その8
次の日。
昼休みまでは昨日とこれといった違いはなかった。昨日と同じく、普通にハイレベルな勉強をさせられて、昼休みになって。そして午後。
五時間目、演劇の授業。
昨日のモダンダンスと同じ鏡のある練習室にて、ジャージ姿の私たちの前に、妙齢の女性 (たぶん女の人、だよね? この学校に来て自信がなくなってる)が立つ。
そのとき、異変は起きた。
教室の扉が開いて、校長先生をはじめとする教師陣が次々と入ってくる。響先生や八重咲先生、ダンスの先生のおじさんも含めて、その数二十人ほど。
「校長先生たちが来たのはただのテストよ。気にしないで」
そんなこと言われても無理がある。それどころか、今の先生の言葉で余計に緊張が高まった。
「今日は昨日のダンスや声楽の授業と同じく、月夜茶会で使われた題材で、みなさんの力を見させてもらうわ。今回のテーマは『アイーダ』よ」
アイーダとは19世紀に作られた世界的に有名なオペラだ。古代エジプトの王子ラダメスが主人公で、エチオピアの囚われの王女アイーダとの悲恋を描いている。
これまでと同様に、タブレットに状況説明と台詞が配られる。
今までと様子の違う台本に、私たちはざわめく。
ラダメスとアイーダ、二人分の台詞が書かれてる。
これまで、歌も踊りも一人ずつ前に出て能力を発揮する授業だった。だけど、今回は明確に違う。
「演技というものは、『他者との調和』が重要となるの。歌唱や舞踏においてもそうだけども、とりわけ演技における重要性は、歌唱や舞踏でのそれとは比較にならないわ」
そう先生は語る。
歌唱や舞踏は、実力は非常に高いが周囲との協調ができない者がいたとしても、その人の演舞をすべてソロパートにしてしまえば、十全に力を発揮できる。
一方演技は違う。独白シーンというのはあるけども、そんなものは添え物。基本的には周囲との調和こそが核と言っても過言ではない。一人だけぶち抜けてうまくても、かえって浮いてしまうのだ。
最低でも一人、ついていける人がいなければ、その力は活かされない。
たとえそれが、天才・柚希輝であろうとも。
「これまでの授業と同じく、手を挙げて順番に出てきて、演技の実践をしてもらうわ。その時に、どちらの役をやるか教えて頂戴」
ここまでは歌唱や舞踏のレッスンと同じだ。しかし先生は、その次にとんでもないことを言い出す。
「まだ演技をしていない人の中から、相方を指名してもらいます。指名された人は拒否不可。必ずその役をやるのよ」
なんて厳しい条件。
指名されてしまえば、ろくに心構えもできないまま、望んでいない役を即席でやらされるかもしれないのだ。
早く手を挙げて希望の配役を通してしまった方がいいんだろうけど、そう簡単に整理はつかない。
ただでさえ緊張するこの状況、さらに学校幹部が真剣な眼差しで見つめてきてるのだ。いつもはほんわかしてる響先生すら、少しキリッと真面目な表情に見える。
「最初の一人だけは指名させてもらうわ……。柚希輝さん」
輝くんは驚く様子を一切見せずに「はい」と返事。
まるで、こうなることを知っていたかのように、輝くんは平然としていた。
「どちらの役をやるか、そして相手となる生徒を指名してください」
そう言われて輝くんは、ぐるりと教室を見回して、最後に私と目が合った。
まさか……。
「僕はラダメス役。アイーダは、星条瑠美さんでお願いします」
やっぱりだ!
私としては輝くんに指名してもらえたのは嬉しいんだけど、こんな状況で心構えもできずに引っ張り出されるのは辛い。
けど、先生は拒否不可って言ってるし、やるしかないんだろうなあ。
私はアイーダの設定や台詞を、しっかり頭のなかに叩き込む。
渡されたシーンは終盤。
囚われの身であるエチオピアのお姫様アイーダが、エジプトの新将軍であり愛する相手のラダメスを唆してファラオの弱点を聞き出し、エチオピアの反逆軍によりファラオの暗殺が成功。この報奨として、アイーダは父でありエチオピア王のアモナスロとの約束通り親子の縁を切り、ラダメスの妻となり一人の女として生きることを決意する。
一方でラダメスに恋をしていたファラオの娘・アムネリス自らがファラオになると宣言。ラダメスとアイーダを捕らえる。
ラダメスのことが好きなアムネリスは、「アイーダに騙されたと言えば、あなたの命だけは助けてあげる」と告げるんだけど、ラダメスはこれを拒否。明日には生き埋めになる状況、二人して牢屋の中で処刑を待つシーン、アイーダは自分を見捨てて助かって欲しいと、ラダメスを説得しようとする。
そこのラダメスとアイーダを、今から私たちが演じるのだ。
輝くんはタブレットを床に置く。昨日の歌やダンスもそうだったけど、これで一切躊躇を見せず、さらさら演舞をしてしまうのだから、あまりに暗記が早い。
まずはアイーダの台詞、つまり私の台詞からだ。
私は大きく息を吸い、言葉を乗せて解き放った。
「誰かが言った。『神は愛なのだ』と。『愛故に人は戦うのだ』と。だけど私は知っている。『そんな言葉は誤魔化しだ』と」
私が張り上げる声が、部屋に響く。
続いて輝くんのパート。私を含めた、輝君以外全員の期待が籠った視線が、彼一点に集まる。
「我が運命の軌条は、燦然と輝く栄光という名の光から、無念の闇へと赴き消える」
また、だった。
輝くんは一瞬にして自らの世界を作り出し、この部屋にいる者すべてを包み込む。
ツインテ男の娘の女声、でありながら、そのあまりの力強さに皆は目を見開く。
ひとつ、気づいたことがある。
輝くんの力の片鱗。
「その骸に王の名は無し。時は魂の戦、我は叫ぶ、戦いの詩を、愛の詩を」
異性を演じられる役者、というのはこの世にたくさんいる。女を演じられる男、男を演じられる女。
輝くんの演技は、そこからさらにもう一歩踏み込んでる。ワンランク上のものだ。
そう。
「人はみな、時代から時代へと、誇らしく語れるように」
輝くんは『男を演じる女』を演じることができるのだ。
そのすさまじい演技に聞き入っていたかったけど、私の台詞のあるパートが近づいてそうもいかなくなる。
「涙は強さを醒ます叫び。幾千年の時も掲げ続けましょう」
うろ覚えだった台詞がすらすらと出てくる。
気づく。これは、輝くんとの演技だからだと。
自らだけが殺されることで愛する人を助けようとするアイーダ。だけどその方法は、ラダメスに裏切りの言葉を吐かせる道。
たとえその言葉が本心でない偽りであると分かっていても、アイーダにとっては辛いだろうか。
それとも、彼の命を救えて、何の憂いもなく満足に死んでいくのだろうか。
結局、ラダメスはアイーダと共に処刑される道を選んだ。
演技をするとき、人は多くの場合演じる対象を自らの中に再現する。
どういうわけだか、輝くんの前でだけ、わたしはそれをあっさりとすることができた。
それも含めて輝くんの力か、それとも私と彼の相性か。
輝くんは涙混じりの笑顔で、手を差し出して、沈黙。
その長い無音の中、物音をたてようとする者は誰一人としていなかった。
ラダメスの台詞は、堅苦しい文章ばかりなうえ一人称は我なんだけど、最後の最後だけは口語調。生き埋めにされる処刑の寸前、アイーダに告げた言葉。
口元を震えさせながら、輝くんは静かに言葉を紡ぐ。
「たとえ100回生まれ変わっても、僕はきっと君を探し出すよ」
私の心は撃ち抜かれた。
静まり返った教室。微かに拍手が巻き起こり、やがて大きな歓声を産み出す。
「素晴らしい演技じゃった。月夜茶会ならともかく、一般の授業でここまでのものが見られるとは」
手を叩きながら私たちの元へと歩いてくるのは学園長。入学式でも挨拶してたお爺さんだ。
「昨日の午後の授業の評価も見せてもらった。……柚希輝くん。入学間もない時期だが、もういいじゃろう。君にスター枠への内定を言い渡す」
校長は他の先生にも「いいでしょう。これで」と尋ね、皆がうなずく。
こうして、天才少年・柚希輝くんは、入学3日目にして夢ヶ咲学園史上初の一年生スターに選ばれたのでした。




