171. NP:The wirepuller
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閉め切った磨りガラスの窓から、薄ぼんやりと光が差し込む。
ここは密輸専門の闇組織「巾着鼠」のアジト、その応接室。
一般住宅のリビングにしか見えないその部屋の中央には、三人掛けと一人掛けのソファセットがソファテーブルを囲う形で置かれている。地面にはカーペットが敷かれており、なかなかに居心地がいい内装となっている。
三人掛けのワイドソファの中央には髭と眉が白くなった老人が座っており、側には杖が立て掛けられている。
老人はテーブルに置かれたティーカップを持ち上げ、先ず鼻でお茶の香りを楽しむ。
遥か南方の大陸から密輸してきた、この領の領主ですら持っていない逸品だ。ざっと計算すれば、このカップ一杯で平民の年収が吹き飛ぶだろう。
老人とて、こんな高価な品を普段から飲用しているわけではない。
これは謂わば、験担ぎなのだ。
この茶葉の名は「幸厄操茶」。もともとは別の名が付いていたらしいが、その希少性から手に入れた者には多大な幸運が訪れると同時に悪運も呼び寄せることになるため、いつの間にか渾名の方が本名に取って代わってしまったそうだ。
ただの希少なお茶が、いつの間にか飲むとご利益がある「願掛け茶」となったのだから、世の中わからないものである。
願いを込めながら、老人は淹れたてのお茶を啜る。
験担ぎなど柄ではないが、今回ばかりは願いが特殊すぎる。こんな無いと分かりきっている迷信に頼らざるを得ないほどには、叶えるのが難しい。
こってりと熟成されたまろやかな口当たりと植物感が強い青い味わいに、老人は思わずそのスカイイーグルのように鋭い目を満足気に細めた。
高いだけあって、なかなかに良い味だ。これで健康にも良いというのだから、際限なく値段が上がっていくのも頷ける。
「あら。いい時に来れたみたいね」
一人しか居ないはずの部屋に、突如として女性の声がした。
この家の周辺には凄腕の見張りが何人も居るし、隣の部屋には手練の護衛が複数人待機している。だというのに、それらが一切反応していない。
その事実が、声を発した女性の実力を物語っている。
「それ、幸厄操茶でしょう? 私にも一杯ちょうだい」
遠慮の欠片もないその言葉に、老人はティーカップをテーブルに置いた。
「まさかお主が来るとはのう。冒険者ギルドのマスター殿」
「あら、随分と他人行儀ね。昔のように『ゾエレアの姉御』と呼んでもいいのよ、ラトリウス?」
何処からともなく姿を表した女性──ゾエレアに、ラトリウスと呼ばれた老人は草臥れたように首を横に振った。
「勘弁してくれい、ランゲハーレ殿。その名はもう50年前に捨てたと何度も言うておろう。今はラトじゃ」
「ふふふ。残念ながらどれだけ時間が経とうと、私にとっての貴方は『ランク3の洟垂れ小僧ラトリウス』よ」
「そのランク3というのも、いい加減忘れてくれい。冒険者なぞ、とうの昔に──名を捨てたときに既に辞めておる。だいたい、ダークエルフ族であるお主と比べたら、どれだけ長寿な人族であろうと等しく『洟垂れ小僧』じゃろうて。そうやって年齢でマウントを取るのは、理不尽が過ぎるというものじゃ。というか、このやり取り、もうかれこれ30年はやっとらんかの?」
これだから敵わんとばかりに老人──ラトは、諦めたように溜息を吐いた。
「そうかしら? まぁ、どうせ今じゃあ私達が知り合いということを知っているのはエストの坊やくらいしかいないんだから、呼び方なんて気にしなくたっていいじゃない」
「この領の表社会の顔役であるお主とは違って、儂はこの領の裏社会の顔役じゃ。そんな儂が砕けた態度をしておっては、方方に示しがつかんじゃろ。いい加減に理解せい」
何度も繰り返したやり取りであるだけに、ラトは文句を言いながらも内心ではしっかりと諦めていた。
どれだけ注意しようと、このダークエルフは自分をからかうことを決して止めようとはしない。若い頃にそれなりに世話になっているので、今更関係をリセットすることも出来ない。
この都市の裏社会で顔役をやっている自分をからかうなんてことが出来るのは、後にも先にもこの女しかいないだろう。彼女の「元ランク8冒険者」という名声と実力は、それだけ威力があるのだ。
唯一の救いは、彼女がこうしてからかってくるのが二人きりの時だけ、というところだろうか。
こんな場面を第三者に見られては、自分の面子は丸潰れだ。
それを分かっているからこそ、ゾエレアは二人きりになれるときにしか姿を表さないのだ。それがまた余計に憎らしい、
二人がこうして密会しているのは、表社会と裏社会が衝突しないようにするためだ。
会うのは、領に大事件が起きた時のみ。両者間で情報をすり合わせ、表と裏で誤解を生まないようにする。そして、互いが守るべきラインを制定し、双方でそのラインの遵守を徹底させる。その上で協力できる所では協力し合い、領の安寧を維持していくのだ。
冒険者とならず者は、ある意味で領が荒れれば荒れるほど儲かる稼業だが、ラトもゾエレアもそれを望んではいない。そうして儲けた分、必ず何処かでツケが回ってくることを二人ともよく分かっているからだ。
それを避けるためにも、二人はこうして大事件が起きる度にそれぞれの陣営を代表して密会するのだ。
このことは領主であるエストも知っているし、まだ一度しかないが、彼もこの密会には参加したことがある。
「翁?」
会話音を聞きつけたのか、隣の部屋から20代中盤の女性護衛が入って来た。
が、いつの間にか部屋に居る第三者を発見すると、手首に巻いた極細のワイヤーを瞬時に引き出し、一瞬で戦闘態勢を取った。
「よい。儂の客じゃ」
「……はっ」
ラトの言葉に、糸使いの女性護衛は戦闘態勢を解く。
が、その黒緑の瞳はゾエレアに固定したままだ。
「お主は下がっておれ。儂が呼ぶまで、この部屋には誰も入れるな」
「はっ」
「それと、ここで見たことは全て忘れい」
「畏まりました」
頭を下げ、糸使いの女性護衛は出ていった。
邪魔者が消えたことを確認したゾエレアは、空いている一人掛けのソファに腰を落とす。
ラトは枯れ木のような指でティーセットからカップを取り出し、お茶を注ぐ。
それを受け取ったゾエレアは鼻で香りを楽しみ、口にして満足気に微笑む。
そうして一息ついた所で、二人の雰囲気が急変した。
先程までのお気楽なやり取りは何処へやら、場が一気に緊張感に包まれる。
それが、表社会と裏社会を代表する二人によるトップ会談開催の合図だった。
「それで、何用じゃ?」
「あら、そんなの決まってるじゃない」
「……今回の騒動について、かの?」
「そうよ。あなたが何処まで関わっているのか知りたいの」
お互い、独自の情報網を持つ人間だ。ラトが口にした「騒動」が何を指しているのか、明言するまでもない。
「儂は殆ど関わっておらんよ」
「殆どってことは、少しは関わっているのね?」
根掘り葉掘り聞いてくるつもりらしいゾエレアに、ラトは何処まで話すか一瞬だけ逡巡し、口を開いた。
「……脱出依頼を引き受けての」
「誰から?」
「赤竜組じゃ」
「ああ、あの崖っぷちヤクザね。闇組織にしてはまともな所がある連中だったから、潰れるのは惜しいと思っていたけど」
「儂もじゃ。他の連中と違って、あやつらは領を食い潰すような汚い商売はせんからの」
落ちぶれたとはいえ、古くからあるヤクザだ。ゾエレアでもその存在は知っているし、冒険者たちから上がってくる情報でも彼らの評判は伝わってくる。
「それで?」
「依頼内容は、一組の男女をスラムから脱出させ、赤竜組のアジトまで送り届けることじゃった。男は癖の強い金髪の青年で、名前はサム。女は目付きが悪い少女で、名前はグレタ」
「今回の騒動の中心人物じゃない」
「そうじゃ」
初日に東メイン通りで起きた戦闘は、目撃者がほぼ皆無ということで衛兵隊の調査が遅々として進まなかったが、それは行政側の話だ。
各所に目となる人間を置いているラトは、路地裏に隠れていた乞食の一人からその戦闘の全貌を聞いている。だから、誰よりも早くサムとミモリーとグレタの存在を把握していた。
「とは言っても、儂が関わったのはこの依頼だけじゃ」
そこまで言うと、ラトは眉に隠れたそのスカイイーグルのように鋭い目をゾエレアへ向けた。
「今度はお主の番じゃ」
「何が知りたいの?」
「今回の件、なぜ冒険者ギルドは動かなかった?」
今回のような騒動は、戦力も人員も充実している冒険者ギルドにとって活躍する絶好の場だったはずだ。
冒険者であれば工作員やマフィアの鎮圧は可能だし、人数が多いので人探しもお手の物だろう。
人海戦術による標的捜索なり、検問所を設置しての人員封鎖なり、そういった依頼がギルドに来なかったはずはない。
それなのに、冒険者ギルドは不気味なほどに静かだった。
先ずもって今回の事件には「神雷鉄槌」が関わっている。
街中での戦闘という大事に身内が関与しているというのに冒険者ギルドが一切動かないというのは、あまりにも不自然だ。
それだけじゃない。
当事者である「神雷鉄槌」以外の冒険者が誰一人として関与してこなかったことは、もっと奇怪だ。
先程も言ったように、騒動に関係する依頼はたくさん来ていたはず。それを誰も引き受けないというのは、常軌を逸している。
「それを話す前に、これだけは聞かせてちょうだい」
そう答えたゾエレアは、ラトに見極めるような視線を向ける。
「あなたは今回の騒動、どう思う?」
「どう、とは?」
「何か作為的なものを感じない?」
瞬間、もともと鋭かったラトの眼が更に鋭くなった。
「……そう言うということは、お主も考えておるのじゃな?」
「ええ」
そして、二人は同時に口を開いた。
「今回の件、裏で全てを操っていた人間がおる」
「今回の件、裏で全てを操っていた人間がいるわ」
表社会を知る者と裏社会を知る者、両者の意見が一致した瞬間だった。
「さっきの質問に答えると、冒険者ギルドが動かなかったのは、私が止めたからよ」
真剣な目付きで、ゾエレアが言う。
「東メイン通りで起きたあの最初の戦闘ね……私はギルドの屋上から全て見ていたのよ」
ゾエレアがそう告白しても、ラトに驚きはない。
彼女の実力なら、数キロ先の戦闘を瞬時に感知できても不思議はない。それを数キロ先から盗み見ることも、彼女なら容易だろう。
「最初は、統率の取れた黒ずくめと行儀の悪いマフィアが、どこかのカップルを襲っている程度にしか思ってなかったわ。……だけど、一つ気になったことがあったの」
「ふむ?」
「後から参戦してきたヤクザの動きよ」
「赤竜組かの?」
「ええ。その時は赤竜組だって分からなかったけど……彼らの動きがね、他の連中のようにカップルを狙っているんじゃなくて、全力で守っていたのよ」
「ほう?」
乞食からあらましを聞いただけのラトとは違い、ゾエレアはその戦闘を直接目で見ている。
それに、彼女は戦闘のプロフェッショナルだ。きっと彼女の眼にはラトに見えていないものが見えているのだろう。
「あの動きは、護衛そのものだったわ。最初はカップルが赤竜組の身内だから彼らは守っていたのだと思っていたのだけれど……見ているうちに、カップル片割れがうちのランク5冒険者だと気付いてね。ヤクザと付き合いがある娘じゃないから、ヤクザの行動の動機に疑問を持ったのよ」
「ふむ。確かに、ヤクザが見ず知らずの人間を護衛するのは変じゃのう」
「で、ギルドの前で屯していた冒険者に話を聞いてみたら、うちのギルドの真向かいにある薬師ギルドからカップルが連行されたことが分かってね。気になって、こっそりとゼルスト坊やの会話を盗み聞きしてみたのよ」
「それで新薬の話を知ったわけかの」
頷き、ゾエレアは続ける。
「でも、知れば知るほど、ますますヤクザの動機が分からなくなってくるのよ」
「ふむ」
「新薬を『奪う』というのであれば、まだ理解できるわ。『コネリーの赤』が作れなくなった今、新薬のレシピは分かりやすく利益になるもの。実際、黒ずくめとマフィは奪おうとしていたわけだし。……でも、『奪う』のではなく『守る』理由って、なに?」
自分にはなかった視点に、ラトは唸る。
「それでお主は、ヤクザに護衛を命令した存在がいる、と考えたわけかの?」
「そうよ。新薬のレシピを持っているかも知れない相手を護衛させるってことは、そのヤクザに命令した存在は今回の新薬の件に根本から関わっているってこと。だから私はそいつが事件の裏で全てを操っている黒幕だと考えたの」
「なるほどのう」
だが、それがギルドの箝口令にどう繋がるのかが分からない。
「私が冒険者たちに今回の件に関わらないように言ったのはね、嫌な予感がしたからよ」
「ほう?」
「考えてもみなさい。100年以上も改良が進まなかったポーションの改良品が、この『コネリー難』という新薬の価値が最も高まったタイミングで世に現れたのよ? どう考えても作為的でしょう?」
「確かにのう」
「もしそれが事実なら、その黒幕は100年単位で改良が進まないポーションをいとも簡単に改良してみせるような化け物よ。不用意に関わってギルドにまで害が及んだら、流石に責任取れないわ」
「ふ〜む、お主でもそう思うか……」
ゾエレアをして「化け物」と言わしめる存在だ。勿論、彼女が言っているのは戦闘力のことではないだろうが、それでも目の肥えた彼女がそう評価するのだ。敵に回して得をする相手ではないだろう。
「それに、冒険者っていうのは馬鹿でね。変な欲を出して無茶やる奴が多いのよ。だから、このことを知っている職員には箝口令を出して、依頼の審査も、関連する依頼は全部一時保留にするように指示したの。馬鹿は馬鹿でも、一応はギルドの加盟者だからね、守らなくちゃいけないのよ」
目端が利く冒険者であれば、なにか行動を起こす前には必ず調査を行う。危険性と利益を天秤にかけ、費用対効果を算出し、行動に移すかどうかを決める。
そういった理知的もしくは経験豊富な冒険者であれば、今回の騒動には一切関わろうとしないだろう。色んな闇勢力が総力を上げて奪い取ろうとするレシピなど、地雷でしかないからだ。
しかし残念ながら、そういった敏い者は少数派。大抵の冒険者は利益にのみ眼が向き、判断を誤る。
今回の事件も、馬鹿な冒険者たちが知れば「新薬の利権」という膨大な利益に目が眩み、我も我もと騒動に介入しようとするだろう。
そんな馬鹿な行動がいい方向に転ぶ確率は、何の準備もしないでダンジョン深層に挑んで生還する確率とどっこいどっこいである。
冒険者ギルドは巨大で強大な組織だが、自業自得の加盟員を助けるためにリスクを負う謂れまでは持ち合わせていない。
浅慮な冒険者たちが馬鹿をやらかせば、冒険者ギルドは彼らを切り捨てることになる。
そうならないようにするには、根源を絶つしかない。
つまり、今回の騒動に関する情報を全て封鎖し、端から冒険者に知られないようにするのだ。
それでも賢い者はギルドの雰囲気からなにかあると感づくだろうが、彼らはそれが何か探ろうとしないだろう。賢いが故に、ギルドが訳もなく情報を封鎖したりしないと知っているからだ。隠蔽するということは知られると害悪になるということであり、逆に言えば、隠蔽内容を知った人間はヤバいことになるということでもある。雰囲気だけでギルドの変調を察知するような者が、そんな地雷原に足を踏み入れるはずがない。
この情報封鎖は、謂わば愚者たちのための予防措置なのだ。
「なにより、半端に関わって変に拗れたら、新薬のことがおじゃんになっちゃうかも知れないじゃない? 折角『コネリー難』がなんとかなりそうなのに、馬鹿たちにかき回されちゃ敵わないわ」
冒険者を抱える冒険者ギルドは、販売元である薬師ギルドと並んで「コネリー難」の煽りを多く受けている組織だ。
このままでは冒険者が領を離れていくのは目に見えているし、実際その兆候は既に出始めている。
だから、ゾエレアも新ポーションには期待していた。
「なら、なぜお主が直接出向いて新薬を確保しなかったのじゃ?」
「そこまで自分の実力に溺れていないわよ」
ラトの当然な質問に、肩を竦めるゾエレア。
「つい最近、世の中が結構広いことを改めて思い知ってね。ただ私達がちゃんと見ていないというだけで、化け物というのは案外至るところに居るものなのよ」
思い出されるのは、冒険者ギルドに仮登録しに来た少年のこと。
ラトは何のことか分かっていない様子だが、あの世捨て人のような眼をした少年と出会った後では、自分の実力に絶対の自信などとてもではないが持っていられない。
あの少年がこの先、自分のように経験を積めばどうなるか、ゾエレアは考えただけで末恐ろしさを禁じ得なかった。
強者同士の衝突は、ときに災害を招く。
もし自分が変に出向いてあの少年のような在野の士に当たれば、この街が更地に変わる恐れすらある。
安易な手出しは憚られた。
「まぁ、流石にうちのギルドの側で呪詛爆発なんて起こされたらたまらないから、最後にちょっとだけ介入しちゃったけれど」
サムたちとは徹底して距離を置いていたゾエレアだが、最後だけは冒険者ギルドにも直接的な被害が及びそうだったので、やむを得ず手を出した。
結果的にそれであの場に居た全員が助かったのだから、介入の判断は正解だったと言える。
自分の話は終わったと言わんばかりに、ゾエレアは微温くなってしまったお茶を口にする。
「……儂が影で全てを操っている存在に気付いたのは、お主同様、赤竜組が切っ掛けじゃった」
微温い茶を一口含んでから、ラトは続けた。
「渦中の二人に、本人たちからではなく第三者から脱出依頼が来たのじゃ。赤竜組が今回の事件に関わっているのは確定しておった。……じゃが、問題はその依頼の人選じゃった」
「人選?」
「さっきも言ったがの、脱出依頼の対象はサムとグレタじゃった。サムとミモリーではなく、の」
赤竜組が参戦したあの東メイン通りでの最初の戦闘。
あの場での戦いの中心はサムとミモリーであり、グレタは謂わばランダムな事件に巻き込まれた通りすがりの人間だ。
赤竜組にとっては、サムとミモリーを守る理由はあっても、無関係の通りすがりに過ぎないグレタまで守る理由はないだろう。
「では、赤龍組はグレタのことを知っていた、ということ?」
「それしか解釈はなかろう。じゃが、それが問題なのじゃ」
「どうしてかしら?」
「グレタにはよく小さな仕事を卸していたからそれなりに知っておるがの、あやつにはヤクザとの伝手などない。じゃから、赤竜組が脱出依頼にグレタの名を含ませた時点で、グレタが赤龍組にとってそれなりに重要な客人じゃと分かった」
スラムの住人など、ヤクザからすればゴミも同然だ。わざわざ大金を払ってまで救う価値など無い。
サムと一緒に脱出対象に指定したということは、それだけ赤竜組がグレタを重要視しているということ。
「それがどう黒幕に繋がるの?」
「グレタはの、事件の直前で一つの仕事でしくじりかけたんじゃ」
スラムの住人相手に仕事を斡旋していた部下から聞いた話を思い返しながら、ラトは説明する。
「小さな『荷物』の運送を任せておったんじゃが、報酬をもらいに来た時、一緒に行ったはずの男がおらんかったそうじゃ。報酬の引き渡しをした者の話によると、その時のグレタの態度が不自然じゃったから問い詰めてみたら、男に裏切られたから返り討ちにしたと自白したそうな。それで一人で仕事を終わらせて報酬を受け取りに来た、ということらしい」
まだ話が見えないゾエレアに、ラトは続ける。
「じゃがの……あのグレタに、男を殺す力なぞ無い。どれだけ頑張っても、相打ちが関の山じゃ。それなのに、あの娘は傷一つなく戻ってきおった」
「……つまり、彼女を助けた者がいる、と?」
「それしかなかろう。まぁ、それ自体は細事じゃが、その後の展開が問題じゃ」
ニヤリ、とラトが笑う。
「その荷運びの仕事が終わった三日後に、グレタは大事件の中心人物と行動を共にし始め、更には歴史あるヤクザから脱出対象に指名された」
こんな短時間でこうまで人間関係と行動内容が変わるなど、彼女一人の力だけでは絶対に成しえない。それが出来ていれば、彼女はとうの昔にスラムを脱出していただろう。
偶然巻き込まれのだとしても、逃げ出すチャンスなどいくらでもあるはずだし、それだとそもそも赤竜組が脱出依頼の対象になどしない。
「これだけ条件が揃えば、あの娘の裏に赤竜組を顎で使える何者かがいるのは明白じゃろうて」
「そういうことね」
納得したようにゾエレアが頷く。
「確証を得られたのは、赤竜組から依頼を受けて二人をスラムから脱出させた直後じゃ。赤竜組の組長が会いに来ての。他の闇組織を暫くの間だけ抑えてくれと頼んできおった」
ドラゴニュート族の若き組長を思い出しながら、ラトは語る。
「儂らに借りを作ってまでそんなことを要求する理由なぞ、赤竜組には無いはずじゃ。それなのに頼んできたということは、彼らの裏にいる黒幕殿がそれを望んでいるか、彼らが黒幕殿の意図を汲んで勝手に頼み込んできたかじゃ」
「あら、貴方が『殿』を付けるなんて、珍しいわね」
「ほっほっほ。この領の運命を左右する騒動を裏から操るような存在じゃぞい。儂らのようなチンケな密輸業者が敬称を付けんのは無礼が過ぎるというものじゃて」
「よく言うわよ、この街の解決屋のくせに」
戯けてみせるラトに、呆れたようにティーカップを置くゾエレア。
「その黒幕が具体的にどんな計画を立ててどんなことをしたのかは分からないけど、この順調過ぎる結果を見れば、全て計画通りなのでしょうね」
「じゃろうのう。何処まで見通し、何処まで画策しておったのか……怖や怖や」
「探ってみる?」
「まさか。深淵を探ろうとすれば、必ず深遠に飲み込まれる。黒幕殿がどんな策謀を巡らせているかなど、儂は知りたくもないわい」
命が惜しいからの、と付け加えながら肩を竦めるラトに、ゾエレアは苦笑いを返した。
個人的には調べてみたいが、彼女の勘が大音量で「やめとけ」と叫んでいる。この勘に逆らって良い事態になった試しがないので、ゾエレアは真相究明を適当な所で打ち切ることにした。
彼女とラトがこうして密会しているのは、この領を思ってのこと。つまり、一種の自警活動だ。
そんなボランティアに命を懸けるつもりはないし、そもそもの話、こういった事件の真相究明は領主であるエストの仕事だ。
後は全て彼に任せるべきだろう。
「そろそろ行くわ」
「見送りはせんぞい」
席を立ったゾエレアに、ラトが素っ気なく応じる。
カツカツと鳴る筈のヒールで音もなく歩き、ゾエレアは応接室を後にする。恐らく、来た時もそうやって堂々と部屋の扉から入ってきたのだろう。ただ、その一連の動作が早すぎて、静かすぎて、誰にも察知されなかったというだけのこと。
そんな彼女の背中を、ラトは宣言どおり見送ることなく、湯気が立たなくなったティーカップに手を伸ばした。
高いお茶だ。冷めたとしても、捨てるわけにはいかない。
冷めた幸厄操茶も美味いと気付いたラトがティーカップを空にした頃。
「やれやれ」
一人きりの筈の応接室に突如、聞き慣れぬ声が舞い降りた。
ラトはお茶を注ぐ手を止め、スカイイーグルのように鋭い目をカッと見開き、素早く室内を見渡した。
誰にも気付かずにこの部屋へ入って来れる人間など、ゾエレイアを除いて他には知らない。
ならば、この謎の声の持ち主は一体誰なのか。
「お誘いを受けて来てみれば、まさか目の前で噂話をされるとはな」
そんな言葉と共に、声の主が何もない空間から溶け出すようにラトの目の前に姿を表した。
フードを目深に被った、怪しすぎる人間だ。認識阻害の魔法を掛けているのか、顔は全く見えない。全身を覆うフード付きマントのせいで、年齢も種族も体型すらも不明。喋り方からなんとなく男だと判断できるが、声にブラーがかかっているので確証はない。
「……ほっほっほ」
突然現れたフードの男に、どうやら願掛けは功を奏したらしいと感じたラトが期待するような笑みを浮かべた。
「お誘いを受けて、ということは、伝言を持たせた『神雷鉄槌』とお会いしたのじゃな?」
「いいや。お誘いは赤竜組経由で受け取った」
ラトの中で、予感が確信に変わる。
「お名前を伺っても良いかの────黒幕殿?」
「ヌフだ」
黒幕殿と呼んでも否定しなかった。
決まりだ、とラトは白い口ひげに隠れた口角を吊り上げる。
このフードの男こそ、自分とゾエレアがさっきまで話していた──今回の騒動の裏で全てを操っていた黒幕だ。
「ようやくお目にかかれたのう、ヌフ殿」
嬉しそうに挨拶するラトに、ヌフは構うことすらせず、芝居がかった動きでパチンと指を鳴らした。
すると、ヌフの背後にラトが腰掛けているワイドソファと全く同じものが出現。ヌフはそれに王者の風格を漂わせる仕草で腰掛け、傲慢ですらある態度で足を組んだ。
どうやら話し合いの準備が整ったらしい。
「ヌフ殿は、何時からここにおったのかの?」
興味津々という顔で、ラトは喜々として尋ねる。
「お前に話があって来たところに冒険者ギルドのギルマスが音もなく割って入ってきたから、『最初から居た』ということになるな」
「……ほっほっほ」
自らの動揺を隠そうと、ラトは無理やり笑う。
ゾエレアが居たこの部屋に、最初から居た。
そして、それをゾエレアに最後まで気付かせなかった。
これがどれだけ恐ろしいことか、ゾエレアをよく知っていて、なおかつ自身も元冒険者だったラトは、誰よりもよく理解していた。
ゾエレアは近接格闘を得意としており、その身体能力は驚異の一言に尽きる。
動体視力と知覚能力が群を抜いているため、並の使い手では戦技を駆使しようが魔法を使おうが彼女の探知から逃れることは出来ない。
そんなゾエレアを、このヌフという男は手玉に取ったのだ。
ゾエレアは人外と呼ばれる程に強いが、決して無敵というわけではない。
奇襲を受ければ対応せざるを得ないし、対応が間に合わなければ攻撃を食らう。食らった攻撃が十分強力であればダメージを負うし、ダメージが大きければ死ぬ。
ヌフの存在に気づくことが出来なかった時点で、ゾエレアの命はヌフの手の中にあったも同然だ。
そんな相手が、ゾエレアよりも弱い道理などない。
このヌフという男は、間違いなくゾエレアと同等か、それ以上の強者だ。
待ち望んでいた相手にようやく逢えた喜びは勿論あるが、それ以上にヌフに対する畏怖が湧いてくる。
もとから敵対する気などサラサラなかったが、これからは彼の逆鱗に触れないよう更に慎重になる必要があるだろう。
そのためにも、一刻も早く彼の為人を把握しなくてはならない。
そう考えたラトは動揺を無理やり押し込め、戯けるように言った。
「そうなると、儂らの密談は全て聞かれていたというわけかのう」
「目の前で自分の噂話をされるのは意外と気恥ずかしいことだと知った。それが分かっただけでも、あのギルマスに先を譲った甲斐があったというものだ」
「いやはや、悪口など言わんで正解じゃったわい」
「言っていたら、お前を『陰口叩きの洟垂れ小僧ラトリウス』と呼んでいるところだ」
ラトの戯けに軽口で返すヌフ。
そんなヌフを見て、ラトは僅かに口角を上げた。
余裕と傲慢が透けて見える、強者に相応しい態度だ。
どうやら当初の予想通り、一筋縄ではいかない相手らしい。
これは、多少のリスクを犯してでも彼の逆鱗の在り処を探るべきだろう。
地雷に怯えてまともに踏み込めないのでは、交渉など出来はしない。
「それよりも、儂に話があるそうじゃが、早速話してくれんかの、ヌフ殿」
自分で話題を逸しておいて自分で本題に引き戻し、さも相手が話を逸したとばかりに話を急かす。短気な相手であれば「お前がそれを言うか」と不機嫌になるだろう、マッチポンプのような言い回しである。
会話の主導権を握りつつ相手の限界線を探る、ラトなりの話術だ。
「ふむ、いいだろう」
反応を伺うラトに、ヌフは全く気を害していない様子で大仰に頷いた。
空振り……いや、相手がこちらの挑発に乗ってくれていない。
これではヌフが怒りを堪えているのか、それとも本当になんとも思っていないのか、はたまたこちらがミスを犯すまで泳がせているのか、判断がつかない。
どうやら、予想以上に一筋縄ではいかない相手らしい。
「『巾着鼠』が首領、ラトよ──」
どうしようか高速で考えているラトに、ヌフは手下に命令するように告げる。
「赤竜組と協力し、スラムを統括する組織を作り上げろ」
予想だにしていなかった言葉に、ラトは驚きに目を見開く。
が、すぐにスカイイーグルのように鋭い眼光へと戻り、答えた。
「……残念じゃが、儂らは密輸が専門のチンケな集まりでの。スラムを治める程の力はないんじゃ」
これは事実ではない。
巾着鼠がその気になれば、スラム程度を治めることはそう難しくはない。特に、今は何者かによってスラムに巣食っていた邪魔なギャングや暴力団が軒並み潰されている。唯一の障害物すら消えてしまっている現状、スラムを統括するなどもはや容易というレベルですらないだろう。
ラトとしては、ヌフの言うようにスラムを統括するに吝かではない。
そうすることで得られる利益はラトにも見えているし、リソース的にも実現可能だ。
しかし、ここで「はい分かりました」と簡単に頷くわけにはいかない。
ヌフが自分たちにそれをさせてどうするのか、自分たちにどんなデメリットがあるのか、現段階ではまだその一切が不明なのだ。利益にだけ目が行って不利益を見落とすようでは、裏社会では長く生きてはいけない。
それに、メンツの問題もある。
名だたる巾着鼠が交渉もせずに簡単に頷くなど、あってはならないこと。実益云々を抜きにしても、闇組織としてのメンツがそれを許さない。
「なら、お前たちはもう要らないな」
凍てつくような気配と共に発せられた切り捨てるような一言に、ラトは思わず息を呑む。
「使えないものを処分せずに残しておく程、俺はもったいない精神を持ち合わせているわけではない。お前が出来ないと言うのならば、お前ごと巾着鼠を潰して新しく作り変える。手間さえ惜しまなければ、何時でも出来ることだ」
お前たちが生きているのは変えが効かないからではなくただ単に手間だからだ、と言外に告げるヌフ。
傲慢過ぎる物言いだが、ヌフがそれを簡単に為せる強者であることは、既にゾエレアにすら気づかれずにこの場に居たことで証明済みだ。
「お前は勘違いしているようだが、これは別に相談や提案などではない。──命令だ」
「……ほっほっほ……老人に厳しい御仁じゃのう……」
冷や汗を額に浮かべながら、諦めたように項垂れるラト。
この都市の闇組織が相手であれば大抵のことを押し通せる彼だが、今回は相手が悪すぎた。
絶対強者が全てを欲するなら、弱者はただ唯々諾々と全てを差し出すしかない。
そんな弱肉強食の理を、裏社会で半生を過ごしてきた彼は誰よりもよく理解していた。
「心配するな」
ションボリとするラトに、ヌフの声がかけられる。
「これはお前にも利がある話だ」
「……利益、かの?」
「先ずは金だ。スラムを牛耳れば、その利益はまるまるお前たちの手に入る」
巾着鼠は今のままでも膨大な黒字を叩き出しているが、利益が増えるのであればそれに越したことはない。
これまではスラムを治める手間暇とそこから得られる利益が釣り合っていなかったから、スラムの端に居を構えながらも巾着鼠はスラムに深く関わってこなかった。
だが、今は違う。
先程も言ったように、障害は既に誰かの手によって粗方取り除かれている。今ならスラムを治めるためのコストは非常に少なくて済むだろう。赤竜組と協力してやるのであれば、コストなど無いも同然となる。
スラム全体を押さえることが出来るのであれば、望むように改造することが出来る。
つまり、この都市の一区画を思いのままに出来るということなのだ。
その先にある利益の大きさは、子供にでも分かるだろう。
「それに、お前たちが赤竜組と協力すれば、赤竜組は力を取り戻す。そうなれば他の闇組織が弱体化し、相対的にお前たちの発言権はより強くなる」
領の安寧を裏から支えるラトからすれば、願ったり叶ったりな事態だ。
赤竜組はならず者のヤクザだが、その思想信条はラトやゾエレアに近いものがある。協力する時に生じるだろう摩擦や衝突は、最小限に抑えられるだろう。パートナーにするには最適な相手と言える。
そうして赤竜組の勢力が大きくなれば、他の闇組織に対する牽制になる。
汚い話、赤竜組を盾にすれば、巾着鼠は裏でやりたい放題できる。そうなれば、他の闇組織を秘密裏に弱体化させることも容易だろう。
恐らく、この案には領主も賛成するだろうし、もしかしたら陰ながら協力してくるかも知れない。
目に見える利益ではないが、ラト個人としては大きなプラス要素である。
「そして最後に…………赤竜組の後ろにはこの俺が居ることを忘れるな」
ラトが雷に打たれたようにクワッと眼を見開いた。
それは、赤竜組と親しくなれば自然とヌフに近づける、ということ。
強者との縁は、金などでは絶対に買えない宝だ。
ヌフほどの強者と縁を結べるのであれば、巾着鼠を半分差し出しても惜しくはない、とラトは割と本気で考えている。
それだけ彼はヌフに魅力を感じているし、そうする利益が大きいと結論づけているのだ。
ヌフのこの一言は、ラトを動かすには十分な威力を持っていた。
「ただし、条件が一つだけある。
グレタをその組織のリーダーに据えろ。
これは絶対だ」
提示されたこの条件について、ラトは高速で分析し、「不利益などない」と結論を出す。
いや、むしろラトにとっては利益しか無い条件だ。
グレタには多くの仕事を斡旋してきたし、そのお陰で彼女がこれまで生きてこられたのは純然たる事実。
そんなラトに借りがたっぷりある……もといラトとそれなりに付き合いがあるグレタが新組織の頭領という重要ポストに着くというのは、人脈の観点で見れば非常に美味しい状況だ。
ヌフがわざわざ指名するということは、グレタはヌフとかなり近い関係にあるということ。あの貧相な身体と愛嬌のない顔立ちでは、愛人という線は薄い。恐らく、使い勝手がいい手駒という立ち位置だろう。
そんなグレタと組織作りや組織運営を通じて良き関係を築くことが出来れば、自然とヌフに近づくことが出来る。上手くいけば、ヌフの腹心的な立ち位置になれるかも知れない。
それは、ラトが欲して止まない繋がりだ。
「了解じゃ。儂ら巾着鼠は全力を以て事に当たろう」
問答無用で全てを奪い去っていく暴君とは違い、このヌフという男は有って無いような条件だけで、これほど多くの利益をもたらしてくれるのだ。
断る理由など無い。
いや寧ろ、今以上に媚びへつらい……もとい協力姿勢を強化すべきだろう。
「今後も、良き関係とならんことを」
ラトが祈るように締めると、ヌフはこれで話は終わりだとでも言うかのように立ち上がる。
瞬間、彼が無から作り出したそのソファは、跡形もなく消えた。
「ここでの話は口外しないことだ。良き関係のためにも、な」
ラトのセリフを一部引用した明確な脅迫を残し、ヌフは虚空へと消えていく。
彼の姿が完全に溶けて消えるまで、ラトは終始その気配も魔力も完治することは出来なかった。
「……………………」
一人残されたラトは、暫く惚けるように宙を見つめ、やがてティーポットを手に取り、空になったティーカップに注ぐ。
冷めてもなお美味しいお茶の香りを楽しむ余裕などなく、乾いた喉にグビッと流し込んだ。
纏わり付くような畏怖と、包み込むような安堵。そして、溢れ出す興奮。
これから何が起きるのか。
これから何がなされようとしているのか。
そして、これから自分たちはどこに向かうのか。
先程の出来事を思い返しながら、ラトは笑みを浮かべる。
それは、闇組織のトップを何十年もやっている者の老獪な笑みではなく、ダンジョンに挑む少年冒険者のような、年甲斐もなく楽しそうな笑みだった。
なんか最近、一話1万文字とかが普通になってきている気がする……(・ω・;)これはよくない
これからは良きところで分割して、一話を良き長さにしていきたいと思います。m(;_ _)m




