その6
「え……?」
私は琴葉の言葉、その意味が分からず聞き返す。
「覚悟?」
いったい何を言い出すのか。女だからって勝てると思わないこと、って?
私が混乱していると、琴葉はさらにまくし立ててくる。
「そのまんまの意味だよっ! 半年後には一年生男子たちは、一人残らずあたしにベタ惚れだから! あんたの食い散らかす余地なんて、どこにも……、おうふっ!」
琴葉の頭ががくんと揺れて、後ろへと引っ張られる。
「おい、何をしている」
千景くんだ。あきれ返った顔で、自ら後ろに引っ張った琴葉の顔を見下ろす。
「あ、千景くん。やっはろー」
「やっはろーじゃない。僕が寮を出たとき、お前の姿が視界の端に映って戻ってきてみたら案の定だ。お前はまた余計なことをしに来たのか」
「余計な事とは失礼な!」
琴葉はわざとらしくぷうっと頬を膨らませた。
「将来有望でかわいい少年たちに目をつけにきただけだよ!」
「それを余計なことというんだ! 帰れ。そもそもお前は寮生じゃないだろう。おとなしく同級生と話しながら、料理を少しつまむくらいなら許してやっていたが、新入生にちょっかいかけるようなら、容赦なく追い出させてもらう」
「とは言うけどね。みんなこんな身なりでもやっぱり高校生男子。性欲は溜まってるもんだよ。それを救済してあげようっていうのがあたしの役割というか、生き甲斐というか……」
その瞬間、琴葉はなにかに気づいた様子でがばりと起き上がり、千景くんの向こう側へと目線を向けた。
「み、宮小路じゃん」
「琴葉さん。一体なにをしておられるのですか?」
宮小路さんの冷たい氷のような笑顔、その端がぴくりぴくりとひきつっていた。とてつもなく怖い。
「わたくし、十回や二十回どころでないほど注意しておりますよね? にも関わらず、これは一体どういったおつもりなのでしょうか」
言葉の端々にトゲが見える。宮小路さんは琴葉の襟首を掴んで、椅子から引きずり下ろす。
「ちょっと! 痛いんだけど、やめて!」
抵抗むなしく琴葉は食堂の外へと引きずられていく。廊下とこの部屋を隔てる扉がばたんと閉じて、少し経つと「きゃー!!」と甲高い悲鳴が聞こえてきた。
数分後、
「みなさん。お待たせしました。これで琴葉さんも涙を流して反省しているはずです。ご安心ください」
爽やかな笑顔で告げてくる宮小路さん。私たち一年生はドン引きしてたけど、二年生以上は普通にまたパーティーを楽しみ始めた。千景くんも安堵する様子を見せる。
「僕たちも一年前は驚いたものだが、じきに慣れる。夢ヶ咲学園名物とでも考えてくれ」
こんな名物があってたまるかと、私はそう言いたい。
「琴葉も折檻されたことだ。これでしばらくは安心できる。それじゃあ、引き続きパーティーを謳歌してくれ」
「千景くんは参加しないの?」
「ああ、ちょっと今日はバイトでね」
「バイト……?」
夢ヶ咲学園に、バイトしている生徒がいるとは意外だ。
何度も語った通り、夢ヶ咲学園はとてつもない金持ちの子供ばかりが集まる学校だ。
厳密には来年三月に理事長を道で助けて学費免除での入学を認めてもらえる友紀ちゃんや、後々説明するけど特待枠の輝くんのような例外はいる。例外中の例外である友紀ちゃんは普通の家の生まれだけど、輝くんの家に関しては、他の生徒の家には劣るけども世間一般の価値観で言えばお金持ちと言い切って差し支えない立ち位置だ。
つまり、友紀ちゃん以外にバイトしなければならない生徒がいるとは思えない。ましてや見城家の分家である天海家、お父さんの妹の息子である千景くんがバイトしてるなんて。
それにつきロン本編でも、千景くんがアルバイトしてるなんて話は一度も出てきていない。
なにか理由があるとしたら、お金じゃなくて、趣味か社会勉強か。
尋ねようとしたけど、千景くんはまるで私にそれを聞かれたくはないかの様子で、さっさと食堂を去ってしまった。
「大変だったな。入学早々ゆかりさんに絡まれるなんて」
気さくに話しかけてきたのは、名札に『遠山 2年』と書かれた男子生徒 (言うまでもないけど見た目と声は美少女)。
この人の外見を一言で言うと、ワイルドなファッションだ。髪は女としては短め。袖を捲ってて、細くしなやかでありながら、やや筋肉質な腕が露になってる。
「あの人には、先生方も手を焼いて。問題児過ぎて、演劇の実力も学力もトップクラスであるにも関わらず『補欠枠』に回されるほどなんだよ」
補欠枠。月夜茶会における6枠の演劇スターの1枠だ。詳しい説明はまた今度。簡単に言うと、実力はあるけど人格や素行などに著しく問題のある生徒が回されることが多い。ゲーム通りだと、来年は私(瑠美)がここに収まることになる。
「もしまた絡まれたら、とりあえず宮小路さんに助けを求めるんだ。宮小路さんは琴葉ゆかりさんの天敵だからな。応急処置なら天海でもいい」
「あの人、これまでもあんなことを……?」
「あんな程度じゃない。ゆかりさんのあだ名を聞けば、察しはつくはずだ」
そして遠山さんは、私と輝くんに顔を寄せるよう指示する。「おおっぴらに言うことじゃないからな」と前置きした上で、
「『淫乱メス男子』、それがゆかりさんの裏での呼び名だ」
「…………。」
私は黙る。
「…………。」
輝くんも黙る。
「………………」
「……………………」
「………………………………………………」
私たちはなにも言えず、顔を寄せたままただただ押し黙る。話を振ってきた遠山さんすらも気まずそうな表情だ。
「それって、自分がそう呼ばれてることをあの人は知ってるんですか?」
「知ってる。『まさにあたしにふさわしいあだ名だね!』と喜んでいた」
琴葉のぶっとびすぎた思考回路には、とてもじゃないけどついていけなさそうだ。
「いろいろあるぞ。寮でゆかりさんが入った部屋からは夜な夜な変な嬌声が……」
「もういいです!」
「それとは別に、あの人は肩凝り改善のための磁石と鍼をいつも胸に……」
「もういいです!」
「それだけじゃあない。噂によると、海外のポルノサイトに、自分の動画をあげてるんだ。それも女の格好で、さらには……」
「もういいです!!!」
つい大声で叫んでしまう。これ以上まともに聞いてたら頭がおかしくなりそうだ。脳が理解を拒絶する感覚を憶える。
「わりぃ。一年生にこんな話は刺激が強すぎたな。心配すんな。じきに慣れる」
慣れたくないんですが。
琴葉ゆかり。なんにせよとてつもなく厄介そうな先輩だ。つきロンのストーリー開始時には卒業しているキャラだから、私の記憶にもなんのデータもないのが、さらに手がつけられないポイント。ましてや唯一の女子生徒である私を敵視していると来てる。
友紀ちゃんが入ってくるまでの一年間も、前途多難な生活が続きそう。頭が痛くなってきた私は、おいしいはずの料理をあまり楽しむことができなかった。
琴葉ゆかり、許すまじ。
パーティーが終わって、輝くんと「また明日」と言いあってから自室に戻った私は、制服のままベッドに倒れ込む。
「大変な一日だった……」
なにしろ今朝はお母さんに朝早く叩き起こされ、入学式へ来てみたら「全校生徒が男の娘になってる。さらには32歳独身の先生まで男の娘に」という、意味がわからなさすぎる状況だ。さらに変な先輩から宣戦布告されると来てる。
この様子じゃ、前世のつきロン知識の大半が役に立たなさそう。輝くんが家の都合で遠山さんの姉とお見合いして、そのお姉さんから一目惚れされる展開とかどうなってしまうのだろうか。金持ちお嬢様が男の娘性癖にでもなるのだろうか。
じっくりと今後の策を練りたかったけど、あまりに疲弊していた私は、ベッドに体が沈み込むと共に眠りの世界へと沈んでいった。