四章 修行風景 3
授業開始前の雑多で騒がしい教室にて、フィルとファイの二人は机に突っ伏していた。
「ん? 昨日はネガ先生に修行してもらっていたんだよな。もしかして、かなりしんどかったとか?」
「あれはしんどいって次元じゃないよ。覚えなければ殺されるってレベルだ」
小石から始まった修行も、最終的には殺傷力の高い刃物やら毒ガスやらまで混ざりだしたのだ。正直、五体満足でいられるのが不思議なくらいだ。
「それはまた凄い修行だな」
内容を聞いては冷や汗を流すモノク。
「それで少しは身に付いたのか?」
「一応、基礎的なものはな」
ネガが言うように元々素質があったのか、意識しないでも閾の中にいる精霊の流れを把握できるようにはなっていた。
もっとも、実戦で使えるほどではなく、後は実践して鍛えていくしかない。
一方、もう一人のびているファイにはラティが声を掛けてきた。
「ファイさんはどうしたんですか? 確か、フィルさんにお弁当の差し入れに行ったんですよね?」
「……お昼の後にポジさんが修行してあげるって言ってきて、模擬戦を行ったの」
掻い摘んで昨日の出来事を語る。
「ポジさんが?」
購買で見かけるのほほんとしたポジからは、戦う姿が想像できない。
「私、雷をなます切り出来る人を初めて見たかも」
「なます……切り?」
あまりに抽象的すぎて、小首を傾げるラティだった。
「ポジさんとネガ先生って、二人で未踏領域に立ち入った経験があるんだって」
「未踏領域にって、本当なんですか!?」
教師をやっているからそれなりに高位の精霊使いだとは思っていたが、それほどの探求者だとは考えていなかった。
まして、その妻であるポジは一児の主婦であり購買の雇われ店長のイメージが強く、そこまで戦えるとは俄に信じられなかった。
「凄い強い人だったよ。元神楽女とも言っていたし。神霊まで持っていたし」
「神楽女で神霊持ちなんですか……何者なんでしょうか?」
普通、それほどまでの経歴を持つ探求者ならば、一介の学院の購買で店長などやっていないはずだ。
心底驚いていると、そこへ、
『緊急連絡です。学院内にいる全教職員及び、探求科二年のファイさん。至急職員室に集まってください』
突然、校内放送が教室に響き渡った。
名を呼ばれ、スピーカーへと見やるファイ。何の用事なのか放送内容からは予想できない。
「先生達以外にもファイを呼ぶなんて、何の用なんだろ?」
「緊急連絡とも言ってましたね」
「精霊省の方から、今回の転入に物入りが入ったとか?」
「転入に関しては、精霊省の方から勧められたんだけど……とにかく行ってくるね」
疑問符を頭の上で泳がせながら、教室を出ていくファイ。昨日の疲れを引きずっているのか足取りが重そうだ。
そんな彼女と入れ違う形で、
「大ニュース、大ニュース!」
けたたましい声を上げながら、ピアが入ってきた。
「何だよ、ピア。その大ニュースって」
「あたし、今日の日直でしょ。それで、職員室に行ってたんだけど、今さっき、精霊省の方から連絡が来てたんだけど、いくつかの封印領域の封印が解けたらしいの」
「封印領域が!? それってどこの?」
「学院の近くだと、西にあるオロチ塚だって」
「オロチ塚って、ヤマタノオロチの!?」
思わず叫んでしまうフィル。そんな彼に対し、
「たかがヤマタノオロチだろ? それがどうかしたのか?」
何故か平然としているのはモノクだった。
「ヤマタノオロチなんて中ボスだろ? そんなのAランクのパーティでも倒せるじゃないか」
あまりの発言に、頭を悩ます三人だった。
「モノク、あんたってばちょっとゲームのやり過ぎじゃない?」
姉であるピアが代表して言葉を返した。
「ゲームの中では中ボスかも知れないけど、現実のヤマタノオロチは化け物よ?」
「そうなのか?」
「はい」
ピアの代わりに返答を求められたラティは頷き返し、言葉を続ける。
「精神の時代の黎明期、依然色濃く残っていたとされる旧科学文明の都市国家を破壊つくしたとされる超弩級魔導生物兵器の一つで、この地にあった都市のいくつかもそれで滅びたと言われてますね」
「文献に残っているヤマタノオロチは八つの頭を持つ大蛇で、それぞれの頭には異なる属性の精霊が融合されていたらしいな」
「それって、大事じゃないか!?」
やっと、事の重大さが理解できたようだ。
「もしかして、ファイのヤツが呼ばれたのって!?」
「きっと、そうですね。精霊省の方から緊急呼集がかけられたんでしょう」
未曾有の危機が訪れようとしている今、神楽女のファイを遊ばせておけるほど余裕はなかった。
「先生達まで集めるってのは何だ?」
「それなんだけどね。戦力不足で先生だけじゃなくて生徒からも志願兵を集うらしいわ」
「生徒からもって俺達もか?」
「多分、Cランク以上の先輩方だけだと思います」
冷静にそう推測するラティ。Dランクに昇格したばかりの探求者など足手まといにしかならない。
「でも、どうして突然封印が解けたんでしょうね?」
「それならアレが原因だな」
答えは話の輪から外れた場所から届いてきた。
振り返ると、いつの間にか教室に入ってきていたネガが、遠い眼差しで窓の外に広がる青い空を見上げていた。
「先生? 空に何かあるんですか?」
「彗星っぽいのがうっすく見えるわね。尾を引いてるのが解るけど」
細めた目で空の一点を凝視すれば、青空の遙か向こうに白く尾を引くほうき星があった。
「HRをやるから、みんな席に着け」
教壇へと向かいながらそう指示を出すも、生徒達の注意は外の彗星へと向いたままだ。
やれやれと頭を掻きながら、ネガは彗星の話を続けることにした。
「あの彗星は禍母と呼ばれる魔導で打ち上げられた人工の彗星で、星そのものが精霊石の塊で出来ている。便宜上、彗星と言うが正確な軌道は無く、いつ地球に接近してくるかは不明だ。まぁ、今回は今日辺りが最接近ってところだろうな」
「魔導文明って星まで作り出せるのかよ、すげーな」
生徒の一人が率直な感想を口にすれば、ネガは仮面の下に見える口元を苦みで歪めてみせる。
「関心なんてしてられないぞ。あれの正体は災いを招くモノと呼ばれる最悪の魔導兵器なんだからな」
そう窘めてみせた。
「禍母には災厄の精霊が宿っているんだ。あれが近づくと、地上には良からぬことが起こると言われている。今回、ヤマタノオロチの封印が解けたのもそれが理由だ」
ネガの言葉を聞いて、ラティはあることに考えが至った。
「もしかして、昇格試験の基準が上がっていたのも、ファイさんが龍に襲われていたのも、この間の実習でグリフォンが現れたのもそれが原因なんですか?」
「間接的にはそうだが、直接的には別件だ」
その言い回しに頭を悩ます生徒達だった。
「地表よりも先に禍母の影響を受けた月の精霊が悪さをしてるからな」
「月の……精霊?」
「古来より、月の精霊には狂気が宿っていると言われる。妖魔達はその狂気に晒され、おかしくなったんだよ。場所によってはゴブリンなんかの襲撃を受けている村とかもあると言う。封印領域の封印も幾つか解けたおかげで軍隊を分散する必要があるんだが、それじゃ手数が足りなくてな。王立政府は軍以外にも一般人からの義勇軍を作ることにした」
ネガの話はHRの本題へと移る。
戦場が一つだけならまだしも、複数ともなれば軍隊だけじゃ王都周辺を守るのがやっとだったのだ。
「それで、我がスーオ学院にも派兵の要請が来た。これに対し学院は学生からの志願者を募ることになった」
職員会議で伝えられたことを端的に説明していく。
「志願資格はCランク以上で学科問わず。Dランクに上がったばかりのお前らには関係ない話だから、お前らは留守番だ。ちなみに俺も参戦することになったから、各々自習しておくように」
「先生、ファイさんはどうしたんですか?」
ラティが手を挙げて訊く。
「ファイなら精霊省の指示でヤマタノオロチ対策に借り出されることになった。今頃寮の自室に戻っている。何か話したいことがあるヤツは今の内にしろ」
一方的に告げてはHRを締めると、ネガは足早に教室を出ていった。事態はそれほどまでに切迫していたのだ。
残された生徒達がどよめく中、
「俺、ちょっと出かけてくる」
フィルは教室を後にした。
校舎を飛び出したフィルが向かったのはスーオ学院の女子寮だったのだが、男子禁制で立ち入ることが出来ないため、入り口で立ち往生することに。
寮から呼び出せばいいのだが、その理由が思い浮かばない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、
「あら、フィル君じゃない」
「お兄ちゃんだ」
声を掛けてきたのはポジとデジの母娘だ。購買の倉庫にでも用事があったのか、荷台を押していた。
高く積み上がった箱を見上げるフィル。
「あっ、これ?」
視線に気付いたのか箱に手を添える。
「学院からも何人か出兵するでしょ。生徒のみんなにはお守りの一つでも配っておこうかと思って、倉庫から持ってきたところよ」
「これだよ、お兄ちゃん」
一つ取り出しては、デジが差し出してきた。
それは、防御力を上げる護符だった。他にも、矢避けの護符やら耐火の護符などがあるが、どれもヤマタノオロチ相手に通じるかは微妙な代物ばかりだ。
倉庫で不良在庫と化していた代物を、これ幸いと処分しようとしているようにしか思えない。
「あっ、そうそう。その護符なんだけど、良かったらファイちゃんにも渡してくれる? さっき、寮へと入っていくのを見たから、まだ中にいると思うんだけど」
「あっ、はい!」
ウィンク一つで言われれば、元気いい返事を返すフィルだった。
そしてポジデジ親娘と入れ違うように、ファイが寮から出てきた。
「フィル君、どうしたの?」
「あっ、いや。話は聞いてる。ヤマタノオロチと戦いに行くんだろ?」
「うん。一応、私は精霊省所属だからね。命じられたら従うしかないんだよ。それに、ポジさんから貰った神霊で精霊憑依ができるようになったし」
たっはっはと精彩の欠いた笑みを浮かべるファイ。力を取り戻した今、彼女は戦力として数えられていた。
「恐く――」
言いかけた言葉を飲み込む。
それは思っても、決して口にして良い言葉ではなかった。
そんな気持ちを察してか、
「大丈夫だよ、フィル君。私がみんなを守るから」
柔らかい笑みを浮かべて言い切るファイ。それはまるで自分自身に言い聞かせているようだ。
「大丈夫。私、こう見えても強いんだから」
「知ってる」
知ってるからこそ、不安が募る。
でも、それに対して口に出来る言葉は持ち合わせていなかった。
「じゃあ、急いでるからもう行くね。あっ、フィル君はみんなと戦勝パーティーの準備でもしていてよ。必ず勝って帰ってくるから。じゃあね、フィル君」
軽口叩いては気楽に手を振って正門へ向けて立ち去っていった。
☆
「恐くない……か」
正門へとやってきたファイは迎えの車を待つ間、しゃがみ込んでは独り呟く。
その小柄な身体は不安とプレッシャーで小刻みに震えていた。
つい先日、炎雷龍に心を砕かれたばかりなのだ。そしてこれから戦う相手はそれ以上の相手。不安が無いわけがない。
気丈に振る舞ってはみせたが、心の底から恐かった。
でも、
「ダメだよ、ファイ。私が弱気になったら、フィル君が駆けつけて来ちゃうんだから」
気を張るしかなかった。
そしてそんな様子をフィルは門柱の影から見ていた。ポジから託された護符を渡しそびれていたのを思いだし、慌てて後を追い掛けてきたのだ。
でもそこまでだ。
それ以上、彼の足は前へと踏み出せなかった。
お守りを硬く握りしめては歯噛みする。
不甲斐ない自分に腹を立てては居たたまれず、その場から逃げだすフィルだった。