177. 帰路、青い青い空は何時しか曇天へ
旅行からの帰り道というのは、少しばかり寂しく感じてしまう。
楽しかった時間が終わるのかという喪失感と、日常に引き戻される倦怠感が相まって、人に哀愁を感じさせるのだろう。
ただ、今の俺からすれば「やっと家に帰れる」という安心感しかない。
なぜなら今回の買い出しという名の遠出は、俺にとってかなり大変だったからだ。
心労も苦労も少なくなかったし、危うい場面も結構あった。
平穏が待っている我が家というのは、今の俺には一刻も早く帰り着きたい場所だ。
平穏ってマジ最高。
フェルファストを発って2日。
俺とオルガはレオポルト8世の歩みに任せてゆったりと帰路についている。
後ろの荷台には買い込んだ修繕用資材がぎっしり詰まっており、今回の遠出の成果の多さを物語っている。
昨日は「ゴールウェイ」という町でオルガさんと一緒に観光し、ショッピングを楽しんだ。これはずっと宿で大人しく籠もってくれていたオルガさんへの償いだ。今回の「コネリーの赤・改」騒動でかなり窮屈な思いをさせてしまったし、観光しながら帰ろうって約束もしてたしね。
おかげでオルガさんはご満悦、目に見えてジト目が少なくなった。
プレゼントに買ったネックレスが効いたのかな?
レオポルト8世のドスドスとくぐもった足音と、資材を満載にした荷馬車のゴトゴト音をBGMに、御者台の上で揺らる俺とオルガは周囲の風景を楽しむ。
四方に広がる平原の風景は長閑そのもの。遮蔽物と呼べるのは所々に点在する雑木林のみ。延々と広がるなだらかな緑のカーペットは真っ直ぐに伸びた一本道と合わさって見る者を悠然とした気持ちにさせる。これで遠くにカラフルな気球でも浮かんでいれば、視力検査機を覗いたときによく見るあの絵の完成である。
都会育ちである俺からすれば、どれだけ眺めても飽きが来ない風景である。
「山が見えてきましたね」
「裏山だな。やっと帰ってきたって感じだよ」
「今日中に着きそうですか?」
「いや。山の先っちょが見えたとは言え、まだ結構な距離があるからな。最速でも明日の昼ってところだろう」
「では、今晩は野宿ですね」
「だな」
時間的な余裕はまだある。
ここは無理をせず、余裕を持って移動したほうがいいだろう。
「ですが、大丈夫でしょうか? 一雨来ますよ、あれは」
東の天際に見える灰色の雲を見ながら、オルガが言う。
「しょうがないよ。これまでみたいにレオポルト8世をブーストさせて早く走らせたりしようにも、もう村が近いから出来ない。空を飛んで行くのも、万が一俺達が変なところから湧いて出てくるのを誰かに見られたら説明のしようがないし、轍がないのは不自然が過ぎるからね。ここはもう雨に降られること覚悟で地道に進むしかないだろ」
「雨具の用意はありますが、資材のことを考えると降られるのは好ましくありません」
一応、俺とオルガは毛皮を縫い合わせて作った雨合羽を持って来ているので、雨に降られてもそこまで濡れることはないが、後ろの荷台は別だ。
幌がないので、荷台は常に野晒し。雨の直撃を受ければ、即座に荷物が丸洗い状態になってしまう。
運んでいるのが野菜とか石材とかなら濡れてもまだなんとかなるが、生憎と今積んでいるのは建築用の木材だ。濡れたら品質がガタ落ちしてしまう。
出来ることなら濡らしたくないと考えるのは当然だろう。
「大丈夫。いざとなれば魔法で雨を弾くから」
「それだと不自然に思われませんか?」
「雨宿りしてたことにすれば無問題ネ!」
「なんですか、その怪しげな東方大陸訛りは……」
まぁ、村を離れて以来ずっと快晴でいてくれたわけだし、これも旅の醍醐味ということで。
◆
次の日。
最後の野宿を終え、俺とオルガは朝を迎えた。
見事に降りましたよ、雨。
しかも結構な土砂降りです。
前が見えづらいよ……。
昨日は昼間にオルガと東の空に曇天を見たけど、結局昨日は降らなかったんだよね。
それが、日が登ってきたらいきなりの傾盆大雨ですよ。
もうね、集中豪雨かってくらいに勢いが激しい。
まいったね、こりゃ……。
この調子なら、村のみんながやってる畑の修復作業も難航しちゃうな。
「貴方が怪しげな魔法を使えてよかったです」
雨ざらしにも拘わらずカラッカラに乾いている荷台を振り返りながら、俺を褒めているのかディスっているのか分からないコメントをくれるオルガ。
怪しげって……俺が使ってる魔法は、大体が生活を便利にする「いいもの」だよ? 少なくとも、お前の前で使っているものはね。
魔法は平和利用してこそなんぼ。俺も師匠も、それこそが魔法使いのあるべき姿だと思ってるからね。
だから荷台の雨を弾くために掛けた5次元魔法《撥液》は、決して「怪しげな魔法」なんかじゃありません。
「まぁ、あと2〜3時間もすれば村に着くから、もう少しの辛抱だよ」
この辺りはもう村にほど近い。通称「西の平原」だ。
俺もよくこの辺りで狩りをしているから、それなりに見知っている。
「寒くないか、オルガ?」
「大丈夫です」
雨音が煩いので少し声を張り上げると、オルガも同じように少し音量を上げて答えた。
もう夏もすぐそこだが、この辺りは島国の日本と違って比較的気温が低い。朝晩はまだまだ冷えるし、雨が降ると更に気温は下がる。
まぁ、世界各地で38℃を平気で超えるなんてのは、現代になってからのことだからね。100年ほど前は27℃くらいが夏の平均気温だったらしいし、それ以前はもっと涼しかったらしい。
そりゃあ、「身体を冷やすな、温めろ」って執拗に諭してくる中医学が現代人に合わなくなるわけだ。生み出された当時は気温が全体的に低くて夏でも身体を冷やして病気になることが圧倒的に多かったけど、現代は猛暑がデフォルトだからね。真夏に冷水を飲むな熱々のお茶にしろとか、熱中症で死ぬがな……。
ちょっと話が逸れたが、中世の地球に似たこの世界も、平均気温が比較的低めらしい。
ピエラ村の皆によれば、冬の気候はそれなりに厳しいらしく、秋冬以外でも冷害がそれなりに発生するとのこと。冬でも樹々が枯れないから大丈夫だろうと越冬の準備を怠ると、あっさりと凍死してしまうらしい。
今も、朝方に降り始めた雨のせいで気温が下がっている。
本当は《遮断型極限環境対応領域》という5次元魔法で快適に進むことも出来たのだが、もう村も近いので、今は周囲に疑われないように魔法を切っている。
なので、彼女が冷えていないか心配だったのだ。
「雨合羽があるので、寧ろ少し暑いくらいです」
ああ確かに、この毛皮の雨合羽、めっちゃ厚くて暑いもんね。そのくせそんなに雨を弾かないし、重くて獣臭い。
防寒にはいいかも知れないけど、雨合羽としての使い心地はイマイチだ。
見上げれば、何処までも続く曇天。
この数日の青い青い空が嘘みたいである。
泥濘んでるだろうなぁ、村の道。
これからも雨が降ることを考えると、なんとかした方がいいかも知れない。
こうなったら、砂利でも敷くか?
それだけで歩き心地が結構違ってくるからね。
でも、砂利なんて何処から持ってくればいいのか……。
それに、そんな大事業、俺だけじゃ無理だろうし。
と、そんなことを考えていると、遠くから聞き覚えのある遠吠えが、微かに聞こえてきた。
「あれは……ジャーキーか」
雨音のせいで聞き取りづらいし、姿も見えない。
ただ、なんか鳴き声が切羽詰まってる感じがする。
「急ごう。何だか嫌な予感がする」
「何かありましたか?」
どうやら、オルガにはジャーキーの鳴き声が聞こえていないらしい。
「ジャーキーだ。遠くで鳴いてるみたいなんだけど、なんか焦ったような鳴き方をしているんだ」
あのジャーキーが遠吠えを上げるなんて、滅多にないことだ。
早く確かめに行ったほうがいいだろう。
「そうですか。分かりました、急ぎましょう」
すぐに了承を示すオルガ。
もう村からそんなに離れていないので、何かあったら一大事だ。彼女も心配なのだろう。
変な胸騒ぎを覚えながら、俺はレオポルト8世を駆けさせた。
⊂⌒~⊃。Д。)⊃これでようやく天気描写の暗喩と伏線を回収できる……。




