99. NP:暗躍する者たち
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フェルファストの北西に、商店や商会が建ち並ぶ地区がある。
露店や屋台が多くを占める他地区とは違い、ここでは店舗を有する商店が中心で、中規模以上の商取引が盛んに行われている。
通称「商業地区」。
その一角に、とある建物がある。
3〜4階建てが主流であるこの地区において、その建物は6階建てとかなりの高さと広さを有していた。
大きな荷降ろし場と倉庫、広い厩が併設されており、ひと目で大商会の所有物である事がわかる。
建物の正面には大きな、されど優雅な造りの看板が掲げられている。
そこには、こう書かれていた。
──ウェストノード商会 フェルファスト支店(ストックフォード領総支部)
周辺諸国で名の知れた大商会「ウェストノード商会」の外国支店だ。本店はこのアルフリーゼ王国の西方に位置する「アウルム商業連邦」にある。
そのウェストノード商会の最上階に、商会支部長の執務室がある。
豪華ながら落ち着いた内装、上品ながら安らぐ家具類、高価ながら悪目立ちしない調度品の数々。
まさに西方大陸で名を馳せる大商会の商会支部長に相応しい部屋と言えた。
そんな部屋で、一人の中年男性と一人の壮年男性が対面していた。
「それで、本国からは何と?」
デスクの奥で革張りのアームチェアにゆったりと背中を預けた中年男性が問う。
年の頃は60手前だろうか。オールバックにした髪と綺麗に整えられた口髭には白が混じり初めており、その物静かで優雅な態度と相まって、風格のある紳士という風貌をしている。
「はい。ポーション原料の価格調整はそのままに、流入材料の監視を更に強化するようお願いします」
来客用のソファーに腰掛けた壮年男性が応える。
年齢は40に差し掛かる直前だろうか。くすんだ茶髪に少しの無精髭が、なんとも地味な印象を与える。商店の店員のような出で立ちの、何の変哲も見出だせない男である。
「ふむ。流通監視の強化ということは、そろそろ『仕上げ』が近い、ということですかな?」
「ご明察です、ウォルト支部長」
ウォルトと呼ばれた中年男性は、きれいに整えられた口髭を撫でながら情報を吟味する。
アルフリーゼ王国でも比較的裕福なこの領は、中央大陸へと勢力を伸ばしたいウェストノード商会にとっては、実に理想的な足がかりだ。
ここストックフォード伯爵領は、良質な穀物や肉・野菜などの食品類を産出するだけでなく、森林資源や鉱物資源までも豊富である。これだけ多くの良質な商品が流通している領は、よほどの商業都市でもなければなかなかお目にかかれない。
その中でも特筆すべきは、ピーターパーラー大樹海という危険領域から産出される希少な天然素材と魔物素材である。
危険領域を抱える領地は少なくないが、ここみたいに安定して危険領域を抑え込めるところはそう多くない。その上、その抑え込んだ危険領域から継続的に素材を入手できる場所となれば、更に限られるだろう。それこそ、ダンジョンを抱える「迷宮都市」や超危険領域を抑え込む「魔境前線」のような特殊地域だけだろう。
商売を生業とする人間からすれば、親を売ってでも食い込みたい市場だ。
そう思ったからこそ、商会本部は今回の連邦政府からの協力要請を承諾したのだ。
「『ジバゴの一』や『療傷油』などの低級回復ポーションの原料は、引き続き発見し次第買い占めてください。このまま価格の高騰を維持し続けていれば、近いうちに冒険者がこの領を去り始めます。そうなったら、ストックフォード伯爵は間違いなく我々に跪くでしょう。
それまでは、利益度外視で買い占めを継続してください」
こちらが断るなど微塵も思っていない口調で、地味な壮年男性はウォルトにそう要求した。
現在、ウェストノード商会がやっていることは、恣意的な買い占めによる特定商品の価格操作だ。
発端は、この領特産の鉱物「ゲシ骨鉱」の枯渇だった。
長年──人族であるウォルトからすれば人生2〜4回分くらいの年月──に渡って安定的に産出されていた「コネリーの赤」の原料の一つである「ゲシ骨鉱」が、数ヶ月前から突如まったく採れなくなった。
それにより、長年この領の医療を支えていた「コネリーの赤」というチート商品が、完全生産不能となった。
それが影響し、今のストックフォード伯爵領は深刻な低級ポーション不足に陥っている。
ここで最も損をしたのは、「コネリーの赤」の他の原料を抱えていた人間だ。
「コネリーの赤」の原料は非常に特殊で、「コネリーの赤」の製造に特化していると言っても過言ではない。どの素材も「コネリーの赤」の製造以外に使い道がなく、代用も効かない。
これが何を意味するのかと言うと、複数の原料の内、一つでも無くなって「コネリーの赤」が作れなくなれば、その瞬間に他の素材も全てゴミと化す、ということだ。
今のストックフォード伯爵領に起きていることは、まさにそれである。
原料の一つであるゲシ骨鉱が無くなったことで、他の「コネリーの赤」の原料が全てゴミと化したのだ。
ウォルトが把握している限り、「コネリーの赤」の原料は:
①ゲシ骨鉱
②フジク草
③ダダイル草
④シディミの葉
⑤任意の魔物の乾燥肝
となっている。
これらの内、まだなんとか価値を保っているのは、他の薬の材料にも使える「魔物の乾燥肝」だけである。
他の素材──「フジク草」「ダダイル草」「シディミの葉」は他のことに流用できないため、その価値を完全に失っている。
おまけに、それらは全て生鮮素材であるため、長期保存もできない。
これまでは手堅い商材だったこれらの素材が、一瞬でゴミになったのだ。
大量に抱え込んでいた商人や薬師ほど大きく損をしている。
ただ、それは個人や小規模商店に多い話だ。
商会や大商人たちは、そもそも「コネリーの赤」で商売をしていないため、損失はほぼ無い。
いや、寧ろ今回の「コネリー難」で、ストックフォード領の経済に深く食い込むチャンスが生まれた。
当初、ウェストノード商会はストックフォード領の低級ポーション不足に際し、西方で安価に作られている「第一種ジバゴポーション」──通称「ジバゴの一」──という低級回復ポーションを格安で提供する算段だった。
領の喫緊を緩和することで領主であるストックフォード伯爵エストに恩を売り、あわよくば以降のポーション原料の流通・販売に関する特権を手に入れる。それが無理でも、これまでは隙間のないストックフォード伯爵領の素材流通業で一席を確保できれば良い。
ストックフォード伯爵領の素材流通業に食い込み、ウェストノード商会独自のルートを構築できれば、大陸西方の商品も取り扱うウェストノード商会は瞬く間に大きくなるだろう。
ここを足がかりに、中央大陸へと進出し、やがては北方大陸・東方大陸・南方大陸──世界全土に商売の手を広める。
それは、商会の悲願だ。
そんなわけで、ゲシ骨鉱の枯渇を知ったウォルトは、すぐさま商業連邦にある本部と連絡を取り、迅速に大量の物資を調達した。
他の商会がまだ動けていない中、ストックフォード領で最初に動いたの彼だった。情報こそ商売の種と言って憚らない商人らしい迅速さだった。
ちょうどその頃だ。
商業連邦からの接触が来たのは。
「簡単に言ってくれますな、『ダヴ』殿」
目の前に座る地味な男を見つめながら、ウォルトはその名を口にする。
いや、「名」というのは精確ではないだろう。
この男の本当の名前など、ウォルトは知らない。
もしかしたら、本当の名前など無いのかも知れない。
なぜなら、この男が商業連邦の「情報工作局」の工作員──プロの間諜だからだ。
他国での情報収集・裏工作・暗殺行動など、表には出せない仕事を一手に引き受ける「情報工作局」は、連邦政府の秘匿部署だ。国の暗部を司る、知る人ぞ知る組織である。
そんな色んな意味でヤバい組織の人間が、おとなしく本名を名乗るとは思えない。というか、そもそも彼が名乗った「鳩」という名前自体、呼出符号か記号呼称にしか聞こえない。
「利益度外視で、とは言いますが、こちらもただ損失を垂れ流すのを見ている事はできません。連邦政府から補助金が出ない以上、損失が続けば、我がウェストノード商会は直ちに手を引かせていただきます」
商業連邦の連邦政府からウェストノード商会に寄せられた依頼は、連邦によるストックフォード伯爵領の掌握に協力すること。
引き換えに──成功報酬になるが──掌握後のストックフォード伯爵領での商業活動の全権をウェストノード商会に委託する、というものだった。
連邦の本命はこの領の経済ではなく、この国の後継者争いの結果であるらしく、この領のことはあくまでも「ついで」だ。
よって、この領での成功は丸々ウェストノード商会にくれるという。
その代わり、連邦政府からの金銭的・外交的支援は一切なし。
唯一、「協力者」として送ってきたのは、裏工作を担う情報工作局の工作部隊、それもたったの一小隊だけだった。
協力とは言っているが、支出が多くて損失を最も被りやすいのは明らかにウェストノード商会の方だ。連邦政府の損失と言えるのは、せいぜい工作部隊の隊員数名程度である。
こういう「片方だけがリスクを負担する」という仕組みを、商取引の世界では「詐欺」と呼ぶのだ。駆け出しの新米商人でも乗らない、胡散臭すぎる話である。
それなのに──それでも、ウォルトは、ウェストノード商会は、その話に乗った。
失敗すれば報酬は無し。これまでの費用も投資も一切帰ってはこない。
その代わり、成功すればストックフォード伯爵領の経済を一手に牛耳れる。
連邦政府にいい様に利用されているのは明白。下手を打てば利益損失どころか、政府からリザードの尻尾切りに遭うだろう。
だが、成功したときの利益は、途轍もなく大きい。
それこそ、膨大な初期投資も、一時の損失も、失敗したときの悪果も、その全てに目を瞑れる程には。
何より、今回の件、成功確率は決して低くはないとウォルトは考えている。
今のストックフォード伯爵領は、困窮の極みにある。
金に物を言わせてポーションの原料を押さえれば、目論見は成功したも同然だ。難易度は決して高くはないだろう。
ここにダヴたち工作部隊の裏工作も加われば、まさに鬼に金棒だ。
小煩い商人ギルドも、黙らせる方法は既に考えている。
総合的に試算した結果、成功確率はかなり高いものだった。少なくとも、これまでやってきた新市場開拓や鉱山投機のような博打みたいな商売よりはいくらでも成功しやすいだろう。
ハイリスク・ハイリターンだが、成功率はそれなりに高い商売。
これに乗らない商人は、商人とは言わない。
商会の支部を任されるウォルトにしてみても、商会支部長である前に一人の商人だ。
ここで勝負しなければ商人が廃れるというもの。
だから、ウォルトはダヴたちを受け入れ、互いに利用して事に当たることにしたのだ。
ただ、それは協力を承諾したというだけであって、決してダヴたちと一心同体という訳ではない。
刺さなければいけない釘は、きっちりと刺しておかなければいけない。
「こちらも商売をする身。ある程度の損失は許容できますが、何事にも限度というものがあります」
「おっと、それは困りますねぇ」
困った感じなど微塵もない様子で肩をすくめるダヴ。
「ですが、ウォルト支部長もここまで人を動員し、物資を輸送し、大枚を叩いたのですから、今更降りたところで大損しか残らないのでは?」
「商人として最も重要な資質は、損切りをするタイミングを見極めることです。損をするのは構いませんが、決断を先延ばしにして損失を拡大させるのは商人として失格ですからな。
我々は協力関係にあれど、私達とダヴ殿たちとでは理念が異なります」
この領を掌握するという最終目的は共有しているが、ウォルトたちは商会の利益のために行動しており、対するダヴたちは愛国心と義務感で動いている。
だから、ウォルトたちは利益にならないと見ればすぐに手を引くが、ダヴたちは最後の一人になっても任務遂行に命を賭けるだろう。
目的は同じでも、両者の根底にある行動原理は全く別物なのだ。
「はは、これは一本取られましたな」
ピシャリと額を叩き、芝居気たっぷりに降参してみせるダヴ。
しかし次の瞬間、その地味な顔は引き締められ、猛禽のように鋭い眼光がウォルトへと向けられる。
「しかし、今回の件は利益の多寡だけでは済みません。この国の王座の行方、引いては我が連邦の未来にも関係いたします。あまりにも簡単に手を引いてもらっては困るのですよ」
平坦な口調。
だが、その言葉からは狂信的なまでの愛国心と偏執的なまでの信念が感じられた。
ヒリヒリとした空気が執務室を満たす。
ウォルトも商業の世界で長年揉まれて商会の支部長にまで上り詰めた男だ。
これしきの脅しでは瞬きすらしない。
「もちろん、我々もここまで投資しているので、軽々しく手を引くつもりはありません。ですが、過度の期待を──ダヴ殿たちと同等の覚悟を期待されても困る、というのもまた事実。
我々はあくまで『協力関係』にある者同士であることをお忘れなきよう」
正眼で睨み合う二人。
暫くして、ダヴがふと口元を緩める。
「分かりました」
優秀な工作員である自分の脅しがちっとも通じていないウォルトに商人の信念を見たのか、はたまた内心でウォルトを屈服させる何らかの方法を思いついたのか、何にせよ、この話はここまでらしい。
「投資といえば、ウォルト支部長は随分と沢山の商品を輸送してきましたね」
デスクの端に積まれた書類の山を一瞥し、ダヴは話題を切り替えた。
今回の「コネリー難」に際し、ウォルトは本部から大量の商品を取り寄せている。
その殆どはポーションの原料だ。
ストックフォード伯エストが「コネリーの赤」から他のポーションへ生産を切り替えることは、予想がついていた。
ウォルトたちはストックフォード領の地理的条件・自然環境・薬師たちの腕前・原料の入手経路などを総合的に分析し、エストがどのポーションに切り替えるか、その候補を絞り込んだ。
最も有力とされる候補は3つ。
アルフリーゼ王国を含む中央大陸で一般的に使われている「ニガモモ」。
東方大陸から伝来してきた「療傷油」。
そして西方大陸で最も売れ筋の「ジバゴの一」だ。
地理的条件や原料産地、輸送の費用などを考えれば、一番の選択肢は「ニガモモ」になるだろう。価格と効果が圧倒的に異常だった「コネリーの赤」を除けば、その安さと効き目は低級回復ポーションの中でも上位に入る。
ゲームクラッシャーである「コネリーの赤」が無くなった今、これ以外の選択肢は無い、と言わせるくらいに適当なのがこの「ニガモモ」だ。
だが、領主のエストはこれを選べないだろう、とウォルトは分析している。
この「ニガモモ」の主原料である薬草は、その殆どがアルフリーゼ王国の中央以北で採取されており、物流上の制約によって南部に流れてくるのはほぼ乾燥処理したものか抽出液のみである。それでも十分安いので、南部でも「ニガモモ」が主な低級回復ポーションとして流通している。
ここで問題となるのが、エストと第二王子派の対立だ。
第二王子派はストックフォード領の窮地を知るや、北部から供給される「ニガモモ」の原料を派閥子飼いの商人に独占させ、ストックフォード領への流通に制限をかけ始めたのだ。
その目的は明瞭で、エストへの政治的圧迫である。
やっていることはウォルトたちと何ら変わらないが、第二王子派とウォルトたちが違うところは、エストが第二王子派と完全に相容れないこと。
いくら領の利益を第一に考えるエストでも、第二王子派に膝を屈するくらいなら他の方法を探した方がマシ、と考えるだろう。
いや、どちらかというと「選ぶに選べない」と言った方が精確だろうか。
とにかく「ニガモモ」は、理論上では最有力候補だが、ストックフォード領にとっては一番「ない」選択肢である。
では、「療傷油」はどうかと言うと、これも少々難しいものがある。
この「療傷油」という低級回復ポーションは、東方大陸伝来のポーションだ。原料の殆どがこの中央大陸でも入手可能であるし、少々特殊だった製造過程も中央大陸用に最適化されているので、製造も難しくない。
だが、知名度と値段、そして使用方法が問題だった。
東方大陸伝来ということもあり、「療傷油」はここ中央大陸ではまだまだ「ちょっと珍しいポーション」という認識である。
周知・浸透させるには、些かの時間が必要だろう。その間の低級回復ポーションの供給をどうするか、別途考える必要がある。
コスト面での問題も無視できるものではない。
もともとの「療傷油」には「煉丹」という東方大陸特有の抽出方法が必要だったが、とあるポーション師の努力によって、特殊な装置を用いて繰り返し錬成抽出する事によって代用できるようになった。これにより、中央大陸のポーション師でも難なく「療傷油」を製造できる様になった。
が、製造法が最適化されたとはいえ、やはり中央大陸で活動するポーション師にとっては一般的な手法ではなく、別途の勉強が必要だ。習熟にはそれなりに時間がかかるし、それだけ原価にも影響をきたす。
おまけに、「煉丹」の代わりとなる行程には、別途で特殊な錬成装置が不可欠だ。既存の工房に新たに導入するには、決して安いとは言えない設備である。
それだけでなく、繰り返し抽出するという特殊な過程のせいで作製には多くの時間がかかり、それだけ他のポーションに比べて生産性が大幅に低下する。
この領で「療傷油」を作ろうと思えば、その価格は同効果帯のポーションの倍近くになってしまうだろう。
加えて、飲用か塗布が一般的な他のポーションに対し、「療傷油」の使用方法はほぼ塗布一択だ。
飲んでも効き目はあるが、「油」と付いたその名前からも分かるように、ポーション自体はとても油っぽい。その油分が多い性状から、口にしても喉を通らない人が多く、頑張って飲み込んでも吐き出してしまう場合が多い。ハーブ油を一気飲みするような感じだ、というのは有名な感想である。
何より、今の「療傷油」の原料は、一つ残らずウェストノード商会によって買い占められており、その全てに20倍近い値段──エストの頭がイカれない限り手を出せない値段──が付けられている。
つまり、買おうと思っても買えないようにしているのだ。
そんなわけで、「療傷油」という選択肢は、ウォルトたちによって潰されたに等しい状態になっている。
ならば最後の「ジバゴの一」はどうかというと、これが最も現実的だろう、とウォルトは贔屓目なしに考えている。
「ジバゴの一」は、西方大陸の著名なポーションマイスターだった「ジバゴ師」が早年に開発した低級回復ポーションで、価格が安く効果が高い。
流石に「コネリーの赤」ほどチートではないが、それでも西方大陸では「低級回復なら『ジバゴの一』か『ラ・ベル・フィーユ』しか考えられない」と言わしめるほど広く浸透している。
製造に際しても、特殊な手法は何一つないし、専用の機材も必要ない。レシピと原料さえあれば、ポーション師なら誰でも作れるので、ストックフォード領のポーション師たちに広めることも容易いだろう。生産性にも優れているため、作れなくなった「コネリーの赤」の代替品としては十分だ。
原料に関しては、「モルテッリ草」と「ドロリヌス軟鉱」という西方大陸特産の薬草と鉱物が必要だが、問題はない。
この2つの原料の生産地は西方大陸北部、つまりはウォルトが所属するウェストノード商会の本拠地だ。調達と輸送に関しては目を瞑ったままでもできる。
ストックフォード領までの道のりが遠いため輸送費用はそれなりに掛かるが、連邦とストックフォード領の両方で関税を優遇してくれれば、安く市場に流しても十分採算は取れると試算結果が出ている。
連邦側の優遇に関しては、ストックフォード領掌握のためであれば──粘り強く交渉さえすれば──もぎ取れるだろう。
ストックフォード領側の優遇に関しては、工作が進めば自然と手に入る様になる。エストなら、第二王子派に屈服するくらいなら関税緩和を取るだろうし、意地を張ってもどん詰まりになるだけなので、関税優遇は時間の問題だ。
そんなわけで、今のストックフォード領にとって、「ジバゴの一」は最も合理的な選択肢なのだ。というか、そうなるようにウォルトとダヴたちが仕向けたのだから、当然の結果といえる。
そうしてストックフォード領に「ジバゴの一」が浸透・普及し、低級回復ポーションが完全に「ジバゴの一」に切り替わり、最終的に依存するようになれば、その流通を一手に握るウェストノード商会が全ての決定権を持つことになる。
多少楽観的な予測ではあるが、決して奇想天外ではない。
優秀な領主であるエストであれば流通の根幹を他国の商会に握られる危険は十分承知しているだろう。
しかし、彼に他の選択肢はない。
今のウェストノード商会は自国産の「ジバゴの一」だけでなく、ストックフォード領周辺で流通している「療傷油」の原料、果にはその他の役に立ちそうな低級ポーションの材料──もちろんゴミと化した「コネリーの赤」の原料は除く──を全て監視し、買い占め、流通の全てを独占しているのだ。
若くて優秀なエストといえど、ウェストノード商会以外に誰も売っていないものを調達することは出来まい。
今のエストに取れる選択は、第二王子派に屈服して「ニガモモ」を取るか、ウェストノード商会と契約して割高な「療傷油」を取るか、もしくは安価な「ジバゴの一」を取るか、この三択しかない。
第二王子派との対立と「療傷油」のコストパフォーマンの悪さを考えれば、実質「ジバゴの一」一択になるだろう。
たとえ彼がどれも選ばないとしても、それはそれで構わない。
このまま低級回復ポーションの切り替えが進まずにポーション不足が深刻化すれば、冒険者が挙ってこの地を去るだろう。そうなればピーターパーラー大樹海という危険領域を抑え込めなくなり、魔物が領内に氾濫する。
そうして領内が荒れて衰退したところで、ダヴたちが西方大陸から冒険者たちを誘致して来ればいい。もちろんその中には「息の掛かった冒険者」や「連邦政府の工作員」が大量に紛れていることだろう。
エストがどう選択しようと、ウォルトや連邦政府に悪いようには動かないのだ。
現在、ウェストノード商会は「ジバゴの一」の原料となる「モルテッリ草」と「ドロリヌス軟鉱」を、商会の大商隊を動員して本国から大量にストックフォード領に輸送している。
その数は荷馬車にして百台以上になる。
ここまで大々的な商品輸送をしているのは、エストへの威圧と、商人ギルドへの対策が目的だ。
先ず、エストへの威圧だが、大量の商品を見せつけることでこちらが無在庫取引や詐欺をしているわけではないことを印象づける事ができる。
そして、エストが今最も欲している「ポーションの原料」という商品を見せびらかすことで、「今我々と契約すれば、これら全部が手に入るぞ」と心理的に圧迫を掛けることも出来る。
領民たちがこれらの「有り余るポーション原料」を目にすれば、たとえエストが意固地になったとしても、民衆が勝手に憤り始めるだろう。目の前にポーションの原料があるのに領主はなんで何もしないんだ、と。
商売の交渉は心理戦でもある。欲望を掻き立て、外堀を埋め立て、心理的に追い詰めれば、不平等契約を結ばせることは容易だ。これはウォルトの経験談である。
次に、商人ギルドへの対策である。
ウェストノード商会が今やっていることは、誰がどう見ても「買占による市場操作」だ。商人ギルドが信念としている「自由で開かれた取引市場の維持」に真っ向から喧嘩を売る行為である。
流石のウェストノード商会も、商人ギルドから睨まれれば潰れるしかない。
だから、ウォルトは対策を考えた。
──西方大陸へ帰還する大商隊の仕入れ。
つまり、周辺諸領で流通している低級回復ポーションの原料を「買い占めている」わけではなく「大商隊に持ち帰らせて本国で売るために仕入れているだけ」という言い分だ。
無理やりな言い訳だが、実際、大商会が地方の特産品を仕入れのために買い占めることは結構多い。その中には専売契約なども含まれるので、極端な買い叩きなどの不平等な売買でさえなければ違法にはならない。
この類のことで商人ギルドが大々的に動いたことはない。他商会の競争参入を推奨はすれど、買い占めるなと規制することは殆どない。寧ろ、「いい商品」がどんどん売れることは本望ですらあるので、今回のことに関しても、苦々しい顔はするだろうが、潰しには動かないだろう。
今回のこともこの方向に持っていこう、というのがウォルトの算段だ。
これならば、実際に荷馬車の一台でも西方に送り返せば「確かに本国で売るための仕入れである」ということで、商人ギルドは何も言えなくなる。最悪、支出度外視で商隊の荷馬車100余台を全て本国に送り返せば、誰も口出しは出来なくなるだろう。
これでもまだ文句を言ってくるようなら、それはもはや商人ギルドの禁則事項である「商取引への過干渉」になる。商人ギルド本部へ告発すれば、必ずギルド本部から査察が入り、場合によっては商人ギルド・フェルファスト支部の首脳陣が全取っ替えになるだろう。そうなったら手の者を潜り込ませるチャンスなので、ウォルトとしては一向に構わない。
とにかく、大商隊をこちらに招いた時点で、ウォルトの目的は達成したも同然なのだ。
そして、商隊の規模が大きければ大きいほど──持ってくる商品が多ければ多いほど、周辺諸領で買い占められる原料が増える。
いや、寧ろ大商隊を組んで大量に商品をストックフォード領に持ってこなければ、周辺諸領の原料を大量に買い占める口実が作れない、と言ったほうが精確だろう。
相当に金が掛かった大仕掛けだが、大掛かりだからこそその効き目は高くなり、成功率も高い。
「この大量の仕入れこそが成功の肝ですからな。大規模な商売であるからこそ、大量の商品が必要なのです」
「なるほど。大規模な作戦であるからこそ、これだけの物資が必要だった、というわけですね」
解釈が完全に異なるダヴの発言に、ウォルトは無言で微笑む。
工作員と商人では見ている物が違う。
が、行動の詳細さえちゃんと理解してくれていればそれでいい。
実際、ダヴたちとは価値観は異なるが、築いている協力関係は実に強固だ。
商人や役人の買収と脅迫。
敵対する商会の妨害。
市場・行政・民間など各領域の情報収集。
大商会であるウェストノード商会も独自の「裏部署」を持っているが、流石にダヴたちほど優秀ではない。
ダヴたちの裏工作がなければ、今のような主導権は握れなかっただろう。
感謝こそすれ、彼らを疎ましく思うことはない。
たまに、その行き過ぎた愛国心をこちらにも要求するのは勘弁願いたい、と思うこともあるが、まぁそこは我慢するしかないだろう。
「ならば、尚の事ご注意ください。
最近、第二王子派の活動が活発化しているようです」
ダヴが静かな顔でそう警告する。
が、その瞳の中には苦々しい色があった。
「第二王子派というと、裏社会関係の勢力、ということですかな?」
「ええ。今のところ分かっているのは、表で活動しているマフィアが一つと、その裏で直接糸を引いている闇ギルドが一つだけです。その他はまだ掴めていません」
闇ギルドは、裏社会で生きる者たちが結集して作る、大規模な犯罪集団だ。
マフィアやヤクザと違って、闇ギルドは幹部層を除いてそこまで厳格な上下関係がない。ノルマどころか共同目標すら無いので、ギルドに不利益をもたらさない限り各々が好き勝手に行動していい、というのが特徴だ。
組織としての戒律はあるものの、互いへの縛りがとても緩いので、組織の全体像を掴むのはとても難しい。
暗殺や高レベル魔物の違法捕獲、戦争・テロの請負など、外部からの仕事も受け付けているので、実質、犯罪界の何でも屋といえる。犯罪専門の冒険者ギルド、と言えば想像しやすいだろう。
「マフィアの方は『アルバーノ』という名で、最近になって歓楽街に進出し始めている、なかなかの規模の組織です」
「ふむ……『アルバーノ』、ですか……」
「ええ。自分たちでは『アルバーノ一家』などと名乗っていますが、『一家』と名乗れるほどの歴史はありません。構成員が多くて商売の手が広いので、規模だけはいっちょ前ですが、所詮はチンピラの集まりです。
首領のアルバーノは人族で、35歳とまだまだ若く、気性が荒い。私からすれば、ただのギャング上がりの小物ですね」
あまり脅威に思っていないのか、ダヴの口調は非常に平坦だ。
「対する闇ギルドの方は……こちらはちょっと厄介です。
名は『宵闇梟』。アルフリーゼ王国南部を根城にしている、生粋の闇ギルドです。ここ数年でストックフォード領に進出し、静かに勢力を広げている、かなりのやり手です」
「流石は裏社会にコネのある第二王子派、というわけですか……」
闇ギルドは犯罪のプロが寄り集まった組織であるため、その痕跡を掴むのが非常に難しい。
ダヴが彼らの関与に対して確信を持っているということは、見過ごせない何かを掴んだのだろう。
第二王子派の武力的核心は、まさに闇ギルドなのだ。
決して侮っていい相手ではない。
その証拠に、「宵闇梟」を語るダヴの顔は苦い。
「スラムに潜らせていた協力者からの連絡が、昨日から途絶えました。
十中八九、『宵闇梟』の仕業です」
「なんと……」
「何やら3日前の夜からスラムの方が騒がしいようでして。
入ってきた情報によると、スラムで活動していた幾つかのギャングや暴力団が壊滅したとか」
「それもやはり『宵闇梟』によるものでしょうか?」
「断言はできませんが、可能性は非常に高いでしょう。
スラムに潜り込ませた協力者が、こちらに警告や救援要請を送る暇すら無く消されたのです。絶対にギャング同士の抗争などというチャチな騒動ではありません。手際が良すぎます」
「うぅぅむ……」
「恐らく、近いうちに何か仕掛けてくるでしょう。衛兵隊や薬師ギルドにも手の者を潜り込ませてはいますが、それでも情報の遅れや遺漏は発生するものです。
ウォルト支部長の方でも、どうぞお気をつけください」
ウォルトの護衛は本国から連れてきた商会専属の腕利きだ。冒険者ランクにすればランク4〜5は下らないだろう。自身の安全に関しての不安は殆どない。
が、商会従業員や協力関係にある商人たちの身の安全までは保証できない。
現地工作員ですら行方知れずになるくらいなのだ。身辺の安全に気を付けて損はない。
「必要であれば『マッシュ』をお貸ししますので、有意義に使ってください」
裏工作を主とするダヴの部隊において、「マッシュ」という人物は唯一の突撃要員だ。
話によれば、彼の名は「粉砕屋」から来ており、中間を取って「マッシュ」と呼んでいるらしい。
当然の如く本名は知らないが、その実力はランク6冒険者にも届き得るという。
戦力としては、ウォルトとダヴが動かせる人員の中でも最強クラスだろう。
そんな切り札的人物が必要な局面が出てくるかも知れない。
数ヶ月に及ぶ水面下での攻防戦が、いよいよ激化しようとしている。
そんな予感に、ウォルトは窓越しに青い青い空を見つめながら、きれいに整えられた口髭を撫でる。
「では、こちらも攻めの一手を打つことにしましょう」
フェルファストの裏で暗躍する者たちが、遂に動き出す。
100話目です!
ナンバリングではまだ99話目ですが、プロローグを含めば100話目です!
ここまで頑張ってこられたのは、偏に読者の皆様の応援の御蔭です。誠にありがとうございます!(o_ _)o
これからも楽しんで書いていく……もとい弛まず努力していく所存ですので、何卒よろしくお願い致します!(o_ _)o




