右手と左手
今回は悪魔崇拝に関しての話。
キリスト教の新約聖書『マタイの福音書』には『汝の右手のなすことを左手をして知らしむるなかれ』と言うのが有る。
これを「善行は隠れてしてひけらかすな」と翻訳している事が多いがとても胡散臭い。
左手での握手は相手に悪意が有る事の表れだとされている。
一部の民族で左手でケツを拭くなんてのもあるが、どうもこれのせいでは無いく、『左手で握手して右手で殴る』あるいは『左手で喜捨を要求し右手で殴る』が正しい意味の様だ。
これをローマの徴税官とされる『マタイ』が記したと言う事だと、「悪事はばれない様にやりましょう税の何割かは着服しよう」と言った所だ。
『マタイ』は『アルファイの子レビ』と言う記述と同一視されているが、『アルファイ』とは『アルファ』で『雄牛』の事だろう。
『エルフ』の住処も『アルヴヘイム』と呼ばれ、悪魔の耳が尖っているのはおそらくここからか。
『バアル』と言うのが男神崇拝や『鬼』や『雄牛』の象徴だと言う話をしてきが、当然の様に右手で武器を振りかぶる状態の像が残っている。
キリストの磔以外の絵画の構図は右手を上げて左手は下げると言うのが散見される、悪魔のバフォメットもこれと同じ構図だ『最後の審判』の中央に居る手を振り上げた男など。
特に『サントフォア寺院のタンパン』はキリストと明らかに分かる顔をしている者が悪魔と同じポーズを取っている。
キリストの処刑理由は『悪霊のかしらベルゼブルの力を借りて悪霊に取りつかれた人を救っているに違いない』と言う嫌疑がかかった事だが、「毒殺犯が喜捨を渡す者以外を毒殺しているんだろう?」が現実に即した翻訳だろう。
空手では『天地の構え』と言うのが有るがここら辺が起源だろう。
『リョウ・サカザキ』とか『遠呂智独歩』辺りがやっている。
『北斗の拳』では『天破の構え』として出て来て、恐らく意図的に左右を逆にしている。
『神の左手悪魔の右手』という『楳図かずお』の作品もここら辺が着想。
『ダイの大冒険』の『天地魔闘の構え』は意図を汲み取れず左右を間違えた物か。
当然、仏教徒がやる菩薩の金くれポーズも同一の起源。
『デーヴァ』が『大和』で時代が下るにつれ悪魔にされたのも、『ベルゼバブ』の皆さんが龍や女神信仰に悪役を押し付けようとしていたと言う話。
『ゼウス』と言うのは『Z』つまり七番目の神を主張していると言う話を書いたが、『バアル』も『バアル・ゼブル』や『バアル・ゼブブ』と『Z』が付いている。
『バアル』は『槍』や『鈍器』を振り回す『雷』の武器を持つ神とされるが、ゼウスも『雷』を武器とする。
『バアル・ゼブブ』は『蠅の王』と言う意味だが、『ゼウス』は最初の妻の『メーティス』が『蠅に変身したところで呑み込んだ』と言う話が残っている。
『ゼウス像』も似たような物があるため現地の悪魔崇拝を放置した結果か、密教として『バアル』崇拝が残ったと捉えるのが自然かだろうか。
もっとも現存する像がいつ作られたかと言うのも怪しい物だが。
ラテン語の『蠅』を意味する単語が『ムスカ』で『バルス』の逆読みが『昴』かどんな意図で作った物だろうか。
『ゼブラ』がシマウマや審判の事で、『ゼ』と『ブラ』に発音が別れていて、『ブル』と言う牡牛の事である確率が高い。
『ブラック』も『ブル』や『ブルグ』のだろう。
長崎県長崎市松山町にある平和公園の『平和祈念像』と言う物が有るが、核で長崎を焼いて侵略した事を記念したようにしか見えない。
左手で握手を求めて右手で殴りつけろと言うのの現代版ともいえる物が幾つかある。
一つ目は霊感商法、不幸になりますよと言って買わなかった者に『予言』を執行すれば良いだけだ。
二つ目はハロウィン、トリック オア トリートとは喜捨を寄こさないと毒殺と言う、過去に実際に行われた事を現代に残した結果。
三つ目は終末論、これも神を信じなかったから生き残れなかったと寝言を言いながら、核戦争後の世界でカルト宗教の教祖を崇拝させようとしている、『予言』の実行もセット。
ここら辺は日本語では『呪い』と呼ばれていて、穴二つ、テロを起こした奴も報復で殺さないといけないと言われている。




