四章 修行風景 1
パーティー実習のあった翌日。休日だったその日、早朝からフィルの修行が始まった。
「まず始めに言っておくが、俺の戦闘術は、師匠曰く完全なる我流であり、生き残る術だ。決して、相手を倒すものではない。ただ、自分と自分が守ると決めたモノを守り抜くための力でしかない」
そう前置きをし、フィルの修行が行われた。
「それにはまず、お前さんには五感に頼らず閾のみで精霊を感じてもらう。それも、閾内にどれだけの精霊がどんな風に漂ってるかを明確に把握できるまでにな。最終的にはそれが無意識下でも出来るようになってもらう」
「なっ!?」
あまりの無理難題に絶句するフィル。閾で精霊を感じることは多大な集中力を必要とし、酷く疲れるのだ。基本的には、視覚聴覚などの五感で具象化された精霊のみを把握するのが常だったりする。
「そんなの不可能じゃ? それに、妖魔相手に役に立つんですか?」
「並み程度の閾ならばさほど意味は無いが、お前や俺みたいに閾が広い人間には役に立つはずだ」
一度言葉を句切り、話を戻す。
「妖魔は物質の時代に造られた人工生物をベースに魔導技術によって精霊と融合させられた生き物だってのは解ってるよな?」
「はい」
それくらいは基礎知識だ。
「ならば、閾で妖魔を感じ取ることが出来ることは知っているか?」
「え?」
それは知らなかった。
首を横に振るフィルに、ネガは話を進めた。
「精霊と同じように閾で感じることが出来れば、妖魔の次の行動が読めるようになってくるんだ」
「次の動き?」
言いたいことが解らず、フィルは怪訝そうに眉を顰めた。
「たとえば先日お前らが戦った炎雷龍だが、あいつは炎と雷の精霊を融合して造られた龍になるが、ブレスを吐く時にはどちらかの精霊力が強まる傾向にある。目で見たり、帯電したり灼ける空気を肌で感じていては、どうしても対処に遅れがでてしまう」
吐かれる瞬間に解ったところで逃げようが無いのだ。
「だがな、もし閾で状況を把握していれば体内で行われる精霊力の高まりで次のブレスが予想できるんだ。一秒でも早く解れば、解った分だけ対策の選択肢が増えることに繋がる」
ネガが言っているのは、閾を鍛えれば一手でも二手でも先んじることが出来ると言うことだ。
「また、壁の向こうの妖魔とかも把握出来るようになるから、極めれば探求者としてのレベルも飛躍的にアップするぞ。それに、上手く鍛えれば特定精霊にのみ意識を集中させることも出来るようになり、契約精霊を増やすことにも繋がるな」
付け足された言葉に、俄然やる気の出るフィルだった。
「でも、どうやって鍛えるんです?」
「なぁに、簡単だ。身体で覚えていけばいい」
ニヤリと、ニヒルな笑みを浮かべてみせるネガ。
その仮面の奥に見える瞳には、サディズムな精神作用を起こす焔の精霊が宿っていることに、フィルはまだ気付いていなかった。
「まずは目隠ししろ。視覚は人間が感じる外界情報の大半を占めているからな。閾のみで精霊を感じるのには邪魔だ。必要以上に惑わされるだけだ」
「惑わされる?」
「精霊は四方八方、世界に溢れている。なのに見えるから、つい目の前の精霊に注意が向いてしまう。Sランクの探求者ならば、背後の精霊を感じ取れるぐらい朝飯前だ」
「Sって……」
それは隔絶領域内でのペア活動を許された探求者であり、その力は高位の妖魔相手に単身で戦える存在だ。
そんな伝説クラスを引き合いに出されても実感が持てない。
「フンッ! 何を躊躇してる!!」
大きすぎる話に戸惑いを見せる教え子を一喝する。
「お前は高みを目指すんだろ。少なくとも、ファイのヤツならば近い内にSランクに到達するぞ」
その一言で、フィルの腹は据わった。
言われるままに目隠しをする。それを確認し、ネガは小石の精霊に命じて石を用意した。
「これから石を投げつけるから、お前は石の精霊を感じ、避けるんだ」
いきなり飛んできた石が腹に当たり蹲るフィル。そんな弟子の痛みなど気にするでもなく、ネガは次々と石を投げ付けた。
必至に精霊を感じ取ろうとするも飛来する速さに付いていけず、半ば勘で避け始めるフィル。
「こらっ! 勘で避けるな!! お前は精霊の気配だけを閾で知覚していればいいんだ!」
「はい、師匠!」
ボロボロになりながらも投げ出すことなく修行を続けるフィルだった。
そんな訓練も数時間続けばそれなりに様になってくるもので、次第に飛んでくる石の精霊の気配が感じ取れるようになり、十回中七回は躱せるようになっていた。
「どうです、師匠。結構やるようになったでしょ」
慢心を見せる弟子に、ネガは身近に転がっていた木の枝を投げ付けた。
小石の精霊に焦点を合わせていたフィルの精霊感知能力は、木の枝の存在に気付くも対応しきれず、顔面に思いっ切り喰らうのだった。
当たった衝撃で目隠しが外れ、自分に何がぶつかったのかを知るフィル。
「ちょっと、師匠。木の枝なんて投げないでくださいよ」
憮然と苦情を告げるが、弟子の泣き言とばかりにばっさりと切り捨てる。
「フン。少し躱せるようになったぐらいで自惚れたお前が悪い! 大体、小石だけに意識を集中するから他の精霊に気付かないんだ」
「そんなこと言ったって、意識を集中しないと無理ですよ」
「出来なければ死ぬだけだ。死にたくなければやれ――あと、俺を背後から襲おうとしても無駄だぞ、ファイ」
振り返りもせずにそう言うも、
ペチッ!
棒きれで叩かれるネガ。振り返れば、
「残念。狙っていたのは私でした」
悪戯が成功したとばかりに楽しげなポジがいた。その後ろにはファイとデジもいるが、少し離れている。
「むっ? ポジとファイは色々と似ているから間違えたか」
見誤ったことに、渋い顔をする。
「師匠も出来てないじゃないですか」
「鬼の首を取ったように言うな」
背後から木の枝を飛ばしては、弟子を物理的に黙らせる師匠だった。
「精霊を介して接近を感じているんだ。似たような精霊を纏っていればそれだけで個人を間違えることもある」
憮然と言い放つ。
「似たような?」
キョトンとしてファイは隣にいるポジを見た。
「私も雷系の精霊を何体か契約してるからね。纏っている精霊だけを感じたら、雷姫のファイちゃんとは色々と似てるの」
確かに、ポジの周りにいる精霊に意識を向けると、雷系の精霊が多かった。
「それに、俺は背後からの接近は言い当てたぞ」
「確かに」
目の前で見ていただけに、その点だけは反論が出来なかった。
そんなやり取りも終わると、昼になったこともあり修行は一時中断し、ポジ達が持ってきた弁当を食べることに。
「え? ファイがこれを?」
まじまじと見つめるのは、彼女が握ったと言うおにぎりだ。
「お姉ちゃん、美味しいですの」
「ありがと、デジちゃん」
褒められ、にこやかなファイ。ただ彼女の意識の大半は対面にいるフィルに向いていた。
ワクワクドキドキハラハラな眼差しで、感想を期待するファイ。
「何て言うか、ファイに作ってもらうとさ……幼い頃に食わされたドロ団子を思いだすんだよな……」
しみじみと告げられたのは、見当違いな言葉だった。
「フィル君のバカ……どうして、今そう言うこと言うかな」
「お兄ちゃんのデリカシー無しですの」
何故かデジまで一緒になって怒っていた。
「たっはっは。ダメだぞ、フィル。いい男ってヤツは、女の一挙一動を気にして欲しがっている言葉を返してやるもんだぞ」
「あら? ネガ君が教えられることとは思えないけど?」
ポジの微笑みに、青ざめるネガだった。
「あっ、いや。ポジの作った弁当は美味いぞ。とくにこのサラダなんて――」
「それ、デジちゃんが作ったのよ」
「えっ、あっ、まぁ……デジも料理が上手くなったな」
しどろもどろと当たり障りのない言葉を見繕うネガ。こっち方面では反面教師になりそうな師だった。
「えぇっと、美味いよ、ファイ」
「あ、ありがと……」
いきなりフィルに褒められ、照れるファイだった。
「まだまだあるから、沢山食べてね」
どこに隠し持っていたのか、大量のおにぎりを差し出してくる。
そんな初々しくもたわいもないやり取りと共に、半ばピクニックと化した食事風景が続く。
「師匠、どうやって他の精霊を感じるんです? 何かコツとかってないんですか?」
食後のお茶を飲みながら、午前の修行を思いだしては教えを請う。
「お前なら簡単なはずなんだけどな」
「俺なら簡単って?」
その言い回しの真意が解らない。
「どっちかって言うと、フィルは一つの精霊に集中できないタイプだろ?」
それが出来ないから、精霊との契約が上手く出来ないのだ。
「集中力散漫ってのはそれだけ多くの物事を無意識に並列処理してることになるんだ。そう言うヤツは、無意識に色々なモノを捌けるのに適してる」
「?」
脳裏に疑問符が浮かぶ。言ってることがよく解らない。
「それはね、お兄ちゃん。全ての精霊を流れとして感じるんですの」
「デジちゃん?」
アドバイスは意外な所からやってきた。
「精霊を一つずつ感じるんじゃなくて、流れとして感じるんですの」
目を閉じたおやかに回り出すデジ。幼い子供に言われても、釈然としないフィルだ。
そんな彼に、ネガが呼び掛けた。
「フィル、それにファイも見とけ。面白いものを見せてやる」
何が始まるのかと身構えれば、ネガポジ夫妻は、くるくる回る愛娘目掛けて無数の精霊を飛ばしていく。
瞳を閉ざしたまま舞うように、精霊を避けていくデジ。その一体も、少女の身体を掠めることが無かった。
「うそ」
自然、そんな呟きがこぼれるのはファイであり、フィルも同感だった。
「デジちゃんは生まれた時から無数の精霊と共にいたからね。この子ってば、私達以上に精霊の動きが解っているの」
「まぁ、俺達も調子に乗って色々と仕込んでいるからな」
我が子を天才と思った瞬間、親バカは過度な教育を施したりするものだった。
そして、デジ自身もまた、まごうことなき天才児であり、英才教育の全てを吸収できるだけの器があった。
このまま育てばどんな精霊使いが出来上がるのかと、内心冷や汗を流すフィルとファイの二人だった。
昼食を終え、午後からの修行を再開するフィルとネガ。デジは父の手伝いをし、色々な物体をフィルへと投げ付けていた。
そんな修行風景を見守っているファイに、
「ねぇ、ファイちゃん」
ポジが声を掛けてくる。
「折角だから、ファイちゃんも修行してみる?」
「え?」
その誘いは唐突すぎて、キョトンとするファイだった。