その6
茶色い電車で県境を越えて終点。レールの果てが建物の中にある大きな駅で、私たちは電車を降りる。
「梅田~!」
電車から降りた琴葉が伸びをしながら大声で叫ぶ。電車のなかでおとなしくしてたのが奇跡みたいな人だ。
「こっちだよこっち!」
琴葉に連れられ、私たちは高層ビル立ち並ぶ町のなかを歩く。ごちゃごちゃした商店街の近くで、琴葉は立ち止まった。
新しくてきれいな雑居ビル。その三階まで上がる。
「え……」
私は店の看板を見て、思わず面食らう。
『猫耳メイドカフェ からーず』
これは、いわゆるメイド喫茶というやつなのではないだろうか。
待って。まさかとは思うけど、琴葉は千景くんがここでバイトしてると言うなんてことは……、
「じゃじゃーん! ここが千景くんのバイト先でーす!」
あった。
琴葉はどや顔で私たちに反応を求めてくる。
「いやいやいやいや。あのクールなお兄さんの千景くんが? そんなわけないでしょ?」
つきロンの千景くん、そして私が過去にこの世界で会った千景くん、今の千景くん。
姿形こそ違えど、どれも確かにしっかりもので頼りになるお兄さんの千景くんだった。
さっきの響先生のアドバンスド授業でだって、頭脳のすごさを見せつけていたんだ。
その千景くんが、学校から電車で1時間くらいの場所のメイドカフェまでわざわざ赴いてバイト?
ありえない。
「そんなこと言ってもね。ここって夢ヶ咲学園最寄りのメイド喫茶なんだよね」
最寄りのメイドカフェという単語はあまり理解できない。
「前に、千景くんのバイト先聞いたら喫茶店だって答えてくれて、それ以上は黙ってたから、あたしの情報網で探すことにしたの。そしたら、仲良くしてるイケメンサラリーマンのお兄さんから、夢ヶ咲学園の女子制服着た子がこのビルに入っていったって報告受けたもんで」
そのお兄さんとの関わりも深く聞くとおぞましい話になりそうなので放っておくことにした。
「三日月の髪飾りしてたって話だし、千景くんで間違いないよ。このビルに喫茶店はひとつしかないから、ここしか考えられないね!」
到底信じられない。だけどここまで来て引き返すのももったいなさ過ぎて、とりあえず店に入って確認してみることにした。
ガヤガヤとした騒がしい店内。猫耳カチューシャをつけたメイド服の女の子が、「いらっしゃいませ~。3名様でよろしいでしょうか」と尋ねてくる。
琴葉が「はーい」と答えると、私たちはテーブルクロスのあしらわれた丸い机に案内される。
内装はそこまで下品ではない。夢ヶ咲学園の食堂と似た雰囲気の、落ち着いていてそれでいて高級感のあるカフェ。内装だけなら、ノートパソコンを持ったエリートサラリーマンが、仕事の合間に一息つきそうなだ。
まわりのお客さんも、いわゆるキモオタみたいなのが多いと予想していたけど、全然そんなことはない。いたって普通の若い男性がほとんどだ。少ないながら女性客もいる。
さらによく見ると、メイドさんに比べるとごくわずかながら、男性の店員さんもいる。こっちは普通のカフェの男性店員という感じの服装。
私たちは無駄に高いパフェを頼む。運ばれてきたパフェに口をつけようとしたその瞬間、事件は起きた。
スタッフルームの扉がばたんと開いて、一人のメイドさんが飛び出してきた。
とても顔が小さい。すらりと背が高く、細身な体と相まってモデルのようにも見える。
この店はかわいいメイドさんが多いけど、今出てきた子はまさに格が違う。
「あ、千尋ちゃんだ!」
一人のお客さんの声で、みんながそちらに集まる。
「サインしてください!」
「写真よりもかわいい~!」
「いつものあれやってください!」
千尋ちゃんと呼ばれたぶっちぎりでかわいいメイドさんは、自分を取り囲むお客さんたちににっこりと笑顔を向けて、
「みんな来てくれてありがとう! 今日もみんなに、精一杯ご奉仕するにゃ!」
琴葉すらも上回る、あからさまに作った萌え声で猫の手のポーズ。ご丁寧にも腰には尻尾の模造品がついている。
さっき、キモオタっぽくない客ばかりといったけど、この様を見て、それは外見だけだと私は気づく。
この人たち、言動がかなりおぞましい。下手したら俗に言う『キモオタ』以上に。
そして、ふと、猫耳カチューシャの近くにつけられた、三日月の髪飾りが目につく。
私の頬に、冷たい汗が流れる。
「と、いうわけで、千尋ちゃん、パピっと登場! みんな萌えて萌えてきゅんっきゅんっしていってね!」
手でハートマークを作る『千尋ちゃん』。その顔立ち、いつもとメイクは違うけど、私は何度も見たことがある顔だと確信する。
「今日の元気も準備完了! 今日もお客さんにボクのパピっとスマイル、たくさん届けちゃうよ♪」
沸き上がる歓声。同じテーブルの二人を見ると、輝くんはもちろんのこと、琴葉までもあっけにとられた様子でそちらを見つめていた。琴葉のもつスプーンから、プリンがつるりとテーブルに落ちる。
二人とも気づいてる。この『千尋ちゃん』は、私たちのよく知る人だ。
というか、千景くんだ。
化粧がいつもと違うから分かりにくいけど、瑠美としての私は一応彼の従妹。見れば、わかる。
声も、あの千景くんが無理して作った声と言われたら納得がいく。
「8番テーブルにご新規さん? 今すぐいきます!」
そうして千景君は人込みをかき分けて、満面の笑みで腕を翼のように広げながら私たちの前へと飛び出してくる。
「やっほー! ご新規さん、来店ありがとう! ボク、千尋! メイド活動、一生懸命頑張るから、パピっとヨロヨ……ロ……?」
千景くんは私たちと目が合った瞬間、セリフが止まって一気に声が低くなる。
「え?」
学校での声と同じ、ハスキー寄りなお姉さん声。先ほどまでの媚びた萌え声はどこへやら。
千景くんは何が起こったかわからない様子で、ただ声を漏らす。
「え?」
「え?」
「え?」
無意味な声の応酬。ファンデーションの向こうでその色白な顔面が、さらに蒼白になっているのがはっきりとわかる。
「な、なんで?」
千景くんの口から、ようやく言葉の形をした音が出た。
あまりにも気まずい。どのくらい気まずいかというと、あの琴葉さえも、ばつの悪そうな表情を見せるくらい気まずい。
「なんで、瑠美たちがここに?」
私たちは何も言えず、沈黙。
静まり返った店内で、最初に言葉を発したのは琴葉だった。
「えっと、かわいいよ。『千尋ちゃん』」
それが、崩壊のトリガーだった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!!!!!!!」
響き渡る絶叫。千景くんは店を飛び出して、そのまま廊下から窓枠に足をかけた。
「やめろ! 柚希くん、離してくれ! ボクは今すぐ飛び降りなくちゃいけないんだ!」
「落ち着いてください! 早まっちゃダメです!」
「ならせめて君が介錯してくれ! こんな姿を見られたら、ボクはもう死ぬしかないんだああああああああ!!」
取り乱すあまり今にも飛び降り自殺しそうな千景くんと、さすがの身体能力で即座に駆け寄って必死に静止する輝くん。
数秒前は窓枠の向こうに身を乗り出していた千景くん。私は躊躇いを感じながらも、宮小路さんから預かった機械を、輝くんに引っ張り込まれた千景くんへと押し当てる。
「ぎゃっ!」
バチンと電気が弾ける音。その痛み故か、ようやく千景くんの大暴れは収まる。
『琴葉さんおしおき用スタンガン』がまさかこんな形で役に立つとは……。
「あ、あああぁぁああ……」
千景くんは絶望に染まった顔でうめき声を上げ続ける。
さて、この事態にどう収拾をつけたらいいんだろう。私は深くため息をついた。