番外編 たなばた
2019.7.7
「願いを言え。どんな願いもひとつだけ叶えてやろう」
七月七日、日曜日。
六花の部屋にいつもの四人が集まるや否や、鈴がそんなことを言い出した。
「六花、これ面白かったわ。ありがとう」
涼華がバッグから一冊の本を取り出して六花に手渡す。借りていた推理小説だった。
「はいよ。また何か持ってく?」
「そうね……何かおすすめはある?」
「無視すんなおまえらー! 願いだぞ!? 何でも叶うんだぞ!?」
鈴が涙目で訴えた。
バカがまたバカなことを言っているなと六花が呆れ顔になる。
「六花ちゃん……そんな、バカがまたバカなことを言ってるみたいな顔しなくっても……」
理沙がわざわざ六花の気持ちを代弁してくれた。
「理沙!? 理沙まであたしのことそんな風に思ってたの!?」
「えっ……まあ、うん」
「が、がびーん!」
てっきり優しい理沙なら否定してくれると思っていた鈴は予想外の肯定にひどくショックを受けた。
「理沙も言うようになったわね……。で、願いがどうしたって、おバカさん?」
流石に哀れに思ったのか、涼華が鈴に話を振った。
「よくぞ聞いてくれた! 今日は何の日だ!?」
「七月七日」
バカは立ち直りが早いなと六花は思ったが、それを口にすると話がまた横道に逸れて面倒なので端的に日付だけを述べた。
「バカ! 六花バカ! 誰が日付を言えって言った!?」
六花がイラッとして口を出そうしたのを見て理沙が慌てて口を挟む。
「あっ! お、お兄ちゃんがパチンコ屋さんで勝てる日って言ってた! 今日、朝早くから出てったよ!」
「いや、それ理沙の兄ちゃん絶対負けてるよ! 典型的な負けるギャンブラーだよ!」
「そ、そんなことないもん! お兄ちゃん、友達に借りたお金倍にして返すって言ってたもん!」
一同はうわぁ……と思ったが、それ以上は何も言えなかった。余談だが、理沙の兄はその日パチンコで八万円負けた。
「そういうのじゃなくって! ほら、もっとあるだろ!? ロマンチックなやつがさ!」
「あー……七夕?」
六花が面倒くさそうに言う。
「正解! 正解者には鈴ちゃん印のスタンプをあげよう!」
鈴がポケットから出したスタンプを六花の頬に押し当てた。たいへんよくできましたの花丸スタンプが六花の頬に刻印される。六花は無言で鈴からスタンプを奪うと、額と両頬にグリグリとスタンプを押しつけた。
「痛い痛い痛い!? ひ、ひどくね!?」
「それはこっちのセリフだよバカ野郎」
「七夕ねぇ……北海道は八月にやるものでしょ?」
「このグローバル化社会において何を言ってる!? そんなんじゃこのグローバル化する社会に置いていかれるぞ!?」
涼華の疑問を鈴が一蹴する。
その場の誰もがこいつグローバル化社会って言葉を最近知って使いたいだけなんだろうなと察したが、誰もそのことには触れなかった。面倒くさいので。
「というわけで、百均で短冊を買ってきた! さあ、おまえら願いを書け!」
鈴がポケットからカラフルな短冊を取り出し、三人に押し付けた。
「笹は?」
六花の問いかけに鈴がきょとんとする。
「笹? 六花、笹食うの!?」
「おまえ、わたしのことパンダか何かだと思ってるわけ?」
そのやり取りに何故か理沙はツボったようで、顔を伏せて笑いを堪えながらピクピクと痙攣していた。
「まー、パンダよりはおまえの方が可愛いと思うけど」
鈴があまりにも当たり前のことのように言ってのけたので、その言葉を直撃した六花は思わず赤面した。
「バ、バカ! パ、パンダの方が可愛いだろ! このバカ鈴!」
動揺した六花の語彙力は低学年なみに落ちる。
「ね、ねえ鈴……わたしとパンダだったら、どっちが可愛いかしら?」
今が好機とばかりに涼華が便乗した。好きな人に可愛いと言ってもらいたい。そんな乙女心だった。
「え? パンダ」
乙女心は玉砕した。
「そ、そうよね……パンダは可愛いものね……わたしも好きよ、パンダ……」
涼華は鈴から顔を逸らしてしくしくと泣いた。
その泣き顔を横で見ながら、涼華ちゃんはどうしてこんなバカのことが好きなんだろうと理沙は思った。
「短冊に願い事を書いたら鈴ちゃんが叶えてくれるの?」
理沙の問いかけに鈴が胸を張る。
「その通り! このあたしが何でも叶えてあげよう!」
「何でも、ねぇ……」
六花が懐疑的な視線を鈴に送る。一方で、涼華は真剣に悩んでいた。
さっきのリベンジで好きって言ってもらおうか。あるいはデートとか。いや、いっそのこと恋人になってもらうとか……いやいや、そんなのはダメだ、そういうことは自分の力で叶えなければ意味がないと首を横に振る。
「じゃあ、はい」
短冊に願いを書き終えた六花が面倒くさそうに鈴に手渡した。
「……おまえの願い、これでいいの?」
鈴が拍子抜けといったような表情になる。
「いいよ、早くやれよ」
「もっとこう、熱く抱きしめてほしいとか、そういうのでもいいんだよ!?」
それは鈴ちゃんの願いでしょと理沙が内心ツッコミを入れた。
「うるせぇ。早くやれ」
六花に促されると、鈴は唐突に顎をしゃくれさせた。
「元気ですか! 元気があれば、何でもできる!」
場を、何とも言えない静寂が包み込んだ。
「六花のせいで滑ったじゃん!?」
鈴が涙目で抗議しながら『猪木のモノマネが見たい』と書かれた六花の短冊を投げ捨てた。
「せめておまえは笑えよ!? 願ったんだろ!? あたしの猪木が見たいって願ったんだよね!?」
「いやー、ごめん、なんか思ったよりもキツくって……」
「キツいって言うな!?」
「じゃあ鈴ちゃん、次これ」
理沙から渡された短冊を見て鈴の顔が引きつった。
「り、理沙?」
「鈴ちゃん、何でもするって言ったよね?」
理沙の笑顔から圧力を感じる。
意を決して、鈴は顎をしゃくれさせた。
「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし」
理沙が書いた願いは、まさかの猪木モノマネのアンコールであった。しかし、やはり誰一人として笑わない。
「七夕とあたしに謝れ!」
鈴がキレて理沙の短冊を床に叩きつけた。
「ま、まあまあ鈴ちゃん、落ち着いて。きっと涼華ちゃんは変なこと書かないから」
「と、当然よ」
涼華が願いを書いた短冊を鈴に渡す。頬が微かに赤くなっていることに理沙だけが気がついた。
「涼華……」
書かれている内容に、鈴が目を丸くして、それから満面の笑みを浮かべた。
「うん、おっけー! おまえの願い、絶対に叶えてやるからね!」
「涼華ちゃん、何て書いたの?」
理沙が首を傾げる。
「ふん、ひ、秘密よ」
「へへー、涼華って何気にいい奴だよねー」
鈴が涼華の短冊をひらひらと揺らして、みんなに公開しようとする。
「何してるのよ!? は、早くしまいなさい、バカ鈴!」
涼華が慌てて鈴に飛びかかり、取っ組み合いになった。
これもまあ、いつもの見慣れた光景だなと六花はそう思う。
でも同時に、わたしたちはいつまでこうしていられるのだろうとも考える。
大人になったら。あるいはそれよりも早く何かがあって四人の関係性が変化したら。
もうこんな馬鹿騒ぎも出来なくなるのかもしれない。
「ろ、六花、パス!」
鈴が短冊を奪われまいと六花に向けて投げた。
六花が宙でひらひらと揺れる紙を掴む。
『これから何があっても四人一緒でいられますように』
涼華の綺麗な字で書かれた、綺麗な願い事だった。
こういうのをまさに綺麗事って言うのかも。でも悪くない。六花は微笑んだ。
涼華が願い、鈴が叶えると言った。自分もそうありたいと思っている。
なら、この願いはきっと叶うのだろう。




