その1
翌朝。私はしわくちゃになった制服を脱いで、替えの新品制服を身に纏い、軽く髪型などを整えてから部屋を出た。
ちなみに脱いだ制服は、所定の袋に詰め込んで部屋の隅にある穴に投げ込んでおけば、下で寮の従業員さんが受け取って洗濯してくれるという。金持ち寮特有のあまりに豪勢すぎるサービスだ。
「瑠美! おはよ!」
同じ頃に部屋から出てきた輝くんが、元気に挨拶してくれる。
今日はツインテールのくくってる位置がすこし高い。ツーサイドアップというやつだ。とてもかわいい。
それにしても、今の私は瑠美で、推しの輝くんから「おはよう!」と言って貰えるという状況。冷静に考えれば、とんでもなく幸せだ。
男の娘化は、結果的に私にとっていい事態なのかもしれない。これで元の姿だったら、慣れてないうちは頻繁に過呼吸を起こしてたことに疑いようはない。
輝くんと一緒に食堂でバイキングの朝食を食べ、構内を歩いて校舎に入る。そうしてたどり着いた教室で、隣同士席についた。
「皆さん~。おはようございまーす!」
8時35分、気の抜けたちょっと低いけどもかわいい声とともに、響先生が教室に入ってきた。さらっさらの長い赤髪をいつもどうやって手入れしてるのか、是非とも聞かせてほしいものだ。
前の席に座ってたら、きっといい匂いが漂ってくるのだろう。右奥特等席の自分をちょっとだけ恨んだ。
「昨日の入学式、お疲れさまでした。寮生のみなさんはよく眠れましたか? なんにせよ、今日から頑張っていきましょう! えいえい、おー!」
明るく、それでいてテンションが高すぎない掛け声。柔和な笑顔がとても眩しい。これで32歳男性だなんて。
そして響先生は教卓の端末を操作し、後ろの電子黒板に『夢ヶ咲学園と月夜茶会』と表示させる。私たちの机についたディスプレイにも同じ映像。ハイテクだ。
「本校の『演劇』システムについて、今日はしっかりとお話しします。ご存知の方も多いかと思いますが、おさらいがてら聞いててくださいね」
そうして、響先生は私がつきロンで何度も何度も見たこの学校の演劇システムについて説明し始める。
夢ヶ咲学園は、以前私が語った通り、演劇教育に力をいれてる。その数なんと週10コマ。実に1/3もの授業が、演劇にまつわるものなのだ.
これは夢ヶ咲学園創立当初からの方針で、今後社会でエリートになる者、それも大金持ちの家の子供は庶民の気持ちが理解しにくい。そのため緩和策として、演劇を通したロールプレイをやらせている。
夢ヶ咲学園の演劇発表会は、対外的にも非常に人気が高い。特に年度末の大発表会である『月夜茶会』は、日本はおろか世界からもVIPが訪れることもあるほど。皆そこで結果を出そうと、日々鍛練に励んでるのだ。
月夜茶会は、年度や演目にもよるけど、大体5~10個の演劇が、数日に渡って行われる。
この演劇の質を確保するために、夢ヶ咲学園には特別入試がある。家柄などを一切考慮せず、ただ学業と演劇関連の実力のみで、特待生としての入学を認める制度だ。
だけどこれは実質形骸化してて、長いこと特別入試での入学者はいない。上流階級の家の子の力だけで、学園としては納得いっているのだから、よほどの天才がいない限り、わざわざ入れる必要がないという方針だ。
そしてその長年の沈黙を破った「よほどの天才」が輝くんなのである!
輝くんちは、世間一般から見れば金持ちの部類だけど、夢ヶ咲学園の生徒たちからすれば庶民と大差ない。そんな輝くんは、入学試験で圧倒的な実力を見せつけ、満場一致での入学が認められた。
お勉強も上位。なによりすごいのは、他の子達が文化的な習い事については親が大枚を叩いて大手のそれも超エリートコースに通わされてたのに対して、輝くんは全く違うということ!
踊りも演劇も、公民館でやってるようなちっちゃな市民団体のところに参加してたのみ。歌とピアノに至っては、小学生時代のクラスメイトのお母さんが家で開いてる教室で習った。
そんな環境で、輝くんは頑張り続け、15歳になる頃には、目の肥えた夢ヶ咲学園の教員を感激させるほどの力を手にしていたの!
閑話休題。私に輝くんを語らせると興奮して長くなることが多い。このままだと際限なく輝くんトークが広がってしまう。
響先生はその他学校の細々としたルールを語り終え、最後に
「時間がないので今日は細かく解説しませんが、夢ヶ咲学園には5人のスター枠というものが毎年決められます。これは月夜茶会での1公演以上で主役が確定、他のほとんどの公演でも準主役以上もらえます。まさに月夜茶会で目立つことが約束された、夢ヶ咲学園の『スター』です。ぜひとも目指してくださいね」
そうして、響先生は「じゃあ二時間目です♪」と言って、数学の授業を始めた。
授業と言っても、初回ということもあり、簡単なガイダンスでほとんどの時間が使われた。当然のように文系が普通の高校で習う程度の数学は全部知ってるものとして響先生が話をしているのは、さすが夢ヶ咲学園といったところ。
配られたプリントに載ってた授業計画もすさまじい。なんと1年生の間に高校レベルを終えてしまう。普通の高校の2/3しか一般的な高校の授業をする時間がないのだから、相当巻いていかないと時間が足りないからということらしい。2年生以降はひたすら受験対策、希望者にはアドバンスド授業という名の大学レベルの先取り。
「数学ⅡとBが怪しい人は、今のうちに復習しておいてくださいね。でないとすぐついてこれなくなりますから」
恐ろしい言葉を残して、響先生は教室を去っていく。
3時間目と4時間目も同様。英語と古文漢文の先生が来て、同じように授業案内をして、同じように怖いことを言い残して教室を出て行った。
そうして昼休み。この学校の授業についていけるかとても心配な私は、ひとまずその不安を振り払い、椅子から立ち上がってうーんと伸び。
「瑠美」
隣の席の輝くんから声を掛けられる。
「よかったら、一緒に昼ご飯でもどう?」
とても嬉しいランチのお誘いだった。
夢ヶ咲学園の食堂は、寮のものを除けば3つ。校舎1階にあるやつと、講堂の建物にあるやつ、そして体育館の隣にある独立した一つの食堂専用の建物。どれも営業時間や質や量の方向性が違う。
とりあえず今日はこの建物のやつに行くことになり、私と輝くんは一緒に一階に降りた。
なにやら騒がしい。食堂に集まる生徒たちの声かと思ったけど、明らかに違う場所で人だかりができている。
よく見ると、下駄箱近くの掲示板のある場所だった。
「千景くん。どうしたの?」
人だかりの隅っこで、腕を組んで立っている千景くんに声をかけた。
「ああ、瑠美。それに柚希くんも。どうやら、早速今年度1人目のスター通常枠が決定したらしい」
千景くんは掲示板を指し示す。
『3年 宮小路 朝陽
以上1名をスターに内定する』
「先月の昨年度月夜茶会での実績だろうね。宮小路さんは活躍していたから」
掲示板を見た千景くんはこう考察していた。
「宮小路さん!」
輝くんは廊下の遥か向こうに、昨日琴葉を折檻していた寮長のお嬢様・宮小路さんの姿を見つけ、勢いよく走っていく。
「柚希さん。廊下は走ってはいけませんよ」
「あ、ごめんなさい。それより、スター内定おめでとうございます!」
目をキラキラさせて、宮小路さんの手を掴む輝くん。
「スター? ああ、なるほど。それで、ですか。今年も選んでいただけて光栄です」
掲示板の前の人だかりに納得いった様子で、にっこりと笑う宮小路さん。
「すごいです! 僕も早く選ばれるように頑張りたいです!」
彼はこういうキャラだ。こういうわかりやすい目標が目の前に見えると、気力がみなぎってしまうタイプ。
この性格が災いする場面も少なからずあるんだけど、庶民と大差ない家から夢ヶ咲学園の生徒を圧倒するレベルにまでなれたのは、この負けん気が強くて熱い性格によるところもかなり大きいんだろうと私は思う。才能だけではここまで届かない。
「確か、柚希さんは、かの特別枠合格者でしたわよね? 学校側としては、この学園の演劇部門を背負って立つ存在として期待していると考えて間違いないでしょう」
「となると……?」
「そのまま鍛練を積み続ければ、スター枠など保証されたようなものだと思います。もしかしたら、史上初の一年生スターも夢ではないかも」
「ほ、ほんとですか!?」
「あなたなら鍛練のやる気には全く問題ないでしょう。なので、活躍したいなら、あまり根を詰めて練習するのではなく、しっかり食べてしっかり休んで、そしてしっかり眠ることが重要です」
「わかりました! 頑張りすぎない程度に頑張ります!」
輝くんは「よっしゃ!」と拳を握った。