その3
数日後、俺がギヤに顔を出すとバー・スペースであの子、佑ちゃんとバッタリはち合わせた。
「ミッチ、こないだはありがと。」
「佑ちゃん。相手する暇がなくてごめん。」
今日の彼女はヒョウ柄のファー・ハーフコートに黒いキルト・スカート、ブロックチェックのタイツで足元はクリーパーズ(いわゆるラバーソウル)を履いている。赤い髪に合わせてベレー帽を斜めにかぶり、太陽に反射する朝露のような輝きを放って、俺は彼女を凝視したまま呼吸が止まりそうになっていた。
彼女はそんな俺の様子に気づきもしなかった。
「大丈夫だったよ、シンがずっと付き合ってくれたから。」
「へえ、そうなんだ。」
俺は気持ちが沈み込んでいくのを感じた。
「シンと一緒に帰ったの?」
「ううん、アタシ終電逃しちゃってさ。そしたらシンが明け方まで一緒にいてくれたんだよ。一緒に路上飲みしてさ。いろいろありすぎて、めっちゃ楽しかった!」
興奮気味に話す佑ちゃん。
俺は正直、複雑な気分だった。
そう、シンはそんな男だ。
アイツは高円寺に住んでいるが、初めて会った女の子を自宅に誘うようなやつではない。
かといって困っているのを放置するような男でもない。
いかにもシンらしい。
佑ちゃんも佑ちゃんで、バンドマンに誘われてすぐ寝るような女の子ではないと分かって安心した。
ただ、それが俺と彼女にとって何だというのだ。
いったい俺は何をやってたんだ。
「ミッチさあ、お願いがあるんだけど。」
佑ちゃんのひと言で俺は我に返った。そう、いま目の前に彼女がいるじゃないか。お前は今、彼女と話している。
「佑ちゃん、何でも言ってよ。どうしたの?」
「その“佑ちゃん”ってやつなんだけどさ。アタシ、自分の名前がどうしても嫌いで。」
「へえ、そうなの?いい名前だけどな。」
「だから、ここでは通り名が欲しいな、って思って考えたの。」
「そうなんだ。何て名前?」
佑ちゃんは誇らしげに胸を張った。
「アイヴィー。」
「へえ、アイヴィー。いいね、凄くいいよ。」
「えへへ、ありがと。」
佑ちゃんはお気に入りの洋服を褒めてもらったお嬢さんのように実に嬉しそうだった。その笑顔が何年も現状に満足してきた俺の心を乾かし潤し、そして切望させていく。
「だからもう“佑”って呼ばないでね。アタシの本名は内緒だよ、ミッチとシンしか知らないんだから。」
「シンにも話したの?」
「うん。シンに『アイヴィーってどう思う?』って、相談したんだ。そしたら『わるかねーよ』だって。」
佑ちゃん…いやアイヴィーは口をとがらせてシンの物まねをした。悲しいくらいに特徴を掴んでよく似ていた。
高円寺で初めて俺に本当の名前を告げた佑ちゃん。
高円寺で初めてシンに新しい名前を告げたアイヴィー。
「アイヴィーちゃん、すごくいいよ。どういう意味があるの?」
「ナイショ。それから『ちゃん』は、いらないよ。ただのアイヴィーでいい。」
「いいよ、アイヴィー。」
晴れてアイヴィーは俺たちの仲間になった。「高円寺での新しい自分」にはしゃぐアイヴィーを見ながら、俺はシンのことを考えていた。
「ミッチ。アタシ、バンドやりたいんだ。」
打ち上げの席でアイヴィーが俺に告げた。
「そうじゃないかと思ってたよ。」
「アタシね、そのために高円寺に来たの。アタシもみんなみたいにバンドやりたい。キラキラしたい。」
(君はそのままでも十分キラキラしているよ)
そんな言葉は腹の中に飲み込んだ。アイヴィーがいま聞きたいのはそんなセリフじゃなくて、次に繋がる話のはずだ。
「何か、楽器はできるの?」
「アタシ、歌いたいんだ。歌には自信がある。」
アイヴィーは落ち着いていた。本当に自信があるみたいだ。彼女がどんな歌を歌うのか聴いてみたい。
でも俺はシンとのバンドに集中している。そしてシンは、女とバンドを組むのを良しとしないだろう。
「どんな感じのバンドがやりたいの?」
アイヴィーと話すうち、アイツの顔が頭に浮かんできた。そう、アイツなら彼女と合うかもしれない。
「一人、紹介できそうなギタリストがいるよ。本人に話してみないとだけど。」
「ホント?嬉しいな!」
「そいつは自分のバンドを解散させたばっかりなんだけど、アイヴィーとなら合いそうな気がする。俺の親友なんだ。何でも話せるやつでさ。」
「ミッチが相談できるような人なら、絶対いい人だね。ミッチ、頼りになるもんね~。」
「そんなこともないけど。」
アイヴィーにそんなこと言われたら、ついつい顔がにやけてしまう。俺は横を向いてごまかした。
「ギターの腕も間違いないよ。曲も作れるし、ステージでも目立つし。デカいモヒカンでさ。」
「いいね~!ますます会ってみたくなっちゃうな。」
「なるべく早く時間を作って、顔合わせをセッティングするよ。任せてくれ。」
「うん、ミッチ、ありがと!やったね。」
「でも、俺はきっかけを作るだけだよ。そこから先は自分次第だからね。」
「もちろんだよ。」
ウキウキするアイヴィーを見て、俺も嬉しくなった。ゴンとアイヴィーが組めば、とてもいいバンドになりそうな気がする。
さらに言葉を続けようとした時、俺たちの横をフラフラとシンが通り過ぎた。
「ねえシン、足元ふらついてる。危ないよ!」
「ああ?関係ねえだろ。」
駆け寄ってくるアイヴィーを、シンはぶっきらぼうに応対しながらも追い払いはしなかった。
二人は何か言い合いながら向こうへ歩いていった。
シンと張り合おうなんて気はない。
ただ俺たちは、同じ赤いヒモの両端をそれぞれ見えない場所から引っ張り合っている。そんな気分だった。
俺とアイヴィー、そしてゴンは高円寺P.I.Gスタジオの受付で待ち合わせた。
「ゴン、彼女がアイヴィー。アイヴィー、これがゴン。」
「よろしく。アンタ、ギヤで見かけたことあるよ。」
「『デスティーノ』やってた人でしょ?アタシ、ライヴ観たよ。解散しちゃったんだね。」
「おお、サンキュー。そうなんだよ。」
スタジオの予約までは時間があった。俺はゴンとアイヴィーに雑談させ、お互いを理解できるよう時間を費やした。
思ったとおり、二人は程なく意気投合し始めた。好きなバンドの趣味が似ているし、バンド活動に対する姿勢も近い。
「ねえゴンちゃん、ちょっとサングラス取ってよ。」
不意にアイヴィーがそんなことを言いだした。アイヴィーなら、いずれ言うだろうとは思っていたが。
ゴンはちょっと緊張したような顔をしたが、ややあってサングラスを外した。
アイヴィーは笑うでもなく、ゴンのつぶらな瞳を見ていた。
「“目は口ほどにものを言う”ってホントだね。」
「どういうことだよ?」
ゴンはいぶかし気な声を出した。
「ミッチのお墨つきに間違いはないってこと。」
そう言ってアイヴィーはニヤリと笑った。ちょうどスタジオの時間になった。
今夜は俺もサポートとしてドラム・スティックを持って行った。まずは適当にセッション。誰もが知ってるカヴァー曲から。
アイヴィーがマイクに向かって歌い出した瞬間、俺とゴンは思わず顔を見合わせた。
狭いスタジオにアイヴィーのパッションがさく裂した。
俺とゴンはもう何の余裕もなく、アイヴィーの声量に負けない音を出そうと必死だった。
すごいものが生まれそうな予感がした。
スタジオの後、俺たちは近所の居酒屋で大いに盛り上がった。
初めてバンドの形で歌声を披露し、興奮気味のアイヴィー。
類まれなるヴォーカルと出会い、自らの幸運に打ち震えるゴン。
そんな二人はもう何年来の友のように軽口を叩きながら、本当の仲間…本当のメンバーになっていき、俺はそれを横目に実にうまい酒を飲んだ。
最終的にアイヴィーとゴンは肩を組んで大声で歌いながら東通り商店街を練り歩き、俺は苦笑しながらその後をついていった。
そういえば女好きのゴンが、アイヴィーに関しては「いい意味で」女扱いしていない。あくまで一人のヴォーカリストとして一目置いたということか。
「ミッチ、今日はホンットにありがと!ミッチのおかげだよ。ホント、ずっとこのメンバーでやりたいくらい楽しかった!」
「アイヴィーと俺ですげえバンド作るからよ。期待しててくれよな、ミッチ。マジで最高だよ。」
それぞれが充足感を味わいながら、俺たち三人は道の真ん中で別れた。アイヴィーは大きく手を振りながら去っていった。
あまりにも楽しい夜だったので、ベッドに入るまで俺は気づかなかった。
アイヴィーは駅とは逆の方に歩いていったことを。
それはシンの家がある方向だった。




