82. NP:喜劇『冒険者ギルドでの一幕』
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新加入した冒険者の通過儀礼──「新人脅し」。
ギルドの中央ホールでは今、まさにそれが行われようとしていた。
登場人物は3人。
ランク5冒険者であるグラッド。
そして、先ほど仮登録を終えたばかりの、一組の少年少女。
少年の名はナイン、少女はオルガだ。
仕掛けたのは、先輩冒険者であるグラッド。
洗礼を受けるのは、少年と少女。
いや、この状況では、主に少年の方だろうか。
その光景を、ギルドマスターであるゾエレア・ランゲハーレは面白おかしく眺めていた。
「おい、聞いてるか兄ちゃん!」
まるで氷属性の上級魔法を食らったかのようにフリーズしている少年に、グラッドは脅すように大声で呼びかける。
その声に、少年はビクリと肩を跳ね上げ、すぐに状況を確認するように周囲を見渡した。
周囲に居る冒険者達は皆、これが通過儀礼であることを承知している。
なので、少年たちに加勢しようとする者はいない。
大抵の者はネタバレしないように無表情を作るか、面白そうな顔で事態の推移を見守るだけ。
興味がない者は、端から参加も観覧もせず、完全放置。
残りの者は、野次を飛ばしたりニヤニヤ笑いを浮かべたりして雰囲気作りをしていた。
完全に孤立無援だと分かったのか、少年は額に脂汗を滲ませながらも少女を庇うように立ち、グラッドの脅しに応じる。
「な、なんだよ、おっさん。お、俺たちに、なななんか用か?」
勇ましそうな台詞に反して喋りは噛み噛みだし、声も震えている。
少女を庇うその姿勢こそ天晴だが、腰が完全に引けていて、脚も若干震えている。
完全に「怯える村人」である。
(気概と度胸は……まぁ無くはない、といった感じね)
哀れな少年の反応を冷徹に分析して評価を下してしまうのは、果たして元最高ランク冒険者ゆえの性か、それともギルドマスターとしての職業病か。
(けど、状況判断はまだまだ甘いわね。ギルドの職員を巻き込めば穏やかに済ませられるのに、そこまで思い至らなかったようね)
いくら放任主義で自己責任原則を是とするギルドでも、流石に訴えや被害報告が来れば対応せざるを得ない。
今回のグラッドの行動をそのまま目の前にいる受付嬢に訴えれば、渋々ではあるが、ギルドは調停に入るだろう。
もしこれが本当の諍いなら、グラッドはギルドから大なり小なり制裁を受けることになるので、後にグラッドの逆恨みを受ける可能性は高くなるが、少なくともこの場は穏便に済ますことができる。
最も賢いやり方ではないにしろ、少なくとも今の少年のような喧嘩腰の台詞よりはマシな結果を生むだろう。
「ああぁん!? 誰がおっさんだゴルァ! いいからテメェは黙ってそこの女を寄越しぁいいんだよ!」
案の定、少年の言葉に激高するグラッド。
少年におっさん呼ばわりされて若干傷ついている気配がするが、それでも経験豊富な彼はそれを顔には出さず──背中は若干黄昏れているが──迫真の演技を続ける。
対する少年は、グラッドの怒鳴り声に怯えて肩を竦め、少女を背に庇いながら後退った。
背後に居る少女は、まるで少年の情けない姿に呆れているかのように冷めた眼差しで少年を見ている。
ただ、彼女はギルドに入ってきた時から一貫して無表情だったため、本当にそうかはゾエレアでも判断は付かない。
(少年の方は、実力はともかく内面の評価は及第点をあげてもいいわね。実力不足は目に見えているから、これからの成長に期待、ってところかしら?)
厳つい外見のグラッドに詰め寄られれば、普通の人間は怯えて後退る。
少年がビビるのは、まぁ仕方ないと言える。
ただ、それを鑑みても、少年はあまりにも非力に見えた。
人間の自信は、思考形態と行動習慣に現れるもの。
たとえグラッドが相手でも、多少なりとも腕に覚えがあれば、気後れはするだろうが、あそこまで怯えることはないはずだ。
裏を返せば、今の少年のように怯えるということは、自分に実力が無い──腕に自信がないということの証明でもある。
戦う者の目線が入っていないとは言い切れないが、果物売りのおっちゃんですら気に入らないことがあれば殴り合いの喧嘩をするのだ。
今のままの少年ではあまりにも実力が低く、冒険者としては致命的だ。
脱退勧告を突きつける程ではないが、討伐依頼は確実に受けさせられないだろう。
少女の方はどうかと見てみれば、こちらは全く怯えている気配がなかった。
寧ろ、不自然なほど泰然としている。
まるで絶対に揺るがない何かを秘めているような、時の英雄や叩き上げの権力者のような雰囲気があった。
はて、その「厳つい悪漢など恐るるに足らず」とばかりの揺るぎない自信は、一体どこから来ているのか。
ゾエレアは興味深そうに少女を観察する。
武力?
それはないわね。
少女は「将来有望」ではあるものの、現時点ではか弱い村娘でしかない。
装備らしい装備を持っていないことから、彼女を魔法師などの「武器を持たないクラス」と仮定したとしても、その「村人らしい」乱雑な漏洩魔力から、彼女の魔力制御能力の低さが伺い知れる。
たとえ彼女が現時点で既に魔法師だったとしても、やはりその実力は「村人」の域を出ないだろう。
よって、彼女の自信は己の武力からきている訳ではない。
ならば、権力?
いいえ、それもないでしょう。
確かに、貴族令嬢を彷彿とさせる彼女の立ち振舞はお淑やかで優美だが、村娘の服装を着慣れているその様を見れば、決して高貴な身分を有しているようには思えない。
ゾエレアはその役職柄、貴族や権力者と接触を持つことが多い。
そんな経験豊富な彼女だからこそ分かることだが、少女は「貴族並みに良い教育」を受けてはいても、決して「貴族やその係累」ではない。
たとえ本当に何らかの権力を持っていたとしても、その権能は高が知れいているだろう。
グラッド相手に泰然としていられる根拠としては薄い。
では、武力と権力という人間社会における二大武器のいずれも持たない彼女が、どうしてこうまで落ち着いていられるのか?
首を捻るゾエレアだが、それはすぐに中断されることになった。
事態が動いたのだ。
「お、女を寄越せだと!? じょ、じょ冗談もやしゅみしゃしゅみ言えにょ!」
恐らく少年は「冗談も休み休み言えよ」と言いたかったのだろう。
だが、歯の根が合わない口から飛び出たのは、情けないほど噛み噛みの台詞だった。
周りから小さく失笑が聞こえるが、いずれも性格に難のある冒険者だった。
良識のある者は皆、懸命な少年に称賛の眼差しを送っている。
尤も、彼らにしても多少は笑いを噛み殺している素振りがあるのだが。
「上等だゴルァ! なら、テメェの体で分からせてやんよ!」
何が「なら」なのか分からないが、グラッドは分りやすく指をボキボキと鳴らし、少年に向かって拳を振るった。
どうやら口喧嘩を省いて、直接少年の反抗精神の確認──「理不尽な暴力」のステップに移ることにしたらしい。
軽く突き出す程度で放たれるグラッドの拳。
新人を脅してその根性と素質を見極めるのが目的なのだから、当然威力は怪我をするかしないか程度しかない。
ランク5冒険者としては遅すぎるパンチ。
だが、冒険者になったばかりの新人からすれば、それなりに早い一撃だ。
「え? ──うわっ!?」
驚いた少年が反射的にへっぴり腰で仰け反り、無様に尻餅をつく。
そんな少年の頭上を、グラッドの拳が通り過ぎる。
パンチが空振ったグラッドは一瞬驚き、すぐに「この野郎!」と喚きながら軽い蹴りを放つ。
が、少年は「ちょっわわわ!」と悲鳴を上げながら座り込んだ状態からゴロゴロと地面を転がり、またしてもこれを空振らせた。
お遊び混じりの演技とはいえ、二度も攻撃を外してしまった。
そのことにグラッドは「何故だ?」という顔をしながら、尚も少年に絡む。
地面に転がった少年を掴み上げようと、その手を伸ばした。
が、まるでジャイアントローチのようにカサカサと四肢を動かして這いつくばり逃げる少年によって、その行動はまたしてもや空振りに終わった。
周囲から馬鹿笑いが起きる。
半数は、少年の無様で滑稽な行動に対して。
ここまで「雑魚」を体現する人物は、演劇の中でしか見たことがない。
そして、そんな「雑魚」な行動で3度もグラッドの攻撃を躱したのだから、面白くない訳がない。
下手したら、そこらの喜劇よりもよっぽどユーモラスかもしれない。
もう半数は、本気ではないとはいえ雑魚な新人相手に3度も空振りしたグラッドに対して。
ベテランに数えられる彼がここまでの「不運」に見舞われるのは、中々にないことだ。
そう。
不運だ。
グラッドがこうも攻撃を外すのは、不運の結果だ。
それ以外に解釈の余地はない。
グラッドの実力は、そのランクが保証している。
全冒険者の中でも上から数えたほうが早い彼が、新人相手にこうまで連続で攻撃を外すのは、わざとでない限り、「不運」しかあり得ないのだ。
だから皆、笑わずには居られない。
これぞ喜劇的な展開だから。
ただ、観客からすれば喜劇だが、当事者にとっては悲劇以外の何ものでもない。
それは双方ともに、だ。
「い、いきなり殴るとか、ななな何考えてんだおっさん!」
カサカサと気持ち悪い動きで食堂のテーブルの下まで這って逃げた少年は、涙目でそう喚き立てる。
「こ、こんな事していいと思ってんのか!? 村長に言いつけるぞ!」
まるで子供の喧嘩に出てくる捨て台詞のような言い草に、所々で爆笑が起きる。
なんの後ろ盾もない人間が「こんな事していいのか」と宣うなど、実力主義の中で揉まれ、抗い生きてきた冒険者たちからすれば滑稽でしかない。
しかも、訴える相手が警吏やギルドではなく村長。
この場にいる8割の人間がなんとか笑い声を堪えられたのは、偏に彼ら彼女らの自制力の賜物だろう。
尤も、大半は笑っていないのではなく、口の中で「ぷっくくく」と笑い声を噛み殺しているだけなのだが。
「うるせぇ! 言いつけられるもんなら言いつけて見やがれ!」
顔真っ赤のグラッドが再び拳を握り、少年に殴り掛かる。
メンツを潰された形となったグラッドだが、本気で怒っている訳ではない。
周りに笑われているのは確かだが、それは別に彼の実力に対しての嘲笑ではない。
ただ、彼の「不運」とそれによってもたらされた状況を面白がっているだけだ。
それを分かっているからこそ、グラッドも演技を続けているのだ。
彼の顔が赤い原因は、怒りではなく羞恥。
もしグラッドが本当にキレていたら、少年は瞬きする間に3回は殺されているだろう。
少年がまだ生きているという事実こそが、グラッドが本気ではない証拠なのだ。
幸いなことに、その真っ赤な顔がまるで本気で怒っているかのように見えて、彼の演技により真実味を与えているから、掻いた恥は無駄にはなっていない。
「待ちやがれこの野郎!」
少年が隠れているテーブルをひっくり返し、グラッドは今度こそ少年の襟首を掴んだ。
掴まれた少年は、まるで親猫に後ろ首を咥えられた子猫のように宙吊りになる。
「手間かけさせやがって! オラッ!」
宙吊りになった少年の頬めがけ、グラッドは拳を突き出した。
ゴッ!
今度こそ拳は少年の頬に吸い込まれ、少年は派手に吹き飛ぶ。
「ふんっ! 生意気な新入りが! 身の程を弁えやがれ!」
フラフラしながらもなんとか頬を押さえて起き上がろうとする少年を確認したグラッドは、そんな場違いな捨て台詞を吐いて、元の席に戻った。
たかが「新人脅し」でここまでする必要があるのかと問われれば、答えは「ある」だ。
これから検証するのは、意志の有無。
つまり、理不尽な暴力に屈しない強い心があるかどうかだ。
「ふ、ふじゃけるにゃよ!」
無様に地面にへたり込んでいる少年は、尚も抗議する。
殴られた頬は少し赤くなっているし、膝もガクガクしているし、涙目で声も震えているが、それでも少年は虚勢を張っている。
その様は、「不屈の戦士」というよりは「泣いている負け犬」と言った方がしっくり来るだろう。
だが、その根性は、冒険者としては評価に値するもだ。
泥臭かろうが、無様だろうが、醜かろうが、「折れない奴」であることを示しさえすれば合格なのだ。
「お、おぼぇてりょよ、おっしゃん!」
完全に負け犬の遠吠えだが、それでも少年は毅然と立ち向かおうとしている。
そんな気概と根性を見せた少年に、ついに周囲から「いいぞ!」「ナイス根性だ!」「弱ぇけどな!」といった称賛と共に、大きな拍手が送られた。
突然の展開にポカーンとする少年。
人垣から重装甲を着た柔和な顔の男が出てきて、呆然としている少年に肩を貸した。
「すまないね、うちのリーダーが」
そう言って、グラッドのPT「神雷鉄鎚」の一員である重戦士の男が、少年に種明かしをした。
自分たちのPTのこと。
慣習である「新人脅し」のこと。
そして、グラッドの行いのこと。
「私も登録初日にやられたよ。尤も、私は君みたいに身軽じゃなかったから、結構ボコられたけどね」
少年の「幸運」とグラッドの「不運」を「身軽」というオブラートに包んで話す男。
種を明かされた少年は、「……なんだよ、負け確定の強制イベントかよ……」と肩を落とした。
決闘の賞品のようになっていた少女が、横から少年の腕を突く。
その眼差しは、心做しか呆れているように見えた。
それからは騒動もなく、話も丸く収まった。
ムッツリとしているグラッドが赤い顔でボソリと「……悪かったな」と少年たちに謝り、周囲から爆笑を引き出した。
それを受け、少年が実は「将来の保険のため」に冒険者になることを仄めかしたのであって決して「本当に冒険者になりたかった」わけではないことを白状。
それを知った「神雷鉄鎚」の面々は、再度少年たちに謝罪し、何かあれば自分たちを頼れと支援を約束した。
そうして両者は禍根なく和解し、一件落着と相成った。
不屈の根性を見せた少年と揺るがぬ度胸を見せた少女には、冒険者たちから惜しみのない称賛が送られ、「新人脅し」の合格とギルド加盟への歓迎が言い渡された。
尤も、冒険者になる予定が未定な少年少女からすれば、合格したところでメリットはないのだが。
最後に、グラッドが騒がせた詫びとして、この場にいる全員に一杯奢ることとなり、ギルド内に笑声と歓声が響き渡った。
冒険者ギルド・フェルファスト支部にて起きたこの一連の騒動は、少年が苦い顔、少女がジト目(少年に対して)、そして途中からいなくなったチンピラ三人組以外の全員が笑顔、という結果を以て幕を閉じたのだった。
ただ一人、
二階から観劇をしていたゾエレアを除いて────




