204. 序章 03:命がけ三男坊は振り返らず
――――― 序章 03 ―――――
ガタガタガタ、と幌馬車が車輪をけたたましく鳴らしながら疾走する。
石や凹凸が多い野道だというのにこの速度である。ボロい車体には大きな負担がかかっているはずだが、御者の顔に焦りや悲壮感はない。馬車が壊れても買い換えられるほどの金を貰っているのか、それとも急いでいる乗客のことを思って損害など度外視しているのか、御者は幌馬車を引く2匹のバーリーホースに向かってその釣り竿のような追い鞭を度々振るっている。
文字通り尻を叩かれたバーリーホースたちはその都度速度を上げ、馬車の揺れを激しくした。
「あとどのくらいで着きそうだい?」
幌の中から若い男性の声で尋ねられ、壮年の御者は振り返る。
「馬を休めながら進む必要がありますので、あと2日は掛かります」
唯一の乗客にそう答えながら、御者はその乗客を見た。
20代後半の、人族の男性だ。
身長は170センチ後半で、痩せ型の体型。ボリュームのある茶髪は後ろに流す形で整えられており、その整った容姿と相まってかなり上品に見える。清潔感のある服装は一見質素だが、実はそれなりに上等なもので、着ている人間の趣味の良さを表している。
厳格でありながら穏やかな文官然とした雰囲気の青年だ。
「もっと速度を上げられればいいのだけれど……」
厳しい表情の青年が独り言のように告げる。
「今は、時間が惜しい」
「心得ております、レイノルズ様。一刻も早く着けるよう尽力いたしますので、レイノルズ様は今のうちにお休みください」
焦りが滲む青年の言葉に、御者は諭すように応じた。
これほどまでに激しく揺れる馬車の中で休むなど、到底不可能だろう。寧ろ、揺れのせいでどんどんと体力が削れていき、最悪、打撲傷や痔ができたりしてしまう。
が、青年──レイノルズがやろうとしている事を思えば、少しでも後に力を残しておいた方がいい。
彼にとっては、目的地についてからが本番なのだから。
◆
地平線の向こうに沈みかけている夕日が最後の一筋の橙光を残す頃。
平原に点在する雑木林の一つで、御者が手綱を引っ張って馬車を止めた。
「もうすぐ夜です。今日はここまでに致しましょう」
「……このまま走ることはできないのかい?」
「夜の走行は非常に危険です。横転の可能性が高いだけでなく、魔物にも襲われやすくなります。何より、バーリーホース達を休ませてやらなければ潰してしまいます」
「やむを得ない、か……」
「今の我々には《光の玉》の魔法を使える魔法師どころか、護衛の一人も同行しておりません。このまま無理をして進んでもいいことは無いでしょう」
「……そうだね、私の我儘だったよ。許してほしい」
「どうか謝らないでください、レイノルズ様。急ぐお気持ちは痛いほど分かりますので」
「ありがとう。すまない」
礼と詫びを言うレイノルズに、御者は感激と共に頭を下げた。
このレイノルズという青年は、一御者でしかない自分の言葉にもちゃんと耳を傾けられるだけでなく、身分や立場に関係なく素直に礼を言える人間なのだ。
世の中、他者の言葉に耳を傾けず、他者の尽力を当たり前と捉える者がどれだけ多いことか。
これだけでも、レイノルズは尊敬に値する人物と言えるだろう。
日没間近の空を見上げると、御者はとても言い難そうに口を開いた。
「あの、大変恐縮ですが……レイノルズ様にも野営のご助力をお願いできないでしょうか? 私だけでは間に合いそうもなく……」
「勿論だよ。私にできる事であれば何でも言って欲しい」
「本当に申し訳ありません。通常であれば日が傾き始める頃には野営の準備に入らなければならないのですが……」
「謝らないでくれよ、ウッセルト。野営が遅れたのは、私が無理に走らせたからだ。ウッセルトに非はないよ」
全ては自分の責任だと述べるレイノルズに、御者のウッセルトは深々と頭を下げたのだった。
夜の帳が降りきった夏の雑木林に、賑やかな虫の合唱が鳴り響く。
幌馬車の側で焚き火を囲むレイノルズとウッセルトは、積んでいた塩漬け肉を焼いて食べていた。
「おお……塩辛いけど、想像以上に美味しいね」
「それは良かったです。急いで出発してきたので大した食料を詰め込めず、今あるものでレイノルズ様のお口に合うものがあるかどうか心配だったのです」
「いやいや、食料があるだけマシというものだよ」
枝を削った串に刺して焼いた塩漬け肉を噛みちぎりながら、レイノルズは嬉しそうに言う。
「バーリーホースたちはどうだい? 彼らの食べ物もちゃんとあるのかい?」
「勿論です。彼らは基本的に草食ですが、立派な魔物です。草や植物の葉でさえあれば、大抵は喜んで食べます。連れて行く先が海や砂漠や荒野のような植物がない場所でさえなければ、食べるものには困りません」
「なるほど。道理でどの国でもバーリーホースを軍馬として採用するわけだね」
「飼料の調達で困らないだけでなく、持久力もありますからね。普通の馬では、今日のような強行軍には耐えられませんでしたよ」
「そうなんだね。彼らには明日も無理をさせることになってしまうから、しっかりと食べてもらって、しっかりと休んで欲しいところだね」
茂る草をのんびりと喰む2匹のバーリーホースを優しい目で眺めながら、レイノルズは堅焼きパンを手で引きちぎって口に放り込む。
それを咀嚼しながら、徐に視線を焚き火の炎へと移すと、レイノルズは次第に表情を険しくしていった。
「……時間との勝負だ。多くの命を救うためにも、しくじる訳にはいかない」
「レイノルズ様……」
決意を秘めたレイノルズの呟きに、ウッセルトは胡座をかいたまま姿勢を正した。
「レイノルズ様が為そうとしている正義、ぜひ私にも協力させてください」
元からレイノルズとはそれなりに面識があったが、彼がやろうとしている事を知った今、すでに心酔したと言っても過言ではない。
「ありがとう、ウッセルト。大変な危険が伴うけど、どうか力を貸して欲しい」
今は一人でも仲間が欲しいとばかりに、レイノルズが意志のこもった眼差しで応じる。
「危険と言いますと……やはり、お父上がレイノルズ様の行動に気付かれた時、でしょうか?」
「父上だけではないよ。兄上たちも、私のやろうとしている事を知れば、必ず阻止しようとしてくるだろう。下手をすれば、兄上たちは私を亡き者にするかもしれない」
「そ、そこまでしますか? 実のご兄弟でしょう?」
「やるよ、兄上たちであれば」
険しい角度に眉毛を傾けるレイノルズ。
その瞳の中にあるのは、果たして非道な兄弟たちへの怒りか、それとも無情な家族たちたちに対する哀愁か、はたまた大義滅親すら厭わない正義感か。
「兎に角、先を急ぐしかない。父上や兄上たちに悟られる前に目的地にたどり着ければ、こちらの勝ちだ」
緊張感を漂わせるレイノルズに、ウッセルトが尋ねる。
「……レイノルズ様は、ご実家からの襲撃があるとお考えで?」
「襲撃…………そうだね、もし私を力づくで連れ帰る行為、もしくは裏切り者として処分するための行動を『襲撃』と捉えるのであれば……ああ、襲撃はあるだろうね、必ず」
「そこまでの強硬手段を……」
「父上や兄上たちからすれば、こんなものは『強硬手段』の内に入らないよ。至極一般的な『常套手段』に過ぎない」
レイノルズが語るその家風のあまりの苛烈さに、ウッセルトは言葉を失う。
肉親を処分してでも守るものとは一体なんなのか、一介の御者でしかないウッセルトには想像すらつかなかった。
だが、ここで怖気づいて引き下がることはできない。
この一行には、多くの人間の命が懸かっているのだから。
「レイノルズ様」
口を真一文字に引き締めたウッセルトが、その日に焼けた顔を近づけるように前のめりになり、レイノルズに言った。
「このウッセルト、命に替えましてもレイノルズ様を目的地までお届けしてみせます」
それが御者でしかないウッセルトにできる唯一にして全ての事なのだから。
「ありがとう、ウッセルト。よろしく頼むよ」
揺らめく焚き火の明かりのもと、二人は頭を下げ合ったのだった。
◆
ガラガラガラ、と疾走する幌馬車がけたたましい音を立てる。
ヒュンヒュンと飛んでくる矢がドスドスと幌に刺さり、そのまま馬車の中にまで貫通してくる。
「ご無事ですか、レイノルズ様!」
頭を低くしたウッセルトが必死に鞭を振るいながら、後ろの荷台に向かって問いかける。
「な、なんとか無事だよ!」
斜めに立てた大きな一枚板の影に隠れているレイノルズが、全身に汗をかきながら応じる。
大きな一枚板は、馬車が地面の凹みや泥濘を無事に通り抜けるために積まれた渡し板だ。荷馬車の常備品で何の変哲もない木製板だが、馬車の重みにも耐えられるようそれなりの厚みがあるため、降り注ぐ矢にもびくともしない。
表面には既に数本の矢が浅く刺さっているものの、その影に隠れているレイノルズは無傷だ。
正面を向いたウッセルトがギリギリと歯噛みする。
「まさか、本当に襲撃してくるとは……!」
昨晩のレイノルズの言葉が思い出される。
「いや、ただの襲撃なんかじゃない……!」
険しい表情で、ウッセルトは吐き捨てる。
「これは──紛れもない暗殺だ!」
肉親の処分も辞さない、苛烈な家風。
それを当然と思う、非道な兄弟。
こんなことが許されていいのか、とウッセルトは鼻頭にシワを寄せる。
多くの命のために動いているレイノルズ様をこのように襲撃するなど、人の心を持っているとは到底思えない。
「レイノルズ様はそのまま隠れていてください! 逃げ切ってみせます!」
ハイヤー、とバーリーホースを駆るウッセルト。
限界まで速度を上げている馬たちは、「ブハッブハッブハッ」と口から激しい吐息を出しながら必死に脚を動かしている。
「うぐっ!」
一本の矢がウッセルトの左肩に刺さる。
幸い、矢の刺さりは浅く、重傷とはなっていない。
だが、このままでは左腕は殆ど動かせないし、長時間放っておいたら傷腐れを引き起こしかねない。
「大丈夫かい、ウッセルト!?」
気遣ってくるレイノルズに、ウッセルトはなんとか「はい!」と返事し、そのまま全速で馬を駆る。
速度を落とせば追手に捕まってしまう。
振り返ってみると、馬車の後方20メートル程の所を、3頭の馬が走っていた。
その背には黒ずくめの覆面男を一人ずつ乗せており、全員が手に弓を握っている。
明らかに暗殺者だ。
「ウッセルト!」
渡し板を引きずったレイノルズが幌の中から出てきて、御者台に座った。
「君もこの下に隠れるんだ!」
レイノルズは渡し板を高めに立て、自分と一緒にウッセルトもその下に入れる。
これで飛んでくる矢はなんとか防げるだろう。
だが、それだけだ。
追手が魔法を使ってくれば、こんな板切れは何の役にも立たない。
「旅を司りし風神よ、我らを導き守り給え……!」
レイノルズはドスドスと敷板に突き刺さる矢の音を聞きながら、祈りの言葉を呟く。
命をかけた逃避行は、まだ始まったばかりだ。
自分たちの未来は、進んだ先にしか無い。
戻る道など、端から存在していないのだから。
なんか第二章よりも長くなりそうな予感……
(; ̄Д ̄)プロット段階で分かる長くなるヤツや
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