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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第八部 ラプンツェル
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ラプンツェル 3

無人の車両の中で、ペルはゴルデンの異空間に入り、そこから彼の元へ行こうと試みる。拒否されて押し戻されるペル。

失意のペルの前に、久々の「依頼」が流れ着いた。

等価交換の法則に乗っ取っていないその「依頼」を、引き受けるよう、胎児からの思念は告げるのだった。

その5 ラプンツェル 3


 黒曜石の空間は日増しに回復しており、わたしの黒曜石は以前と変わらぬほどに蘇りかけている。

 亀裂が入り、その後、自分の意思で真っ二つに断ち割ったのであるから、再生には相当の時間がかかる。にもかかわらず、比較的短時間でここまで復帰しているのである、やはり何らかの力が働いているのは間違いがなかった。


 (あの子――)


 空になった下腹部に手をやり、さいはての塔に閉じ込められたままの、いとし子を思う。

 胎児の力が母体に影響して、黒曜石の復活を早めているのであろう。それは、息を飲むほどの力である。


 (おまえだけの力ではないのだ。次期『世界』が、紫水晶の力をおまえの黒曜石に沿わせている――)


 ゴルデンの思念が語りかけてきた言葉を思い出した。

 わたしだけの力ではなく、次期「世界」である胎児の力が、わたしに働いている。

 ……。


 (飛ぶのだ)


 ……。

 

 だから、今のわたしならば「飛ぶ」ことができると、ゴルデンは言っている。

 このまま西のさいはてまで旅をするとして、あの高い塔の頂上に閉じ込められている子を救い出すには、やはり「飛ぶ」しか方法はないのだろう。

 

 (飛ぶのだ、飛ぶのだ)


 ……。




 ゴルデンの紫水晶。

 夜汽車の車両が無人であることを利用して、わたしは黒曜石に異空間に移動していた。

 心地の良い黒曜石の沈黙と夜空の輝きの中に、縁のある魔女たちへと続く扉がさ迷っている。

 異空間の中を歩きながら、黄金の扉を探し出す。

 彼の扉はいつでもすぐに見つかるのだ。そして、いつでも簡単に開く。

 

 扉を開くと、紫水晶の群生が少しずつ成長しているのが分かる。

 やはり、ゴルデンの紫水晶も再生の道をたどっている。その回復力は目覚ましいものがあった。

 ほんの数か月前までは、小さな群生が頭を出しているだけ、床の紫水晶もまばらであったはずなのに、今では一面に紫水晶が張り巡らされ、群生の数も増えているのだった。

 以前、あの東の大魔女として途方もない力を誇っていた頃の広大さはないが、驚くべき速さで復活しているのは確かである。


 (等価交換の法則を最大限に活用している――)


 少し見ない間に、ずいぶん成長した紫水晶の群生を眺めて、わたしは思った。

 等価交換の法則は、自信の魔力を消費せずに魔法を作ることができる仕組みである。正統な魔法の基礎であり、非常に厳しい縛りを持つのだが、有効に活用することが叶えば無限の威力を発揮するものなのだ。

 ゴルデンは、やはり最上級の魔女である。

 自身の魔力が使えない状態であっても、彼は立派に魔法を使いこなし、己の石を通常ではない速さで回復させることもできるのだった。


 「ゴルデン」


 紫水晶の群生の間を歩きながら、わたしは彼の名を呼ぶ。


 ゴルデン、ゴルデン、ゴルデン……。


 広々とした空間の中に、わたしの声はこだました。

 答える声はない――。


 わたしは何度か、この異空間を通じて、ゴルデンのいる場所に行こうとしたことがある。

 今彼が立っている場所、眠る場所へ、この異空間は通じているはずなのだった。

 紫水晶の群生の中に立ち、意識を集中させると、ほんの一瞬、空間がぐにゃりと歪み、今にも彼の元へ行けそうになるのだが――どうしても、また押し返されてしまうのである。


 どうやら、彼の方に、わたしに会いたくない理由があるとしか思えないのだった。


 わたしは何度でも懲りずに、紫水晶に語りかけ、意識を集中させる。

 彼の眠る場所へ、彼の呼吸する空気の中へ――。

 だが、やはり空間はわたしを押し戻すのだった。


 (たがう姿では、会えないというのか)

 

 恐らく、今のゴルデンは、以前の美しい少年の姿をしていないのだろう。

 彼は――あの彼がこういった感情を抱くことがあるのかと思うが――怯えているのだ。

 再びまみえた時、わたしが彼に幻滅するのではないかと。

 そうなることは、誇り高い彼にとっては絶対に我慢のできないものなのだろうし(それは想像ができた)、それに、かつで彼が語ったように、そうなった瞬間に、彼は今度こそ本当に命を落とすのだろう。

 

 絆で結ばれた者に、己の醜い姿をさらけ出し、幻滅を呼ぶ。そして、死んでゆく――。


 (馬鹿な、馬鹿な……ゴルデン)


 あの人獣の姿の彼も、わたしは抱きしめることができたではないか。

 それでも彼は、わたしの前に姿を現わせないらしい。


 (信用が、ないのだな)

 

 ……。

 

 ゴトゴトゴトゴト……。


 今回の試みも空振りである。

 ゴルデンの元にたどり着けないまま、異空間から再び夜汽車の座席に戻ったわたしは、窓枠に頬杖をついた。車窓の外は暗闇であるが、遙か遠い場所に、小さな明かりがぽつぽつと灯っているのが見えた。

 

 (かあ……さん)


 あの明かりは家々のもの。

 荒野に生きる僅かな住人の、ささやかな夕の灯り。

 温かな色の光の下で、食卓を囲むのだろう。夫と妻と、その子が。


 (かあさん……はやく迎えに来て……)


 ぽつぽつと灯る遠い光を見ていると、あの子からの声が痛く感じる。

 今にも泣きだしそうな声、ずっと堪えて来た孤独、さみしさ。

 はやく、一刻も早く、迎えに行かねばならない――。


 

 ゴトゴトゴト……。

 わたしは、焦燥を抑えながら目を閉じる。そうだ、今は休まなくてはなるまい。

 ……。



 「どうして」


 はっとした。

 鋭い針の先端のように、その声は突き立ったのである。

 まどろみかけていたわたしは目を開き、顔に打ちかかる髪の毛を払いのけながら周囲を見回した。


 ゴトゴトゴトゴト……。

 ……ゴトゴトゴトゴト。


 夜汽車の車両には、誰もいないはずである。

 車窓は完全なる闇の世界を映しており、もはや小さな明かりすら見えなかった。

 

 

 キシャアアアアアアア……。


 カーブにさしかかったらしく、耳障りな音が響く。ほの白い照明が不安定に揺れる。

 (ああ、これは――)

 立ち上がりかけた体を再び背もたれに置きながら、わたしは眠い目を開いていた。

 これは、いわゆる「依頼」の思念であろう。こういったものは、久々に受け取る。

 なにしろ、わたしは既に「魔女の愛弟子」ではないのである。


 師がこの世を去ってから、わたしはその称号を永久に失っている。その代わりのように「母」という立場を与えられたのだ。

 

 (しかし、今は大魔女が不在なのだから)

 気をひきしめて眠りに落ちないようにしながら、わたしは考える。

 (……こういった切実な『依頼』の行く先がないのであろう)


 西の大魔女宛ての「依頼」。

 それは、等価交換の法則に叶っていることが大前提であるが、同時に、下々の魔女では扱うのが難解なものである。

 さきほどわたしに届いた「依頼」は、間違いなくその類のものであり、かつての魔女の愛弟子を頼って流れて来たのに相違ないのであった。


 「……どうして、ねえ、どうして」

 

 また聞こえた。

 身を切り裂くような悲しみが込められており、それは子供の声であろう。

 揺れる車両の天井から、床から、空席から。様々な場所から響いてくるようだ。

 (ああ、これは)

 

 いま、わたしの目の前には映像が浮かび上がっている。

 これは小さな子供。まだオムツが取れないような幼さであり、よちよちと歩いたり、ふいに走り出してはどこででも転んだりするような、せわしない時期である。やっとのことで言葉を紡いでいる。

 まだ、十分に言葉を知らない――。


 とび色の瞳は澄んで輝いており、子供らしい愛嬌に満ちている。

 茶色の髪は頭の上で一つに束ねられ、小さなほうきのように跳ねている。

 だが、顔や手足や着ている服は汚れており、何日も世話をされていないように見える。

 裸足の足は傷だらけであり、膝小僧はすりむけて血がにじんでいた。

 

 (この子は、既に死んでいる。だが、その意識はこの世の何かに閉じ込められている)


 わたしは、目の前に立つ小さな子供を見つめた。

 子供の映像は、泣きだしそうな顔をしたまま唐突に途切れた。

 だが、「声」はまだ続いている――。


 「どうして……どうして、どうして……」


 


 ……。

 わたしは眠ってしまったらしい。

 悲し気な声を聞きながら、深い眠りに抱き取られてしまったのだ。

 その眠りの底でも幼い泣き声は続いており、いつしかわたしは望まぬ夢の中へ足を踏み入れていたのだった。


 「どうして……」


 ささやかな遊具が見える。

 ぶらんこ、だろうか。

 凍てつくような三日月が闇夜の空にかかり、辺りを照らし出している。

 (キイ……)


 ぶらんこが揺れる。軋むような音を立てながら。

 三つあるうちの、ただ一つのぶらんこが、ゆるゆると揺れている。

 そこに、小さな影が座っている。座りながら、足でいつまでも、ぶらんこを漕ぎ続けている――。


 (キイ……キイキイ……)


 「どう、して……」


 泣きべそをかくこともせず、無表情で自分のつまさきを見つめ続けている。

 裸足のつまさき。

 (おかあさんと、逃げてきたの)


 凍えそうになった体。ぶらんこを握る手も、つまさきも、ほんのりと赤く色づいている――。


 子供の母親が、何らかの理由で家を追われた。

 その時、母親は着の身着のまま、子供をかかえて飛び出した。

 何日歩いたのか分からないが、ついにたどり着いたその村で、母親はついに、己の「母親」たる事実を捨てたらしい。

 「依頼主」である幼子の思念から、その母親のつぶやきが漏れ聞こえてくる。


 (もう無理よ。このままでは二人とものたれ死ぬ……)

 だから、この子を置いてゆく――。


 「ここにいるのよ。おかあさん、ちょっと食べ物を買いに行ってくるからね……」

 (キイ……キイキイキイ)

 ぶらんこに腰掛けて無心に遊ぶ子供。

 母親は公園の入り口に立ち、僅かな時間、その姿を見つめる。

 乾ききった目。もう浮かべる涙すら残っていない――。


 子は見ていた。

 母が踵を返し、風のような速さで走り去ったのを。


 ……。



 (……キイ……)


 

 揺れるぶらんこ。

 握る手が汚れ、やがて骨と皮だけのようにやせ細り、いつか――そこから剥がれ落ちる時まで。

 その公園は、さびれた村の中でも特にさびれた地区にある、雑草だらけの跡地であり、今やだれも寄り付くことのない寂しい場所らしかった。ささやかな遊具は残っているが、そこで遊ぶ子供などいるはずもなく――子供はひっそりと、一人で亡くなったのだろう。


 ぶらんこだけが、全てを見ていた。


 (キイキイ……キイ……)


 否、ぶらんこは、今も動いている。

 今も――こうしている、今でも動いているのだ。


 「どう、して、かあさん……」


 (キイキイ……)


 ……。



 ガタン。

 大きく車両が揺れ、前のめりに倒れかけると同時に、わたしは悪夢から引き戻された。

 胸の中が大きくうねるようである。

 顔がぬらぬらするので手で触れてみると、わたしは涙を流しているのだった。

 今にも気がおかしくなりそうなほど追い詰められており、車窓を開き、走る夜汽車の窓から飛び降りて我が子を探し求めたいほどの焦燥にかられている。嗚咽のために息がつまりそうになり――わたしは目を閉じ、気を鎮めようと試みた。

 

 これは、「依頼」である。

 わたしの胎児が叫んでいるわけではない。

 ……。


 (ああそうか)


 この「依頼」が、わたしの元まで流れ着いたのは、わたしがかつての魔女の愛弟子であるからだけではない。

 子を探す、今のわたしに同調した思念が、母親を求める一心で縋りついてきたものだろう。欠けた部分にあてはまるもの、そのパーツに似通った姿をしたものが、かわりに飛び込んできたのである。

 わたしは深く息を吸い込み、己の思い違いを素早くただした。

 この苦痛は間違いであり、わたしは自分とは無関係なことで、取り乱しかけている――。


 

 (でも、引き受けてあげるんでしょう)


 ふいに、あどけない声が耳元で囁いた。

 これこそが、本物のわたしの子である。

 胎児が空間を超えて、わたしの心に語り掛けている――。


 (助けてあげて……)


 

 ゴトゴトゴトゴト……。

 ゴトゴトゴトゴト……。


 

 

 いとし子よ。

 わたしは空洞のような下腹に手を当てる。

 長い間、生き別れてしまったわたしの胎児。

 離れているほど、時間がたつほど、わたしは「母親」に近づいてゆくようである。

 もし、今もこの下腹部に胎児が居続けており、離れることがないままだったら、わたしはあの子をこれほど愛おしいと思っただろうか。


 (どうしても、絶対に、あなたを迎えに行く――)


 恐ろしい程純粋で、一過性の感情を爆発させることしか知らなかった、わたしの胎児。

 紫水晶の強大な力を持ち、次期「世界」となる、わたしの――。


 (……大丈夫。かあさんを待っている)

 涙をこらえるような、それでいて、わたしをはげますような声だった。

 (だから、その子を助けてあげて……)


 

 (キイ……)

 揺れ続けるぶらんこ。

 そこに、母を待ち続けて報われなかった子供の魂が染みついている。

 「どうして」

 (キイキイ……)

 白昼も真夜中も、揺れ続けるぶらんこから、その声は聞こえる。


 そこに、怒りはない。

 ただ、悲しみ、疑問、それと――自責だった。

 それに気が付いた時、わたしはまた狂いそうになるほどの焦燥と戦わねばならず、歯を食いしばったのである。


 自責。

 この「依頼主」は、自分を責め続けている。

 幼すぎて言葉にならないのだが、確かにこの子供は、自分が「悪い子」であるために母親が自分を見捨てたのだと思い込んでいるようなのだった。


 (馬鹿な……)


 潰れそうに痛む胸を――わたしの黒曜石が激しく振動している――服の上からおさえながら、わたしは眉をしかめ、かぶりを振った。

 

 白状しなくてはならぬ。

 この「依頼」は、等価交換の法則に叶ってはいない。その時点で、契約成立する可能性はないのである。

 だがわたしは、この「依頼」を引き受けなくてはならないようだ。


 どうして母親は自分を置いていったのか。迎えに来ないのか。

 迎えに来てほしい。抱きしめて欲しい――。


 だが、その依頼は契約成立しないのだ。

 わたしの目には見えていた。子供の母親は、夜闇に紛れて乞食旅をしているうちに、亡くなった。

 そしてその魂は既にこの世に残っていないのである。

 (叶えようがない――)


 だが、「助けてあげて」と、わが子は言う。

 そしてわたしは、このどうしようもない「依頼」を、引き受けないままではいられない――どうなってしまったのだろうか。


 (おまえだけの力ではないのだ。次期『世界』が、紫水晶の力をおまえの黒曜石に沿わせている――)


 ゴルデンの言葉が、再び過った。わたしははっとする。

 どうやら、わたしの思考の中にも、胎児のものが混じりこんでいるらしい。やはり、この胎児は想像を絶するほどの力の持ち主である。


 (このわたしを、傀儡のように操るというのか)


 

 夜明けには、汽車は次の駅に到着する。

 わたしは直感していた。

 次の村こそが、この「依頼主」のいる場所である。

 そこでわたしは、等価交換の法則に沿わない「依頼」を、叶えなくてはならないらしい。


 正統な魔法で。

 ……どうしたものか。


 (ゴルデン、あなたなら)

優しいおかあさんでいて欲しいと、願っている。

ただそれだけなのでしょう。

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