その1
「瑠美。ここが、あなたの入る夢ヶ咲学園よ」
執事さんが運転する高級外車。そこから降りた私は、ダイヤの指輪を着けた『母親』に手を掴まれる。
実家から遠く離れて兵庫県南東部。超お金持ちのお子様ばかりが集まる夢ヶ咲学園高校。
その正門前に、私は立っていた。
いくらお金をかけたのか考えたくもない荘厳な正門と、向こうに聳える大きな校舎。だけども私は、そんなものとは比較にならないくらい大きな衝撃を受けた。
──夢ヶ咲学園!?
私の幼い頃。違う。もっと前。そう。前世とでも言うべき過去の記憶。
私は当時大好きだった乙女ゲーで、この学園を見たことがある。
タイトルは「月に寄りそう乙女のロンド」。今の私は星条瑠美。ここがあの乙女ゲーの世界だとすると……、私に待ち受けてるのは破滅の未来ってこと!?
月に寄りそう乙女のロンド。
公式の略称は『つきロン』。
大学行き資金を貯めるためにせっせと働いてた19歳OLの折原可奈、つまり前世の私が大好きだった乙女ゲーだ。
ファンディスクやファンブック、やグッズも全部買ったし、なんならネット上での考察民でもあった。
主人公、花總友紀は極普通の女子高生 (とか言いつつめちゃくちゃ美少女なのは、少女漫画や乙女ゲーにありがちなこと)。ある日、町で助けたお爺さんが理事長を勤める夢ヶ咲学園に、唯一の庶民として二年生の春から転入することに!
夢ヶ咲学園は超お金持ちのお坊っちゃまばかりが集まる少人数の学校で、友紀ちゃんはそこで美少年たちから言い寄られつつ、この学校で頑張っていくわけです。
だけどもそれを妬むのが、友紀ちゃんが入る前は唯一の女子生徒だった星条瑠美。つまり今の私。
この瑠美とかいうクズは、この学校の中ですら一際目立つ財閥の娘。おーっほっほ!という鳴き声の似合いそうな、典型的お嬢様キャラ。ものすごく性格が悪くて、男を侍らせて悦に浸ること日常茶飯事。友紀ちゃんにも、実家の権力で彼女のお父さんをクビにしようとするなど、日々陰湿な嫌がらせを行っていく。
瑠美の末路はお決まりのざまぁエンドってやつ。友紀ちゃんのバッドエンドやノーマルエンドですら家ごと破滅して心中か瑠美だけ自殺。どうあがいても絶望。
折原可奈だったころの私は、友紀ちゃんはとてもかわいくて健気で大好きだった。なんなら推しである輝くんの次に好きなキャラだったほどだ。
瑠美のことはほんとに嫌いだった。友紀ちゃんが一生懸命頑張った結果、瑠美が破滅したときには、毎回パソコンの前で「よっしゃ!」と叫んだものだ。
だけど私が、今は瑠美。
状況は最悪。けども私はうろたえなかった。こんな状況、可奈はすでに考察していたからだ。
この作品が好きすぎた私は、日夜このゲームについてネットで語り明かした。時には「瑠美に転生したらどうやって破滅回避する?」という議論すらしていたのだ。
そのときの話し合いと、私が隅々まで知り尽くしているこのゲームの設定や選択肢やフラグ知識。これらを組み合わせれば、破滅回避は容易のはず!
なにはともあれ、大事なのは作戦の吟味。私は脳内一人会議の決行を決意した。
夢ヶ咲学園の近くの高級ホテル。そのスイートルームで私は明日の入学式に備え、お母さんと二人で泊まることに。
一人で寝るには大きすぎるベッドの上、お母さんが風呂に入っている間、私は前世の知識をもとにゲームの内容についてノートに書き留めていく。
柚希輝……推し。クラスメイト。明るいキャラ。イメージカラーは青。
天海千景……一学年上の先輩。従兄。俺様系クールキャラ。イメージカラーは黄色。
姿月凛音……後輩。弟キャラ。イメージカラーは紫。
愛華響……数学の先生。今は32歳独身。温厚な柔和イケメン。ママ。イメージカラーは赤。
攻略対象はこの四人。後輩である凛音くんの入学は転入生の友紀ちゃんと同じく来年。
だから、今年は残りの三人からの好感度稼ぎが重要。
「特に推しの輝くんね」
彼の魅力について語るのは置いておこう。どうせ学校で会えば私の頭のなかはそれ一色になるはずだから。
友紀ちゃん含め、このゲームのメインキャラはみんな大好きだ。瑠美を除いて。
この中で、私がすでに面識あるのは従兄の千景くん。とはいえもう何年も会ってないから、関係性は初対面と同じようなものと考えていいはず。
イメージカラーというのは、イラストでの髪色とか、持ってる小物とか、ネクタイの色とかね。本ヒロインの友紀ちゃんは緑で、一方の私・瑠美は……黒。
気品の色という見方もあるけど、キャラへの嫌悪感からか、どうしても暗いイメージに引きずられる。
前世の記憶を取り戻す前の私は、瑠美として黒を好んでいた。服とか小物とかもやたらと黒を選ぶ。これが世界の強制力というやつか。
「早くしてくださいます!? こっちは高いお金を払ってるんです。あんまり舐めたことをしていると、星条財閥が黙ってませんわよ!?」
いつの間にか風呂から上がっていたお母さんが、向こうで大声を出しながら、受話器を叩きつけていた。
多分、怒ってる理由はしょうもない。ルームサービス持ってくるのが少し遅いとか、シャワーが温かくなるまで少し時間がかかるとか。
この世界での親がひどい人間であることに絶望しつつも、とりあえずやるべきことをまとめる。
「まず、入学したらすぐに始めなきゃいけないことは……」
学校の男子生徒たちに対して偉そうにふるまわず、おしとやかに接して好感度を上げていくこと。
特に重要なのは、今年夢ヶ咲学園にいる、輝くんと、千景くん、そして響先生の3人。
1年後、2年生になったとき、編入してくるはずのヒロイン友紀ちゃんと、入学してくる後輩の凛音くん、この2人ともしっかり仲良くなっておく。特に友紀ちゃんをいじめるなんてもっての他。
「すぐやらなくちゃいけないのはこんなとこかな」
私、折原可奈改め星条瑠美、行動計画は練れました。あとは前世のゲーム知識との組み合わせでなんとか破滅を回避しつつ、輝くんとのトゥルーエンドを目指します。
あと不安なのは、こういう乙女ゲーへの転生でありがちな「主人公がすごく性格が悪くなってる」パターン。
正直あの熾天使友紀ちゃんが悪い女になっている可能性なんて考えたくもないけど。
まあそれも問題になるのは来年の話。今はできることをするだけだ!
あわよくば推しの輝くんと恋仲になれたらいいなと思う。逆ハーレムなんて出過ぎたことは言いません。
ともかく、傲慢な女でさえなければ、この世界を知り尽くしてる私なら大丈夫! と思う!
というわけで、折原可奈改め星条瑠美は、前世の乙女ゲー知識を駆使して、この世界を生き抜くことを決意したのでした。
「明日の入学式、まずはその一歩目!!!」
私は決意と共に拳を握る。
……だけど明日の入学式で私は思い知らされることになる。
前世のゲーム知識なんて大半が役立たずになるような、とんでもない出来事が起きているのだということを。