81. NP:冒険者ギルドの日常
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冒険者ギルドの歴史はとても古い。
その起源は、5000年以上前に存在した「古代アメイリア文明」時代にまで遡ると言われている。
世界最古にして世界最大の組織の一つとして、冒険者ギルドは今も尚、運営を続けている。
結成当初の冒険者ギルドは、ただの互助会だったという。
その成り立ちには、当時の時代背景が大いに関係していた。
古代アメイリア文明末期、戦乱や天災、政治闘争や腐敗など、様々な原因によって国家は衰退し、行政は機能不全に陥っていた。
インフラなどの民生に関わる全てが放り出され、民衆は自助努力のみによって生活を成り立たせている状態だったという。
そんな折、まともに機能しなくなった行政を見限った一部の行商人と旅人が資金を募り、「旅人互助会」という組織を結成した。
互助の内容は「街道の経路確保」と「都市間移動中の安全確保」。
設立した目的は、自分たちがこの荒れた世でも安全に旅ができるようにすること。
これが後の冒険者ギルドの原型となるわけだが、この時の「旅人互助会」はまだ加盟人数が少ない、民間の零細組織に過ぎなかった。
時代が進み、古代アメイリア文明が滅亡すると、民衆の生活は更に困窮することになった。
超大国や巨大国家群が軒並み瓦解・消滅したことで、各地で小国が乱立するようになり、互いに覇権を争う戦国時代へと突入した。
そして、為政者たちは戦争に明け暮れ、魔物の駆除や旅路の安全確保といった民間事業を殆ど気にかけなくなったのだ。
そのせいで、辛うじて人の管理下にあった農地は瞬く間に大自然に飲み込まれ、中規模に満たない交易路は魔物が跋扈する魔境と化していった。
物流は停滞し、人の流動もストップ寸前という状態まで陥ることとなった。
栄華を極めた文明は、こうして急速に衰退していったのだった。
ただ、文明は衰退しても、人間はまだ滅んではいない。
人が生きている以上、魔物の駆除や街道の安全確保は必要不可欠なこと。
行政側が放置しているからといって、そのままでいいわけがない。
──国がやらないのであれば、自分たちでやるしかない。
当時の「旅人互助会」は、この自助努力の精神をスローガンに掲げ、活動範囲を拡大させていった。
彼らは、傭兵を雇って街道を闊歩していた魔物たちを駆逐し、護衛を引き連れて都市間を移動した。
同時に、商人を同行させて商品を運び、物流を再開させた。
物流が復活すると、今度は商人たちと協力して地方の権力者と交渉し、法の整備を始めた。
こうした活動によって、各都市間の接続は復活し、人間社会の衰退に歯止めを掛けることができたのだった。
その功績は、民間・行政に関わらず広く知れ渡り、「旅人互助会」への加入者は急激に増加した。
それに伴い、「旅人互助会」は組織改革と業務内容の拡大が行われ、現在の冒険者ギルドの雛形となった。
創設から5000年余り。
現在の冒険者ギルドは、世界を股に掛けた一大組織へと成長を遂げていた。
冒険者ギルドは、現在では製造・再現が不可能となった古代アメイリア文明の遺物を多数保有している。
それらを駆使することで、すべての支部間で情報を時間差なしで共有することができるため、冒険者ギルドでは「どの支部からでも同一のサービスが受けられる」という先進的すぎる機能を提供している。
こういった「国家でも不可能」なことを実現しているからこそ、冒険者ギルドは世界最高のギルドの一つとして、世界中に認められているのだ。
組織が大きくなれば腐敗が進むのが常だが、幸いなことに、冒険者ギルドは誕生した時代が良かった。
世界中で国家が崩壊していた当時、政治の腐敗は人々を苦しめる最たるものだった。
そんな環境で結成された冒険者ギルドは、こと腐敗に関しては過剰なまでに敏感だ。
組織のトップであるギルド総長を含め、役員と職員には徹底した監査が行われ、神経質なまでの不正防止策が取られている。
そのおかげで、少数の個別事案を除いて、冒険者ギルドが組織ぐるみで不正を働いたことは、創立以来、一度たりともない。
ここまでクリーンな組織は、この世界では他に類を見ないだろう。
このことも、冒険者ギルドへの世間の信頼が厚い理由の一つだ。
そして、ここ冒険者ギルド・フェルファスト支部も、そんな冒険者ギルドの例に漏れず、今日も盛況を誇っていた。
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冒険者ギルド・フェルファスト支部の支部長であるゾエレア・ランゲハーレは、署名した書類をトレイに入れ、固まった身体を解すために軽く肩を回した。
冒険者の殆どは脳筋だが、ギルド職員も同じという訳にはいかない。
寧ろ、脳筋の集団を統括管理する組織だからこそ、管理層は頭脳労働を要求される。
依頼書の作成や売買物の査定、関係各所との交渉や折衝、組織運営に必要な業務連絡や会計などなど、頭脳を要する事務仕事は挙げ始めたらきりがない。
そのため、ギルド職員には何よりも高度な事務能力が要求される。
ゾエレアのように支部長ともなれば、意思決定や認証業務のような非肉体労働の方が圧倒的に多くなる。
なかなか取れない肩こりに眉を潜めながら、ゾエレアは首筋に手を伸ばして解すように揉む。
事務仕事のせいというのもあるだろうが、このしつこい肩こりの最大の原因は、恐らくこの豊満すぎる双丘にあるだろう。
抜群のスタイルの代償としては軽いかも知れないが、鬱陶しいと感じる時が多いのもまた事実。
もっと胸にボリュームが欲しい女性から殺意が飛んできそうな感想だが、実際に困っているのだから仕方がない。
人の悩みはそれぞれなのだ。
そういえばもう長いこと討伐に出てないわね、とゾエレアは銀色の長髪を掻き上げ、己の激しくも楽しい半生を振り返る。
ダークエルフ族であるゾエレアが言う「長いこと」は、実際にとても長い時間を意味する。
遡るのであれば、彼女が冒険者を引退した時──50年以上も前になるだろう。
ゾエレアは、ランク8冒険者だった。
当時、中央大陸で18人しかいない最高ランクの冒険者の一人ということで、彼女は人々から傳説のように語られていた。
誰に付けられたのか、【黒魔闘姫】などという小恥ずかしい二つ名で呼ばれていたことも、今では苦々しくも愉快な思い出である。
そんな彼女も、色々あって50年ほど前に冒険者を引退した。
そして、それなら丁度いいと当時の支部長から後継者になることを望まれ、成り行きでギルド職員になり、次の年で支部長に就任した。
それからというもの、めっきり現場には出なくなっていた。
鈍らないように毎日鍛錬はしてるけれどそろそろ現場にも出なきゃね、とゾエレアは窓から差し込む陽光に目を細める。
夏の日差しが、彼女の滑らかな褐色の肌に落ちて、美しい艶を作る。
ゾエレアの実年齢は148歳。
エルフ族と同じように300年〜500年という寿命を持つダークエルフ族にとっては、謂わば「三十路」を少し超えた年齢だ。
人族ならちょうどお肌の曲がり角になる年齢だが、ゾエレアの美貌に陰りはない。
寧ろ、女盛りである今だからこそ溢れ出す成熟した女性の色香が、彼女の魅力をより強く引き立てている。
普段から着ているスリットの深いイブニングドレスのような服装も合わさって、より蠱惑的で扇情的な雰囲気を漂わせている。
そんな色気ムンムンな彼女の男性人気が低いはずもなく、極一部の「若者好き」な趣味の持ち主を除き、多くの男性から想いを寄せられている。
尤も、元ランク8冒険者である彼女に言い寄るような猛者は、ほぼ皆無なのだが。
ゾエレアは休憩を入れるために執務室を離れ、階下へと向かう。
吹き抜けの中央ホールの二階まで降りると、そのまま手すりに寄りかかり、中央ホールを眺める。
ギルドは今日も盛況で、寧ろ盛況すぎて煩いくらいだが、ゾエレアは少しも不快に思わない。
これこそが冒険者のあるべき姿であり、冒険者ギルドの日常だ。
特に、最近は魔物の大移動のせいで、冒険者たちはとても忙しい。
稼ぎ時を逃すまいと、皆が皆、依頼消化に必死だ。
いつもの日常がいつも以上に騒がしくなるのは当然と言える。
冒険者達が稼ぎ、笑い、騒ぎ、健やかに日々を暮らす。
それは、冒険者だったゾエレアからすれば嬉しい光景だ。
まぁ馬鹿はもうちょっと減ってくれた方がありがたいのだけれどね、と思うが、決して声には出さない。
ふと、階下を眺めるゾエレアの金色の瞳に、一組の男女が映り込む。
年若い少年と少女のペアだ。
なぜ注意を引いたのかは不明だが、ゾエレアは思わず二人を観察した。
少年の方は、外見からして人族で、年齢は17歳前後だ。
容姿は美しくも醜くもない、まさに平々凡々といった風情。
遥か東方にある島国に特有の、黒髪と黄色い肌と平たい顔をしている。向こうからの渡来民はそれほど多いわけではないので、恐らく先祖にその血が混じっていて、彼の代でその特徴が強く出たのだろう。多少珍しくはあるが、珍獣という程ではない。
格好こそ何処からどう見ても村人だが、農民にしては細身な体型をしている。どう見ても力仕事には向いていなさそうなので、村では色んな意味で苦労していることだろう。
足さばきや身のこなしは、完全にド素人のそれだ。武術の心得など皆無。漏洩魔力の少なさから、魔力も殆ど有していないだろう。
非力という言葉が似合う、よく言えば柔和で涼しげ、悪く言えば頼りなさそうな少年である。
一方、少女の方だが、こちらは見識の広いゾエレアから見ても「絶世」と呼ぶに相応しい美貌の持ち主だった。
均整の取れたスタイルと品の良い佇まいは美しいの一言に尽き、大人の女性であるゾエレアをして感嘆させるものだった。好色な権力者に出遭えば、間違いなく大変な展開になるだろう。
その紫色の瞳から、彼女がデウス族であることが分かる。紫色の瞳は他の種族にはないからだ。
年齢の判断が難しい長命種族は、耳のハリ・ツヤと角度を見れば大凡の年齢が分かると言われている。少女の場合、そのシワのない瑞々しい耳元と、ピンと上向いた耳輪の角度から、同行者の少年と同じくらいの歳であると推測できる。
身のこなしは、村娘にしてはおしとやかだが、やはり武の心得は皆無。漏洩魔力は中々の量で、デウス族の例に漏れず、訓練すれば優れた魔法師になれるだろう。下手をすれば、隣りにいる少年よりも戦闘の素質があるかもしれない。
その美貌と気品と魔力を兼ね備えた、何処に行っても歓迎されるだろう魅力的な少女である。
見れば、少年と少女は辺りをキョロキョロした後、一直線に登録カウンターへと向かった。
恐らく、身分証を得るために来たのだろう。
初めて都会に来る村人には珍しくない行動だ。
二人の仮登録は、恙無く進んだ。
少年が「本格的に冒険者になることも考えています」と答えたことには少々驚いたが、人の考えはそれぞれだ。
現段階でゾエレアが口出しをする道理はない。
そうやって何とはなしに二人の仮登録を眺めていたゾエレアだが、そろそろ仮登録も終わりというタイミングで、二人に向けられた嫌な視線に気がついた。
食堂で酒を飲みながら屯している三人組だ。
問題行動が多いことで有名な底辺冒険者PTで、名は「ヒットワンダー」。
事件とも言えないような些細な悪事ばかり働かく、その辺のチンピラと何ら区別がつかないような連中だ。
大事は絶対に起こさないので、彼らに関しては「やり過ぎない限り放っておく」というのがゾエレアとギルドの判断だった。
気に入りはしないが、荒事も多く取り扱う冒険者ギルドにはこういった連中がとても多いので、いちいち取り締まっていてはきりがない。
ゾエレアも、チンピラ三人組の動向を見張りはするものの、別段手を出そうとはしなかった。
少年と少女が仮登録証を仕舞い、ギルドを後にしようとする。
それを見ていたチンピラ三人が、ニヤニヤしながら立ち上がろうとした。
その直前──
「よう、兄ちゃん。いい女連れてるな。ちょいと俺にも貸しちゃくれねぇかぁ?」
別のテーブルに座っていた厳つい顔をしたスキンヘッドの大男が、大声でそう言いながら立ち上がり、少年たちの方にのしのしと歩いていった。
ああ、またか……。
ゾエレアは呆れとも感心ともつかない苦笑いを浮かべる。
大男の名はグラッド。
ランク5冒険者PT「神雷鉄鎚」のリーダーで、態度は悪いが面倒見がいいことで知られている、ギルド有数のお人好しだ。
そう。
彼は面倒見のいいお人好しなのだ。
グラッドのセリフと態度はゴロツキそのものだが、その行動のタイミングは絶妙だった。
チンピラ三人組が動き出すギリギリを見計らい、自身が三人組の代わりに先に少年たちに絡むことで機先を制し、見事三人組の愚行を未然に防いだのだ。
流石はベテラン冒険者である。
他にもっといいやり方もあるだろうに、と思わなくもないが、あの男はあの歳と図体で極度の恥ずかしがりなのだ。
称賛を素直に受け取れない面倒くさい性格だから、いつも露悪的な言動を取る。
その結果、いつも悪者のように見えてしまう。
今回も、彼の悪い癖が出た形だ。
グラッドのゴロツキのような絡み方は、彼なりの優しさから来ている。
受け側からすれば完全にイチャモンを付けられていると思ってしまうが、その本質は思いやりなのだ。
この奇妙に聞こえるロジックは、全て冒険者という職業の伝統文化に由来している。
冒険者稼業は、完全実力主義だ。
実力がない者はすぐに死ぬ。
そこには慈悲もやり直しも存在しない。
小さなミス一つでPTが全滅し、僅かな躊躇で街が滅ぶ。
余計なものを許容する余地など微塵たりともない職業なのである。
そんな厳しい稼業だからこそ生まれた慣習がある。
それが、冒険者の間で行われる「新人脅し」というイベントだ。
冒険者登録したばかりの新人を先輩冒険者が演技をして目一杯脅す、という一種の通過儀礼である。
標的は、見るからに粋がっている悪ガキか、若しくは明らかに弱そうな懦夫のみ。
脅し方は「不当な要求」と「理不尽な暴力」だ。
一見、悪習にしか見えないこの慣習だが、実はこれには「新人冒険者を篩いにかけることで犠牲を減らす」という意図が含まれている。
冒険者ギルドにはよくイキった悪ガキや半端に腕が立つ素人が登録しにやってくる。
子供間や地元でトップを張っていた彼らは、己の身の丈を精確に測る能力に欠けていることが多い。
なまじ腕に覚えがある──子供同士あるいは地元限定で──ために、彼らはよく無茶な行動をして、その結果あっさりと命を落とす。
実際、慣習ができる前は、新人冒険者の死因の実に5割近くが「無謀な突撃」であった。
自業自得と言えばそれまでだが、ギルド側からすれば将来性のある若者が無為に死ぬことは損失でしかない。
冒険者側からしても、いつか自分たちのPTに入るかもしれない人材、若しくはいずれ一緒に仕事をするかもしれない仲間が無駄死にするのは気分が悪い。
そこで活躍するのが、この「新人脅し」という選別システムだ。
もし脅した新人がそういった身の程知らずの──実力差も考えないで突っかかってくる馬鹿者であれば、そのまま鼻っ面を叩き折って、無茶ができなくなるように……もとい無茶をしなくなるように「教育」する。
乱暴なやり方だが、学のない人間が多いこの世界では、最初からこうした実力行使に打って出なければ誰も話を聞いてくれない。
昭和の肝っ玉母ちゃんよろしく、げんこつによる教育はかなり効くのだ。
次に篩に掛けるのは、軟弱すぎる者。
言い換えれば、冒険者に向いていない人間だ。
脅されただけで簡単に屈服する人間や、やられてもやり返す気概のない人間は、何処にも一定数いるものだ。
「優しすぎる」「平和主義者」といえば聞こえはいいが、要は軟弱なのだ。少なくとも、冒険者の間ではそう判断する。
そういった者が冒険者になれば、逼迫した場面で容易に戦意を失い、判断を誤り、自分だけでなく仲間をも危険に晒すことになる。
一瞬一瞬に命を懸ける冒険者にしてみれば、そんな輩は害悪でしかない。
そのため、この「新人脅し」で気概を見せる気配のない人間には、演技ではない本気の脅しを浴びせ、完全に心をへし折り、そのまま冒険者を止めさせる。
ギルド側も、後に事情説明をし、態度や状況によって脱退勧告を突きつけて不適合者を事前に排除する。
過去には分け隔たりなく登録するようにした時期もあったが、登録した軟弱者のせいでPTの全滅が続出し、果には大規模依頼が失敗して街を危険に晒す事態にまで発展してしまった。
傍からは差別的で横暴極まりない制度に見えるだろうが、こうした「公正に接したが故に起きた惨劇」を見れば、そんな安い義憤も吹き飛ぶというもの。
ことは本人のみならず、他の加盟者にまで及ぶ。
薄っぺらい平等性に意味などない。
真に恐るべきは有能な敵ではなく無能な味方なのだ。
そんな経緯から、ギルドは「新人脅し」における軟弱者排除に関してだけは、協力的姿勢を保っている。
最後に、新人が上記の二種類に当て嵌まらない人間だった場合だ。
絡まれたとしても恐れ知らずに突っかかることはせず、かと言ってやられっぱなしにもならずに、ちゃんと抵抗・反抗の意思を見せるような者であれば、すぐさま種明かしをして、できるだけ穏やかにその場を収める。
実際、9割以上の新人がこれに当て嵌まるので、大抵の場合はみんなが笑って終わる。
見込みがある新人であれば「新人脅し」を仕掛けた先輩冒険者が面倒を見たり、そのまま見習いとしてPTに迎えることもある。
そこまでいかなくても、大抵の場合は交友を深める結果になる。
傍から見た印象がどうであれ、この慣習はきちんと成果を出しているので、とやかく言う人間は殆ど居ない。
グラッドが少年たちにゴロツキ同然の態度を取ったのも、この「新人脅し」が大いに関係している。
もしこれがギルド加盟者でない者、若しくは冒険者志望でない仮登録者のような一般人だったなら、グラッドもチンピラ三人組をコッソリと制するだけで、少年たちに絡むようなことはしなかっただろう。
冒険者ギルドは冒険者同士の揉め事には放任的だが、冒険者がギルド加盟者でない人間と揉めることに関しては超が付くほどに厳しい。
組織としての信用を保つために、ギルド員が外部の人間に迷惑を掛けることを徹底的に阻止するのだ。
そして、仮登録をする者の多くは、本格的に冒険者を目指すのではなく、ただ正式な身分証が欲しいだけの一般人でしかない。
そんな相手に冒険者たちの慣習を適用すれば、ただの恐喝と傷害だ。
規則に厳しい冒険者ギルドでそんな馬鹿なことをする冒険者は居ない。
仮登録の際に受付でわざわざ「将来、冒険者として活動する予定はありますか?」と聞くのも、登録者が「新人」なのか、それとも「一般人」なのかを判断するためだ。
もし、少年が受付で「身分証が欲しいだけで、冒険者になるつもりはない」と明言すれば、彼は「部外者」となる。
そうなれば、チンピラ三人組はギルドの処罰を恐れて二人に手を出そうとは思わなかっただろう。グラッドも、二人を助けるために絡まなかったはずだ。
だが──幸か不幸か、少年は受付で「本格的に冒険者になることも考えています」と言った。
身分証だけが目当ての人間は、冒険者になることを仄めかしたりはしない。
つまり、そう答えた少年はもう「身分証目当て」ではなく、「冒険者候補」なのだ。
身内ならば、遠慮することはない。
そう思ったからこそ、チンピラ三人組は二人にちょっかいを出すことにしたのだ。
冒険者候補ならば、全て「内輪のこと」として片付く。
やり過ぎない限り、ギルドは動かない。
ゾエレアが観察に徹してたのも、これが理由だ。
そして、そんなチンピラ三人組の思惑を見抜いたからこそ、グラッドも動かざるを得なかった。
冒険者候補ならば、「新人脅し」が適用できる。
助けるついでに「新人脅し」も実施しよう。
若しくは、「新人脅し」のついでに助けてやろう。
そうした方が、チンピラ三人組を直接制止するよりも遺恨は少なくて済む。
なんにせよ、優しくも不器用で恥ずかしがり屋なグラッドの、精一杯の手助けである。
今回のことで誰が一番悪いかといえば、間違いなく邪な考えを持っていたチンピラ三人組が一番悪いだろう。
次いで悪習を黙認しているギルドに非があり、最後に不器用な助け方しかできないグラッドが悪い。
だが、今のこの状況を作った根本──最も効力のある言葉は、少年が発した「本格的に冒険者になることも考えています」というその一言なのだ。
冒険者の内情などまったく知らない少年に何かできたとは思わないが、考えようによっては「身から出た錆」と言えなくもない。
さて、どうなるかしらね?
ゾエレアは「新人脅し」にしても臭い芝居を演じるグラッドに苦笑いしながら、少年と少女を眺める。
まるで喜劇の一幕を観るかの如く。




