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幼馴染のジレンマ

 午後二時過ぎ。

 部員全員参加の活動時間は、基本的に午前中のみだ。午後の活動は、部員それぞれの自由参加となり、完成が近づいてきている部員たちのほとんどは、午前中で既に帰ってしまっている。あのおてんば娘の美羽も、午後からはバイトがあると言って、既に帰ってしまった。


「っし。んじゃ、部長、純。俺先帰るな」


「あ、うん。お疲れ、てっちゃん」


 哲平はてきぱきと支度を済ませると、告げながらドアの前まで歩いて行った。


「お疲れ」


 私の三つ先の席で、それでもなお、目線をイーゼルに置かれた自分の作品へと向けながら、純も適当な返事を告げる。


「部長」


「ん?」


 ふと、哲平が私のことを、わざわざ小声で呼んだ。この期に及んで、一体どうしたというのだろう。私は鉛筆を持った手を止めると、彼のほうを向いた。

 彼は私に数歩近づくと、純には聞こえないであろう小さな声で、一言だけポツリと告げた。


「今が、チャンスなんじゃねぇの? ほら」


「え。……えぇ!?」


「そんじゃあな!」


 彼は楽しそうに笑みを浮かべると、そのまま足早に美術室を出て行ってしまった。本当に、酷い奴。

 残る、取り残された部員は……私と、純の二人だけだった。


 ――いやいやいや、そんなこと言われたってさぁ。別に二人きりになることなんて、いつものことだし、何も珍しいなんてこと無いじゃん? 特に何も普段と変わらない、変哲もない時間だよ?


 純と二人きり。何も、特別なんてことは一切無く、週に数度は二人きりになることも多い。家も同じ方向なため、帰るときだって一緒に帰ることも珍しくない。無理にそんなことを意識しろと言われるほうが難しい。急にそんな雰囲気(ムード)にだってなれないし、純はそんな事態になっても、きっと何一つ態度を変えないだろう。


 ――純は……私のこと、どう思ってるのかな?


 そのとき。普段の私なら思うはずもない、そんな疑問が浮かび上がった。


「……な。おーい、聞いてるか? 椎奈」


「……ふぇあ?」


「ふぇあ、じゃないでしょ。なにボーっとしてんの。らしくない」


 純はそう言うと、カバンからお決まりのキレットレモンのペットボトルを取り出した。昔から、彼は何か飲み物を持って来るときは、決まってあのキレットレモンだ。大好物過ぎて、必ず数箱は家にストックしている程である。あの箱の数を初めて見た時、猛者(もさ)とはこういう人のことを指すんだなと、妙に納得をしたのを今でも鮮明に覚えている。

 因みに、キレットレモンは私には酸っぱくて、一口飲むだけでもかなり苦渋である。


「え、あ、ごめんね。ボーっとしてて。……それで、何だった?」


「だから、あいつに何言われたんだって聞いたの」


「え? てっちゃんに?」


「だって、意味深に驚いてたから。そりゃ気になるでしょ」


 キレットレモンを一口含むと、ペットボトルをカバンの中へと仕舞う。そのまま右手に筆を取り、一時停止した映像を再び再生したかのように、改めてイーゼルに置かれた絵を描き始めた。


「あ、え、えぇーっと……。うーんと……」


 ――どうしよう。そんなこと、咄嗟に聞かれても嘘なんて思いつかないよ。正直に話すわけにもいかないし、なんて答えよう……。


「いや、あのね。肩にご飯粒付いてるよって言われて……」


「嘘。椎奈は嘘つくとき、必ず視線を右に逸らす」


「うぅ……」


 ――こういう幼馴染に限って、そんな細かい所まで知られてるんだよなぁ。見切ってほしくないときに、そんな知識発揮しなくていいから。というか、私そんな癖あったの? 初耳なんだけど。って、そんなことはどうでもいいんだけどさぁ?


「で、何?」


 とうとう筆を動かす手まで止めて、視線をこちらへと純が向けた。彼と視線が絡み合う。

 何故だろう、いつもなら当たり前のはずなのに、急に意識をし始めたせいか、彼の目線はとても温かくて、そして痛い。


「……その」


 こんなこと、言えるはずがない。だからと言って、とても良い嘘は思い浮かばない。だから、私はこう言った。


「言えない……」


 ポツリと、私の一言が美術室に浮かび上がって飛んでいった。その言葉は彼の耳をも通り過ぎて行ったようで、小さい彼の吐息が、それとトレードされて私に帰ってきた。

 自分の足元を眺める。一体、彼は何と答えるだろうか。更に追及してくるだろうか? そうなったら、次はなんて答えよう。様々な雑念が、頭の中で渋滞を生み出す。


「……そう。なら、まぁいいや」


「え。まぁいいの?」


 まさか。あり得ないと思っていた答えが返ってきたおかげで、思わずこちらが聞き返してしまった。


「何でオウム返しするんだよ。別に、言いたくないんだったらそれでいいでしょ」


「あ、え、そう? ……あ、うん。そっか。じゃあ、ごめんね」


「ああ」


 そして、再び彼はディーゼルへと視線を戻した。






 ――はぁ……。純ってホント、考えてることよく分かんないなぁ。


 あの可愛かった頃の彼は、一体いずこへ行ってしまったのだろうか。最近はまるっきり、彼の考えが分からなくなってしまった。昔なら、簡単に彼のことなど言いくるめられたはずなのに、どうもおかしい。


「……そうだ。ねぇ、純」


 ふと、咄嗟に頭に浮かんだ質問をするために、今度は私から純を呼んだ。


「どうした?」


「さっきさ、てっちゃんとも同じ話をしてたから、純にも聞いてみたいんだけど。……純って、どうして美術部に入ろうって思ったの?」


「……それ、一年の入った時にも答えなかったっけ?」


 呆れたようにため息を吐いて、彼がこちらを向く。


「そうだけど、アレじゃあ納得がいかないもん。本当はもっと、ハッキリとした理由があるんでしょ?」


「だから、無いって。単純に、絵を描きたいと思っただけだよ」


 その瞬間、私はそれが嘘だと確信した。彼がこめかみを、ポリポリと掻いたのだ。その仕草をするときは決まって、何か彼にとって不都合があるときだ。


 ――あれ、そういや私も純の癖分かってるじゃん。


 彼と同じように、私も彼のことが分かっているという事実に、心中で思わず喜々としてしまった。そんな感情を、表に出さないように気を付ける。


「嘘でしょ、そんなわけないよ。だって純、中学まで一切絵なんて描いてなかったじゃん。部活もバレー部だったし、美術とは全然無縁だったのに」


「その気になっただけ。いいでしょ、それで」


「よくない! ……まさか、誰かに言われたとか? 美術部に入らなきゃいけないって、脅されてたとか?」


「どうして椎奈は、そんなに話を飛躍させるんだよ……。んなわけねぇだろって、漫画の世界じゃあるまいし」


「じゃあ、何?」


「だからっ……」


 苛立った様子の彼を見限って、私はその場を立ち上がった。そのまま、彼の前へと詰め寄る。そのまま、あと一歩という距離にまで近付いた。


「……教えて。知りたいの。純がどうして、美術部に入ろうと思ったのか」


「……なんでそこまで知りたがるの?」


 諦めたように、苦い笑みを彼が浮かべる。


「だって……!」


 ――純のことを、もっと知りたいから。


 何故、その単語を吐き出そうと思ったのだろう。そんな言葉、私なんかが掛ける必要なんて無いのに。危うく誤った言葉を口にする直前で、ブレーキを掛けた。


「……幼馴染でしょ、私達。純が何かを隠してるなんて……そんなの、すぐに分かっちゃうよ」


「はぁ。……椎奈はホント、昔から心配性だよね。それでよく、空回りして失敗するの」


「なっ、今そんなこと言わなくてもいいじゃん」


「ははっ、ごめんごめん」


 そう言って、彼はニッと笑ってみせた。

 おかしい。この笑顔は、もう嫌と言うほど見飽きたはずなのに……今日は何かが違う。


「……ありがとね、椎奈。心配してくれて」


「っ……!」


 そう言うと、彼は筆を持ったままの右手で、私の頭をポンポンと叩いた。


「……純のそういうとこ、ズルい」


「そう? 好きでしょ、こうされるの」


「それは昔の話! 今はもう私達、高三だよ!?」


「別にいいじゃん、()()()なんだし」


「っーー!」


 ――ああもう! 好きかもしれないけど、そうじゃない!!


「……純だから、好きなんだよ?」


 感情任せにボソッと、私の口から言葉がこぼれ落ちた。その途端、思わずハッとする。後悔しても、もう遅い。


「ん? 今、なんか言った?」


 だが、どうやら聞き取れなかったようで、純が言葉を聞き返してきた。

 ホッとするのが正解なのか、もう一度言うのはもどかしくて、失敗したと思うべきなのか。どちらにせよ、もうこれ以上のチャンスを与える気は無い。


「な、なんでもないよ!」


「何それ。……椎奈、なんか調子でも悪いの?」


「違うよ! 純には関係無い!」


「……ふぅん、そっか」


 腑に落ちない様子で彼は小さく唸ると、改めて彼はディーゼルへと視線を向けた。

 一時はどうなることかと思ったが、一先ずセーフだ。余計な方向に話がねじれなくて、ホッとする。






「……で。結局、純が美術部に入った理由はなんなわけ?」


 流れのまま、話を逸らされてしまったが、もう一度私は、彼に質問をした。


「あ、やっぱり言わなきゃダメ?」


「当たり前。そうやって、言い逃れしようとしても無駄なんだから」


「ちぇ、分かったよ。言えばいいんでしょ、言えば」


 ようやく、右手に持った筆を置くと、彼は体ごとこちらへ向けた。変なことを考えてしまっていたからだろうか。その動作を見て、今は妙にドキリとする。


「いや、その……何? 心配だったんだよ、椎奈が」


「……心配? 私が?」


「あぁ。一年の頃、最初はお前と天野と、二、三年生だった先輩達五人の、七人しか部員がいなかっただろ? そんな中で、お前が果たしてやってけるのかなって思ったら、ちょっと心配だった。どうせ俺も、高校では部活に入る気は無かったところだったし……椎奈がいるなら、いいかなと思って。別に、美術は嫌いじゃなかったしな」


 そう言うと、彼は頬をポリポリと掻いて照れ隠しだ。


 ――嘘……。純ってば、そんなこと心配してくれてたの……?


「……まぁ、その後に哲平も入ってくれたし、同い年組はそれで四人になったからよかったけどさ。きっと俺が入らなかったら、哲平も入らなかったと思うし。……正直、ホッとしてた」


「純……」


「……椎奈って、なんでも一人で抱え込むしさ。上下関係とかで何かあったときに、吐き出す奴がいないとやっていけないだろ? それに……、同い年の奴が天野だけっていうのも、少しばかり荷が重いだろうし」


「あ、はは……。確かに、ずっと美羽の相手してるのも、ちょっと疲れちゃうかも。……あ、別に美羽のことは嫌いじゃないんだけどね? あの子ほら、キャラが濃いから。偶には薄味の純みたいな人と話さないと、疲れちゃうし」


「薄味で悪かったな、薄味で」


 ふてくされたように、純は唇を尖らせた。


「あははっ。でも、どうして純はそこまでして、私のことを心配してくれるの? ……やっぱり、幼馴染だから?」


「……少し、違う」


「じゃあ、何?」


「それは……今は言えない」


 ふと、チラッと彼が、自分の絵を置いたディーゼルのほうを見た気がする。


「なんで?」


「……あとで、ちゃんと言うよ。だから、それまでの秘密な」


「なにそれ、ズルいなぁ」


「いいからいいから。ほら、椎奈も早く今日の分描いちゃったほうがいいよ? 来週にはもう、完成させなきゃいけないんだからな」


「もうっ……。分かったよ。でも、あとでちゃんと教えてよね」


「あぁ、約束だ」


「……うん、約束」


 そう言い合うと、また純は体をディーゼルのほうへ向けて、黙り込んでしまった。そんな彼の横顔を少しだけ眺めてから、私も自分のディーゼルの前へと戻る。


 ――純は……私に、何が言いたんだろう……。


 それからというものの、帰宅時間となるまでずっと、そんなモヤモヤを頭に抱え込みながら、私は自分の絵に向かって、筆を向けていた。

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