その9
「それと、星条瑠美」
「は、はひぃ!?」
突然、校長先生に呼ばれて、輝くんの台詞に心を撃ち抜かれたばかりの私は間抜けな声をあげる。
「大事な話がある。今から校長室に来なさい」
「え……っ?」
冷や水をあびせるかのような言葉に、意識が揺蕩っていた私はすぐ我に帰る。
先生も校長の言葉を普通に受け入れてるようで、「お疲れさま」と言って手を振ってくる。
そして私と校長先生は二人で教室を出た。
誰もいない廊下、すたすた歩いていく校長の後ろを、私はなんとかついていく。
「綺麗だったのお……」
校長が呟く。
「輝くんの演技が、ですか?」
「そうじゃ」
校長先生は続けて語る。
「特別枠の入試の時から、あまりにも教師たちが絶賛するもので、わしはこの目で確かめてみたくなった。わしは過去にはブロードウェイにいた身。さらに夢ヶ咲学園の教員を長く続けておるし、個人的な趣味でも世界中のハイレベルなミュージカルを見て回っておる。じゃが……」
「じゃが?」
「柚希輝の力。あれは別格すぎる。肩を並べられる者など、わしが見てきた世界中のすべての役者の中でも十に満たない。明確に勝っている者は、……二人しか知らん」
輝くんより上がいるだなんて。校長の見てきた世界の広さは相当なものみたいだ。
「本格的なカリキュラムで数年も鍛えれば、わずかな甘さも消え、その二人すら越えて、この世の誰も叶わない怪物と化すじゃろう。あのような天才は早くスター枠に入れてしまわなければ、他の生徒のモチベーションを著しく削ぐことになる」
確かに。あの輝くんすらスター枠に入れないとなると、他のみんなはやる気をなくしてしまうだろう。ひいては学年全体のレベルが下がってしまう。
校長先生は扉を開けて校長室に入る。中は金を湯水のごとく使ってる学園の校長室とは思えない質素な部屋だった。
机と本棚とパソコンと椅子とソファ。あとは電気ケトルと小さな冷蔵庫があるだけ。なんの調度品も置かれてない、簡素で機能的な空間だ。
私は校長先生に促され、ソファに腰掛ける。そして「単刀直入に言おう」と校長は前置きした上で、
「まだ確定事項ではないが、君をスター枠候補として扱うこととする」
私はいきなりの通達についていけず、ただただ押し黙る。
スター枠候補というのは、その名の通りスター枠にまだなってはいないが、先生たちの間でその一歩手前と目されている生徒のことらしい。
多くの場合、残り枠の2倍くらい候補がいるんだとか。輝くんと宮小路さんが選ばれたことで、残りは生徒枠が2、教師枠が1なので、それぞれ概ね4人と2人の候補がいることになる。
「教師枠の候補は現段階では愛華響先生のみ。生徒枠の候補は琴葉ゆかり、天海千景、そして星条瑠美じゃ」
ゲーム通りなら、来年は千景くんがスターに選ばれる。今年はどうかわからないけど、候補くらいには入っててもおかしくない。
琴葉は……、正直意外だ。だけど昨年押し込められてた専科は、実力はあるけど素行に問題がある生徒の枠だったはず。宮小路さんもそう言ってたし。
となると、琴葉も演劇の能力は高いんだろうか。
だけどそんなことはどうでもいい。私にとって今重要なのは、なぜか自分がそこにねじ込まれてることだ。
「そんな、私なんて。夢ヶ咲学園のスターになれるほどの力は……」
「ないじゃろうな」
おっと、ざっぱりと言っちゃったよ。このお爺さん。
校長はプリントアウトされた書類を持ち、
「星条瑠美。簡易テストの結果は歌唱2位、舞踊5位、演技はまだ全生徒の結果が出ておらんが、3位は堅いじゃろう。総合では悪くて4位。それなりに優秀な生徒じゃな。研鑽を積めば3年次にはおそらくスペックだけでスター枠も取れる。成長の早さ次第では2年次スターも不可能ではない」
誉めてくれるのは嬉しいんだけど、校長先生の口ぶりは、完全に「1年生スターになるほどではない」というニュアンスを含んでいた。
まあ仕方ない。1年生スターというのは、夢ヶ咲学園の100年を越える歴史の中で、つい先ほどまで一人もいなかった存在なのだ。それが伝統にもなってるんだろうし、それこそ輝くんレベルの天才でなければ、その壁は破れないだろう。
「じゃが、演劇というものは、実力が上から順にとっていけば最高のものができるかと言えば、違う」
「でしょうね」
これは演劇に限らず、スポーツなんかでも同じだ。チーム作りには、全体のバランスだとか、いろんなものが重要になる。
上位何人を選ぶのが最適であるほど、ことは単純ではない。
「特に今年の夢ヶ咲学園は、柚希輝が一人飛び抜けておる。となると、一人ないし二人は、彼との相性で決めるのが妥当じゃ」
これは、まさか……。
「それで、私がスター候補に?」
校長はうなずく。
「先ほどの演技を見せてもらった。確かに、君より優れた役者はこの夢ヶ咲学園にはいくらでもいるが、こと『柚希輝のパートナー』としては、君を上回るものなどいるまい」
私は驚いた。
輝くんのパートナーとして推されたことそのものにじゃない。
この校長先生の発言は、つきロンでストーリー中盤にヒロインの友紀ちゃんが言われたセリフ、ほとんどそのままだったから。
つきロンにおいて、輝くんルートはメインルート。輝くんはパッケージやオープニング画面でも、ど真ん中に書かれてるキャラであり、後日談やアニメ版も、輝くんルートをベースに作られてる。
まだ個別ルートに入る前から、柚希輝という天才の相方として、友紀ちゃんはスターに選ばれるのだ。
ちなみにこれによって、スターの通常枠を目指していたのに専科になってしまった瑠美の、嫉妬によるいじめが激化する。
なにより、つきロンでは、瑠美が1年生でスターに選ばれたなんて話はどこにもなかった。
友紀ちゃんに投げかけられるはずの言葉を言われて、私は戸惑いを隠せない。
「一体、私のどこが輝くんと相性いいのでしょうか」
「じきにわかる」
なんだそれ。
とはいえ、つきロンでもこの詳細は語られない。期待しても無駄だろう。
「君がスターになる可能性があるというだけで、まだ確定ではないがの。これからも、頑張ってくれ」
校長室から出た私は、窓の外に広がる六甲の山並みを見る。
涼しい風と共に、桜の花びらが飛び込んできて、私の額にふわりと乗る。
私は直感していた。
入学三日目だけど、明らかに瑠美を取り巻く環境は大きく変わっている。
全員男の娘になっているのが大きく見えるけど、それ以外にも、
言うならば、まるで私が友紀ちゃん本来の立ち位置になっているかのような……。
その時、チャイムが鳴り響く。私は思考を中断して、六時間目・クラシックバレエの授業がある教室へと駆けた。