一章 探求科の見習い達 1
「――冒険譚であった。っと」
「フィルさん。さきほどからぶつぶつと何を書いてるんです?」
横からの言葉に、没頭していたフィルの意識が跳ね上がる。
ここはカヌナ王国の外れにある、王立スーオ学院探求科二年の教室であり、今はまさに授業中であった。
反射的にノートを身体で覆い隠しては、
「べ、べつに何でもないよ、ラティさん」
問い掛けてきた隣の席のラティに引きつった笑顔で答える。そんな彼の脇の下から覗くノート目掛けて、背後から魔の手が伸びてきた。
「えぇっと、何々?」
「えっ!?」
ノートを掠め取られたことに気づき慌てて振り返ると、そこには自分のノートを読み上げようとしているモノクの姿があった。
「『これから語る物語は、後の世に八百万の精霊使いと呼ばれる若き精霊使いの、波乱と刺激に満ち溢れた冒険譚であった』って、八百万? かなり盛りすぎじゃねぇか?」
「ちょっと待て、モノク!? 何勝手に他人のノートを読んでるんだよ!」
「そこ! さっきから煩いぞ!!」
疾風の精霊に操られた二本のチョークが、騒ぎの震源地であるフィルとモノクの額に打ち当たった。
おでこを押さえては蹲る二人。
「ったく。お前ら、俺の授業で騒ぐなよな」
文句を垂れながら教壇から歩いてくるのは、顔の上半分を仮面で覆った教師のネガだ。
チョークで打たれた際に床へと落ちたフィルのノートを拾い上げる。
「ん? これは小説か?」
「あっ、それはその……まぁ、そんな感じです」
困ったように頬を掻き、そっぽを向いては答えるフィル。
「図書館にあった雑誌で短編小説のコンテスト募集があったから、その……」
しどろもどろに話す。
アルバイトがが禁止されているスーオ学院において、とある理由で貧乏状態が恒常化している苦学生フィルは、少しでも足しになればと賞金目当てで各種コンテストに挑戦することがあった。
ある時は作曲し、ある時は絵も描く。
大賞こそは獲れないが、器用貧乏なだけあってかちょくちょく入選したりし、最低限の賞金やら賞品やらを手にしていた。
「まぁ、フィルの事情は解ってるし、お前の成績ならば授業中の内職も大目に見るが……モノクはちゃんと聞いてないと、次の試験で泣くぞ」
名指しで怒られたモノクは憮然とする。
「ちゃんと聞いてますよ。それに前回のテストだって平均点以上あったじゃないっすか」
「選択問題を当てずっぽうで答えた結果だろ。試験後、お前の周りにいる幸運の精霊達が軒並み疲弊しきっていたぞ。その内、幸運を使い果たした悲惨な人生を歩んでも知らんからな」
どっとした笑いが教室に響いた。
「それにな、ここに書かれているのは、はっぴゃくまんって読むんじゃなくて、やおよろずって読むんだ。神代の時代から続く独特な言い回しだな」
手にしていたノートをフィルに返しながら、言葉を続けるネガ。
「いくら精霊史を習うのが三年になってからとは言え、少しくらいは歴史書を読んでおけ。八百万って言葉は、神代の時代の説明で何度も出てくるぞ」
そこまで言うと、くるりと踵を返しては教壇へと戻る。その際、黒板の上の時計を見やれば、授業終了まで十分ほどしかなかった。
「授業が脱線したついでだ。残った時間は精霊史の話でもするか。時代分類を説明できるヤツはいるか?」
「えぇっと、神代の時代、物質の時代、精神の時代、そして精霊の時代の四つですよね」
前の方にいた生徒が答える。
「ああ、それで合ってるな」
頷き、更なる話を進めるネガ。
「じゃあ聞くが、その四つの分類の仕方は何だ?」
「神代の時代が創世神話の時代、物質の時代が科学文明の時代、精神の時代が魔導文明の時代」
一人の生徒が指折り上げていく。
「ふむ。どうやら、まともに知らないのはモノクだけのようだな。こうなると、モノクの内申を見直す必要があるかもな」
真顔で言われ、慌てふためくモノクだった。
「それぐらい、俺だって知ってるっす。物質の時代から精神の時代へと移行したのは、高度に発達した科学技術が、アストラルサイドへと干渉できるようになり、魔導の技術体系が出来上がったためでしょ。そして精神の時代から精霊の時代へと移行したのは、精神時代後期にアストラルサイドにて世界を構築する極小の意識体である精霊を発見したから――ですよね?」
淀みない説明に、口を半開きにしては感心するネガ。クラスメイト達も同じなのか、あんぐりと口を上げている。
「合ってるが……良く知ってたな?」
「ゲームが好きで、その手の歴史ならゲームに出てくるんです」
いい気になって種明かしをするモノク。
「でも、それならば八百万って言葉もゲーム内に出てくるだろ? 創世神話のゲームって結構多いと思うが」
「いやぁ、俺ってば、普通にはっぴゃくまんって読んでいましたから」
照れながら言う教え子に対し、ネガは悩ましげに仮面の上から額を押さえるのだった。
「そりゃじゃあお前、八百万を単純に八〇〇万って数として捉えてたりしてないか?」
「え? 違うんですか?」
キョトンと聞き返すモノクに、ネガは嫌な予感を覚えた。
「まさかとは思うけど、他のヤツらもそう思っていたりするか?」
改めて生徒全体に聞けば、ほとんどの生徒が手を挙げた。
その状況に、憂いを帯びたため息を、深々と吐く。
「フィル。代わりに話してやってくれ」
「俺がですか?」
手を挙げていなかった何人かの生徒の中から自分を名指しされ、仕方なく立ち上がる。
「八百万って言葉は、明確な数値を表す言葉じゃなくて、数え切れないほど多い数を現す言葉なんだ。元々は神代の時代の神の数を現している言葉で、八百万の神ってのは無茶苦茶多い神々って意味合いになるかな」
そこまで説明させると、ネガは手で制した。
「ちなみに八百万の神ってのは、当時の精霊信仰によって神格化された存在だから、現在の精霊の時代に通じるものがあってな。フィルが精霊に八百万って言葉を被せたのは面白い考え方ではある。精霊もまた、その最大数は未知数だからな」
そう言って話の締めに入るが、生徒が口を挟んできた。
「先生は神霊を見たことはあるんですか?」
神霊こと神格化された精霊の力は絶大で、各種精霊の最上位に位置する存在だ。世間一般の精霊使いではその存在に出会うことすら叶わないとされる。
「んー、あるぞ」
そんな偉大なる精霊に関し、あっさりと答えてみせるネガ。
「神霊ならいくつか見たこともあるし、神使いも何人か知ってるぞ」
「マジ!?」
驚きの声が教室中から響いた。
「誰なんです?」
「言ったところでお前らの知らないヤツばかりだからな。それに、知っていたヤツが居たとしても話すことは出来無いぞ」
それは高位精霊使いにとっての暗黙の了解であった。
自分の使役している精霊を話すこととはカードの手の内を晒すようなもの。特に神霊ともなれば切り札中の切り札なのだ。第三者が気軽に話していい代物ではない。
「先生は、精霊が何種類ぐらいいると思います?」
話が途切れた辺りで、別の生徒がそんな質問を投げ掛けてきた。
「精霊の種類か……」
考え込むそぶりを見せるネガ。
現在、確認されている精霊はおよそ数万種。全使いと呼ばれる最高峰の精霊使いでも契約している精霊は千程度で、八百万なんて数はあり得なかった。
重複且つ契約精霊の下位に位置する未契約精霊をも数に含めたとしても、数千が最大数だ。
「それこそ難しい質問だ。精霊省や学術院では今も新種の精霊が発見されているしな。分類法も見直そうって話も出てきてるし、更なる細分化を進めるって案もある」
精霊の種類とは、大きな括りから特性別に細分化され、新種として認められるのだ。
「まぁ、最大でも人が認識している物質や法則の数だけ種類はあると言われてるな」
「人識論ですね」
一人がそう受け答えた。
人識論――精霊は人が識った数だけ存在すると言う一つの考え方であり、精霊分類学における主流の定義であった。
「でも、先生。たとえば概念系とかだと本当にいるかどうかも疑わしい精霊も多いんだよね?」
「所謂、確定未種の存在証明ってヤツだな」
確定未種とは理論上存在するとされるが、いまだその存在が発見されていない精霊を指す言葉であり、その存在証明ともなれば人に認識されるまで誰にも解らないのだ。
「まぁ、確かに概念系なんかは発見されていない精霊が多いとされるからな」
教え子の言葉に同意を示すネガだったが、教師らしくそこから話を少し踏み込んでみせる。
「だがな、いまだ発見されていない確定未種の中には全く異なる系統樹に紛れ込んでいたりもする精霊もいたりするんだ」
「異なる系統に!? そんなことあり得るんですか?」
聞いたことの無い話に戸惑う生徒達。
「そこら辺は三年になったら習うんだが……お前らは感情を司る精霊なんて聞いたことないよな?」
ネガが問い掛ければ、生徒全員が頷いてみせた。
「授業の最後に、お前らに面白い精霊魔法を見せてやる」
ネガはニヤリと口元をつり上げてみせた。顔半分がマスクに覆われているため、怪しいことこの上ない仕草だ。
「俺が今現在契約している精霊の種類は全部で一〇八種いるが、こいつらは一つの面白い特性が合ってな」
勿体ぶるように言う。
「面白いって?」
しびれを切らした生徒の一人が問い質せば、待ってましたとばかりに語りだす。
「人間の精神状態に作用する精霊達だ」
「それってどう言うことなんです?」
いまいち、先生の言っていることが理解出来ない生徒達だ。
「常夜の精霊よ」
ネガがそう囁けば、一瞬だけ教室は完全なる無明の空間へと閉ざされた。
突然の出来事に戸惑う生徒達。既に闇からは解き放されているというのに、言い知れぬ不安な募る。
「例えばこの闇の精霊には、暗くするのとは別に人々の心を不安にさせる力を持っている」
パチンッと指を鳴らせば、あっさりと心の負荷が解けた。続いて、窓の外が薄く曇り始める。
水属性に含まれる雨の精霊を召還したのだ。もっとも、雨は降っていないし空も軽く曇っているだけだ。
なのに、生徒達は言い知れぬ寂しさを感じ始め、涙を伝わせる者までいた。
「雨には人々をもの悲しくする性質があるし、色の属性もそうだ。青色には冷静にさせる効果がある」
雲が消えたかと思えば、教室中の壁や机が青一色に染まっていく。
色属性の精霊である青の精霊の力を借りたのだ。
ただ、やはり闇の精霊と同じく色が変わったのは一瞬で、元通りの教室に戻るのだが、心は不思議と冷静さを取り戻していた。
「こいつらは、属性としては闇、水、色の系統に属する精霊だが、同種の精霊の中でも特に精神作用の強いヤツらでな。細分化、区別化の研究が続けばいずれこいつらは別の系統が割り振られるだろうな」
一度言葉を句切り、
「精神の精霊と」
そう続けるのだった。
精神属性の精霊。それはまだ確定未種の精霊であった。