ラプンツェル 2
今、彼はどのような姿をしているのか。
今、自分は何に導かれているのか。
ただ西への旅を進めるペルに、ゴルデンが残した思念が言葉を発した。
その4 ラプンツェル 2
わたしは、ゴルデンが今、どのような姿をしているのか知らないまま彼を探している。
ゴルデンといえば、黄金の巻き毛に金のそばかす、上品で洒落た服装を整えており、強い紫の瞳で相手を射貫くような、不思議な少年の姿を思い浮かべるのであるが、あの姿それ自体がまやかしであることは、ずいぶん前から知っていることだった。
実際、彼の正体は人外であり、漆黒の毛並みに黄金の飾り毛を輝かせた、紫の瞳の人獣であった。
あの姿を最初に見たのはいつだったか――ああそうか、かえるの王女がいた、翡翠色の泉に映し出されたものを見たのがはじめだった。
はじめて見た時は己の目を疑い、決してその姿を美しいと思ったり、愛おしいと感じることはなかったのである。
怖気を呼ぶようなものと旅をしているという事実が、わたしの身をすくませたものだ。最も、そんな感覚は一時のもので(どのみち、わたしだって化け物のようなものではないか――)彼のあの振る舞いに流されるように、息がかかるほど近くにいても、全く気にならなくなっていった。
(どんな姿であっても、ゴルデンはゴルデン)
汽車を乗り継ぎ、町から町への旅を続ける中、大魔女候補の波動を追い求めるのと同時に、どんな微かな痕跡であっても彼の残したものを見落とさないよう、全神経を集中させていた。
周到でありながら、己の思念の残渣についてはやけに扱いが雑だった彼。
彼が通った道ならば、必ずなんらかの思念の残渣が残っているはず――。
(たがう姿であっても、ゴルデン――)
季節は何度巡ったのだろう。
今は春であり、芽吹きの空気が満ちている。髪を巻き上げる風は開きたての花の香りが染みついている。
わたしは幾つめかの駅に降り立ち、乾いた道を踏んだ。
土埃を巻き上げて荷馬車が駆け抜けて行く。早朝の市が終わったところなのだろう、何台も連なってかけてゆく荷馬車は、どれも荷台を空にしていた。
スカートがひらめき、体に風を感じる。温かな風だ。
舗装されていない駅前の通りを歩きながら、わたしは神経を統一し、欲しい情報を求め始める。
魔法の気配は、する。
この村には、確かに魔法の何かがあるのだが、それは非常に柔らかなものだ。正統な魔法であることは間違いがないのだが、大魔女候補とするには、あまりにも微弱な波動である。
だが、わたしはその気配に心惹かれた。
なぜならば、そこに懐かしい後姿の幻影を見たからである。
たんぽぽの綿毛が目の前を横切り、風に運ばれて消えた。
立ち並ぶささやかな店の前に、わずかな雑草が生えており、その中に黄色い花が見えた。
花を終えた株も混じっており、白い綿毛はそこから舞い出てくるのだった。
時折がらがらと音を立てて駆けてゆく荷馬車の風に翻弄され、それでも綿毛は楽し気に舞っていた。
目の前を次々と飛ぶ綿毛の向こう側に、わたしは彼の残像を見たのだった。
黒い外套の肩と、黄金の見事な巻き毛。今にも振り向きそうな顎が見えたが、顔までは――。
(わたしの、夫)
振り向きかけた顔をまた前に向き直し、完全な後姿を見せて、彼は歩き続ける。
足取りは確かである。――そうだ、彼の足取りはいつも確かだ。彼は、自分の行き先をよく分かっている。
(夫、よ)
久々に見た彼の姿に、わたしは息を飲み、足を止め――じわじわとまぶたが熱くなって、痛んだかと思うと、滴をこぼしていたのである。
(夫よ、夫よ――)
なぜ、わたしから離れて旅しているのか。
目覚めた時、すでにどこかに行ってしまっていたゴルデン。
(あなたがどう思っているのか分からないが――)
わたしはまた、顔を上げて歩き始める。懐かしい残像はもう見えない。ふわふわとした柔らかな魔法の気配の向こう側に消えてしまった。
(だが、わたしにとっては、あなたは夫)
伴侶。
夫、なのだ。
……。
土埃の舞う温かな道をゆっくりと歩いてゆくと、いつしか周囲に店はなくなり、雑草の茂る広い空き地が続いた。
そこは家畜の放牧場にもなっているらしく、遠い場所では羊の群れが見える。匂いや鳴き声が風にのり、ここまで届くのだ。
そして、そこにも黄色い花は咲いていた。
緑の草の中で、ぽつぽつと鮮やかに――。
(やって、みるといい)
耳元で囁かれた時、わたしは目を見開いて周囲を見回した。
ゴルデンの声だ。確かに彼が、わたしに言葉を発したのである。
だが、彼の姿はどこにもない。
微かな気配が漂うだけだ。
わたしは歩きながら左右に広がるたんぽぽの群れを眺めた。
綿毛が頭上を飛んで行く。
また、聞こえた。
(できるはずだ……)
わたしは確信していた。
これは、ゴルデンの道しるべである。
かつて師が、旅の途中の町に自分の痕跡を残し、道標としたように、彼もまたわたしに合図を残しているのだ。
彼の道しるべは師のそれとは異なり、非常に明快で、しかも強引ですらあった。微かな苛立ちを含んだ声は、わたしをせかすようである。
頭の上を飛ぶ綿毛のように。
いや、それよりももっと高く、もっと遠くまで。
それが、できるはずだ――。
ゴルデンの魔法のように、体を気化して宙を飛ぶという芸当は、とてもできそうにない。
わたしの黒曜石は未だ治癒の最中であり、もとあった力よりも威力は減っている。それに、もともとあった力を総動員したとしても、ゴルデンの魔法の足元に及ぶはずがない。
だが、できるはずだと彼は言っている。
飛ぶのだ、飛んで、世界を見るのだ――と。
綿毛の舞うあぜ道を行くと、家畜の鳴き声も届かない村はずれまで出た。
その頃には太陽はずいぶん高くまで上っており、石ころ道に落ちる影は短くなっていた。
ぽくぽくと短い編み上げ靴(もはや、わたしの足にあう木靴など、どの店にも置いていないのだった。靴屋は口を揃えて、娘らしい靴を勧めたものだが、わたしは何とか、自分に合う、地味な黒い色の短靴を手に入れることができたのだった)を前に進めてゆく。ある地点を超えた瞬間、唐突に、柔らかな気配がわたしの全身を包み込んだのだった。
巨大な綿毛の中に入り込んだかのような。
「ようこそ――」
と、優し気な声が聞かれ、閉じかけた目を開くと、小さな家の玄関の前に立っていたのである。
わたしは雛菊やフリージアが咲く春の花壇や、愛らしい動物の形に彫られた石の置物が飾られている庭を見回し、そこに強い魔法を感じた。どうやら、何らかの結界の中に誘い込まれたらしい。
だが、不思議に緊迫感はない。
しばらく、そのアイボリーに塗られた少女趣味な扉の前で佇んでいると、家の中から緩やかな足音が近づいてきて、やがて玄関の扉は静かに開いた。
丸々と太った、頬を林檎のようにつやつやとさせた、中年女性が満面の笑顔で迎えている。
茶色の髪の毛は翼のように肩のところで外側に跳ねており、あまり手入れされている様子はなかった。彼女の顔は年齢相応のしわが刻まれてはいるが、弾けそうな陽気さで、そんなものを気にさせない。青い目をにこやかに細め、化粧気のまるでない顔で、彼女は立っていた。
うぐいす色の服に、黒のエプロンをかけ、そこだけが魔女らしい。
(――霰石、か……)
彼女の豊満な胸の奥に、陽気な色で輝く石が見える。
柔らかく包み込み、求めるものを指し示すような――「導き」の魔女だ。
わたしは、自分よりわずかに背の高い彼女を見上げ、軽く会釈した。
どうやら、わたしは知らずに依頼を飛ばしていたのかもしれない。その依頼に見合う魔女が、たまたまこの村にいたというわけだろう。
霰石は陽気な笑顔で頷くと、さあ、どうぞ、と家の中へ招いた。
「黒曜石のお嬢さん、『母』を引き継いだ魔女」
と、霰石は歌うように言い、清涼感のあるハーブの香りが漂う室内にわたしを引き入れ、花が飾られたテーブルの椅子を引いた。
勧められるままに椅子に座ると、目の前にフリージアの黄があった。
こぽこぽと茶を入れる音が聞かれ、振り向くと、わたしの背後は小さな流しになっており、霰石はそこに立っていた。大きなお尻を揺らしながら茶の支度をすると、うきうきとした足取りでやってきて、わたしの分と、向き合った席に自分の分のカップを置いて、どっかりと座ったのだった。
黄色く透き通った水色の茶が、浅いカップに満たされており、わたしは静かに口まで運んだ。
清涼感のある味わいが喉を通り過ぎ、じわじわと体に染みてゆく。
これは、魔法である。癒しの魔法が、この茶にはかけられている――。
「……わたしは依頼をあなたに飛ばしたのだろうか」
一口飲んでカップを置くと、わたしは尋ねた。
霰石は豊かに跳ねる髪をスカーフで束ね、口元の邪魔にならないよう纏めている。
豪快な音を立てて茶を啜ると、楽し気な光を青い瞳に漲らせて、彼女は言った。
「そうね。でも正確に言うと、あなたと――もう一人」
目を細めて、何かを透かして見るように、霰石はわたしを眺めた。口元が微笑んでいる。
「……赤ちゃん?」
わたしは思わず、下腹を押さえた。今、その部分は空洞のはずである。
わたしの胎児は、わたしとはぐれたまま、はるか西のさいはてで、母を待ちわびているのだ――。
「ああ、その子が次の――」
と、霰石は言いかけ、ぐっと言葉を飲み込んで、また茶を流し込んだ。
そして、また笑顔でわたしを見つめると、かみしめるような口調で言った。
「そう。あなたと、あなたの赤ちゃんが、わたしを呼んだ」
わたしは、導きの魔女。ほんの少し先のことを見ることができて、何かを教えることができる。
……。
わたしは彼女を凝視した。
そして、彼女の能力を「読み取り」、吟味し――結論を出した。
これでは、占いではないか。占い師風情に、なにができるという。
正統な魔女で、強い力を持つ者は、たいてい占いを嫌う。そういったものに意味がないことを熟知しているからである。
運命の縮図を読み解くことができるわたしは、なおさらそうだ。
いつでもくるくると変わる、目先の「未来」など、わざわざ教えてもらう価値などない。
……。
わたしは静かに立ち上がった。
霰石は茶を飲みながらわたしを見上げる。
わたしはかぶりを振り「必要ない」と告げ、そのまま家を出ようとした。
玄関のノブに手を触れかけた時、穏やかな霰石の声が聞こえた。
「『ゴルデン』というものが、わたしのところに来たのだけど――」
それでわたしは足を止め、振り向いた。
霰石はカップを置くと立ち上がり、わたしの側に来ると腕を掴んだ。男のように大きな掌である。
やわらかく、だが、抗い難い調子で彼女は言った。
「こちらに、きて」
わたしは引きずられるように部屋を横切り、細い廊下に出た。
小さな部屋に案内され、入ると黒い布がかかった丸テーブルがある。
水晶玉が飾られており、香が炊かれ、いかにも魔女を演出した空間だ。げんなりしたわたしが足を止めそうになると、ぐいぐいと背中を押し、霰石はわたしを部屋に押し込めたのだった。
「……なにを、する気だ」
わたしが何を言おうと構わず、霰石はわたしを座らせると、自分は向かい側に座った。
黒い布が壁にかけられており、部屋は薄暗い。小さなランタンが天井からつりさげられており、我々の間をオレンジに照らしているのだった。
霰石はにこやかにわたしを見ている。
わたしは彼女をにらみつけ、その術中にかからないよう気をひきしめた。
だが、次の瞬間、彼女の丸い顔に、あの懐かしく美しい顔が重なり、目を見開いた。
ゴルデンが、ここに思念を残している。
彼女の中に、ゴルデンの思念が入り込み、わたしを見つめている――。
「分かったみたいね」
(……ようやく、分かったか)
と、霰石は言うと、慣れた手つきでエプロンのポケットから一束のカードを出した。
軽い音を立てながらシャッフルし、一つにまとめ、カットし、またまとめ――やがて彼女は奇妙な形にカードを展開させはじめる。
裏返しになり、カード達は沈黙のまま、開かれるのを待っていた。
その丸い指がカードに触れる(細い優雅な指の残像がそこに重なる)。
わたしは息を飲み、占いの結果を待った。
霰石は笑顔でカードを開いてゆき、必要なカードをすっかり開き終えると、ちらりとわたしを見たのだった。
「……よく、聞いていてね」
(聞くが良い、ペル)
青い陽気な瞳の奥に、強烈な輝きを持つ紫がちらついている。
わたしは拳を握りしめた。
ゴルデン。今わたしは、ゴルデンと向き合い、彼の言葉を聞いているのだった。
(わたしの、夫)
あなたは。
「……自分だけの力ではなくて、赤ちゃんがあなたを助けてくれているの。だから」
(おまえだけの力ではないのだ。次期『世界』が、紫水晶の力をおまえの黒曜石に沿わせている――)
あの子の力が、わたしに沿っている。
「……だからね、あなたは今までできなかったことでも、できるのよ」
(臆することはない。おまえは今、自分でも経験したことのないほどの強大な後ろ盾を持っている)
彼の瞳の紫が。
……。
「可能性があるのよ、だからやってみて」
(行け……飛ぶのだ)
飛ぶのだ、ペル――。
わたしは目に見えない指が頬に触れ、そのままスッと顎に流れて唇に触れるのを感じた。
「しるし」を施された唇。何度も守りの魔法を吹き込まれた唇――。
微かな吐息を頬に感じ、まつげの先が鼻先に触れるのが分かった。わたしは目を閉じ、彼の濃い気配を味わい――そして、それがすっかり消えたのを見計らってしっかりと前を見た。
目の前にいる太った魔女は、ただの安っぽい占い師でしかなく、彼女の中にある霰石は光を失いかけていた。
やわらかな波動は変わらなかったが、もうそこには、わたしを引き寄せるほどの謎めきは見当たらない。
霰石は、どこにでもいる、占いを生業にする、底辺の魔女に戻っている。
彼女に与えらえた「仕事」はすでに終わり、ゴルデンは己の思念を完全に引き上げてしまっていた。
霰石本人は、自分の中で何が起きていたのかすら把握していないようである。
にこにこと変わらぬ笑顔であるが、そこには薄っすらと、うさんくささが見えるようだ。
わたしは懐から貨幣を一枚出し、彼女の前に置いた。報酬である。
「はいはい、ありがとう」
彼女は言うと、自分もまた立ち上がった。客を送り出す構えであろう。
扉を開いてわたしを外に追いやると、目を三日月のように細くさせて、彼女は言った。
「気を付けてね、先は長いわよ……」
良い、旅路を。
……。
わたしは玄関に背を向けて立ち、目の前に広がるちんけな魔法の結界を睨んだ。
春の花壇は急激に色あせて見え、瑞々しく見えていたはずの雛菊も、まるで造花のように思えるのだった。
(ゴルデンも、悪趣味なことをやる)
低級な魔女を傀儡のように扱うとは。
(……悪趣味は健在か……)
ワンズを使うまでもない。
わたしは指で宙を軽く一閃した。
それだけで十分だった。
安っぽい結界はたちまち消えうせ、わたしは元通り、村のあぜ道に立っているのであった。
広々とした雑草の野原には、タンポポが乱れ咲いている。
日が、傾きかけてきたようだ。
今日の宿を、そろそろ探さねばなるまい。
(あなたに導かれていると信じてよいのだろうか――)
少しずつ長く伸びてゆく影。
わたしは元来た道を戻り始める。
駅の近くならば、宿くらいあるだろう。
遠くで家畜の鳴き声が聞かれ、ふわふわと綿毛が前をよぎった。
我が子よ。
ゴルデン――。
「師よ」
が、
「夫よ」
に変わりました。




