相棒の秘密
次の日。予報では今日が台風直撃で、天気は大荒れと言われていたはずだった。だがその予報はすっかりと外れ、直前で台風は直角に曲がって、太平洋側へと向かっていってしまった。おかげでこちらの天気は回復し、暑苦しい夏の再来となってしまった。
雲という雲も台風のせいで一蹴され、頭がおかしいのではないかと感じるほどの暑さだ。これほど暑いと、思わず気が滅入ってしまう。こんなときは、キンキンに冷えたサイダーと、ソーダアイスにコーティングされたバニラが美味しい、アイスバーが食べたくなるものだ。
「ねぇ、純」
「ん、どうかした?」
再び彼と二人きりになった美術室。今日は珍しく、美羽は部活に来なかった。哲平も早いうちに帰ってしまって、また彼と二人きりの空間にいる。ようやくお互いに展示会に出す絵が描き終わり、今は二人揃ってベランダの日陰に座り込んで涼んでいた。
「昨日のさ、話なんだけど……。警察に行ったことがあるって、美羽が言ってたでしょ? それって、本当?」
「あぁ……その話か」
バツが悪そうに呟くと、一つ息を吸ってから、純が言葉を続けた。
「ほら、俺コンビニでバイトしてるだろ? バイトの帰りにさ。夜中歩いてたら、女性のカバンを盗ったひったくりに遭ったんだ。そいつを追いかけて捕まえてね。その事情聴取のために、ちょっと話をしてただけだよ」
「えぇ!? そんなことがあったの? だったら、相談とかしてくれたらよかったのに」
「別に、相談することなんて何も無いでしょ。その場で解決しただけだもの。それに、椎奈に話しても話さなくても、どっちにしろ何も変わらなかったよ」
「……そう」
こういうとき、純はいつも一人で抱え込む。私や他の人に心配かけないようにと、いつも一人でなんでもしようとするんだ。こういうところが、純の嫌いな所でもある。
「それよりさ。やっぱりその……流石に昨日のは少し、やり過ぎな気がしたんだけど。よかったのか、アレで?」
純が私に問うた。
「えー。だって、美羽があんなこと言ったんだよ? 私は、純も美羽も裏切りたくなかったから、ああ言ったの。二人とも、私の大好きな友達だからさ」
「でも、アレをあいつに見せたことは、せめて口封じしておいたほうがよかったんじゃないか? 他の奴にバレたら、流石にマズいでしょ?」
「あー、大丈夫だよ。あの子、そんな話出来る子いないだろうから。私にばっかりくっ付いてて、他の子とは一切関わろうとしてなかったからさ。それに、そんなことしたら、私へのぎゅーはもう禁止って言っておいたし、平気だよ」
「そうか……」
とは言ったものの、純はあまり納得はしてないようだった。一体彼は、どこが不服だったのだろう?
「……そういう純はさ。私でいいの?」
「ん、どうして?」
「だって私、これ持ってなきゃ安心できないような子なんだよ? こんな女の子、どう見たっておかしいし、怖いでしょ?」
私は懐から、大好きで愛着している、いつものそれを取り出した。純にも見えるように、私の目の前に掲げる。それを見た彼は、少しだけ悲しそうに、顔をしかめた。
「……そりゃあ、昔あんなことがあったんだ。それを持ってないと、怖くなるのも分かるよ」
「っ……」
そう。私が小学生の時に起こった、あの出来事。あの日から、私の人生は大きく変わってしまった。
◇ ◆ ◇
小学二年生の時だ。深夜で家族みんなが寝静まった頃。まだ親離れができていなかった私は、お父さんと一緒のベッドで寝ていた。一方のお母さんは、仕事帰りの疲れもあってか、リビングのソファーで寝てしまっていた。そんな中だ。
夜な夜な、一人の男が家の中に忍び込んできたのだ。金銭物を盗む、常習犯だったらしい。後日聞いた話によると、当時防犯対策を怠っていたウチの家は、格好な的だったようだ。
男は、私達二人が寝ている隣の部屋に入り込んだ。だが真っ先にお父さんはその足音に気付いて、先に目が覚めてしまった。二人は廊下で、鉢合わせしてしまった。
男は、ナイフを隠し持っていた。私を庇うように、お父さんは男と取っ組み合いになった。その物音で、私は目が覚めた。
お父さんが、一言私に叫んだ。何と叫んだのかは、もう覚えていない。けれど、それとほぼ同時に、お父さんの胸にナイフが軽々しく刺さった。その瞬間は、今でも鮮明に覚えている。
どうやら男は、本気で刺すつもりは無かったらしい。それを見た瞬間に取り乱しては、その場に呆然として立ち尽くしていた。
お父さんは刺されながらも、そんな男の股間を思い切り蹴った。その反動で、お互いに床に倒れ込んだ。男は股間を蹴られた痛みで、立ち上がれないようだった。その隙を見て、私はお父さんのもとへ駆け寄った。
お父さんは辛そうな顔で、私へ何かを言っていた。けれど私はパニックで、とにかくお父さんを助けようと必死だった。そう思った時、幼い私の頭の中に、一つの考えが過ぎった。
その途端、私は何を思ったのか、お父さんの胸に刺さったナイフを、思い切り引き抜いた。幼い子供だった私でも簡単に引き抜けるほど、それは思った以上に軽々しかった。痛そうに苦しむお父さん。そんなお父さんに向かって「待っててね、パパ。今助けるから!」そう叫んだのを覚えている。
お父さんから引き抜いたナイフを持って、私はこうべを垂らしながら、もがき苦しんでいる男の前まで近寄った。そしてそのまま、私はそのナイフを、男の脳天へ目がけて――振り下ろした。
◇ ◆ ◇
「……そっか」
炭素鋼で出来た、直刃式の小型なサバイバルナイフ。あの頃からずっと、肌身離さず持ち歩いている、私の相棒。そして、友人とのキャンプが趣味だった、お父さんの形見でもある。
これを持っていれば、いざ何があったとしても、誰にも負けないような気がした。大切な人を、どんな相手からも守れるような気がした。――ずっとお父さんが、一緒にいてくれるような気がした。
そして怖いのだ。これを持っていないと、誰にも勝てないような気がして。誰も守ることが、出来なくなってしまうような気がして。……誰も、私のそばにいてくれていないような気がして。これは、私のお守りのようなものだった。
「お前は別に悪くねぇよ。気にすんな」
「……本当に、そう思う?」
「あぁ、思うよ。例え椎奈が人を殺していたとしても、俺は何も変わらない。理由はどうあれ、椎奈は親父さんを守ろうとしたんだ。幼かったのに、立派だよ」
「でも、あの時お父さんに刺さったナイフを抜かないで、お母さんの元に助けを求めに行ってたら、お父さんは死なずに済んだかもしれない……」
そうだ。あんな場面に直面した際、普通の女の子が起こすであろうアクションをしていれば、こんなことにはならなかった。それを私は、あまりにも異端な考えをして行動を起こしてしまった。私は他の女の子とは違った、異端児そのものなのだ。
「そんなの、分からないでしょ? ナイフは胸に刺さってたんだ。すぐに手当てをしなきゃ、いくら助けを呼んだって分からないよ。それに、泥棒の男が起き上がって、逆上して一家惨殺事件にまでなってたかもしれない。そう思えば、お父さんの犠牲は、仕方がなかったのかもしれないよ」
それなのに純は、そんな異端児の私を否定せずに、肯定してくれた。
「じゃあ、純は私がやったこと全部、正しかったって言えるの?」
「……あぁ、言えるよ。椎奈がやったことは、ちゃんと全部正しいことだよ。それは、俺が保証する」
「……純くらいだよ、きっと。私に、そう言ってくれるのは。少し頭がおかしいんだ。おかしいよ、こんな私を好きなんて言って……」
「そう言うなって。少なくとも、お母さんのことは守れたんだ。椎奈は、立派なヒーローだよ」
「純……」
そう言うと純は、私の頭をポンポンと優しく撫でた。こうされると、いくら怒っていようが、泣いていようが、安心できるから不思議だ。
「その、ありがとね。こんな私のこと、好きでいてくれて」
「何言ってんだ、今更。幼馴染だろ? ……それと、もう昨日から付き合ってるってことでいいんだよな? 俺達」
「え。……た、多分?」
そうだった。もとは昨日、純に告白されたことから、全てが起こったのだった。今の今まで、すっかり忘れてしまっていた。
「……まぁとは言っても、ほとんど何も変わらないだろうけどな、きっと。今更恋人ヅラしたって、なんだかもどかしいし」
「そう……だね。私も、恋人とかよく分かんないし。それに、純のことは大好きだから、安心して?」
「大好き、ね。まぁ、ぼちぼち胸の内に仕舞っておくよ。……サンキューな」
「……えへへ」
それきり、彼は黙り込んでしまった。黙々と二人で、広々とした青空を見上げる。
この広い空の上で、お父さんは私のことを、見てくれているのだろうか? ちゃんと、見守ってくれているのだろうか? ……きっと、そうだと信じたい。私は手に持ったナイフをギュッと、力強く握った。
「……でもそうは言ってもなぁ。ちょっとだけお前は、感性が鈍ってるところがあるからなぁ……」
呆れた口調で、唐突に彼がポツリと言った。その言葉に、私は思わず驚いた。
「え、それってどんなとこ?」
「んー……。それはちゃんと、自分で気付くこと」
「えー、そうやってすぐはぐらかす……。そんなこと言ってると、また美羽に怒られるよ?」
「怒られるねぇ。まぁ……あいつがまた、俺らの前に出てきたらな」
「へ? それって、どういうこと?」
「言葉の通りだよ」
そう言うと純は、気怠そうに大欠伸だ。私には彼が何を言いたいのか、全く分からなかった。
私にとっては、純も美羽も、大切な友達だ。それはどう切っても切れない関係だろうし、これからも切りたくはないし、切られたくもない関係だ。
だから私はこれからも二人のことを、好きでいてあげたいと思う。そしてこれが、美羽の言う「愛している」という言葉の意味になるのなら、私は二人を愛し続けたい。これからもずっと、末永く。永遠に。
手に持つナイフを、太陽の下に掲げる。鈍く光を反射しているそれは、私の枯れ腐った心をこの世界に繋ぎ止めてくれるような、優しい光を放っていた。
最後まで一読、ありがとうございました!
他にも連載小説などを書いておりますので、そちらもぜひ閲覧して頂ければ幸いです。
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