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93. NP:Outrageous Outrage - Recon

 ――――― ★ ―――――




 夜の帳が降りたフェルファストの東北にある、広めの通り。

 その通りを外れて路地に曲がった先に、少しだけ賑わっている場所がある。

 道幅は大人三人が肩を並べてギリギリ通れるくらいしか無く、月明かり以外にはチラホラと壁に掛けられた松明しか光源はない。

 その薄暗さは、まるでそこに住む人間の生き方を表しているかのようであり、故になんとも言えない蠱惑的な雰囲気があった。


 ここは、スラムの西側外縁。

 お手頃な値段の街娼が集う有名所だ。


 路地の両側の建物には斑に店が入っているが、看板すらないので一見しただけでは何を取り扱っているのか分からない。

 路地の両脇には「立ちんぼ」と呼ばれる店舗(ハコ)に属さない娼婦たちが、通りすがる人間に自分を売り込んでいる。

 彼女たちが立つ路地の更に奥からは、客引きに成功した女の微かな嬌声が聞こえてくる。

 路地の両側には様々な露店が街娼たちの間を縫うように風呂敷を広げており、不味そうな酒や何とも知れない肉の串焼きを売っている。

 飲食の露店のみならず雑貨売りなどもおり、地面に広げられている風呂敷にはゴミと見紛うような道具や怪しげな薬もあった。

 行政の管理が行き届いていないのか、表街道と違って空気にはゴミの臭いが微かに漂っており、そこに酒の湿気と男女の体臭が混ざり、怪しくも妖しい空間を作り出していた。


 合法と違法の境界線を行ったり来たりの商売が蔓延る、混沌という形容が相応しいディープスポット。

 それがスラムの外縁という場所だ。


 そんなスラムの外縁をもう少し奥に行った、人気のない暗がり。

 そこでは、一組の男女が言い争っていた。


「あぅっ」


 バシン、と強い平手打ちが女の頬を打ち、女はよろける。


「てめぇんとこのショバ代が足りねぇつってんだよ、このアマ!」


 女を殴った大柄な男は、唾を飛ばしながらそう女を罵倒した。


「し、仕方ないじゃないのさ! ここ最近、客足が減っちゃったんだか──」

「言い訳してんじゃねぇ!」

「うぐっ」


 頬を押さえながら抗議する女の脇腹を、男は乱暴に蹴り上げる。


 会話内容からも分かるように、暴力を振られている女はスラムに住む街娼で、暴力を振るっている男は彼女の上司に当たるポン引き(がしら)だ。


「てめぇ、払えなかったらどうなるか分かってんのか、ああぁん!?」


 悶絶する街娼に、ポン引き頭は両手の骨をボキボキと鳴らしながら怒鳴る。


「そ、そんなこと言ったって……」

「てめぇもリーダーの『おもちゃ』にはなりたくねぇだろ、なぁ?」

「────っ!」


 ポン引き頭の「リーダーのおもちゃ」という言葉に、街娼の女は震え上がる。

 この一帯を牛耳るギャングのリーダーは、とにかく残忍な男だと聞いている。

 ヘマをやった部下や気に入らない人間を捕まえては「おもちゃ」にしているともっぱらの噂だ。

 彼らのアジトの地下から時々運び出される死体の状態を見れば、そこで何が行われているのか容易に想像がつくし、噂が事実だと嫌でも分かってしまう。

 そんな末路は、絶対に嫌だった。


「明日までに足りねぇ分、耳揃えて持ってこい。でねぇと……」


 邪悪な顔で凄むポン引き頭に、街娼の女は涙ながらに震えるしかなかった。


 搾取する者と、搾取される者。

 理不尽な強者と、地を這う弱者。

 加虐の愉悦に笑む者と、被虐の苦痛に涙する者。

 人権も平等も道徳すらもなく、ただ理不尽な暴力が支配し、力なき者が虐げられる。

 これこそがスラムにおける社会構造であり、この光景こそがスラムにおける日常だ。



 ただ、この日だけは少し違った。




「ちょっといいか」


 ポン引き頭と街娼の女の間に、第三者の声が舞い降りた。


「ああぁん?」


 煩そうに背後を振り返るポン引き頭。

 そこで見たのは、ボロいマントを纏った一人の男だった。

 身長は大柄なポン引き頭より頭一つも低く、体型に至っては半分程度しかない。

 フードを目深に被っているせいで、その顔は見えなかった。


「なんだてめぇ?」

「お前に用がある。一緒に来てもらおう」


 感情が伺えない口調でそう言ったフードの男に、ポン引き頭は怒鳴りながら詰め寄る。


「ざけてんのかてめぇ! 俺が売春(ウリ)やってるように見えんのか!? こちとら取り込み中なんだ! ぶっ殺すぞ!」


 フードの男の胸ぐらを掴み上げるポン引き頭。


 彼はここで気付くべきだった。

 なぜ、フードの男がこんな修羅場に平気な顔で出てきたのかを。

 なぜ、フードの男が彼の恫喝と暴力に抵抗を示さないのかを。

 なぜ、彼の半分ほどしか厚みのないフードの男の体が全く持ち上がらないのかを。


「確かに、俺はお前の『(カラダ)』に用がある」


 フードの男が静かにそう言う。

 次の瞬間、大柄なポン引き頭が真横に吹き飛び、壁に叩きつけられた。


 呻きをあげようとするポン引き頭だが、なぜか喉は震えているのに声が出ない。

 見れば、叩きつけられた体は壁に縫い付けられており、下に落ちもしなければ動かせもしない。


 この段になってやっとポン引き頭は相手が魔法師であることに気がつく。

 が、全てが遅すぎた。


「なに、大した用ではない」


 まるで友人への頼みを口にするように、フードの男は言う。


「お前の言うリーダーとやらとこの俺、どちらが『おもちゃ遊び』が上手なのか、お前に評価してもらおうと思ってな」


 フードの男の婉曲な言葉に、ポン引き頭は一瞬だけ惚け、やがてその言葉が意味するところを理解すると、拘束から逃れようと必死になってもがき始めた。

 しかし、筋骨隆々の体はいくら力を入れても一寸たりとも動かないし、威圧感のあった声はいくら喉を鳴らしてもうんともすんとも言わない。


「では、『おもちゃ部屋』に着くまで、少し寝てろ」


 フードの男がそう言った直後、鬼の形相でもがいていたポン引き頭はガックリと意識を失った。






 一連の出来事を見ていた街娼の女は、声を漏らさまいと必死に両手で口を押さえ、隅の方で震えていた。


 彼女は直感した。

 これはギャング同士の抗争だ、と。


 組織間で勢力争いを繰り返すスラムではよくあることだが、その現場は危険の一言に尽きる。

 巻き込まれれば、間違いなく命はない。


 できるだけ目立たないようにしていた街娼の女だが、その努力は無駄に終わる。

 ポン引き頭が死体のように眠りについたのを確認したフードの男が、グルリとこちらを向いたのだ。

 思わず「ひっ」と悲鳴を漏らした彼女に、フードの男はポン引き頭の懐を探ると、彼女に向かって何かを投げてよこした。

 ジャラジャラと音を鳴らして地面に落ちたそれは、ポン引き頭の財布。

 この周辺で活動する街娼30人から巻き上げたショバ代が入った巾着袋だった。


 投げてよこされた財布を見つめたまま、街娼の女が凍りつく。


 この金は、拾ってはいけない。

 抗争のどさくさに紛れて上位組織のものをくすねた人間の末路を、彼女は嫌というほど知っている。

 ポン引き頭の財布の中に入っているのは、彼が管理する街娼たちから集めたショバ代。

 つまりは、ギャングへの上納金だ。

 それに手を付けることはギャングへの裏切りであり、確実に粛清対象になる。

 たとえポン引き頭がこれから殺されるとしても、ギャングは必ずその経緯を調査するだろう。彼女がここでこの財布を拾えば、後に発覚するのは確実。間違いなくリーダーの「おもちゃ」になってしまう。

 だから、どれだけ金に困っていても、ここでこの巾着袋を拾うことは決してできない。


 けれど、拾わないことは、果たして本当に正解なのだろうか。


 この巾着袋は、目の前にいるフードの男が投げてよこしたものだ。

 投げてよこしたということは、持っていけということ。

 ここで拾わなければ、フードの男の意向に背くことになる。

 圧倒的強者であるフードの男の意向に背くことをして、果たして自分にいい結末は訪れるのだろうか。

 フードの男がポン引き頭に向かって言った「おもちゃ遊び」という単語が、どうしても頭から離れない。

 スラム街の上位者は、往々にして残忍で気まぐれだ。

 この巾着袋を拾わないことでフードの男の不興を買えば、自分も「おもちゃ部屋」に連れて行かれてしまうのではないだろうか。


 拾っても「おもちゃ部屋」行き。

 拾わなくても「おもちゃ部屋」行き。

 まさに進むも地獄引くも地獄だ。



「心配するな」


 己の運命を決定づける小さな袋に涙目で恐れ慄く街娼の女に、フードの男は静かに言った。


「こいつが所属するギャングは今夜、この世から消え去る。貰っておけ」


 とんでもない爆弾発言を残し、フードの男はまるでリードに繋がれた子犬を引くかのように意識のないポン引き頭をスラムの奥へと軽々引きずって行く。


 その後姿を、街娼の女はただ絶句しながら眺めるしかなった。


 彼女が再び動き出したのは、それから数分後のこと。

 彼女が去ったその場には、何も残っていなかった。






 ◆ ◆ ◆






 ポン引き頭は、黒い空間で目を覚ました。

 周囲は真っ黒でなにもない。

 それなのに、空間の中は明るく、温度は快適だ。

 なにもない空間でただ一人、空気椅子の体勢で体が固定されていた。


 目覚めて10分は経っただろうか。

 人の気配もなければ風の音も聞こえない。

 そんな妙な空間で、ポン引き頭は睨みつけるように辺りを見渡し続ける。

 人が来れば一発ぶちかましてやろうと狙っていた。


 ポン引き頭とて、ナメられたら終いの世界(業界)で度胸と腕っぷしだけを頼りにポン引き頭にまで上り詰めた男だ。

 目を覆いたくなるようなことはたくさん見てきたし、痛い目にもたくさん遭ってきた。

 だからこそ、余程の事でもない限り恐れることはない。

 寧ろ、逆境は闘志を刺激してくれる。

 このわけの分からない状態も、多少不気味ではあるけれど、恐れを抱くほどのことではなかった。



 暫くすると、何もないところからフードの男が滲み出るように現れた。


「さて、時間もないことだし、早速始めようか」

「〜〜〜〜! 〜〜〜〜!」


 声は依然として出せないし、身体も今なお動かせない。

 それでもポン引き頭は鬼の形相で凄む。

 どれだけ不利な状況でも、威勢を忘れてはいけない。

 これはスラムで生き残るための秘訣のようなものだ。


「この手のことは結構経験があってね。やり方も色々と知っている」


 言うなり、フードの男が軽く手を振る。

 すると、この空間と同じような黒色のテーブルが地面からせり出し、その上に色々な器具がまるで手品のように出現した。

 シンプルな工具から形容し難い形状の器具まで、なにかの薬品が入った瓶からワサワサと蠢く生物(ナマモノ)がギッシリ詰まった容器まで、変な形の椅子やベッドから言い表せない構造の大型装置まで、気味の悪いモノが目白押しだ。


 これらが何に使われるものなのか、裏に生きる人間であればひと目で分かる。


「『おもちゃ遊び』に必要な道具を色々揃えてみた。どうだ、どれも楽しそうだろう?」


 先程の感情がない喋り方とは違い、今のフードの男はひどく楽しそうだ。


 冷や汗がポン引き頭のこめかみを流れる。

 これらの道具が「おもちゃ」でないのならば、果たして「おもちゃ」とは何を指すのか。


「〜〜〜〜〜〜! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」


 だがそれでも、ポン引き頭は凄み続ける。


 これから何が行われるかは、簡単に想像が付く。

 下から数えたほうが早いとは言え、ポン引き頭もギャングにおける「管理職」の一人だ。

 そんな自分をわざわざ狙ったのだから、相手の目的が自分の所属している組織(ギャング)の情報であることは明白。


 自分は恐らく、激しい拷問を受けることになるだろう。

 この世界(業界)ではよくあることだ。


 組織(ギャング)のために死ぬつもりなどない。

 ギャングの一員ではあるが、忠誠心が厚いわけではない。

 自分と組織のどちらを取るかと問われれば、迷わず自分を選ぶ。

 それくらいには利己的だ。


 そんな自分第一な彼が、なぜ組織の言いなりになっているのか。

 理由は2つある。。


 一つは、組織に従う方が甘い汁を吸えるから。

 他人よりも優位に立つには、強い集団に属するのが一番だ。

 群れることの強みは、群れという存在自体が威嚇になるところにある。

 一人で仕事するより、組織の一員として役割をこなす方が余程安全だし、実入りもいい。


 もう一つは、リーダーが怖いから。

 下手なことをすれば、リーダーの粛清が待っている。

 余程のことでもない限り、リーダーを怒らせることなどできない。

 それは、本能に刻まれた恐怖だ。


 組織を売ることは簡単だ。

 しかし、ポン引き頭にそれをするつもりはない。


 甘い汁を吸える場所は大事だし、リーダーの粛清は絶対に避けなければならない。

 何より、ポン引き頭には勝算があった。


 ポン引き頭は、以前にもこういった状況を経験している。

 他のギャングとの抗争に敗れ、捕まって拷問されたのだ。

 それでも、ポン引き頭は隙きを見て逃げ延びた。

 そして、情報を一切吐かなかったことを買われて、ポン引き頭まで出世した。

 だから、拷問への対処法は知っていた。


 相手は、自分の情報が狙いなのだ。

 痛めつけることはしても、そう簡単に殺すことはしない。

 逆に、情報を喋ってしまったら、その時点で用済みとして殺されてしまう。



 いそいそと拷問器具の準備をするフードの男を睨みながら、ポン引き頭は無理やり嗤う。


 拷問官とて人間だ。感情が高ぶれば、ミスを犯す。

 もし自分がこのまま固く口を閉ざし、時たま挑発でも加えてやれば、フードの男はやがて苛立ち始めるだろう。

 それは何時しか感情の高ぶりを生み、冷静さを失わせ、やがてミスへと繋がる。

 苛立った拷問官がドアの鍵を締め忘れてしまって囚人を逃してしまった、などというのはままあることだ。

 実際、前回捕まった時は、そうやって脱走を果たした。


 ここに来てからずっとフードの男に対して凄み続けているのも、それが目的だ。

 不屈の精神と憎たらしい挑発でフードの男の怒りを誘えば、ミスを犯す確率が高くなる。

 それは、生き延びるための近道だ。


 それに、激高した拷問官は拷問内容が単純になりがちだ。

 前回の時も、拷問を担当していた敵対ギャングの男を怒らせたら、殴る蹴るといった単純な暴力しか振るってこなくなった。

 痛いことに変わりはないが、爪を剥がされたり指を切り落とされたりされるよりは全然マシだ。

 自分の指が今でも10本揃っているのは、この時の英断のおかげだと自負している。

 生き延びるために耐えしのぐにしても、やはり痛い思いは少ない程いい。



 道具の用意を済ませてこちらを振り向いたフードの男に、ポン引き頭はわざとらしくニヤリと嗤って見せる。


 相手は頭でっかちの魔法師だ。

 自分を拷問した敵対ギャングの人間と比べれば、その体格は薄いの一言に尽きる。


 こんな野郎に俺をどうこうできるものか。

 情報を吐かねぇ限り、こっちの優位は覆らねぇ!


 ポン引き頭の胆力と経験が、勝利を確信させた。




「ああ、言っておくが、俺は別にお前が保有している情報が欲しい訳ではないぞ」



 そう、「相手がこちらの情報を得たい」というその前提条件さえ間違っていなければ。



 ポン引き頭が、驚愕に目を見開く。


「俺は純粋に、お前と……いや、お前()『おもちゃ遊び』がしたいだけだ」


 フードに隠れて顔は見えないが、きっと楽しそうな笑みがあるだろうことだけは確信できる。

 そんなワクワクとした声色だった。


「言ったはずだ、お前の体に用がある、と。あれはそのまんまの意味だよ」


 裂けた三日月のような口元が、フードの下から覗く。


「威勢がいいのが居たから選んだだけのこと。

 俺は、自分がタフだと思っている奴を泣かせるのが好きでね。お前みたいなのが大の好物なんだ。

 女はすぐに泣いて許しを請うから、つまらんのだ」


 恐怖と生理的嫌悪が同時に駆け巡り、ポン引き頭はその逞しい体をゾクリと震わせる。


「先ずは、ここにあるモノを一通り試してみようか。そして、その中から一番『楽しかった』ものを選んで、集中的に遊ぶとしよう」


 器具が置かれた黒い台へと向かい、道具の選択を始めるフードの男。

 そのいずれかを手に取る直前、ふと思い出したように振り返った。


「ああ、安心しろ──」


 そして、冒険を前に眠れない子供のようなワクワクした声で言った。


「俺は回復魔法が使える。途中で『飽きる』ことはないし、『一抜け』することもないから」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


 拘束を解こうと、必死でもがくポン引き頭。


 彼は、己がとんでもない思い違いをしていたことを悟った。


 闇組織だろうと、衛兵だろうと、国の暗部だろうと、人を拷問をするのは情報を引き出すためだ。

 拷問とは情報を得る手段、それが常識だ。

 だから、今から自分を拷問しようとしているこのフードの男も、情報が目当てだと当たり前のように考えていた。


 だが、違った。

 相手は、ただの「変態(拷問好き)」だった。

 そうなると、話は180度変わる。


 この変態(フードの男)は、拷問そのものが目的なのだ。

 情報を死守しようが、洗いざらい吐き出そうが、何の関係もない。

 相手はそもそも情報(そんなもの)には興味がない。

 ただただ人を苦しめる、それこそが目的なのだから。


 おまけに、このフードの男は回復魔法が使えるというではないか。

 ならば、この拷問には「終わり」というものがない。

 耐えた末に死ぬ(開放される)ことすらできないのだ。


 逃げ出す希望など、何処にもありはしない。

 ミスを犯してくれるなんて僥倖も、何処にも存在し得ない。

 あるのは、フードの男の気が済むまで延々と続く、意味のない苦痛だけ。


 ポン引き頭の心が、ポッキリと折れた。


「さぁ、楽しい楽しい『おもちゃ遊び』を始めようか」


 数々の道具の中からペンチを選んだフードの男が、ウキウキとこちらに向かってくる。


「そう言えば、声は出せるようにしておこう。お前の『歌声』が聞こえないと楽しさが半減するからな」

「〜〜〜〜るしてくれ! ゆるしてくれ! 頼むぅぅぅ!」


 今まで震えるだけで声が一切出なかったポン引き頭の喉が、突如として声を取り戻した。

 そのことに一瞬だけ驚いたポン引き頭だが、自分の意思が伝えられることが分かると、直ぐに哀願を始めた。


「お願いだ! いやお願いします! 何でもするから、それだけはやめてくれぇ!!」


 そう叫ぶポン引き頭の顔には、悲壮感しかなかった。


「そ、そうだ! 俺が居たギャングの情報を教える! だから──!」


 精一杯の哀願に、しかしフードの男は煩そうに口元を歪めた。


「必要ない」


 まさかこうまであっさりと拒絶されるとは思わなかったのか、ポン引き頭が一瞬だけ絶句する。


「ま、待ってくれ! いや待ってください! お願いだから、俺の話を聞いて──」

「だから、必要ないと言っている。お前の情報など、俺たちの『遊び』には何の役にも立たん」

「い、いや、役に立つ! 絶対に役に立つ情報があるから! だから、な? な?」


 ただただ終わりのない拷問を避けたい一心で、ポン引き頭は哀願する。

 もはや当初の威勢など、何処にもなかった。


「勘違いしているようだが、お前の価値はその身体だけだ。

 どれだけ『おもちゃ遊び』に耐えられるか、どんな声で泣いてくれるのか、実に楽しみだ」

「ま、待ってくれ!

 はっ!? そ、そうだ!

 お、俺よりタフな人間を知っている! 俺なんかよりも全然『楽しめる』から! だから俺の話を聞いてくれぇ!」


 全く取り合ってくれないフードの男に、ポン引き頭は額から玉のような汗を、両目からは滂沱のような涙を流しながら、自分が持っている唯一の切り札である情報の有用性を訴える。


「う、うちのギャングには、俺よりタフな奴がいくらでも居る!

 特にうちのボスは、誰よりもタフだ!

 俺なんかよりも、全然楽しめるから! な? な?」


 ただただ終わりのない拷問から逃れたい一心で、ポン引き頭はすべてを差し出す。

 甘い汁をもたらしてくれる組織も、恐れていたリーダーも、躊躇なく売り渡す。


 今のポン引き頭が望むことは、ただ一つ──楽に死なせてくれることだけだ。


「……はぁ、仕方ない」


 もはや焦りと不安のあまり号泣しているポン引き頭に、フードの男は心底嫌そうな仕草でペンチをテーブルに下ろした。


「ならば、先ずは話を聞こうか。全てはそれからだ」


 一月前から楽しみにしていた旅劇団の劇が突然取り止めになった子供のように拗ねるフードの男。

 彼が言った「全てはそれからだ」という台詞に、ポン引き頭は微かな活路を見出す。


 もし、自分の情報でフードの男が気に入るものがあれば、拷問が短縮されるかも知れない。

 そして、気分を良くしてくれれば、楽に死なせてくれるかも知れない。

 そうでなくても、知り合いの誰かをフードの男が気に入ってくれれば、自分の身代わりになってくれるかも知れない。


 そんな願望を胸に、ポン引き頭は知り得る全てのことを話した。

 組織の拠点から構成員の数と役職まで、組織内の金の流れから取引先の名前まで、終いには隠れアジトの場所ですら、彼が知り得ることは、それこそリーダーのお気に入りの女がよく行く飯屋の主人の不倫相手まで、ありとあらゆる情報を吐き出した。

 変態(フードの男)からの拷問を少しでも回避したい、ただその一心で。






 40分後。


「ふむ、情報はだいたい出揃ったな」


 目の前に座るポン引き頭を見下ろしながら、フードの男はそう呟いた。


 ポン引き頭の身体には、傷一つない。

 代わりに、首から上が無くなっていた。


 結局、ポン引き頭の願いは叶ったのだった。


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