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究極の選択

「どういうこと、椎奈」


「み、美羽……」


 そんな声のほうを向くと、扉の前で美羽が顔を俯かせて立っていた。どうやら、会話を全て聞かれてしまっていたらしい。その様相は、まるで強い憎しみのようなものに満ちていた。


「ねぇ、私が椎奈のこと大好きなの、知ってるでしょ?」


 一歩一歩、ゆっくりと彼女が近づいてくる。その様子はあまりにも凶器に満ちたそれで、思わず恐怖に駆られてしまいそうだ。


「う、うん。分かってるよ」


「それにさっき、ずっと一緒にいようって、約束したばっかだよね?」


「それは……」


「……大好きなのに」


「……美羽?」


 私が言葉を口にするとほぼ同時に、何かを察したのか、隣にいた純が私の前に立った。まるで私を、庇うように。


「……愛してるのに」


「……どういう、こと?」


 知らない。私は、こんな美羽を。こんな美羽のような誰かを、私は知らない。目の前にいるのは、本当に美羽? 美羽のような姿をした誰か? それとも、今までの美羽は全部他の誰かで、これが本当の美羽? どれが本当で、どれが嘘? ……私には、分からない。


「……ねぇ、椎奈。私達、友達だよね?」


「え? そ、そりゃあそうだよ。だって私達、小学校の頃から、ずっと一緒だったじゃない」


 彼女の前髪が垂れる。まるでホラービデオに出てくる幽霊のようだった。


「でも……私よりも、純とのほうが椎奈はずっと一緒……」


「それは仕方無いじゃない。美羽と出会ったのは、小学校だったんだから……」


「そう、だから! 私はそいつなんかよりも、もっともっとたくさんの思い出が作れるように、ずっと椎奈と一緒にいた! そいつなんかよりもずっと、私とのほうがいっぱい椎奈のことを知ってるって、胸張って言えるようになった! 椎奈の一番の親友になれるように、いっぱい努力した! 椎奈を傷付ける奴をやっつけて、私よりも椎奈と仲良くなろうとした奴は懲らしめた! 私だけが、椎奈の一番の友達なの! 私だけが、椎奈の一番そばにいていい友達なの! 私だけの椎奈なの! それなのに、なんで!?」


「お、落ち着いてよ美羽! 美羽だって、純と同じくらい仲良いと思ってるし、ちゃんと親友だと思ってるよ?」


「なんでこんな奴と私が一緒なの!? こんな、椎奈の本当の気持ちなんてなんにも分かってない奴と、私を一緒にしないで!!」


 美羽が純を指差しながら叫ぶ。その小柄な体から発せられているとは思えない程の声量に、思わず耳を塞ぎたくなる。


「こんな奴って……。美羽は今まで、純のことを、そんな風にしか思ってなかったの?」


「こいつだけじゃないよ。椎奈以外の人間は、私と椎奈を捲し上げるための存在でしかないの。他の人がいるから、私と椎奈の存在が引き立つの。だから、私達の隣に立とうとする奴はみんな……私が、始末しなきゃ」


 ニタァっと、気色悪い顔で笑う。こんな美羽の顔は、今まで見たことが無い。


「ちょ、ちょっと待って! なんで美羽は、そんなに私のことを……」


「……覚えてないんだね」


「覚えてないって……何が……?」


「小学生の時に私さ、イジメられてたって知ってた?」


「えっ……」


「……やっぱり、知らなかったんだね」


 それは知らなかった、初耳だ。今の今まで、てっきり私と仲が良いから私のそばにいるのであって、他にも何人か友達はいるのだろうと思っていた。きっと当時の私だって、同じように思っていたはずだ。


「男子からは嫌がらせされて、女子からはハブられてた。ずっと、独りぼっちだったの。でも、椎奈はそんな私でも、仲良くなってくれた。ずっと一緒にいてくれた。ずっとそばにいてくれた。だから私も、椎奈のそばにずっといてあげようって思った。……けど、違った。ずっと、こいつが邪魔だったの。ずっと椎奈のそばにいる、こいつが! この男が! こんなに椎奈のことを愛して、愛して、愛してるのに、気付いてくれないのはきっと、こいつのせいなんだって!」


「……なら、なんで早いうちに俺を椎奈から離さなかった?」


 ずっと黙り込んで話を聞いていた純が、ようやく口を開いた。彼の質問は、ごもっともだ。


「だって、あんたを椎奈から離しちゃったら、椎奈が悲しんじゃうでしょ? そしたら、椎奈が私から離れて、あんたのほうにいっちゃうって思ったから。そうしたら、私はまた独りぼっち……。だからずっと、我慢してあげてたの」


そのまま「でも、もう我慢の限界!」と椎奈が叫ぶと、大きく地団駄を踏んだ。美術室の床が、鈍く揺れる。


「……弱いな」


 純は呆れたように、小さく息を吐いた。それを見た美羽は、ますます激怒する。


「何よ!」


「つまりそれは、お前が言う俺みたいな奴からも、椎奈を奪えないってことなんだろ? 俺がいなきゃ、お前は椎奈と一緒にはいられないってことになるよな? じゃあお前は、そんな俺以下ってことだ」


「なっ……!」


 図星を指されたようで、美羽は目を丸くさせた。それでもすぐに調子を取り戻して、鋭く純を睨みつける。


「あんたなんかに言われたくない! ……ははっ、知ってるんだよ? あんたが警察の人に連れて行かれてたの。あんたが、悪い人だってこと! 私、見たんだから!」


「へっ……?」


 ――嘘……。純が、警察に? なんで……。


 それもまた、知らない事実だ。そんなことになるのなら、私に相談してくれたってよかったのに、どうして?


「……お前には、関係無い」


「そうやってはぐらかすな! 椎奈の前でだって、お前はそうやって、色々嘘ついて、はぐらかして、逃げてきたんだろ!」


「……そうかも、しれないな」


「じゅ、純……」


 弱々しく呟く純を見て、思わず私は彼の名を呼んだ。ゆっくりと彼がこちらを振り向く。

 すると、彼は一歩後ろに下がってきて、こんな言葉を口にした。


「椎奈。俺が合図したら、急いで職員室まで逃げろ」


 美羽にはギリギリ聞こえないような小声で、ボソッと呟く。


「えっ……でも……」


「いいから。ここは俺が、なんとかしておく。いいな?」


「純……」


 ――いいの? 純を信じて? 警察に連れて行かれたってことは、もしかすると純は、悪いことをするような人なのかもしれない。そんな純のことを、信用していいの?


「椎奈! そいつの言葉なんか、信用しちゃダメだよ! そいつは、表面は良い顔してるだけの、本当は悪い奴なんだから!」


 何かを察し取れたらしい美羽が、私に向かって叫んだ。その一言のせいで、ますます私の頭の中は混乱する。


 ――ど、どうしよう……。私は、どっちを信用すれば……。


 ずっと一緒に育ってきた、幼馴染の男の子、純。もうすぐ誕生日の私のために、頑張って思い出の絵を描いてくれた、不器用だけど優しい純。

 小学校からの幼馴染で、いつも元気でハチャメチャな女の子、美羽。こんな私のことを、いつも一番に考えてくれていて、私のことが本当に大好きなんだなって、思わせてくれる美羽。


 どっちが本当で、どっちが嘘なのか。どっちを信用して、どっちを裏切ればいいのか。二択だ。どちらかを選べばいい、簡単な問題だ。けれども、その選択はとてつもなく重く、そして私を迷わせた。


 ――……っ。そうだよ……そうすればいいんだ。


 けれど、そんな迷いは一つの答えにたどり着いた途端に消えた。そうだ、最初からそうすればいいんだ。それなら誰も傷付くこともなく、何も心配は要らない。そうすれば私は……。


 ――……どっちにしたって、どちらかを裏切らなきゃいけないことになる。そんなことは私……絶対に嫌だ。



 だって私は……純のことも、美羽のことも……大好きだから。



「……椎奈?」


 二人が声をそろえて、私の名前を呼んだ。当然だ。突然、純の前へと歩み出ては、二人の間に入ったのだから。


「お、おい椎奈! なんで……」


 自分が言ったこととは違う行動をし始めた私を見て、純は声を荒げて言った。その言葉には、少し怒りさえも混じっていた。


「……ねぇ、二人とも。仲直り、しよっか」


 彼らに告ぐ。そんな私を見て、美羽は焦りを見せ始める。


「ど、どうしたの、椎奈! 私のこと、信じてくれてないの!?」


「ううん、そんなことはないよ? 美羽のことは大好きだし、信じてる」


「じゃあ、どうして!」


「……だってさ。私、美羽のことも、純のことも、どっちも大好きだから。それに純も美羽も、私のこと、大好きでいてくれるんでしょ?」


「……っ!」


 血の気が引いたような顔で、美羽がこちらを見る。対して純は、こちらを鈍く睨んでいた。


「ダメだよ、二人とも。ケンカなんかしちゃ。私と仲良くしたいのなら、ちゃんと私の言うことを聞かないと。……ね?」


「し、椎奈……」


 美羽が絶句する。これまた、今まで見たことの無い様相で、今度は彼女が一歩後ずさった。


「椎奈。それをあんまり人前で出すなって、アレほど言っただろ」


 一方で、純は落ち着いた様子で私をなだめる。そんなこと言わなくたって、私は別に怒ってるわけじゃない。必要だと思ったから、取り出した。それだけだ。


「分かってるよ。でもこのままじゃ二人とも、取っ組み合いになっちゃってもおかしくないと思ったから。だから、出したの。それだけ」


「あのなぁ……」


「純! なんで……なんであんたは、椎奈のそれを知ってるの!?」


 美羽が叫ぶ。純は面倒くさそうに首筋を掻くと、一言彼女に告げた。


「別に……。幼馴染だからな、俺達。昔色々あったんだよ」


「理由になってない! それと椎奈! そんなもの向けてたら、危ないよ! 早く仕舞って!」


「大丈夫だよ。扱いには、慣れてるから」


 そう言って私は、くるりと片手で空中に投げては、それを綺麗にキャッチしてみせる。「ほらっ」と見せびらかしながら近付くと、美羽は今にも泣き出しそうな顔で、その場に尻もちをついた。


「……もしかして、私のこと嫌いになっちゃった? 美羽?」


 彼女に問う。あわあわと口元を震わせて、何も言えないようだった。


「ダメだよ、美羽。私のこと、大好きなんでしょ? 愛してるんでしょ? だったら、私のどんな姿を見たって、愛してくれるんだよね?」


「うぇ……?」


 とうとう涙を浮かべながら、ゆっくりとこちらを見上げた。私は彼女の前まで歩み寄って、同じ目線になるようしゃがみ込む。美羽は咄嗟に逃げようと後ずさったが、それでも体をまともに動かせないようで、とうとう目を瞑ってしまった。


「あれ、逃げちゃうの? 愛してくれるんじゃなかったの? ほら、大好きな私はここにいるよ? いつもみたいに、ぎゅーってしてみてよ」


「い……いや……」


「……もしかして美羽は、嘘吐きだった?」


 彼女の顎に右手の指を添えて、強引にこちらを向かせる。目を、唇を、顔を、体を震わせながら、美羽はゆっくり私と向き合った。


「約束したんだよね? これからも、ずっと一緒にいようって」


「それはぁ……」


 瞳から涙が流れる。それはまるで、高校生とは思えない、泣きじゃくる子供のようだった。


「ねぇ、どっちなの? 嘘なの? 嘘じゃないの? いつも言ってるよね? 嘘は吐いたらダメだって」


 彼女に問う。どうやら、言葉が喉元から出てこないようで、何度も喉を震わせて、小さい音を発していた。


「……椎奈。取り敢えずそれ、仕舞ったほうがいいんじゃないか? 怯えてるぞ、そいつ」


 ふと、後ろから純が声を掛けてきた。別に、出したままでもいいじゃないか。本気で使うわけじゃあるまいし。


「むぅ……分かったよ」


 彼に言われるがまま、私はそれを懐に仕舞った。改めて、彼女と向き合う。


「それで? どうなの、美羽?」


「……です」


 それを仕舞ったことで、ようやく少し落ち着いてきたのか、彼女が小さく言葉を発した。だが、そんな掠れた声はほとんど聞き取れない。


「うん? 聞こえないよ?」


「う……嘘じゃ、ない、です……」


「本当に? 言ったね?」


「はい……」


「そっか。じゃあ、これからも私のこと、ずっと愛してね。じゃないと、悪い子だよ? 悪い子は、私へのぎゅーは禁止。いいね?」


「……はい」


 次々と滝のように溢れ出てくる美羽の涙を、そっと人差し指で拭ってあげると、私は彼女へ微笑みながら、泣きじゃくる子供をなだめるように、ギュッと抱きしめてあげた。

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