Ⅳ
防御魔法が壊れた音は確かに聴こえた。だが、黒犬の死体どころか、青い鳥の死体もない。
あの状態では死んでいてもおかしくない。だが、黒犬達はいない。それは何らかの方法で、ここから脱出したということだ。だが、黒犬は防御魔法を張ることだけで精一杯で、そんなことができると思えない。
「どうなっているんだ?」
何が起きたのか分からない。だが、このまま、失敗してはあいつらの命がない。
早く、黒犬達を探して、殺さなければ。
そうしないと、あいつらが殺される。それだけは避けなくてはならない。
あいつらは俺の希望で、大切なもの。それを壊されるわけにはいかない。
『………何か探しものかな?』
聞こえるはずのない声が聴こえてくる。そんな馬鹿な。彼がここにいるはずがない。
『君は私に隠し事できると思っているのかい?私が君と何年一緒にいたと思っているんだい?』
「白蛇、お前か?何で、お前がここにいるんだ?」
俺は周りを見回すが、誰もいない。
『何で、ここにいるのか?そんなの決まっているじゃないか?傷ついた人間がいるからさ』
だが、あいつの声だけは聞こえてくる。
『君の様子がおかしいから、病院にしばらく休暇を貰って、様子を見に来たら、まさかこんなことになっているとは思わなかったよ。しかも、私が処方した睡眠薬を使ってね。医者としては最大の汚点だよ。私の姿を探そうとしても無駄だよ。君は私の魔法の中だ』
彼はそう言ってくる。しくった。幻術魔法か。
『そう。青い鳥と私の可愛い後輩は救出させてもらったよ。私にしても、彼らを死なせるわけにもいかないからね』
その言葉に、思わず唇を噛む。黒犬達にあいつが付いたのなら、あいつらを殺すのは難しくなる。
「お前の事情なんて関係ない。黒犬達を出せ。そうしないと、あいつらが殺されるんだ」
早くしないと、あいつらが死んでしまう。
『………やはり、いつもの君らしくないと思ったら、そう言うことか。あの男爵もとんでもないことをする』
「そんなことはどうでもいい。早く出せ」
『君の願いでもそれだけはできないね。君は私の大切な親友だが、黒犬は大切な後輩だし、青い鳥は想い人だ。そんなに、彼らを殺したければ、その前に私を殺してみたまえ』
彼の声と共に、世界がぶれる。どうやら、魔法が解けたようだ。予想通り、目の前には青い鳥達は勿論、彼の姿もない。
なら、俺はどうしろと言うんだ。
俺は呆然と立ちすくむことしかできなかった。
***
「魔法が切れてしまったようだ。だが、時間稼ぎにはなった」
俺と同期である白髪変人がそんなことを言ってくる。
「あんたが突然現れたことにど胆を抜かれたが、結果的に助かった。ありがとう」
彼がどうして、こんなところに現れたのか、分からないが、彼がいなければ、俺は勿論、青い鳥の命はなかった。
「まあ、私も間接的に共犯になっていたようだからね。それくらいはお安いご用さ」
彼はそんなことを言ってくる。紅蓮さんが睡眠薬を持っていたのは彼が処方したとから。だが、紅蓮さんはとにかく、彼に当たるのはお門違いだ。おそらく、彼は知らなかったのだから。
あの後、彼が現れて、防御魔法を展開してくれたお陰で、俺達は皮一枚で助かった。その後、スノウに手伝ってもらい、空間魔法を展開し、リオ達の隠れ家に戻り、ダズさんの仲間の一人に事情を話して、リオ達も運んで、別の場所に移動した。
その為、青い鳥やダズさん、リオ達は目を覚まさない。青い鳥が効く量、あのスープに入っていたのなら、ダズさんやリオ達が大丈夫か気になる。彼は医者なので、見て貰ったところ、後遺症の心配はないようだ。
「彼は君達を殺そうとした。それは事実さ。だが、彼のことも分かってもらいたい。彼が君達を狙ったのは男爵の差し金のようだ」
そうだとは思っていた。面倒ごとを嫌う紅蓮さんが何もなく面倒ごとをするとは思えない。
「この際だから、君には話しておこうか。紅蓮のことを」
彼は俺を見る。
「彼はもともと男爵家だったわけではない。彼は施設で育ったらしい。だが、彼が7歳の頃、彼を引き取りたいという人が現れた。それが当時のクリムゾン家の当主だったそうだ」
クリムゾン家。一か月前に、俺の森の精霊を狙って、やってきたあの男もクリムゾン家の分家だった。紅蓮さんが本家の人間だったから、あの男は言うことを聞かざるを得なかった。
紅蓮さんが施設出身なら、青い鳥が言っていた紅蓮さんの弟や妹と言うのは恐らく、施設の子供達のことだろう。
「その施設に援助をすることを条件に、彼は養子となった。彼は当主の言う通りに、魔法学校に入学し、魔法を一生懸命勉強した。彼の努力もそうだが、もともと才能があったんだろうね。卒業後、ライセンスを取り、そのまま宮廷魔法使いになった。彼は天才魔法使いと言ってもいい。当主は彼の才能を見抜いていたのだろうね。そうでなければ、養子になどしない。当主は当主で、ちゃんと彼との約束を守り、その施設を援助していた。話によると、当主も彼のことを本当の息子のように可愛がっていたそうだ。彼と当主の間は良好だったと言える。だが、どの世にも、それを快く思っていない人間がいた」
その言葉を聞いて、思い出す。確か、紅蓮さんにはお兄さんがいた。もし突然やってきたよその子供が自分を差し置いて、可愛がられたら……。
「そう、彼の義兄だよ。彼は紅蓮君のことが邪魔で仕方がなかったのだろうね。二年前、当主が病死した後、彼が当主になった。その後、紅蓮君に無理難題を押し付けた。勿論、断ったら、援助打ち切りすると脅してね」
「………」
それを聞いて、その当主に怒りが沸いた。どうして、そんなことすることができる?義理とは言え、兄弟として過ごしてきた仲だろう。
「そして、今度、彼はこの任務を失敗したら、施設の子達を殺すと脅したのだろう。まあ、任務が成功しても、彼の命は保証されない。それでも、彼は自分の命より、施設を取った」
例え、眠れる龍に殺されることになろうとも、と彼は言う。黒龍さんなら、紅蓮さんが裏切ったら、始末するくらいするだろう。王の邪魔をした青い鳥にしたように……。
「………君にこの話をしたのは君が彼を救う可能性を持っているからだよ。僕は君達にも生きて欲しいけど、彼にも生きて欲しい。君達を助けた方が彼を救うことになると思っているから。話を聞くと、宮廷魔法使いをやっていた頃、無謀にも、眠れる龍と対立したそうじゃないか」
彼はそんなことを言ってくる。それを知っているのは赤犬さんや鏡の中の支配者、黒龍さん達くらいのものだ。城の人間だって、そんなことになっていたことに気づいていなかっただろう。それなのに、どうして、彼が知っているはずが……。いや、もう一人いる。幻術魔法を使って、他の宮廷魔法使いを足止めしてくれた人物。もしや、その人物は……。
「彼は魔法学校時代から知っているが、身内以外には容赦のない人間だよ。だから、彼が君達を間接的にせよ、手を貸したことは驚くべきことだよ。だから、私は君達に賭けたい。君達なら、彼を助けてくれる、と」
君たちなら、幸せを運んでくることができるのだろ、と。彼はそう言っている。幸せを願っている人間がいるなら、お前の出番だ。
「………青い鳥、幸せを呼びに行くぞ」
「貴方に言われなくても、準備はできています」
青い鳥は目を擦りながら、そう言ってくる。
「こりゃあ、たまげたね。普通、あんな量飲んだら、半日ほどお休みしているところだけど」
「白蛇さん、一日ぶりです。貴方が助けてくれたようで、ありがとうございます」
「君に感謝されるなら、火の中、海の中でも助けに行こう。今はそんなことなどどうでもいいことだ。おそらく、紅蓮は王都に向かっている頃だろう。彼は賢い人間だ。無理無駄な事はしない。私が絡んで、見つかるとは思っていない」
治療と誰にも悟られずにサボることは私の右に出る者はいない、と彼は自慢げに言うが、いばれることではない。
「それなら、まだ可能性が高い方法をする、と言うことですか?」
「御名答。彼は当主、つまり、義兄の元に行っただろう。施設の子達の代わりに、自分の命を差し出す為に」
彼は義兄が自分の死を望んでいることを知っているからね、と彼は言う。
「そんなこと、ふざけている」
人の命をなんだと思っている。
「その通りです。彼の命は彼の命です。誰かが弄んでいいものではありません」
「では、彼を助けに行こうと言いたいが、その為には二つ問題がある。一つは君達の本来の任務がまだ途中だと言うこと」
俺達は反乱軍と和解する為の交渉人としてきた。このまま、紅蓮さんの方へ行ってしまったら、黒龍さんに何を言われるか分からない。
「その為、反乱軍のリーダーを話しあいに行こうとしましたが、失敗しました。紅蓮さんの件がありますので、今から行っても、会って貰えないと思います」
仲間の一人を危険にさらしてしまっていますから、とこいつは言う。確かに、この状態では反乱軍のリーダーに会うのは無理だ。
「ですが、これはこれで、全てを吊るしあげるいい機会でもあります。おそらく、男爵さんは西の軍と裏で取引している可能性があります。男爵さんを取り押さえれば、ここの軍の悪事も暴かれます」
「それなら、尚更、早くしないといけないね。紅蓮君が男爵を殺してしまうと言う可能性もある。そう言う意味では、これが一番問題だ。どうやって、王都まで向かうかだ。紅蓮は空間魔法を使えない。だが、彼はいくつか魔法具を所持していたはず。その中に空間魔法の類があったはずだ」
確かに、これは最大の問題だ。だが、
「………なんで、紅蓮さんは空間魔法が使えないなんて断言できるんだ?」
召喚魔法が使えれば、空間魔法もつかえるとは思うんだが。それなら、空間魔法の魔法具なんて持っている必要はない。あれは結構な値がしたはず。
「白蛇さんの言うとおりです。紅蓮さんは炎精ですから」
「………は?」
炎精さんって、あの炎精ですか?ちょっと待て。カニスと同じ神子ってことだよな?なんで、その炎精さんが男爵の養子になって、宮廷魔法使いやってるの?もしそれが事実なら、カニスと一緒に保護される対象だよな?
「恐らくですが、教会は知らないでしょう。紅蓮さんは何らかの方法でカモフラージュをしていたのでしょう。教会といっても、暴発しなければ、気づきません。ストッパーがいたのでしょう」
青い鳥は白髪変人をみる。教会に紅蓮さんの存在が知られれば、面倒ごとになるのは間違いない。教会に引き取られれば、施設の子達とも会えなくなる。その上、裏組織に、紅蓮さんと施設の関係がバレれば、施設の子達に危害を加えられるだろう。それを考えると、紅蓮さんが自分の能力を隠すことを考えるのは自然の流れ。
暴発の方はどうだろう。カニスも風精の能力は勿論、獣の王の血による体質のコントロールはできていなくて、振り回されていた。今の紅蓮さんは完全にコントロールできていたとしても、子供の頃の紅蓮さんがコントロールできるとは思えない。暴発しないようにしたのか、それとも、暴発しても最小限にとどめたのか、それは分からないが、協力者がいたのだろう。その協力者はもしかしなくても。
「紅蓮と同じ体質の人がいるのかい?もしかして、武道大会に出ていた銀髪の彼かい?紅蓮も彼に興味を持っていたからね」
白髪変人はうんうんとうなづく。医者として優秀なのは知っていたが、さきほどの魔法の腕前からすると、十中八九彼だろう。
今はそんな話をしている場合じゃない。
「白蛇、空間魔法は?」
「使えるが、遠距離は無理だよ」
どうやら、彼は遠距離移動は無理のようだ。俺も遠距離移動ができるわけではないが、スノウの補助ありなら、可能だ。だが、男爵家など知るはずがない。
―白蛇だったっけ?彼は男爵家知っているの?―
「愚問だね。私は彼の家には遊びに行ったものだよ。あそこの家から見れる景色は絶景だから、私的にはお気に入りだ」
―それなら、大丈夫。そこの情報を思い浮かべて、ボクに教えて。そしたら、黒犬に教えられる―
「ほう。それはスゴイ。なら、早速思い浮かべようとしよう」
彼は納得した様子をする。
「………ちょっと待て。ごく自然にスノウのことを受け入れているが、あんたはこいつのことを知っていて、受け入れているか?」
俺は思わず突っ込む。彼がスノウと会話が成立していることも驚きだが、彼がそのまま自然に会話していることを驚きもせずに、普通に会話しているのはおかしすぎる。
「………なんだい?黒犬君。その声が何かなんて知るはずがないだろ。私はこの声は未知の遭遇なのだから」
それなら、もっとそれらしいリアクションを取って欲しい。
―ボクはジン。精霊とか、魔人とか言われてる。真名は言えないけど、スノウと言われている。黒犬はボクの契約者―
スノウはスノウで、律儀に自己紹介をしている。
「そうなのかい?もしかして、紅蓮がいっていた精霊は君のことかな?生きている間に、精霊に会えるとは驚きだね」
今度会ったら、友人達に自慢しよう、と彼は言う。突っ込みどころが多すぎて、捌けない。
思わず頭を覆う。俺にはこの人の相手なんてできない。
「とにかく、早くして下さい。紅蓮さんとこの街の運命は貴方達にかかっています」
青い鳥はそう言ってくる。今だけはお前がまともに見える。
「思い浮かべたよ。どうだい?どうにかできそうかい」
―分かった。黒犬、どう分かる?―
スノウがそう言った瞬間、知らないはずの光景が視えてくる。ここが紅蓮さんの家。そして、その場所がどこにあるか、情報が送られる。これなら、どうにかなりそうだ。
「ああ、これなら、どうにかなりそうだ。スノウ、サポート頼む」
―分かってる―
スノウの声を聞いて、俺は魔法陣を展開する。
どうか、まだ間に合いますように。その想いを込めて。