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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第一部 白雪姫
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浄化の あと

白雪の怨念の源を追い、嵐の闇の中を、教会へ行く。

その8 浄化の あと


 叩きつけるような冷たい雨は視界を遮り、繁華街をやっとのことで抜けると、街灯のない道がえんえんと続いた。

 呼吸ができなくなるほどの向かい風だ。

 (ゴルデン?)

 ふと気が付くと、一緒に窓から抜け出したはずのゴルデンがいない。

 彼の不在を気に掛ける暇はなく、壊れた建物の木っ端が飛んできては、身体をかすめた。

 わたしは木のワンズを暴風の闇にかざした。

 雨風に左右されることのない、魔法の灯がワンズの先端に宿り、わたしの行く手を照らした。

 それでわたしは、目的の教会墓地が、意外に近いことを知る。

 

 石ころ道の両脇は、貧しい畑が広がっており、もう収穫を終えたそこはいかにも閑散としている。

 なにひとつ作物の芽生えのない畑の上には、激しい雨風が絶え間なく叩きつけていた。

 その惨めな畑の向こう側、わたしから見て右手側に、その教会は建っていた。

 暴力的な雨風のために、古い建物はここから見ても頼りなく、屋根に取り付けられた十字架は、ぐらぐらと揺れていた。

 教会の裏手に広がる墓地は、嵐の中で、じいっと無言で耐えているように見える。

 昼間見た時にうっすらとかかっていた彷徨える霊魂の靄は今も健在で――いや、むしろ昼間よりも存在感を増して、嵐などどこ吹く風といわんばかりに、うつろに漂っている。

 

 あそこに、いるの。


 シッ、と、弦楽器の弦を逆なでするような耳障りな音を感じた。

 ポケットにつっこんだ、毒林檎の半かけが燃えるように熱い。これは絶望、憎悪、呪い、復讐心。

 

 風に外套をあおられながら、それでもワンズのおかげで視界は守ることができた。

 確実に、教会に近づいている。

 白雪がさしだした半分ずつの林檎は、白雪の魂そのもの。

 もとからある、純粋で無邪気で輝きに満ちていた、幸せな少女と、そして(……イヤ、やめて)理不尽に踏みにじられ、奪い取られた後に残った絶望と憎悪と(いやああああああああああああっ)復讐。

 引き裂かれたまま白雪は命を失い、強烈な暗い力だけで、この世を漂い続けていた。

 気の遠くなるような年月を。

 母も死に父も死に、かつての同級生たちも姿を変えた今も、彼女は亡くなった時のままの姿と心で彷徨っている。

 復讐心を晴らしたい一心の姉の依頼は、しかし、成立できるような代物ではなかった。

 だが、姉が身に着けてしまった歪んだ魔力は、粛清すべき対象となる――。


 粛清。


 わたしは、立ち止まって目的の場所を見回し見上げる。

 左手に広がる墓地と、明かりひとつ灯していない古ぼけた教会。

 ごうごう、と風が鳴るたびに、屋根の十字架がきしんでいる。

 墓地の手前に、ひどく粗末な小屋があり、それは寺男の住処らしい。

 ざあざあと墓地の脇のけやきが雨を受けて音を立てている。

 ひどく地面が悪く、ぬかるみは足の甲まできていた。

 ゆっくりとわたしは進んで行き、ふいに、教会の暗い窓の中に、弱いあかりが通り過ぎるのを見た。


 オレンジに光る、小さな燭台。

 それが、暗闇の教会の中を、一歩ずつ動いている。

 

 わたしは足を速めた。

 横目で教会の窓を眺める。

 礼拝に使われているらしいその部屋には、大きな窓が並んでいる。

 心細いあかりは、窓から窓へ、ゆっくりと映って動いてゆく。


 誰かが、礼拝堂の暗がりを、歩いている。


 足元に泥水の水たまりを作りながら、わたしは古い教会の開き戸に取りついた。鍵はかかっていない。

 耳障りな音をたてて扉は開き、ぽっかりと空洞のような暗闇を見せる。そこに足を踏み入れた瞬間、扉はごく自然に締まった。

 

 ……ず。

 ずず、ず。


 すり足のような音が聞こえた。

 わたしは灯のともったワンズを音のする方へ向ける。ワンズは通路を照らした。

 白い壁の狭い通路は、重々しい木の扉へと続いている。

 足音は、そこから聞こえていた。


 ゴルデン。


 わたしは歩きながら呼びかけてみる。姿は見えないが、すぐそばに彼がいるのは分かっていた。

 さっきから品の良い香りが漂っているのである。

 外では雨風に遮られて分からなかったが。

 だがゴルデンからの返答はなく、わたしはそのまま進んだ。

 木の扉を開くと、目の前に赤い絨毯と、真ん中の通路をはさんで左右に分かれた、ささやかな座席群が見えた。

 そして、粗末な祭壇である。

 十字架の前に、黒くうずくまる影があり、そこだけが微かに明るい。


 どうやら、この人物が、白雪の魔力の元凶らしいが、わたしは何も感じることができない。

 祭壇で祈りをささげている、小さくいびつな姿からは、異様なものは何一つ感じることができなかった。

 わたしが進んで行くと、せむしの小さな老人はゆっくりと立ち上がり、大儀そうに燭台を持ち上げ、振り向いた。

 身なりから、彼が、この教会の墓地を守る寺男らしいことがわかる。

 

 片目の視力は失われており、左目だけが辛うじて見えている。

 滑舌も悪く、右半分の動きが極端に悪い。足を引きずりながら、彼は大して動揺もせず、突然現れたわたしと対峙した。

 

 びちびちびちぃ、と激しい雨が窓を叩き、屋根の上の十字架がおごそかな音を立てて軋んだ。


 「おまえがまだ、男として機能していた頃の昔」

 わたしは彼に言った。

 「13歳の子供を凌辱し、殺した」

 

 (いやあっ、やめて)

 

 しょぼくれた姿の老人はうつむいたまま燭台を手に、弱弱しく立っている。

 わたしは灯のともるワンズを彼に向けたが、手ごたえがなかった。

 

 そんな、ことが。

 ……。


 驚愕して、わたしはもう一度、ワンズに命じて彼を暴こうとした。だが、そこから戻ってくるのは禍々しさでも強烈な波動でも何でもなく、うつろに籠る、弱弱しいが穏やかで、しかも清浄な鈴の音ばかりだった。

 光のない目をあげて、彼はわたしを見た。

 醜くしわの寄った、異形の顔である。

 彼の目を正面から見た瞬間、映像が飛び込んできた。


 

 石つぶて。

 突然飛んでくる、容赦のない拳骨。

 あっちへお行き、おまえなどどうして生まれてきたんだろう。

 

 良いことなど何一つない。

 俺は異形として生まれたのだから、忌み嫌われるのだ。

 

 ……きゃはっ。


 ふいに聞こえてきた、笑い声。

 木の陰から覗いて見えたのは、輝くような少女だった。

 闇など知らない、愛しか見たことのない、穢れのない――。


 「それで、おれ、は」

 ごつごつとした手のひらを睨む。

 目の前の華やかな少女を見る。

 永遠の夏、美しい姿、はじけるほどの幸福――。

 (やあっ、やめっ、おねがいやめて、ああああああああああああああああ)


 寺男の醜悪な顔は、穏やかな諦めに満ち、彼はゆっくりとひざまずいた。

 床に置かれた燭台は小さく揺れ、ほとんど消えそうになる。

 「お裁きを、うけさせてくだせえ。ずっと、待っておりましただ」

 彼は滑舌の回らない口でそう言い、首を垂れる。

 


 わたしには分かった。

 彼は既に清められており、かつて犯した重大な罪の汚れは見事に消えていた。

 長い年月の責め苦の中で、彼は確かに何かを見出しており、それが彼を完全に浄化していた。

 その醜悪な姿を忌み嫌われ、流れに流れてたどり着いたこの村でも、人々は彼を嘲笑い、薄気味悪いと思った。侮蔑の視線を受ければ受けるほど彼は浄化され、そして今となっては彼を裁くことは、この世の誰にもできないまでになっていたのだった。


 歪んだ魔力の源、粛清すべき対象は、ここには、ない。


 わたしはポケットから林檎の半かけを出すと、床に置いた。

 これを使うことはない。ないのだ。

 老人は穏やかに目を閉じ、自分の受けるべき裁きを待っているが、少なくとも魔女の愛弟子であるわたしに彼に何かをすることは、できない。

 彼を裁くのは、わたしではない――。


 「おい来るぞ」

 ふいにゴルデンの声が耳元で囁いた。

 どこにいるんだ、と視線をさ迷わせると、濡れた外套の内側から、ひらっと黒くしなやかな猫が飛び出してきて、着地するなりゴルデンの姿になった。

 ゴルデンが現われるのとほとんど同時に、墓地のほうでうごめいていた彷徨える霊たちが、一斉に声を立て始めた。強烈な嘆きの思いに呼応し、死者たちがざわめき始めている。

 びいん、弦がはじくような音が暗い礼拝堂の天井でこだまし、めちゃくちゃにハープをかき鳴らすような騒音が空気中を自在に舞った。激しく宙で踊っていたそれは、矢のような勢いで舞い降りてきて、白い少女の姿になった。

 深い怨念に同調した霊たちの力が結集して、彼女の力を、増幅している。

 一糸まとわぬ姿の姉は、足元に転がる林檎の半かけを見下ろし、うつろな表情で拾い上げた。

 暗い瞳でわたしを見、そして、ひざまずいて裁きを待つ寺男に向き直る。

 

 「いけない」

 わたしは木のワンズを彼女に向けた。

 止めなくてはならなかった。

 その怨念の林檎を寺男が口にして、毒が回った瞬間に、彼女は歪んだ魔法の償いをしなくてはならなくなる。

 だから、その林檎を使っては、ならない。



 ワンズで魔法陣を描こうとした時、ゴルデンが腕をつかんだ。

 「らしくない。よく見ろ」

 ゴルデンは紫の瞳を、礼拝堂の四隅に向けて素早く動かした。

 わたしははっとする。

 そこには、古いが、頑固な結界が張られていた。

 この結界は魔法で作られたものではないらしい。

 墓場の魂たちや、やるせない貧しさと孤独、壁の中に閉じ込められた村人たちの欝々とした思いが礼拝堂に込められ、そのままこの空間は、よそものを受け付けず、内側のものを外にださない、この村と全く同じ性質を持つようになっていた。 


 夕刻を過ぎても外から戻らないものは、もう、村には入れない。

 村の者は、夕刻を過ぎたら絶対に、外に出ては、ならない。


 村のおきては、既に呪いと化しており、村人たちが集まる礼拝堂の中には、その呪いが煮凝って凝縮していた。

 そんな呪いの込められた結界で、不用意に魔法を放つなとゴルデンは言っている。

 「厄介だぞ、見ろ」

 と、あごで暗黒の窓の外を示した。

 未だ暴風で荒れ狂う窓の外だ。

 そこには無数の光る眼が、窓に歪んだ顔を押し付け、我々を見ていた。

 

 姉は、寺男の口に林檎をあてがった。

 それが何であるか分かっているかのように寺男は林檎を受け取り、大きく噛んで咀嚼し――。

 「ぐう」


 息絶えた。

 安らかな顔をして横たわり、その脇では燭台の火が大きく揺れて、ついに消えた。

 

 わたしは寺男の魂が、ちらちら瞬く、光の粒子になって飛び散るのを見た。

 歪んだ魔法の力で手折られた命は、誰を恨むこともなく、微笑みながら体から飛び去り、空気中に散じて消えた。

 一方、歪んだ魔法の匂いをかぎつけて、闇たちが礼拝堂の天井から、じわじわと浸みこんで来る。

 

 「あなたには、これを」

 立ち上がった姉は、輝くような白い姿をこちらに向け、片割れの林檎の半かけを差し出した。

 青い部分の残る、色の悪い半かけだ。

 輝く夏のような笑顔でそれを差し出し、姉は言った。

 「こっちのほうの、わたしを、あなたに」

 

 (あなたは、可愛い妹。わらって、ねえ、わらって)


 林檎の半かけを差し出しながら、姉は一歩ずつ歩み寄る。

 そうしている間にも闇はいやらしい手を伸ばしてきて、べたべたと清らかな白い肌に手垢をつけた。

 足元からすね、もも、腰と、黒い手は汚れの印をつけてゆき、やがて彼女の体は闇にうずもれる。

 かろうじて、愛らしい目と、林檎を差し出す白い腕が見えていた。

 

 ゴルデンは顔をしかめて視線を逸らしており、わたしは手を伸ばして、小さな手から林檎を取った。

 その直後、闇はわずかに見えていた部分すら覆ってしまい、おきまりの醜い咀嚼の音が礼拝堂に響き渡る。

 最初は耐えていたらしいが、やがてこらえることができず、ついに白雪は絶叫をあげた。

 

 長く尾をひく苦痛の叫びは唐突に途切れ、もわもわと渦を巻いていた闇は空気中に散じて消えた。

 そこにはもう白雪の姿はなく、命を失った寺男の体だけが横たわっているのだった。

 外の嵐は相変わらず続いていたが、雨は少し小降りになったようである。

 びちびちと窓を叩いていたものも勢いが薄れ、「こと」が終わったのを見定めると、物見高くて影響されやすい霊魂たちは、また墓場へ舞い戻っていった。

 わずかに明るくなってきた。

 夜明けが近いらしい。


 明るくなるまでに、我々は宿に戻り、わたしは濡れた外套を壁にかけた。

 一過性の嵐は昼前までには過ぎて行き、風の勢いは落ち雨は止み、寒々しく曇った空が広がった。

 外套が乾くのを待たず、わたしたちは宿を後にする。

 汽車に乗らなくてはならなかった。

 無人の駅から汽車に乗り、最後にこの村を一瞥した時、ゴルデンが言った。


 「墓場だな、この村そのものが」


 四方を壁で覆われた、貧しい村。

 そこから出ることなく、喜びに満ちた美しい白雪は、闇に落ちた。永久に出られない。

  

 

 座席に座ったわたしは、濡れた外套をぬいで窓際にかけると、ポケットから林檎の半かけを出した。

 垢ぬけない、色の悪い林檎の半かけは、それでも瑞々しく、切り口が光っていた。

 そこには白雪の愛や幸せが凝縮されており、彼女がわたしに、本当に伝えたかったことが含まれているはずだった。

 一口齧ると、えもいわれぬ温かさが体にいきわたり、しかしそれはわたしの中に留まることはなく、毛穴から飛散し、空気中に舞い飛んで消えた。

 同時に、わたしの中の「人間」の残渣も、一緒に吐き出され光の粒子になって薄れる。


 白雪の「可愛い妹」は、白雪と一緒に消えた。持って行ってしまった。

 わたしの「人間」がまた一つ消滅し、温かな情の世界に繋ぎとめるくびきに、更に大きな亀裂が入る。

 わたしは、ルンペルシュティルツヒェン。魔女の愛弟子。


 汽車は、ひたすら東へ。

第一部終了です。


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