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サプライズプレゼント

 数日後。今日は少し、外の気温は涼しい日だった。どうやら、台風が近付いてきているらしい。久しぶりに、汗を流さずに一日を過ごせそうな、そんな一日だった。


「お先、失礼しまーす」


「はーい、お疲れ様」


 後輩の二人が、美術室を出て行った。今日美術室の残っているのは、私と純、そして美羽の三人だった。


「でね、でね! あそこの駅の地下に新しく出来たクレープ屋さんなんだけどー……」


 私の隣に座る美羽が、楽しそうに喋っている。そんな美羽の雑談を、半ば受け流すような形で私は聞いていた。


 ――純と約束はしちゃったけど……一体いつになったら、純は話してくれるのかな……?


 そんな、考えても仕方のない疑念ばかりが頭の中を駆け巡っている。あの時からずっと、私の頭の中はまるでパニック状態だ。早くその意味を知りたい。それだけがただ、頭の中を何度も駆けた。


「……どうしたの、椎奈? なんか、顔暗いよ?」


 ふと、美羽がこちらの顔を心配そうに覗いてきた。マズい、これをいま彼女に知られてしまったら、きっと面倒なことになる。


「えっ? そ、そうかな……?」


 彼女から目を逸らす。ふと、一瞬だけ視界に、彼の姿が映りこんだ。咄嗟に視界に入らないよう、美羽のほうを向く。


「……もしかして、純と何かあった?」


 しまった。そう思った時には、もう遅い。彼女が彼のことを視界に入れて、睨みつけていたのだ。一方の彼はまだ、こちらには気付いていないようだった。もしかすると、澄まし顔をしているだけで、全部聞いているのかもしれないけど。


「あぁ、いや! 別に、なんでもないよ?」


「ふぅん……」


 時々、美羽はこんな風に怖い顔をする。いつも私のそばにいるときは、元気二百パーセントになる美羽だが、偶に私が落ち込んでいたりすると、なりふり構わずに相手を攻撃するようになるのだ。その度に少し問題になってしまったりと、厄介な面もある。


「あぁ……ほ、ほら! 早く美羽も絵描いちゃお? 明日には、完成しそうなんでしょ?」


「それはそうだけど……私、椎奈が落ち込んでる姿は、あんまり見たくない」


「私なら、大丈夫だよ。別に、純と揉めたとか、そういうワケじゃないの」


「じゃあ、どうしたの?」


「それは……」


 ――どうしよう。こういうのって、他人に言うべきなのかな……?


 今まで、ロクに恋愛経験もしてこなかった私だ。好きな人……というか、興味があった人なら何人かいたが、なかなか表に出ることが出来ずに、ずっと奥手のまま結ばれずにここまで来てしまった。そのため、こういうときは一体誰に頼ればいいものなのかが、よく分からない。


「……ごめん、美羽。ちょっとトイレ付き合ってくれる?」


「うん? いいけど……」


 渋々私は美羽にそう告げて、一緒に女子トイレへと向かった。中に誰もいないことを確認すると、私は合わせ鏡を背にして、手洗い場の台に腰を任せる。


「どうしたのさ、椎奈。急にトイレまで来て。やっぱり、あいつに何か言われた?」


 美羽が隣に来る。ほんのりと、シャンプーの優しい香りがした。


「ううん、そうじゃないの。実はさ……」


 私は彼女に、先日の彼とのやり取りを伝えた。


「何それ、なんか酷いね」


「えっ?」


 彼女からの第一声は、驚くべきものだった。まさかそんな言葉が出てくるとは、思ってもいなかったからだ。


「なんで、酷いって思うの?」


「だってそれってさ。椎奈に何か、秘密を隠してるってことでしょ? それって酷くない?」


「それは……」


「幼馴染のくせにさぁ。なーんにも分かってないよ! やっぱりあいつなんかよりも、私のほうが椎奈に合ってるってことだよねぇ」


 うんうん、と美羽が頷いた。


「……美羽はさ、私に隠しごととか、しない?」


「そりゃあそうだよ! それに、私と椎奈は、心身一体なんだから! なーんでも言い合える、大切な友達だよ!」


「……そっか。ありがとね、美羽」


「うん! えへへ」


 そうして、美羽は私に肩を寄せて寄り添って来た。こんな可愛らしい一面があるから、どうしても彼女は憎めない。


「……ねぇ、美羽。こんな私だけど、これからもずっと一緒にいてくれる?」


「何言ってるのさ、当たり前じゃん! 私は椎奈のことが、大好きだよ!」


「……うん、ありがと」


 懐いた猫のように擦り寄ってくる美羽の頭を、私は優しく撫でてやった。えへへと美羽が喜んでいる。そんな彼女の笑顔を見て、私の心は少しだけ、楽になっていた。


「ごめんね、こんな話するだけなのに呼び出しちゃって。戻ろっか」


「ううん、椎奈の頼みだもの、全然構わないよ。あ、でも私はちょっと、用済ませてから戻るね」


「ん、そっか。じゃあ、私は先に戻ってるね」


「うん、分かったー」


 そう言うと美羽は、奥の個室の中へと入っていった。彼女の背中を見送った私は、先に一人で美術室へと戻る。美術室の中には、彼だけが一人黙々とディーゼルと睨めっこをしている姿があった。






「随分、トイレにしては遅かったな」


 室内に入った途端、純が言った。その発言は、あまりにもグレーだ。


 ――っていうか、やっぱり聞いてたんだ……。


「いいでしょ、別に。女の子には、女の子なりの事情があるの」


「あっそ」


 適当に私の言葉を受け流すと、咄嗟に彼はその場から立ち上がった。どうしたのだろうと、そんな彼を私は眺める。


「それより、やっと完成したんだ。見てくれよ、椎奈」


「え、本当!? 見せて見せて!」


 ワクワクしながら、彼の近くへと歩み寄る。そして、ディーゼルの上に置かれた一枚の絵を見て、私は驚嘆した。


「えっ……この絵って……」


「懐かしいだろ? 覚えてるか?」


 腰に手を当てて、彼が微笑む。


「そりゃあ、覚えてるよ。幼稚園の時、よくこの場所で遊んでたもんね」


「椎奈ってば、よくここの倒木に座って、飯食ってたよなぁ」


「懐かしい。そんな時もあったねー……」


 そこに写っていたいたのは、私と純が通っていた幼稚園の近くにあった、森林公園の一角だった。遠足やイベントなどで、この場所には何度も訪れていた。

 当時から純と二人で遊んでいて、公園の隅っこにある倒木に座り、よく二人でお弁当を食べていたものだ。春夏秋冬、事あるごとに変わる景色が、私はとても大好きだった。


「でも……どうして、この絵? 前展示会に出すって話してたのは、もっと違う絵だったよね?」


「あぁ、そうだな」


「じゃあどうして?」


 分が悪そうにそっぽを向きながら、ポツリと彼が呟く。


「……お前、もうすぐ誕生日だろ?」


「ふぇ? ……う、うん」


「この絵、椎奈に渡すために描いてた」


「えっ……わ、私に?」


「あぁ」


 不器用に笑みを見せながら言うと、彼はその絵と向き合った。


「で、でも、展示会に出す絵は? これとは別の絵なんじゃ……」


「心配すんな。そっちはそっちで、ちゃんと家で描いてるよ」


「そ、そうなんだ……。でも、私にプレゼントって言うなら、こっちの絵を家で描いてもよかったんじゃない?」


「ううん。……完成したら、いち早く椎奈に見せたかったんだ。今まで描いた絵の中で……一番、頑張ったから」


「そうなんだ……」


 ――あれ、なんだろう、この空気。なんか、いつもの純じゃない……。


 経験したことの無い、見たことの無い彼の顔。雰囲気。表情。感じたことの無い、彼との距離。緊張感。これは、一体なんだろう?


「その……ずっと、言いたかったんだけどさ。言えなかったんだ。……何せ、幼馴染だから、言いづらかったんだよね。だから、何かきっかけが欲しかった。そう思って、この絵を描こうと思って」


「あ、ありがとう……」


「……椎奈のことを想って、描いてた。この絵」


「っ……それって……」


「この絵を見たときに、どんな風に見てくれるかなとか、どんなリアクションしてくれるかなとか。どんな風に、驚いてくれるのかな、喜んでくれるのかなって。そんなことを考えながら、ずっとこの絵を描いてたんだ。そうして、ようやく完成した。……だから、今だからこそ言いたい」


 改めて純がこちらを向いた。互いに面と向かい合って、視線を絡み合わせる。昔はほとんど感じなかった身長差も、今では十センチも差があるのだから、時間の悪戯というのは分からない。私が見上げる純の顔は少しだけ、頬を赤らめていた。


「……ずっと、好きだった。椎奈」


「純……」


「もし、こんな俺で嫌じゃないんなら……ちゃんと恋人として、付き合ってほしい」


「……うん」


 自然と口から、返事が出る。緊張で頭が回らないはずなのに、口だけは素直に彼へ反応した。つまり私の本音はきっと、そういうことなんだと思う。


 ふと、不意に純が私の両肩を掴んできた。そっか、今から私は、彼にされるがままになるんだ。

 そうしてきっと、初めての感覚に陥る。彼の全てを感じられるようになる。何もかもが、初めての経験。このまま私は、純の色に染まってしまうんだ。彼の名前のような、混じりけの無い、穢れの無い綺麗な彼の色、一色に染まってしまうんだ。

 生唾を一つ飲み込んで覚悟を決めると、私は彼を受け入れるように、そっと瞳を閉じた。






「どういうこと、椎奈」


 思わずハッとした。瞬間、まるで天変地異が起こったかのように現実世界へと引き戻されて目を開く。その声の主を見た途端、冷や汗がドッと首筋を駆け抜けた。


「み、美羽……」


 扉の前に立ち、顔を俯かせながら立っていたのは、私達の幼馴染――私の大切な親友でもある、天野美羽だった。

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