第一村人
タイトルと文体を変える事にしました。2019/8/4
たぷん、たぷん
水面の音。
何だか寒い。…これは、水の中?けど、苦しくはない…事はない!
「ぶっは!」
ばたばたと暴れながら、水面から顔を出すと、思ったよりも深さはないようで、足が着いた。これで足が着かなかったらパニックを起こして溺れていただろう。
愛実は、深呼吸して息を整えた。足は着いたが、それでも胸元辺りまで浸かる深さで、1メートル以上はある。足元の細かい砂も、はっきりと見える程、透明度の高い水。恐ろしく冷たい。おかげで目は覚めたようだった。
とにかく、寒い。陸にあがろう。
愛実が居たのは、泉らしき水場のちょうど中心だった。そこから歩き出して、周囲を見渡すと、木々に囲まれているのが分かった。森の中だと思うが、生き物の気配はあまり感じない。愛実は少々不安になりながら、岸辺へ近付くと、緑が多く目に付いた。草は柔らかく、裸足で踏んでも痛くはなかった。
「とりあえず…」
愛実は、白い薄い布で出来た構造がよく分からない服を着ていた。形的にはワンピースのようなものだろう。その服を着たままの状態で可能な限り絞った。脱いで絞る勇気はなかった。
ポタポタと水が落ちると、足元の草花の色がより鮮やかになって、仄かに光っているように見えた。いかにもファンタジーにありがちな現象。なるほど、こういう世界?と愛実はやや冷静に頷いた。
前の世界と違う、全くの異世界を受け入れつつあったのは、愛実にとって、現実的で、夢とは思えないからだった。水の中に居た時は、確かに夢心地と言った様子であったが、寒さと息苦しさに気付いてからは、優雅なものではじゃなかった。パニックで水飲んで呼吸も苦しく、これは夢ではない、と思えた。危機感が現実的。死と隣り合わせなのだと、身をもって感じた。
本当に転生しちゃったんだな…記憶ってどうなるのかと思ったけど、そのままなのね。赤ちゃんとかじゃなかっただけいいのかな…でも、転生先が水の中って、溺死したらどうするつもりだったんだろう。まあ、結果として死ななかったけど…
そんな事考えながら、水浸しの服をとにかく絞った。濡れた布が張り付いて気持ち悪いのもそうだが、非常に寒い。転生早々、風邪引きそう。と、愛実の心が折れかけた、その時、
「マナ…様?」
「え?」
誰?何で、私の名前を?
愛実が顔を上げると、少女とも少年とも見える子供がこちらを見ていた。驚いた顔をしている。
「マナ様、でいらっしゃいますか…?」
幼いのに、随分と丁寧な話し方が出来る子だと感心しながら、
「えっと…はい、そう、です」
と、愛実は締まりのない返事をした。
「やっぱり…!伝承通りだ!」
子供は嬉しそうに愛実に近付いてきた。髪は亜麻色で、瞳は琥珀色。顔立ちは日本人とそう変わらない気がするが、目がくりくりとして、可愛らしい印象だ。ゆったりとした白い羽織のような形の服を着ていて、何かの紐で腰回りを結んでいる。装飾品はないけれど、腰の紐にナイフのような道具などがぶら下がっている。靴は皮で出来た簡易なもので、紐で足首に固定している。この世界の民族衣装のようなものだろう。
「私は透と申します。マナ様、村へご案内致します。どうぞ、こちらへ」
名前から察するに男の子かな、と愛実は思った。透と名乗る子供は、やや強引に愛実を自分の住む村へと連れて行こうとした。
押しの強さに、愛実は少々戸惑った。しかし、転生したばかりで、この世界の事どころか、自分の事すらよく分かっていない。人が住む所へ連れて行ってもらえるなら、今の状況よりは悪くはならないんじゃないかと考えた。
が。途中で気付いた。今、彼女は。何故かは理由は分からないが、薄い布で出来た服しか着てない。そして、暑い訳でもないのに、水の中に居たって、ちょっと…いや、かなりの変人だ。びしょ濡れの痴女が、少年と歩く姿は犯罪臭すら…そこまで考えて、水から出て来るところまで見られていたとしたなら、今の状況はかなり恥ずかしいのでは、という結論に至った。
「えっと…その、とりあえず、濡れてるのをどうにかしたいんだけど…」
いい年した大人が、初めて会った子供に縋るしかない情けなさが、なお、恥ずかしい。
「あ!気付かず、これは失礼致しました」
そう言うと、透は祈るように手を合わせた。
ふわり
暖かい風が吹いた、と思った時には、服だけでなく、髪から足先まですっかり乾いていた。
愛実は硬直するほど驚いた。どうやら、魔法のような事が出来る世界らしい。子供でも出来るのだから、きっと、この世界では日常的なものなのだろう。
私でも使えるのかな。愛実は、そんな事を考えながら、沈黙した。考え事をすると、無表情で黙り込み、静止するのが彼女の癖らしく、前の世界でも度々、周囲の人を怖がらせていた。
ふと気が付くと、透が、伺うように愛実を見上げていた。硬直して動かなくなった愛実を怖がってか、不安気な表情をしている。しまった、と愛実は思った。ガン無視してるような状況になっていた。
「あ…、ありがとう?」
気まずい、と思いながら、愛実がなんとか感謝を述べると、透は弾けるような笑顔を返してくれた。
「…!いえっ!私の方こそ、マナ様の前で、素術をお見せする機会をくださり、ありがとうございますっ」
こちらが照れるくらいに、紅潮させて嬉しそうにしている。
そして、疑問が深まるのが、愛実に対する態度だった。育ちが良いにしても、礼儀正しすぎやしないだろうか。様付け。そして、丁寧語に尊敬語、謙譲語も遣いこなしている。愛実が助けてもらったのにも関わらず、助けさせてくれてありがとう、と言った類の言葉。前世なら神対応などと言われるかもしれない。この世界の子どもたちは皆、こうなのか、と愛実は思った。
「ところで、村までは遠いの?」
「いえ、そう遠くはありません。こちらです」
誘導されるままに、愛実が歩き出そうとすると、
「あ、御御足失礼致します」
と言って、服を乾かしてくれた時と同じように手を合わせた。
「では、参りましょうか」
そう言うと透は歩き出した。愛実は、前を行く透の背中を追った。違和感に気付いたのは、数歩進んでからだった。足の裏の感覚がない。草を踏んだり、砂が付いたりする感触がない。
これも魔法?『素術』とか言ってたけど…便利なものなんだなぁ。
***
10分程歩いたように思う。少し開けた場所に出た。前方には朱塗りの小さな門が見える。
「あちらが、正門です」
村、と言うより、町のように見える。門も立派な物であるし、村の周りは岩壁で囲まれていて、門前に自然が残る形ながら、きちんと整備されている。
門をくぐると、のどかな田舎風景が広がっていた。家は木造で平屋が多い。思ったよりも人が沢山住んでいそう。農作業用の道具らしきものも、そこかしこに並んでいる。
「まず、村長にお会い頂きたいですが」
「は、はあ」
きちんと段階を踏んで村に案内してもらえるのが申し訳ない気がして、愛実は間の抜けた返事になる。透は気にせず、進んで行く。
この村には、集合住宅のような場所がいくらかあった。どれも、四角を描くように家が並んでいて、その家同士が密着している。家同士がくっついているのだ。世界的有名なブロック玩具で作る町並みみたいだ、と愛実は思った。日本では見た事がないような建て方だと思って見ていると、それに気付いたのか、
「この村では、縁が近い者たちは家を接いで建てていくのです。そして、自分たちの土地を家で囲みます。真ん中の空いた場所は、基本的にその一族の物で、畑を耕したり、果樹を植えたりしております」
と、透が丁寧に説明してくれた。
「あんな風に」
そう手を向けた先には、空いた戸を通して、中庭のような畑が見えた。素敵なスローライフに思えたが、日当たりが悪そうな気もする。愛実は思わず、空を見上げた。
「…確かに、日当たりは良くないのですが、風害を考えると合理的なんですよ」
透は、愛実の考えてる事が分かるのか、それとも彼女の顔に出ているのか。次々と彼女の心の質問に答えてくれる。
「風害?」
「ええ…風を司る神、風神様による風害です」
思ったより早くキーワード『神様』出てきた。愛実はそう思いながら、静かに透の話を聞いた。
「最近は特に酷く…共用の畑や果樹の被害が」
透は悲しげな顔をした。
「…失礼致しました。私からお話しすべき事ではありませんでした。お忘れください」
透は頭を下げた。ただ村の話をしただけで、謝罪する事などないだろうに、その表情は申し訳なさそうだ。村の欠点を話す事は村の恥、だとか、そんな風習でもあるのだろうか。
「え、そんな。あの、その…大変、だね。」
「お優しいお言葉…。ありがとうございますっ…」
透は感極まるような面持ちで、愛実を見て、目を細めた。大した言葉を掛けた訳でもないのに、嬉しそうにされると罪悪感があるのか、愛実は手をもじもじさせた。
しばらくすると、透が深呼吸をした。何か気持ちを切り替えたように、
「さ、こちらです」
そう言って、歩き出した。愛実はそのまま後を追った。
しばらく二人は無言で歩いた。少し気まずい様子だ。愛実は子供相手にコミュニケーションを取れない自分が恥ずかしいようで、俯いている。
透に付いていくと、他の家とは違った、大きな一軒家の前で足を止めた。
「こちらへどうぞ」
村長の家だったらしい。石が積まれた塀が家を囲み、何かの果物の木も植えられている。確かに他の家に較べ、立派な造りだ。
「どうぞ、中へお入りください」
透に続き、愛実は恐る恐る家の中へ入る。入ってすぐに玄関らしき広い土間があり、透はそこで靴を脱いでいた。愛実は裸足なので、その間周りの物を観察していた。土間に人は居らず、竃のようなものがあった。近くには稲穂によく似た草が干されていたり、小さい林檎のような果実が籠に入っていたりして、この世界での生活が垣間見えた。
「お待たせ致しました。こちらへ」
ぼーっとしていた愛実に透が呼びかける。愛実が透に近付くと、にこり、と笑顔を返された。
愛実は土間から上がる時に足の裏を見た。全く汚れておらず、素術とは本当に便利だと愛実は思った。そして、そのまま家の奥へと進んだ。
いくつかの部屋を素通りして、少し歩いた先、隠し扉のような所で透が立ち止まる。扉を開けると、意外に小さな入り口で、御簾が掛かっていた。
「お入りになられます」
そう言って、一呼吸後、透が御簾を上げる。
入れって事かな。
愛実は御簾をくぐる。
「マナ様、あちらへお掛けください」
透が促す先には豪華なクッションがいくつもがあった。刺繍が美しく、大きなものだった。愛実は言われたまま、とりあえず、1番真ん中にあるクッションに座って、前を向くと。
…え。
大勢の人が座っていた。100人、いやもっと居るかもしれない。愛実はこの世界に来て、こんなに人を見るのは初めてだった。
そういえば、生活感があったのに、村には一人も人が居なかった。
今更、不自然さに気付く。
人数に驚いたのも束の間。
「マナ様。ようこそ、おいでくださいました」
1番前に居る男性がそう言うと、部屋に居る全ての人が頭を下げた。いつの間にか透も、その男性の近くで同様に頭を下げていた。
「ひぇっ…」
思わず、愛実の声が漏れた。大勢の人間が初対面の自分に頭を下げる光景なんて、怖いだけだ。よく見ると、若者からお年寄りまで、様々な年代の人たちが居た。
「え、えぇっと…」
いつまで経っても頭を下げたままなのが、更に怖い。
「顔を…上げてください…」
恐る恐る、愛実がそう言うと、皆一様に顔を上げ嬉しそうな顔をした。年配の方は「有り難や、有り難や」と小さく繰り返している。
「あの、これは…?」
まず、状況説明をお願いしたい。
「ご無礼をお許しください」
1番前に居る男性がまた頭を下げる。
「い、いえ。その、いいんです。そういう意味じゃなくて…あの…、こちらの方は?」
愛実が透に縋ると、
「村長でございます」
この村で1番偉い人が、私に頭下げてるって事ですね。
愛実は居たたまれなくなり、
「顔を、顔を上げてくださいっ」
と声を上げた。見ると、村長は顔色が良くないように見えた。
「マナ様のご降臨にて、村の者がどうしても一目見たいと申しましたので、このような場になりまして…」
降臨って何。私、何に転生したの。生贄じゃないの?
愛実は混乱する。
「あの…何の事でしょうか」
「これは、またご無礼をっ!」
ああ、これ無限ループするやつ。どうしたらいいんだろう。
愛実は人並のコミュニケーション能力しかないし、口が滑らかな方ではない。事態を収拾するのが困難だと途方に暮れかけた時。
「父上っ、マナ様はお優しい方です!その様にしては、マナ様を困らせてしまいますっ」
透が叫んだ。口ぶりから、透が村長の子供だと言う事が分かった。
「こちらへお連れする際も、私を気遣うお言葉を頂きました…!」
村人たちがざわつく。
「真っ直ぐにお伝えすれば、必ず…!必ず、お応え頂けますっ」
愛実の人格ハードルがどんどん高くなっていく。
そして。
私は一体何者なんだろう…。
村の人たちから畏敬の視線を受け、愛実は遠い目をした。