97. NP:Outrageous Outrage - Domination
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「なにもんだ貴様」
トージは目の前の敵に向かってそう問うた。
もちろん、声が震えていたり、目に怯えを見せたりはしない。
ヤクザの一団を仕切る親父として、そんなみっともない姿を見せるわけにはいかない。
ヤクザは、ナメられたら終いの商売。
たとえ死を前にしたとしても、毅然と立ち向かうのが筋だ。
「俺はヌフ。ここのトップに話があって来た。お前が組長のトージだな」
執務室に入ってきた敵──フードを目深に被った男は、感情の伺えない声でそう言った。
「話? 話をするにしては、随分と物騒なことをしてくれたな」
不快も顕にそう返すと、ヌフと自己紹介したフードの男は事も無げに後ろを指差して応じた。
「これのことか? これに関しては仕方ないと諦めろ。問答無用で殴りかかって来るほうが悪い」
ヌフが指差した先。
そこには、赤竜組の構成員たちが空中に浮いた状態で整列させられていた。
舎弟たちも、兄貴分たちも、幹部連中も、全員が例外なく、十字架に磔にされたような姿勢で宙に列を成して漂っている。
その首と四肢には金色に光る鎖が巻き付いており、微かな魔力を放っていた。
誰も動かないし、喋りも唸りもしない。
ただ、目玉だけは忙しなく動いているので、意識があるのは確認できる。
恐らく、この光る鎖は束縛効果がある何らかの魔法か魔法道具で、それによって行動だけを制限されているのだろう。
現状は明らか。
このヌフという男は、たった一人で赤竜組に乗り込み、たった一人でトージ以外の全員を制圧したのだ。
それも、誰一人殺すことなく。
とても分かりやすい暴力の示し方である。
「……で? 俺の首が狙いか? 言っておくが、簡単には取れんぞ」
そう言うと、トージは体内で魔力を練りながら、ヌフを睨みつけた。
「……なんでそうなる。
お前に『話』があってきたと言ったろう。首なんぞいらん」
殴り込みに来る人間の最終目標は、何時だって組長の命だった。
だから反射的にそう言ったのだが、どうやらそういうことではないらしい。
「単刀直入に言う。俺の傘下に入れ」
「…………断る」
一瞬だけ返事に遅れたのは、呆れ返ったからだ。
何度も言うが、ヤクザはナメられたら終いの商売だ。
叩き伏せられたからと言って、縁もゆかりもない人間の軍門に下ることなど、到底許容できはしない。
そこに義理や人情、由緒や伝統がなければ、いくら武力で押さえつけられたとしても、屈服も納得もしない。
それこそが任侠に生きる人間の生き様であり、彼らを定義する指標でもある。
そんなことも知らずに自分たちを従えようとしているのだから、呆れ返りもする。
「俺たちが付き従うのは、今も昔もたった一人──今は亡き初代だけだ」
赤竜組の組長はトージだが、組の中で最強なのは彼ではない。
そして、その最強は今、ピクリとも身動きできない状態でヌフの背後に漂っている。
完全なる敗北。
赤竜組がここから逆転することは、恐らくできないだろう。
それだけ、このヌフという男は強い。
だが、それがどうしたというのか。
「たとえ貴様がここで俺たちを皆殺しにしようとも、俺たちの意志は変わらん」
毅然と宣言するトージ。
相手は、こちらに殴り込みに来て、トージ以外を全員制圧し、その上で傘下に入れと要求してきているのだ。
これを断ればどうなるか、5歳児ですら分かるだろう。
だが──だからといって、屈服することはできない。
たとえここで皆殺しの憂き目に遭おうとも、納得できない相手に付き従うことはできない。
彼らの価値観が、伝統が、生き様が、それを許さない。
見れば、ヌフの背後で動けない組員たちも、全員がその目に硬い意志の光を灯していた。
まるで「これが赤竜組の生き様だ」と示すかのように。
「いいだろう」
ヌフの結論が出た。
彼らの運命は決まった。
トージは胸を張り、瞬きすらせずにヌフの感情の伺えない口元を睨みつける。
まるで赤竜組の生き様を世界に見せつけるかのように、自分たちに訪れる最後の瞬間を眼裏に焼き付けるかのように。
安らかな死など、ヤクザには相応しくない。
任侠のために激動と激闘の中に没することこそ、最上の誉れだ。
ただで殺られてなどやらん。
最後に一矢報いるために、トージは全身に魔力を纏わせ、腰に下げた刀に手をかけた。
──だが、
「──では、俺に協力しろ」
ヌフがトージに向かって放ったのは、致死の一撃ではなく、優位に立つ者に相応しくない──譲歩の言葉だった。
「…………協力、だと?」
動揺は隠せるが、困惑は隠せなかった。
絶対的に優位に立っているヌフが、ここで譲歩してくる意味が分からない。
「……俺たちを殺さないのか?」
「時と場合による」
さも当然かのように言い放ったヌフに、トージは呆然とする。
見れば、幹部や兄貴分たちも同じような顔をしている。
「今こうしてお前たちを拘束しているのは、俺の話を聞いてもらうための、謂わば交渉手段に過ぎん。
俺の傘下に収まるか否かは、さしたる問題ではない。
俺が求めることにお前たちが応じさえすれば、お前たちの組織の独立性に干渉はしない。
もちろん、俺の邪魔をすれば皆殺しにするが」
あまりにもドライな回答だった。
トージたちは、任侠という精神的価値観を中心に物事を考える。
が、このヌフという男は、ただ只管に効率を求めている。
トージたちとは、方向性が真逆な性質の人間だ。
「それに、俺がやろうとしていることは、この街に住む人々の役に立つことだ。お前たちの任侠精神に反することではない」
と、ヌフは更にトージたちへの理解をも示す。
「お前たちが損得勘定では動かない生き物であることは理解している。
だから、強要はしない。
俺の話に乗るのであれば、利益を約束する。
俺の話を断るとしても、お前たちに不利益は無いだろう。
もちろん、この話を漏らしたり俺の邪魔をすれば、お前たちには『不利益』しかなくなるが、それは一旦置いておくとしよう」
しっかりと脅しを掛けてから、ヌフが続ける。
「俺が提供できる利益は、先ずは金銭、それから役人との繋がり、そしてお前たちの社会的地位の向上だ」
あまりにも荒唐無稽な利益の提示に、トージは目を白黒させる。
金銭は、分かる。
役人との繋がりも、まぁ、分かる。
だが、最後の社会的地位の向上とは、果たしてどういうことだろうか。
困惑しているのが在々と分かるトージに、ヌフは畳み掛けるように言った。
「お前たちがここまで落ちぶれた理由は知っている。
他の闇組織のように、外道な稼ぎ方をしなかったのだろう?
他の闇組織が人を苦しめる方法で荒稼ぎをしている傍ら、お前たちは自警団まがいのお遊び活動をするだけだった。
だから他の闇組織に差を付けられ、今の規模にまで萎縮した。
違うか?」
あまりにも的確に痛いところを突かれ、トージは思わず渋面を作る。
代々受け継がれてきた初代の遺志と、消えゆく組の現状。
その狭間で、トージは苦しみ続けてきた。
初代の任侠精神を守り続ければ、自分たちは間違いなくそう遠くない未来に消えることになる。
逆に、初代の遺志を捨てて他の闇組織のように阿漕な商売を始めれば、組は力を取り戻し、以前よりも規模を拡大できるだろう。
だが、それをすれば自分たちはもう「赤竜組」ではなくなってしまう。
そうまでして存続を図ろうとする組に、果たして価値はあるのだろうか?
そんな答えのない葛藤に、トージは日々苛まれてきた。
彼が同年代よりも老けて見えるのは、この心労が大きく関係しているだろう。
「……貴様、バカにしてやがるのか?」
そんな言葉が口をついて出たのも、心に荒波が立っているからだろう。
何故かこのヌフという男の言葉が、妙に胸に突き刺さる。
「ああ、バカにしているな」
心底どうでもいいかのようにヌフが応じる。
「事実、お前たちはバカだ。
人気の老舗ですら、時勢に合わせてネット通販やデリバリーサービスを始めているのだぞ。
組の存続や仲間の生活を考えれば、商売のやり方を変えないなど有り得ない。
旧態依然としたままでは時代に取り残されるのは必須だし、そのまま淘汰されるのも当然の流れだ。
というか、組の消滅がここまで差し迫っているのに、それでも悩むことしかしていないなど、バカが極まっている。
いや、破滅願望があるとしか言いようがない」
「野郎……!」
──言いたい放題言いやがって!
──こっちの気も知らないで!
そんな女々しい愚痴が、トージの脳内を埋め尽くす。
見れば、組員たちも全員が全員、顔を真赤にして怒り狂っていた。
皆、気持ちは同じなのだ。
世の変化と己の信条の間で苦しみ、足掻き、それでも己を信じて道を貫き通す。
そんな頑固な道が、どれほど歩き難いことか。
葛藤に苛まれ、何が正解か分からなくなって、自分たちの信条すら疑い始めた。
それが嫌で、頭を空っぽにして、ただただ突っ走るしかなかった。
そんな夜の海を漂うような日々を、自分たちがどんな気持ちで過ごしてきたことか。
──知った風な口ぶりで俺たちを語るんじゃねぇ!
──お前ごときが俺たちの何を知ってるってんだ!
そんな咆哮が喉まで昇ってきてたが、何故か口からは出てきてくれなかった。
心に刺さる棘が、妙に痛い。
「──だが、そんなバカだからこそ、お前たちは今日まで生き残れたのではないのか?」
続いて聞こえたヌフの言葉に、トージが固まる。
「他の闇組織のように人々を苦しめて来なかったからこそ、お前たちは堅気の人たちからも存在を認められ、警吏たちからも目の敵にされてこなかったんじゃないのか?」
ハッ、とトージは目を瞠った。
「それこそが、お前たちの信念が勝ち取った勝利──他の悪党たちには決して手が届かない『信頼』という名の財産じゃないのか?」
──そうだ。
いつの間に忘れてしまっていたのだろう。
自分たちがシマの人々に支えられてきたという、その事実を。
バカな舎弟が酒場のウェイトレスにイタズラして店主と殴り合いの喧嘩になったのに、次の日も、店主は自分たちを暖かく迎え入れてくれたじゃないか。
鍛冶工房の親方とショバ代のことで殴り合いの喧嘩になったのに、親方はそれ以降も、ぶっきらぼうながらも組の依頼を受けてくれたじゃないか。
自分たちがよく屯している食堂の店主も、ガラの悪い自分たちのせいで普通の客が寄り付かなくなったとよく愚痴っていたのに、自分たちが来るといつも変わらずに歓迎してくれていたじゃないか。
よく考えてみれば……いや、ちょっとでも思い出してみれば、分かることじゃないか。
自分たちは、地元の人々の世話になりっぱなしだったことを。
他の闇組織との抗争で敗北したときには匿って貰ったし、組の運営が立ち行かなくなりそうになった時にはカンパまでしてくれた。
自分たちが崩れそうになったとき、側にはいつも地元の人達が居てくれて、支えてくれていた。
自分たちの力だけで大きくなったつもりでいたが、実際は地元の人々に育ててもらったのだ。
道理でヌフの言葉が胸に突き刺さるわけだ、とトージは納得する。
自分たちはこれまで「任侠精神」というものについて深く考えず、ただ「初代の遺志」と一括にしてしまっていた。
何よりも尊んでいるはずの「任侠精神」を、ただひたすらに遵守するだけの、謂わば条項のようなものと見做し、その本質について考えることを放棄していたのだ。
今にしてみれば……いや、ヌフに言われた今、ようやく分かった気がする。
自分たちが大切にしてきた「任侠精神」は、ただの条項や言葉などではない。
初代が組を立ち上げたその経緯と目的に直結している、自分たちの在り方への定義そのものなのだ。
赤竜組の在り方。
それは、他の「悪」を押さえつけ、地元の人々を理不尽な暴力から守ること。
人々にとっての「親分」であり続けること。
悪を以て悪を制す。
それこそが、自分たちが忠誠を捧げた「任侠精神」の根源であり、ヤクザという組織の存在意義なのだ。
そうだ。
自分たちの根幹は、自分たちの起源は、まさに「地元の人々」ではないか。
地元の人々に寄り添い、助け、守る。
それこそが「赤竜組」というヤクザの、本来の姿ではないか。
自分たちは利益第一の「マフィア」ではなく、任侠に生きる「ヤクザ」なのだ。
心の中で消えかけていた火が、再び燃え上がった気がした。
「俺の目的は、この地の安寧だ」
ヌフが、真っ直ぐな言葉を向けてくる。
「お互い、目的を共有できると思わないか?」
そう言うと、ヌフはパチンと指を鳴らした。
すると、背後で静かに漂っていた組員たちが一斉に開放された。
動けるようになった幹部たちは、すぐにトージの下に駆け寄る。
兄貴分たちは、舎弟たちを引き連れてヌフを囲んだ。
皆、こんな行動に意味など無いことは分かっている。
全員で襲い掛かっても、間違いなくヌフに片手間で蹴散らされるだろう。
組員たちを一斉に解放したのは、どうやったって自分の驚異になりえないとヌフが確信しているから。
開放した目的も、恐らくは奴が口にした「殺さない」という言葉が嘘ではないと証明するためだろう。
絶対的強者らしい、傲慢な……しかし説得力のあるやり方だ。
トージは、組員たちを見渡す。
全員がヌフに警戒の眼差しを向けているが、その瞳の奥には確かな灯火があった。
皆、ヌフの言葉に感ずるものがあったのだろう。
迷い、納得、後悔、そして決意。
下っ端から幹部まで、弱体化して尚この組に残ってくれた全員が、胸に滾る熱い思いを抱えつつ組長の決断を待っていた。
ゴクリ、と硬い唾を嚥下する。
ここが分水嶺だ。
組がこのまま消えるのか、それとも再び隆盛するのか。
自分の決断が、組の未来を決定づけることになる。
何が最善なのか?
……いや、答えなど、既に決まっている。
ヌフに「気付かされた」と感じた、その時から。
「いいだろう。
赤竜組は、貴様に協力しよう」
フードから覗くヌフの口元が、微かに綻ぶのが見えた。
「だが、貴様のやり方が気に食わないと思ったら、俺達は即座に降りる」
「もちろんだ。強要しないと言った以上、お前たちの判断は尊重する」
ここに、両者の協力関係が成立した。
「後ほど『連絡員』を送る。話はそいつに持たせる」
それだけを言い残して、ヌフは何事もなかったかのように踵を返す。
ギュウギュウに人が詰まった執務室の廊下に向かって歩き始めたかと思うと、次の瞬間、その姿は霞のようにかき消えた。
ヌフのあまりにも不可解な退室のしかたに全員が唖然としている後ろで、トージは強張らせていた身体から力を抜いた。
強大な敵だった。
いや、最終的には敵ではないと分かったのだが、それでも気の抜けない男だった。
これからどうなるかは、正直わからない。
だが、あのヌフという男は、自分たちに大切なことを思い出させてくれた。
たとえ何処かでヌフと道を違えることになったとしても、自分たちはもう迷うことは無いだろう
いつもの癖で、トージは己の頭頂から後ろへと流れるように伸びる角を撫でる。
いつもと変わらない小さな角だが、今は心做しか以前よりも硬くなっている気がした。




