閑話~試験~
夜汽車の中で、幻想に試され、己の中の「人間」をさらけ出す。
その6 閑話~試験~
ごとごとごとごと。
汽車は走り続けている。延々と続く荒野だ。
狼が遠吠えをする他は何も聞こえない、そんな場所が広がっている。
西と東を分ける荒野だ。この不毛の地を人が越えてゆくのには、想像を絶する困難が伴う。
この荒野に鉄道を敷くにあたり、なんと多くの犠牲を出してきたことだろう。
汽車の動きに合わせて、天井からつるされた照明が揺れる。
この夜汽車の乗客は、ひどく少ない。この車両に限れば、わたしとゴルデンの二人しかいない。
閑散たる有様だ。
こんなに(イタイ…)大勢の犠牲者で成り立っている鉄道だというのに(アア、イタイ…)。
実に、不毛だ。
荒涼とした大地を走り抜ける夜汽車、その窓には闇しか映らない。
わたしはガラスと対峙し己の顔と見合わせる。
人形のように整っているが、表情も生気もなく、永遠の子供である自分。
その姿には、必ず別の美しい笑顔が重なる。
(笑って。ねえ、笑わなきゃ)
全く同じ造りの顔立ちなのに、彼女は美しく溌剌としていた。
その眼は常に喜びに満ち、口元の笑みは人々に愛される。
わたしの、双子の、姉。
その名を、白雪という。
白い雪のように美しく、凛とした女性になるよう、祈りを込めて名付けられた。
彼女は誰からも親しまれ、どこにいっても歓迎され、両親の宝物だった。
もちろんあれから時は経っているから、彼女がいまもこの姿をしているわけがない。
時間の流れは美しさを風化させているだろう。白い雪の肌にはしわが刻まれるだろう。
あるいは、もうこの世にいないかもしれないではないか。
それなのに、いつも鏡に顔を映すと、そこには姉の顔が重なる。
おかしなものだ、もう、わたしは人間ではないというのに。
向かいの席に掛けているゴルデンは、金髪の巻き毛の下で目を閉ざし、腕を組んで眠っていた。
わたしと一緒に旅をしていれば、西の大魔女に巡り合うだろうという期待は、今のところ当てが外れている。
そのうえ、わたしが何の手がかりもなく、ただひたすら東に向けて師を探し続けているだけだと知ってからは、ゴルデンは、いつでもわたしから手を引く気構えになった……と、思う。
にも関らず、彼は封印を解いてくれないまま、相変わらずわたしを泳がせ続けている。
それにわたしは、未だ彼の「なかみ」を読めないままでいる。
こうして眠っている間ですら、東の大魔女はブロックを解くことをしない。
彼がなんの目的で師を追うのか(契約解除の必要が生じた…)、それすら未だ分からないままだ。
きしゃあああ、と、連結部が悲鳴を上げている。
カーブに差し掛かったのかもしれない。
荒野は平坦ではなく、時折酷く曲がりくねらざるをえない難所がある。
次の汽笛吹鳴で、鉄道工事の最大の難関であった、非常に長く暗いトンネルに入るはずである。
酷く鋭い山を掘りぬいて作られた、恐ろしい難所。
そこでは何十人もの命が犠牲となった。
(魔法の契約と、何らかわらない)
窓枠に頬杖をつき、暗闇に目を凝らしながらわたしは思う。
(しかるべき代償を支払って成立する魔法と、何らかわることはない)
ふいに場面が飛び込んで来る。
悲劇的な場面だ。貧しく、故郷に守らねばならない家族を置いて出稼ぎにきている、無数の労働者の犠牲。
ひどくもろい岩だ。掘り進めているうちに天井が崩れてくる。
ぼろぼろと、あまりにも簡単に岩の塊がこぼれてくる。
逃げ場はない。
嘆きの声が近い。
わたしは目を伏せてその時を待つ。
死者は「依頼」を持たないが、非業の死が染みついた場所では常に思いが残っている。
永久に、そこに留まり続ける。
たとえ魂が散じて消滅してしまっていても、瞬間的にはなった強烈な思いは、簡単には消えない。
「試験をしてやる」
突如、ゴルデンが言った。
眠っていたはずの彼が紫の瞳を見開き、わたしをじっと観察していた。
わたしが見返すと、ゴルデンは無言で立ち上がった。紫の裏地の外套を大きくさばき、揺れる車両の通路を歩き去ってゆく。
ゴルデンの姿が車両から消えた時、長くかなしげな、汽笛が吠えた。
ごうごうごう――。
轟音を立てて、暗黒のトンネルに入った。
恐ろしくも悲しい場面が襲い掛かっては、飛ぶような勢いで後ろに飛び去ってゆく。
わたしの座る両側で、次々と非業の死の映像が飛び交う。そして一瞬にして過ぎ去る。
ひとつひとつを、じっと見つめるには、あまりにも多すぎるその場面たちは、どれも絶叫を残していた。
(家族を――)
短くはじける音が聞こえる。
まるで耳元で手を打ち鳴らされたような音だ。
はっと顔をあげると、黒衣の、背の高い人物が座っていた。
赤髪を長くのばして一つに束ね、寡黙な横顔の頬は深く落ちくぼんでいる。
「師よ」
思わず呼びかけると、師は強い茶の目をこちらに向けた。
「師よ、あなたはなぜ連れ去られなくてはならなかったのですか」
これは幻影だろう。
だが、師の姿を取るのであれば、それなりの理由があるはずだ。
わたしは師の姿に向かい、問いかけた。
唐突な別れの意味を、わたしは未だ知らない。どうしてあなたはわたしを捨てたのか。
(捨てた)
自ら発しておきながら、その言葉には深い痛みが伴った。
(捨てた、捨てた、捨てた)
目の奥が痛くなったと思ったら、熱い流れが頬に落ちていた。
「わたしが、『人間』を捨てきれていなかったから、その弱みにつけこまれて」
オパールの魔女の魔法が発動した。
師を連れ去るためのトラップに、わたしは引っかかった。
その魔法が引き金になり、師に多少なりともあったかもしれない、愛弟子への愛着を完全に断ち切り、オパールはわたしの師を、完全に自分だけのものにした。
かつて、師が、わたしを家族から引き離したのと同じように。
「あ」
わたしは声を上げていた。
大きな見落としをしていたことに気づいたからだ。
「契約」である。
わたしが家族の元から師へ貰い受けられたのは、生まれる前から決まっていたことだった。
それは「契約」だった。
長い間子供ができなかった両親は、無意識に「依頼」を飛ばしていた。
その「依頼」は成立可能なものだったため、西の大魔女に受理された。
「この契約は成立可能だ。なぜなら、次に生まれる子供は双子であり、そのうちの一人は生まれながらの魔女であるから――」
その子供を、譲り渡すのであれば、長年苦しんできた不妊は簡単に解決されるだろう。
こんなに手軽な代償はない。
そして両親はそれを了解した。そこで契約は成就し遂行され、13年後にわたしは愛弟子となった。
師が唐突にオパールの魔女に連れ去られたことにも、契約が絡んでいると考えるのが自然ではないか?
大きく深く、そうする以外逃れようのない魔法の契約が。
(だけど、師の支払ったであろう代償は一体何だ)
わたしはまた、深い思考の渦に巻き込まれてゆく。
(わたしのこの、理解できない痛みと同じものを、師も抱えているというのか)
とめどめもなく流れてくる、「人間」の残渣が師にもあるというのか。
目の前に座る師の幻影は、何も語らず、わたしを見つめ続けている。
わたしもまた、師の姿を見つめる。
トンネルを走る窓には次々と悲惨な場面が映し出され、過ぎ去ってゆくが、わたしたちは、ただ、静かだ。
不意に、まばゆい薄布が目の前に流れ落ちた。
滝のように零れ落ちてきた薄絹は、白い柔らかな肌を映し出し、あられもない曲線までも浮き出していた。
どさり、と銀の髪の毛が落ちてきて、形の良い頭が見えた。
その人はちらりと振り向き、口元にニイと笑みを浮かべる。
オパール、か。
オパールは座る師にすり寄り、その腕を首に巻き付け顔を寄せた。
師もそれを拒まない。
もう一度、オパールはこちらを見て、また、笑った。
この、吹き荒れるものは、なんだ。
「やめて」
わたしは言った。
目の前の二人に哀願した。
やめて。やめてください。見せないで。そんなものを見せないで。どうして。
「やめろ」
わたしは立ちあがると、封印されている力のありったけを呼び覚まそうとあがきながら指先で魔法陣を描いた。
魔法よ。師の館で得た、わたしの魔法よ。
この幻影は、不自然なものだ、消滅すべき対象だ、だから――。
「消えろおおおおおおおおおおおおおお」
目を開くと、ゴルデンが紫の瞳で覗き込んでいた。
無表情だが、その眼には興味深げな思いがありありと浮かんでいる。
まるで、得体のしれない新種の生物でも見るように、ゴルデンは横目でこちらを見て、言った。
「落第だ」
「……」
面白そうに口元を笑みの形にゆがめて、ゴルデンは白手袋の指先を、ついとわたしに向ける。
「だが、げたをはかせてやろう。ぎりぎり及第、ということにしておこうか。おまえは未だ半人前なんだよ。だからいつまでも愛弟子のままなんだ」
西の大魔女は、半人前を切り捨てることはしない。
師弟なのだろう、未だおまえには教わらねばならぬことが山とあるではないか?
……。
少し音が変わってきた。
トンネルを出るらしい。
「朝だな」
窓の外を見ながらゴルデンは呟く。
荒野の荒々しさは若干やわらいできており、もう数時間揺られれば、次の駅に着く。
灌木がまばらに生えた、人を寄せ付けない湿地が続いている。
その不毛の大地を、薄紫の夜明けが照らしていた。
太陽は徐々に力強くのぼりはじめ、やがて荒野は白く輝いた。
「何の試験だったんだ」
わたしが問うと、ゴルデンは今度こそげたげたと笑いだしていた。
「おまえ」
と、わたしを覗き込みながら、まだこみ上げる笑いを抑えながら、ゴルデンは、やっとのことで言った。
「女だな」
反応に困るとはこのことだ。
わたしの顔を見て、またゴルデンはげたげたと笑い転げ、やがて汽車は朝一番の汽笛を鳴らした。
この山を越えると、次の町に着く。
わたしたちはそこに降り、また何かと出会うだろう。
その一つ一つが、師に近づくための布石であると、わたしは信じる。
ここに師はいないということすら、手がかりの一つになる。
必ず、師はいる。
どこかの町に。