迫り来る炎雷龍。その身に帯電している雷の一筋が伸びてきた。
咄嗟に、雷と水の精霊符を近くの樹木へと投げつけ、水と電気を帯びさせたそれを避雷針として雷を逸らさせることに成功する――
――も、束の間。
続いて炎を吐こうとする炎雷龍に対し、フィルは虎の子である土の精霊符を使い地面に穴を開け体勢を崩させる。更には残っていた全ての符をばらまき、砂嵐を起こさせ、そこに光と火を混ぜては炎雷龍の視界を攪乱してみせた。
逃げ切れた。
そう思った瞬間、無情な現実がフィルに襲いかかってきた。
加速に使っていた精霊魔法が完全に途切れてしまったのだ。
距離にして後少し。地面に刻まれた陣により、既に転移装置の準備が済んでいるのは解る。
後は、自分達がその範囲内に入り込めばいいのだが、多大なる疲労感によって足が重く、思うように動かない。
それでも、一歩、二歩と必至に進む。
そんなフィルの背後では、大きな翼によって砂嵐を吹き飛ばした炎雷龍が、その巨大な顎を開けては追い掛けてきたのだ。
「VoRururururu――――!!」
放たれた火炎のブレスが背後から勢い良く迫ってきた。
万事休す。
符を使い切り力尽きているフィルには、避けることも防ぐことも適わない。
「こんちくしょう!! フィル、今度学食奢れよ!」
駆け出してきたのは目尻に涙を浮かべたモノクだ。彼はフィルの横を過ぎり、ブレスに向かって手にしていた何かを振り下ろした。
それは、熱量を奪う魔剣ヒートスプレッダの一振り。
膨大な熱量が吸収され、炎は霧散する。
龍が吐いたのが雷のブレスじゃなく火炎のブレスだったのが幸いした。もし、雷のブレスだったら完全には吸収しきれず、担い手であるモノクを傷つけていただろう。
ただし、完全に無傷で終わったわけでもない。
澄んだ音を発てては、魔剣ヒートスプレッダの刀身が砕け散ってしまった。
さすがの魔剣も、龍の攻撃を完全に消し去ることは出来なかったのだ。
「今だ、ピア、ラティ!」
「二人とも、歯を食いしばりなさいよ!!」
ピアが精霊魔法を放った瞬間、ファイを抱えるフィルの身体は突風によって前のめりに押されていく。隣には、同じようにピアが起こした風に乗って駆けていくモノクの姿もあった。
続いて背後では、眩いばかりの閃光が迸っていた。
風はピアが、光はラティの精霊魔法だ。それは、フィルの精霊符使いを見て咄嗟に行った連携であった。
眼前での輝きによって再び目眩ましを喰らった炎雷龍は、空中でもんどり打つ。
そして、全員が陣の中へと入った瞬間、デジが転送装置を作動させるのだった。