これが私の日常
夏休み。高校生活、最後の夏。
この辺りは、果たして都会なのか、田舎なのか。少し歩けば、田んぼや畑が並ぶ風景が見えてくるが、また違う方向に少し歩けば、東京と繋がる線が通っている駅にも行くことが出来る。一歩進めば山々が立ち並ぶ風景に、また一歩進めばビルが立ち並ぶ風景も見られる。
まさに中途半端という四文字が相応しい地域だ。人によって、田舎と称する人もいれば、一つの町と称する人もいるだろう。こんな、なんとも言い難いような町に、私は住んでいる。
――暑いなぁ……。
私は新垣椎奈。市内の高校に通う、ごく普通の女子高生だ。
……なんて、アニメや小説のように心の中で自己紹介をしてしまうほど、暑さのせいで頭の感覚が鈍る。
毎年毎年、『地球温暖化がー、地球温暖化がー』というテレビの決まり文句を聞き流しながら見る天気予報。最近八月に入った今日は、この夏でもトップを誇るほどの暑さらしい。おかげさまで天気も快晴。いつも以上に暑さをアピールする太陽をよそに、お空の雲たちはどこへやら。さっぱりとした青空がお目見えだ。
午前九時過ぎ。家を出た時には既に気温二十九度。学校近くのバス停についたバスを降りて、ダラダラと校舎へ向かう。涼しかった天国のようなバス車内から一転して、日差しが照りに照っている外。一分経たずとして、額に汗がにじみ出た。
火照った通学路を歩き切り、校舎前へとたどり着く。校門を通って構内に入り、見慣れた風景とにらめっこしながら、ボーっと歩いていた。
短いようで長ったらしくも感じる構内を歩き、昇降口へと入った。たったそれだけだというのに、制服のブラウスにはもう既に汗が滲んでいる。リュックを背負う背中が、汗でべっとりとくっ付いていた。
……下着は透けていないだろうか。咄嗟に心配になって、廊下の窓ガラスにうっすらと反射する自分の姿を確認した。よかった、まだ壊滅的な状態では無いらしい。
つくづく思うが、どうして女子の制服というものは、男子と違ってこんなにも不安要素が詰まる仕様なのだろうか。スカートは長いままだとダサいくせに、可愛さを求めてわざと短くすればするで、色々周囲を警戒しなければならなくなる。
その上、夏は下着が透けないことを気にし、冬はどんなに寒くてもスカートを履かなくてはいけない。挙句には、雨の日はもはや、中を見てくださいと言わんばかりの透け透け状態にまで陥る。それもあって、梅雨の時期は地味な下着しか着られないというのも、大きなハンディーキャップだ。なんとも文句を言いたくなる作りである。過去にこの制服を作った人に、私は文句を言いたいところだ。
と、そんなことをぼやぼやと心中で文句を浮かべていたところで、目的地へとたどり着いた。そのまま、その目的地のドアを開く。
「お、部長。おはよ」
「おはようございまーす」
中に入ると、まず真っ先に見えたのは、教卓の前に置かれた、三百六十度回転する教員用の椅子を思いっきりスフィンクスのように引いて座り、突っ伏した楽な体勢でスマホをいじっている彼だった。彼の言葉の後に続いて、後輩達の挨拶が響き渡る。
「おはよ。……あの、てっちゃん。どういう体勢してんのよそれ」
眼鏡を掛けて、気怠そうな雰囲気が目立つ彼は、朝倉哲平。みんなからはてっちゃんと呼ばれており、部員達のムードメーカーでもある。
「いや、なんかさぁ、めんどくさくて。夏休みなのに学校来るの」
「そんなこと言ったって、来週までに作品を作り終わらないとダメでしょうに」
雑に置いてあった、学生用の木製椅子を手に取っては、荷物を床に置いて、彼の近くにそれを置き座った。
「でもさぁ、学期末はテスト勉強に追わされてさぁ、ろくに作品作りも出来ずに、夏休みに入って『さぁ、完成させましょう!』って言われてもさぁ、やる気なんて起きねぇしさぁ?」
「そんなこと言うなら、なんで美術部なんかに入ったのよ。三年生の夏休みまでみっちり部活があるなんて、入部前から分かり切ってたことでしょ」
「いやー、何? ……消去法?」
「え、そんな理由だったの?」
「と言ってもまぁ、中学でも美術部だったしさ。絵を描くのとか、何かを作るのは好きだからいいんだけども。ともかく、夏休みを削ってまで学校に来る必要性を感じないわけ」
「じゃあ、家に持ち帰って絵描いたら?」
「あー無理無理。家ん中で絵具使ってたら確実に母ちゃんに怒鳴られるわ」
右手をぶんぶんと彼が振る。
「じゃあ、文句言わない。もう少しで展示会に出す絵も完成なんでしょ?」
「まぁ、うん」
「なら、ちゃんと最後まで頑張りなさい。私も、手が空いたら見に行くから」
「はいはい、そりゃどうも。……お、純。おはよ」
哲平が空返事をしたところで、美術室のドアが開いた。中に入ってきたのは、相変わらずの寝癖が目立つ、私の幼馴染の一人だった。
「ん、おう」
「おはよ、純」
「おう」
短い返事をこちらに返すと、さっさと自分がいつも使っている席に向かっては荷物を置いて、きびきびと準備をし始めてしまった。一見冷たい性格のように見えるが、彼は普段からアレが普通だ。
いつも寝癖頭が目立つ、哲平とはまた違った気怠そうな雰囲気を醸し出す長身の男子。そんな彼の名は塩川純。私の幼稚園の頃からの幼馴染で、家も自宅から互いに徒歩一分という距離にある。そのせいから、小さい頃からどんな時でも彼と一緒にいた。
昔は気弱で、元気で明るい子だったのだが、中学を過ぎてから段々と丸くなったのか、ずっとあの調子だ。それでもなんだかんだ一緒にいる時間も多く、今ではなんでも言い合えるような仲である。
「そういや、どうなんよ」
「うん? どうって、何が?」
哲平がスマホをポケットに仕舞いながら、こちらに問うた。
「純とだよ。まだ幼馴染ごっこしてるのか?」
「なっ、ごっこって何、ごっこって?」
ごっこという言葉が気に食わず、私は思わずムキになる。
「だってそうでしょ。部長と純の仲の良さは、部員みんなからもお墨付きだろ? いい加減付き合っちゃえばいいのにさ」
「なに言ってるの。別に私は、純のことそんな目で見てないし。ただのぶっきらぼうな性格の幼馴染」
「とかなんとか言っちゃってー、たまーに純が学校休んだ時とか、物凄く心配するくせに」
「いや、心配はするでしょ。心配くらい」
「えぇー? 二月に純がインフルになった時、部長毎日部活終わりにあいつの家行ってたんだろ? インフルうつるかもしれないのにさ」
「なっ、ちょっと、誰に聞いたのそれ」
「天野」
「美羽か……。ぐぅ、後で文句言っとこう……」
小さい声で私はボソッと呟いた。それとほぼ同タイミングで、再び美術室のドアがガラッと勢いよく開いた。
「おっはよーございまーす!」
聞き慣れた、元気いっぱいの挨拶。それが教室内にこだまする。後輩達から「おはようございまーす」などという挨拶の洗礼を浴びると、ポニーテールを揺らしながら、そいつはこちらへとやってきた。
「おっはー! 椎奈!」
彼女は私の名を呼ぶと、勢いよく後ろから抱き着いてきた。心地よいシャンプーの香りが、優しく鼻に漂ってくる。
「……あと哲平も」
「俺はおまけかい」
面倒くさそうに欠伸をしながら、哲平がそれに返事をする。
「おはよ、美羽。今日も元気だね」
「もっちろん! 椎奈がいるだけで私は、元気二百パーセントになれるからね!」
「二百パーセントって。どんだけ私が大好きなの」
彼女の言葉に、苦笑いが自然とこみ上げる。
「えー、そりゃあもう、お嫁さんに貰いたいくらいかな?」
「もう、変なこと言わないの。私達が結婚できるわけじゃあるまいし」
「でもでも! 女同士で結婚できるんだとしたら、私は椎奈と結婚したいな!」
「はいはい、ありがとね」
後ろから抱きつきながら、顔を近づけてくる美羽の頭を優しく撫でる。すると彼女は、無邪気な子供のようにクシャっと笑ってみせた。
この子は天野美羽。小学校からの幼馴染で、小さい頃から純と同じくよく遊んでいた。普段から長い髪をポニーテールにまとめており、何もいじらなくても目立つ、大きい二重のくりっとした目が印象に強く残る。
昔はよく髪をツインテールにしていたのだが、身長百五十三センチというロリ属性であり、今でも小学生と間違われるのが嫌らしく、いつからかポニーテールにイメージチェンジを果たした。一人のときは基本的に大人しいのだが、私が一緒にいるときはいつも、こんな風に元気二百パーセント状態になる、ちょっと変わった子だ。
「お前ら、見てていつも思うけどさ。百合なの? レズなの?」
そんな私達の様子を見ていた、哲平が再び口を開いた。
「別に? そんなんじゃないよ、ただの親友。ね?」
「そうそう、私達をそこら辺にいる百合とかレズと一緒にしないでほしいなぁ。私達は、友情を超えた仲なんだから」
と言いながら、美羽は私の頬に自分の頬をくっ付けた。彼女の頬から感じる体温が、暖かくて心地よい。
「いやいや、友情超えちゃったらその先に何があるんだよ。愛情じゃねぇのか」
「むー! いちいち細かいこと気にする! そんなこと言ってるから、彼女出来ないんだよ!」
「はぁ? なんでそういうことになるんだよ。彼女とか今関係ねぇだろ」
「じゃあ実際にあんた、彼女出来たことあるの?」
「いやねぇよ。ねぇけど、それが原因ってわけじゃねぇだろうが」
「そういう細かーいところも、女の子は色々気にする生き物なんですー!」
「はいはい。二人とも、そのくらいにしなさい」
私が止めてようやく、二人の言葉にブレーキが掛かった。口を尖らせる美羽をよそに、哲平は腹立たしい様子で、椅子に深々と座った。
「っていうか、もうすぐ集合時間の三十分だし、先生来るよ? そろそろ、私達も準備始めよ?」
「へーいへい。分かりましたよ、部長」
哲平はそう言うと、苛立ちを隠せないまま、大きなため息を一つ吐いて立ち上がり、自分の席へと向かっていった。
「もう、なんなのあいつ。ホントうっざい」
そんな彼の後ろ姿に向かって、小さな声で美羽が追い打ちをかけた。
「まぁまぁ……」
「ふんっ。まぁいっか。椎奈、私達も準備しよっ?」
「うん、そうだね。……後でちゃんと謝りなよ? 美羽」
「えー!? 謝るの?」
私と一緒に立ち上がりながら、わざとらしく美羽が驚いてみせた。
「当たり前。じゃないと、私へのぎゅーはそれまで禁止だよ?」
「むぅ……。分かったよぉ……」
そんな愚痴をため息交じりに呟く美羽と一緒に、自分の席へと向かう。ふと、その時に一瞬だけ、あの純と目が合った。……ような気がした。