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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第八部 ラプンツェル
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ラプンツェル 2

今、彼はどのような姿をしているのか。

今、自分は何に導かれているのか。

ただ西への旅を進めるペルに、ゴルデンが残した思念が言葉を発した。

その4 ラプンツェル 2


 わたしは、ゴルデンが今、どのような姿をしているのか知らないまま彼を探している。

 ゴルデンといえば、黄金の巻き毛に金のそばかす、上品で洒落た服装を整えており、強い紫の瞳で相手を射貫くような、不思議な少年の姿を思い浮かべるのであるが、あの姿それ自体がまやかしであることは、ずいぶん前から知っていることだった。

 実際、彼の正体は人外であり、漆黒の毛並みに黄金の飾り毛を輝かせた、紫の瞳の人獣であった。

 あの姿を最初に見たのはいつだったか――ああそうか、かえるの王女がいた、翡翠色の泉に映し出されたものを見たのがはじめだった。

 はじめて見た時は己の目を疑い、決してその姿を美しいと思ったり、愛おしいと感じることはなかったのである。

 怖気を呼ぶようなものと旅をしているという事実が、わたしの身をすくませたものだ。最も、そんな感覚は一時のもので(どのみち、わたしだって化け物のようなものではないか――)彼のあの振る舞いに流されるように、息がかかるほど近くにいても、全く気にならなくなっていった。


 (どんな姿であっても、ゴルデンはゴルデン)


 汽車を乗り継ぎ、町から町への旅を続ける中、大魔女候補の波動を追い求めるのと同時に、どんな微かな痕跡であっても彼の残したものを見落とさないよう、全神経を集中させていた。

 周到でありながら、己の思念の残渣についてはやけに扱いが雑だった彼。

 彼が通った道ならば、必ずなんらかの思念の残渣が残っているはず――。


 

 (たがう姿であっても、ゴルデン――)


 

 季節は何度巡ったのだろう。

 今は春であり、芽吹きの空気が満ちている。髪を巻き上げる風は開きたての花の香りが染みついている。

 わたしは幾つめかの駅に降り立ち、乾いた道を踏んだ。

 土埃を巻き上げて荷馬車が駆け抜けて行く。早朝の市が終わったところなのだろう、何台も連なってかけてゆく荷馬車は、どれも荷台を空にしていた。


 スカートがひらめき、体に風を感じる。温かな風だ。

 舗装されていない駅前の通りを歩きながら、わたしは神経を統一し、欲しい情報を求め始める。

 魔法の気配は、する。

 この村には、確かに魔法の何かがあるのだが、それは非常に柔らかなものだ。正統な魔法であることは間違いがないのだが、大魔女候補とするには、あまりにも微弱な波動である。

 だが、わたしはその気配に心惹かれた。

 なぜならば、そこに懐かしい後姿の幻影を見たからである。


 たんぽぽの綿毛が目の前を横切り、風に運ばれて消えた。

 立ち並ぶささやかな店の前に、わずかな雑草が生えており、その中に黄色い花が見えた。

 花を終えた株も混じっており、白い綿毛はそこから舞い出てくるのだった。


 時折がらがらと音を立てて駆けてゆく荷馬車の風に翻弄され、それでも綿毛は楽し気に舞っていた。

 目の前を次々と飛ぶ綿毛の向こう側に、わたしは彼の残像を見たのだった。


 黒い外套の肩と、黄金の見事な巻き毛。今にも振り向きそうな顎が見えたが、顔までは――。

 

 (わたしの、夫)


 振り向きかけた顔をまた前に向き直し、完全な後姿を見せて、彼は歩き続ける。

 足取りは確かである。――そうだ、彼の足取りはいつも確かだ。彼は、自分の行き先をよく分かっている。


 (夫、よ)


 久々に見た彼の姿に、わたしは息を飲み、足を止め――じわじわとまぶたが熱くなって、痛んだかと思うと、滴をこぼしていたのである。

 (夫よ、夫よ――)


 なぜ、わたしから離れて旅しているのか。

 目覚めた時、すでにどこかに行ってしまっていたゴルデン。

 (あなたがどう思っているのか分からないが――)

 わたしはまた、顔を上げて歩き始める。懐かしい残像はもう見えない。ふわふわとした柔らかな魔法の気配の向こう側に消えてしまった。

 (だが、わたしにとっては、あなたは夫)


 伴侶。

 夫、なのだ。


 ……。


 

 土埃の舞う温かな道をゆっくりと歩いてゆくと、いつしか周囲に店はなくなり、雑草の茂る広い空き地が続いた。

 そこは家畜の放牧場にもなっているらしく、遠い場所では羊の群れが見える。匂いや鳴き声が風にのり、ここまで届くのだ。

 そして、そこにも黄色い花は咲いていた。

 緑の草の中で、ぽつぽつと鮮やかに――。


 (やって、みるといい)


 耳元で囁かれた時、わたしは目を見開いて周囲を見回した。

 ゴルデンの声だ。確かに彼が、わたしに言葉を発したのである。

 だが、彼の姿はどこにもない。

 微かな気配が漂うだけだ。


 わたしは歩きながら左右に広がるたんぽぽの群れを眺めた。

 綿毛が頭上を飛んで行く。

 また、聞こえた。


 (できるはずだ……)


 わたしは確信していた。

 これは、ゴルデンの道しるべである。

 かつて師が、旅の途中の町に自分の痕跡を残し、道標としたように、彼もまたわたしに合図を残しているのだ。

 彼の道しるべは師のそれとは異なり、非常に明快で、しかも強引ですらあった。微かな苛立ちを含んだ声は、わたしをせかすようである。


 頭の上を飛ぶ綿毛のように。

 いや、それよりももっと高く、もっと遠くまで。

 それが、できるはずだ――。


 

 ゴルデンの魔法のように、体を気化して宙を飛ぶという芸当は、とてもできそうにない。

 わたしの黒曜石は未だ治癒の最中であり、もとあった力よりも威力は減っている。それに、もともとあった力を総動員したとしても、ゴルデンの魔法の足元に及ぶはずがない。


 だが、できるはずだと彼は言っている。


 飛ぶのだ、飛んで、世界を見るのだ――と。


 

 綿毛の舞うあぜ道を行くと、家畜の鳴き声も届かない村はずれまで出た。

 その頃には太陽はずいぶん高くまで上っており、石ころ道に落ちる影は短くなっていた。

 ぽくぽくと短い編み上げ靴(もはや、わたしの足にあう木靴など、どの店にも置いていないのだった。靴屋は口を揃えて、娘らしい靴を勧めたものだが、わたしは何とか、自分に合う、地味な黒い色の短靴を手に入れることができたのだった)を前に進めてゆく。ある地点を超えた瞬間、唐突に、柔らかな気配がわたしの全身を包み込んだのだった。


 巨大な綿毛の中に入り込んだかのような。


 「ようこそ――」


 と、優し気な声が聞かれ、閉じかけた目を開くと、小さな家の玄関の前に立っていたのである。

 わたしは雛菊やフリージアが咲く春の花壇や、愛らしい動物の形に彫られた石の置物が飾られている庭を見回し、そこに強い魔法を感じた。どうやら、何らかの結界の中に誘い込まれたらしい。

 だが、不思議に緊迫感はない。

 

 しばらく、そのアイボリーに塗られた少女趣味な扉の前で佇んでいると、家の中から緩やかな足音が近づいてきて、やがて玄関の扉は静かに開いた。

 丸々と太った、頬を林檎のようにつやつやとさせた、中年女性が満面の笑顔で迎えている。

 茶色の髪の毛は翼のように肩のところで外側に跳ねており、あまり手入れされている様子はなかった。彼女の顔は年齢相応のしわが刻まれてはいるが、弾けそうな陽気さで、そんなものを気にさせない。青い目をにこやかに細め、化粧気のまるでない顔で、彼女は立っていた。


 うぐいす色の服に、黒のエプロンをかけ、そこだけが魔女らしい。

 (――霰石、か……)

 彼女の豊満な胸の奥に、陽気な色で輝く石が見える。

 柔らかく包み込み、求めるものを指し示すような――「導き」の魔女だ。


 わたしは、自分よりわずかに背の高い彼女を見上げ、軽く会釈した。

 どうやら、わたしは知らずに依頼を飛ばしていたのかもしれない。その依頼に見合う魔女が、たまたまこの村にいたというわけだろう。

 霰石は陽気な笑顔で頷くと、さあ、どうぞ、と家の中へ招いた。

 

 「黒曜石のお嬢さん、『母』を引き継いだ魔女」

 と、霰石は歌うように言い、清涼感のあるハーブの香りが漂う室内にわたしを引き入れ、花が飾られたテーブルの椅子を引いた。

 勧められるままに椅子に座ると、目の前にフリージアの黄があった。

 

 こぽこぽと茶を入れる音が聞かれ、振り向くと、わたしの背後は小さな流しになっており、霰石はそこに立っていた。大きなお尻を揺らしながら茶の支度をすると、うきうきとした足取りでやってきて、わたしの分と、向き合った席に自分の分のカップを置いて、どっかりと座ったのだった。


 黄色く透き通った水色の茶が、浅いカップに満たされており、わたしは静かに口まで運んだ。

 清涼感のある味わいが喉を通り過ぎ、じわじわと体に染みてゆく。

 これは、魔法である。癒しの魔法が、この茶にはかけられている――。


 「……わたしは依頼をあなたに飛ばしたのだろうか」

 一口飲んでカップを置くと、わたしは尋ねた。

 霰石は豊かに跳ねる髪をスカーフで束ね、口元の邪魔にならないよう纏めている。

 豪快な音を立てて茶を啜ると、楽し気な光を青い瞳に漲らせて、彼女は言った。


 「そうね。でも正確に言うと、あなたと――もう一人」

 目を細めて、何かを透かして見るように、霰石はわたしを眺めた。口元が微笑んでいる。

 「……赤ちゃん?」


 わたしは思わず、下腹を押さえた。今、その部分は空洞のはずである。

 わたしの胎児は、わたしとはぐれたまま、はるか西のさいはてで、母を待ちわびているのだ――。


 「ああ、その子が次の――」


 と、霰石は言いかけ、ぐっと言葉を飲み込んで、また茶を流し込んだ。

 そして、また笑顔でわたしを見つめると、かみしめるような口調で言った。


 「そう。あなたと、あなたの赤ちゃんが、わたしを呼んだ」

 

 わたしは、導きの魔女。ほんの少し先のことを見ることができて、何かを教えることができる。

 ……。


 わたしは彼女を凝視した。

 そして、彼女の能力を「読み取り」、吟味し――結論を出した。

 これでは、占いではないか。占い師風情に、なにができるという。

 正統な魔女で、強い力を持つ者は、たいてい占いを嫌う。そういったものに意味がないことを熟知しているからである。

 運命の縮図を読み解くことができるわたしは、なおさらそうだ。

 いつでもくるくると変わる、目先の「未来」など、わざわざ教えてもらう価値などない。


 ……。



 わたしは静かに立ち上がった。

 霰石は茶を飲みながらわたしを見上げる。

 わたしはかぶりを振り「必要ない」と告げ、そのまま家を出ようとした。

 玄関のノブに手を触れかけた時、穏やかな霰石の声が聞こえた。


 「『ゴルデン』というものが、わたしのところに来たのだけど――」


 それでわたしは足を止め、振り向いた。

 霰石はカップを置くと立ち上がり、わたしの側に来ると腕を掴んだ。男のように大きな掌である。

 やわらかく、だが、抗い難い調子で彼女は言った。


 「こちらに、きて」


 わたしは引きずられるように部屋を横切り、細い廊下に出た。

 小さな部屋に案内され、入ると黒い布がかかった丸テーブルがある。

 水晶玉が飾られており、香が炊かれ、いかにも魔女を演出した空間だ。げんなりしたわたしが足を止めそうになると、ぐいぐいと背中を押し、霰石はわたしを部屋に押し込めたのだった。


 「……なにを、する気だ」

 わたしが何を言おうと構わず、霰石はわたしを座らせると、自分は向かい側に座った。

 黒い布が壁にかけられており、部屋は薄暗い。小さなランタンが天井からつりさげられており、我々の間をオレンジに照らしているのだった。


 霰石はにこやかにわたしを見ている。

 わたしは彼女をにらみつけ、その術中にかからないよう気をひきしめた。

 だが、次の瞬間、彼女の丸い顔に、あの懐かしく美しい顔が重なり、目を見開いた。


 ゴルデンが、ここに思念を残している。

 彼女の中に、ゴルデンの思念が入り込み、わたしを見つめている――。


 

 「分かったみたいね」

 (……ようやく、分かったか)


 と、霰石は言うと、慣れた手つきでエプロンのポケットから一束のカードを出した。

 軽い音を立てながらシャッフルし、一つにまとめ、カットし、またまとめ――やがて彼女は奇妙な形にカードを展開させはじめる。

 裏返しになり、カード達は沈黙のまま、開かれるのを待っていた。


 

 その丸い指がカードに触れる(細い優雅な指の残像がそこに重なる)。

 わたしは息を飲み、占いの結果を待った。

 霰石は笑顔でカードを開いてゆき、必要なカードをすっかり開き終えると、ちらりとわたしを見たのだった。


 「……よく、聞いていてね」

 (聞くが良い、ペル)


 青い陽気な瞳の奥に、強烈な輝きを持つ紫がちらついている。

 わたしは拳を握りしめた。

 ゴルデン。今わたしは、ゴルデンと向き合い、彼の言葉を聞いているのだった。


 (わたしの、夫)

 あなたは。


 

 「……自分だけの力ではなくて、赤ちゃんがあなたを助けてくれているの。だから」

 (おまえだけの力ではないのだ。次期『世界』が、紫水晶の力をおまえの黒曜石に沿わせている――)


 あの子の力が、わたしに沿っている。

 

 「……だからね、あなたは今までできなかったことでも、できるのよ」

 (臆することはない。おまえは今、自分でも経験したことのないほどの強大な後ろ盾を持っている)


 彼の瞳の紫が。


 ……。


 「可能性があるのよ、だからやってみて」

 (行け……飛ぶのだ)


 飛ぶのだ、ペル――。


 

 わたしは目に見えない指が頬に触れ、そのままスッと顎に流れて唇に触れるのを感じた。

 「しるし」を施された唇。何度も守りの魔法を吹き込まれた唇――。


 微かな吐息を頬に感じ、まつげの先が鼻先に触れるのが分かった。わたしは目を閉じ、彼の濃い気配を味わい――そして、それがすっかり消えたのを見計らってしっかりと前を見た。

 目の前にいる太った魔女は、ただの安っぽい占い師でしかなく、彼女の中にある霰石は光を失いかけていた。

 やわらかな波動は変わらなかったが、もうそこには、わたしを引き寄せるほどの謎めきは見当たらない。


 霰石は、どこにでもいる、占いを生業にする、底辺の魔女に戻っている。

 彼女に与えらえた「仕事」はすでに終わり、ゴルデンは己の思念を完全に引き上げてしまっていた。

 霰石本人は、自分の中で何が起きていたのかすら把握していないようである。

 にこにこと変わらぬ笑顔であるが、そこには薄っすらと、うさんくささが見えるようだ。

 わたしは懐から貨幣を一枚出し、彼女の前に置いた。報酬である。


 

 「はいはい、ありがとう」


 彼女は言うと、自分もまた立ち上がった。客を送り出す構えであろう。

 扉を開いてわたしを外に追いやると、目を三日月のように細くさせて、彼女は言った。


 「気を付けてね、先は長いわよ……」


 良い、旅路を。

 ……。


 わたしは玄関に背を向けて立ち、目の前に広がるちんけな魔法の結界を睨んだ。

 春の花壇は急激に色あせて見え、瑞々しく見えていたはずの雛菊も、まるで造花のように思えるのだった。

 (ゴルデンも、悪趣味なことをやる)


 低級な魔女を傀儡のように扱うとは。

 (……悪趣味は健在か……)


 ワンズを使うまでもない。

 わたしは指で宙を軽く一閃した。

 それだけで十分だった。

 安っぽい結界はたちまち消えうせ、わたしは元通り、村のあぜ道に立っているのであった。

 広々とした雑草の野原には、タンポポが乱れ咲いている。

 

 日が、傾きかけてきたようだ。

 今日の宿を、そろそろ探さねばなるまい。


 (あなたに導かれていると信じてよいのだろうか――)


 少しずつ長く伸びてゆく影。

 わたしは元来た道を戻り始める。

 駅の近くならば、宿くらいあるだろう。


 遠くで家畜の鳴き声が聞かれ、ふわふわと綿毛が前をよぎった。

 


 我が子よ。


 ゴルデン――。

「師よ」

が、

「夫よ」

に変わりました。

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