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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第七部 ハーメルンの笛吹き
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ふもとの 村 2

トロッコに乗って到着した村。そのまま宿に宿泊する二人。

だが、眠るゴルデンの元に世界の幻影が現われ、ゴルデンから力を搾取するのであった。

その2 ふもとの 村 2


 山村の夕暮れは赤く、空一面が染まるようである。

 寒々しい曇天の灰色が血のような赤に燃え上がり、そしてそれは、みるみるうちに夜の色に変化する。

 日はあっという間に沈み、星のない夜が巡ってきた。


 夕方に出たトロッコ列車は、いくつかの鉄橋を超え、やがて夜となった空の下を不愛想に走り続けた。

 屋根がないために寒気が直接肌に当たり、夜露にも濡れることになる。

 我々は向き合って座りながら、しばしの苦痛に耐える。

 むきだしの車両は、ざあざあと激しい音を立てる濁流の川の上を超え、枯れ枝の飛び出す山道を登り、次の村へ急ぐ。

 

 夜闇の中、わたしはそっとゴルデンを見る。

 一日の休息の後、彼は回復したように思われる。しかし、わたしには予感があった。

 (世界が近くにいる)

 白昼の宿まで幻影を飛ばすことができるほど側に、世界は近くにいるのだ。

 それは、「母」の居場所が近い事と関係があるのかもしれないし、ゴルデンへの執着が更に強くなったから、なのかもしれない。

 

 世界がそこにいるのならば、ゴルデンの消耗は激しくなると思われる。

 (恐らく間違いがないと思うのだが――)

 ゴルデンの体にからみつく金の髪の毛が、彼の魔力を搾取している映像が、また浮かんだ。

 世界が祈れば祈るほど、ゴルデンを思えば思うほど、髪の毛は絡みつき強いくびきとなる。彼はそこから逃れる気がない。


 今、ゴルデンは腕を組み、シルクハットを深くかぶった下で目を閉じていた。

 例によってブロックしているので彼の中を読むことはできないが――恐らく、本調子ではあるまい。


 座っているだけで背中が痛くなるほどの悪路を超え、やがてトロッコが村に到着した時、暗黒の空は僅かに雲が切れ、薄い月光が差し込んでいたのである。



 ガクンと停車し、体がのめって倒れそうになる。

 作業服姿の機関士が早足でやってくると、錠を開けて我々の足元の扉を開いた。トロッコから地面に降り立っている間にも、トロッコの他の車両に積み上げられた物資を降ろすために何人かの村人が集まってくる。

 牛乳、チーズ、小麦――そういったものの品名が読み上げられ、帳簿に付けている男がいた。

 足元まで届くような前掛けをつけ、耳にペンをはさみ、酷く忙しなげにあちこち動き回っている。バイヤーであろう。

 夜闇の中に機関車から白く吐き出された煙が舞い上がり、ホームは霧がかかったようになっていた。

 人々はぶつかり合いそうになりながらも荷物を大急ぎで降ろしては荷馬車に付け、夜の間に倉庫へ入れるべく動いている。

 (この便しか出ないからだ……)

 夜しか、荷の積み下ろしができない。

 トロッコ列車が昼に運行できないのは、慢性的な人手不足のためだと思われる。機関士は山村の男が順番に役目をこなしており、昼間は家業にいそしんでいる。副業として、トロッコを運転するのだが、そのトロッコしか各村を行き来する便がない――。


 隣にいたはずのゴルデンがいなくなっている。

 ふと見ると、彼はペンを耳に挟んだバイヤーに何か話しかけていた。

 最初は面倒くさそうだったバイヤーは、相手が世にも愛らしい少年であることで気をよくしたらしい。やがて笑顔で手ぶりを交えて説明をしていた。

 ゴルデンはこちらに戻ってくると、不機嫌そうな顔でこう告げる。

 「……更に向こうの村に行くトロッコは、夕方になるそうだ。今夜はここに泊まる」

 宿は、ときくと、ゴルデンは頷いた。

 この真夜中に、泊めてくれる宿があるらしい。時刻は既に、日付を超えていると思われる。

 陰気な街灯の光の下で、荷の積み下ろしをする男たちを尻目に、我々はホームを離れる。簡素な無人駅をくぐり、ただ広々としているだけの石ころ道に出る。

 街灯と街灯の感覚が広く、夜闇に覆い尽くされているような道であった。


 ……おいで。


 また、歌うような声が聴こえてくる。

 わたしは黙って歩いた。

 ゴルデンは数歩前をゆっくりと歩いている。


 ……おいで。待っている。早く……さあ。


 不意に、映像が浮かぶ。

 この村よりまだ先の村、その外れにある山の入り口に、「扉」がある。

 人間の目には決して見えることのない、魔法の「扉」。

 そこから、甘やかな声と、優し気な光が漏れているのだ。


 とても甘く穏やかな声、そして光であるが、わたしはそこに強大な力を感じる。扉を開けた瞬間に凄まじい渦でこちらを巻き込みそうな、想像を絶するほどの力が。


 だが、そこに足を踏み入れなければならない。その先に、師がいるのだから。


 ……。



 夜露が降りており、我々の吐く息が白く昇っている。

 ゴルデンは足を止め、振り返った。案じるような顔をしている。

 一瞬、息が詰まるほど窮屈に感じたが(……俺の、いう事をきけ……)今は些細な事でも彼に従うべきだと、わたしは思った。

 それで、静かにゴルデンの脇に寄り、彼が自分の外套の半分を肩に打掛け、わたしの肩を引き寄せてくるままになっていた。


 温かい。


 少し行った先に、心細いあかりが見える。そこは飲食店になっており、二階の空き部屋に人を泊めてくれるらしい。我々はそこを目指している。

 こつこつと歩きながら、ゴルデンは低く言った。


 「何を、考えている……」

 

 白く息があがるのを、わたしは無言で眺めた。

 苛立ったようにゴルデンがもう一度同じことを言い、わたしはやっと答えた。


 「どうしたら、師を殺さずに世界からの『依頼』に応えることができるかを」

 

 ……。


 ふいにゴルデンは苦虫を噛みつぶしたように鼻の上に皺をよせ、わたしの肩に爪を立てた。

 痛みのために、わたしは相手を突き飛ばした。

 

 「何をする」

 ひらりと飛びのいたゴルデンは、距離を取った状態でわたしの目を覗き込んでいる。紫の目には得体の知れない輝きが宿っていた。


 「無駄だ」

 断ち切るように彼は言った。どんなに考えても、どうしても無駄だ。

 ゴルデンの言葉に、わたしは唇を噛んだ。

 

 「聞け」

 ゴルデンは離れたままで、怒りを押し殺したような声で続ける。

 「……西は、貴様の師は、死にかけている」

 わたしは無言でその言葉を受けた。

 死にかけている。寿命が尽きようとしている。だから「母」の元から離れずにいる――。

 「だから、世界との契約を解除する力が、奴にはもう残されていない」

 それも分かる。

 わたしは黙って次を待った。ゴルデンの紫の瞳に激流のような怒りが宿る。

 「……分からないのか。このまま奴が自然のままに命を失ったら、世界は契約に縛られたまま、病のために死ぬことになる」

 

 おにいちゃんの、心にわたしを永久に刻み付けるために、世界になる――。


 今にも放たれそうな怒りの刃を前に、わたしはゴルデンの瞳を真っ向から見上げた。

 闇の中でも輝く紫の瞳は、どこからでもわたしを読み取ることができるだろう。

 

 このまま師の寿命が尽きたなら、契約解除されないまま世界は病を進行させるだけである。

 世界がやがて死んで朽ちたならば、この世は――我々が今足を置いている、この世界は――崩壊の一途をたどるだろう。世界を亡くしてはならないのである。


 師の残された命を摘み取ることで、また魔法の契約が結ばれることになる。

 師の命と引き換えに、世界は嫉妬から自由になる……。

 それが、彼らの間で成立する等価交換だ。もちろん理解している。誰よりもわたしがよく分かっているのだ。

 わたしは「魔女の愛弟子」なのだから――。


 わたしの目を読んで、ゴルデンの表情が和らいだ。一瞬の間を置いて、ゴルデンは静かに言った。


 「西も、それを望んでいるからおまえを呼んだのだ」

 (そう……だ)

 わたしは、未だあやふやで掴みきれないものを追いかけるような思いで頷いた。

 そうだ、師はわたしを導いている。師のいう、わたしにしかできない仕事と言うのは、恐らくこのことだろうと思う。

 わたしに殺させるために、師はわたしを導いてきたのか。


 (……だが、わたしにはそれはできない)


 ゴルデンはしばらくわたしを見つめていたが、やがてまた疲れたような溜息をついた。

 眉を寄せながら横を向くと、来い、と一言言った。

 わたしが黙って側へ寄ると、外套を広げて肩を抱き、また歩き始めるのだった。


 こうやってゴルデンに守られながらではあったが、わたしには彼の苛立ちが手に取るように分かる。

 できれば彼は、今こうしている瞬間にでも、わたしの顔をひっぱたき、胸倉をつかんで揺さぶり、「分からせ」るための荒療治を施したいほどなのである。

 もしわたしが「分から」ないならば、その場で石の中に封じ込め、完全に拘束してしまいたいと思っているはずだ。


 それをしないのは、やはり下腹に宿るもののためであろう。

 彼は、非常に慎重になっていた。自分自身の「印」が芽吹いていることを察して以来、過剰なほどわたしを気遣っている。

 そして、その気遣いに反したことをすると、憎悪のように強い感情を起こすのだ。


 どうして、俺のいう事がきけない――。


 「言っておくぞ」

 もう少しで宿にたどり着こうという時、低い声でゴルデンは言った。その声には気迫が籠っており、そこに強いものを感じたわたしは思わず肩を竦めた。

 「……おまえが危険な真似をするならば」

 彼は足を止めた。

 急だったのでわたしは前のめりになりかける。

 回り込んできた彼は紫の目で覗き込んだ。憎悪といっても良い程の強烈な輝きが、瞳に宿り、わたしを射ぬいた。


 「……俺が剥奪する。おまえの愛弟子の称号を」


 

 扉を叩くと、眠たそうな顔をしたおかみが出てきて、二階にどうぞと言った。

 さっきのバイヤーが、電話で宿に連絡をしてくれたのだという。

 ゴルデンは非常に交渉がうまい。それで我々は、既に閉店しているはずの店になんなく招き入れられ、二階の部屋に通された。

 

 冷える夜だった。

 部屋には火鉢が置いてあり、我々が到着するまでに部屋がほどよく温もるよう、整えられていた。

 大人用の寝台が一つ置いてあるばかりで、外套を下げるハンガーの他には家具はない。

 カーテンはきっちりと閉じられ、暗いオレンジ色のランタンが壁にかけられている。その灯が微かに揺れるのは、隙間風があるからだろう。


 ゴルデンは外套を脱ぐと壁にかけ、酷く疲れたようにベッドに乗った。

 襟とベルトを緩め、溜息をつき――そして、顔をしかめてわたしを見た。

 わたしは気後れしていた。

 外套を壁にかけた後、火鉢の側で立ち尽くしてゴルデンを見ていた。


 「二人分くらいの場所はあるだろう」


 なぜこれほど動揺するのか分からないまま、わたしはベッドに腰を下ろした。

 頬がほてり、心拍数が上がったように思える。下腹のものが、面白がるような笑い声を立てたような気がした。


 ゴルデンは淡々と壁のランタンを吹き消し、毛布を被った。

 暗がりの中でうろたえているわたしの腕を後ろから取り、引っ張り込むようにする。


 「……さっさと、寝ろ」


 毛布の中から紫の瞳が覗いていた。

 わたしは手を払いのけた。


 「眠れるはずがない。何を考えている」

 「貴様こそ何を考えているんだ」


 ほとほと呆れたようにゴルデンは言うと、半身を起こしたかと思うと、わたしの肩ごと抑え込むように、ベッドに倒しこんだのだった。そのまま毛布を掛けると、自分も横になる。上品な香りが立ち込めている。


 「むっつり助平とは、貴様のようなのを言うんだ」


 ぶっきらぼうにゴルデンは言うと、唐突にまぶたを閉じて眠りに就こうとした。

 「心配しなくても、生臭い人間の男のようなことはしない」

 そんなことをしなくても、やろうと思えばやれるのだからな――。


 「よく知っている、だろう」

 溜息をつくように呟くと、ゴルデンは本当に眠り込んでしまった。


 夜の中に置き去りにされたわたしは、しばらく唖然として金の巻き毛の少年を眺めていた。

 とっくに眠りの腕に抱き取られたゴルデンは、本物の子供のような顔をして眠り込んでいる。


 わたしは彼の巻き毛に頬を寄せるかたちで枕に頭を置いた。

 安らかな寝息が聞かれ、首に当たる。

 ほどよく温もりが籠った毛布の中で、わたしもまた、今にも眠りそうになる。



 ……おにい、ちゃん。


 遠くからこだまするような呼び声が聴こえた。

 目を薄く開くと、ゴルデンの眠る横に白い影が立っているのが見える。

 白い羽根を広げかけ、案じるような、悲し気な紫の目で眠る兄を見下ろしているのだった。


 ふわりと白い羽根が一枚落ちて来たかと思うと、次々に舞い踊り、それはゴルデンの上に重なり積もった。

 白に覆い尽くされてゆきながら、ゴルデンの安らかで規則正しい寝息は時折乱れるようになる。

 ひそやかな音で、らせんを描くようなパイプオルガンの旋律が渦巻き始める。

 

 おにいちゃん……。わたしを見て。わたしだけ、を……。


 ……。


 ゴルデンは呼吸を乱し、微かに眉をひそめた。

 額に薄く汗が浮き始めている。


 ばさりと音がするので見上げると、横に立っていたはずの世界がベッドの上に飛び乗り、ゴルデンを羽根で包み込むようにしているのだった。

 悲し気な目で、疲労し苦しむ兄を見下ろしている。白い手を伸ばし、眠る兄の頬に触れ、金の巻き毛を撫でる。

 世界が触れるとゴルデンは穏やかな表情に戻るのだが、またすぐに眉間にしわを寄せて、苦痛に耐えるのだった。


 おにいちゃん、おにいちゃん、おにい……。



 わたしには見えていた。

 ゴルデンが金の髪の毛に絡み取られ、そこから何かを吸い取られてゆくさまが。

 幾重にも巻き付いたくびきは複雑に絡み合い、もう簡単にはほどけないほどになっている。

 美しく輝く、強靭なくびき――。


 「ゴルデン」


 わたしはすぐ側の顔に向かい、呼びかける。目覚めない。

 ついにわたしは相手の肩をゆすぶって起こそうとしたが、どうしても目を開かなかった。

 わたしは毛布を跳ねのけると、いつでも魔法陣を描けるよう指を構え、ゴルデンの上に覆いかぶさる白い少女に向かって言った。


 「降りろ――離れてやれ」


 少女はゆっくりとこちらを見た。

 紫の瞳が潤んでいる。純粋な悲しみに見えるが、その奥で揺らめくものがあった。


 わたしはそれを見て愕然とする。

 闇だ。


 世界の瞳の奥に、闇が蠢いている。嫉妬という名の、闇が。

 そして少女は目に涙を浮かべながらかぶりを振り、そのままゴルデンの上に覆いかぶさるようにして、唇を奪った。


 凄まじい量の魔力が搾取されてゆくのを見て、わたしは反射的に魔法陣を描いた。

 封印されているために、ごくささやかな魔法しか発動できなかったが、攻撃の魔法は確かに放たれ、目の前の妖しい白の幻想を直撃する。


 「んあっ」


 高い叫び声をあげると鳥になりかけている少女は黒曜石の火花を受け、部屋の暗がりの中に散って消えた。

 何事もなかったかのような静寂が落ちる。

 

 嫉妬。

 世界は、嫉妬をしている。

 その嫉妬が強い程、彼女の病は進行する――。


 

 ゴルデンが目を薄く開いてわたしを見上げた。顔をしかめている。

 ふわふわと落ちて来た一枚の羽根を掌で受け止め、無言で握りしめた。


 「……来たのか」

 と言うので、わたしは急にむらむらっと腹が立った。

 そうだ、と答えて背を向けると、ゴルデンがだるそうに身を起こす気配がした。


 「追い払ったのか」

 「ちりぢりになった。叫び声を上げた。泣いていた。ざまを見ろ」


 色々なものがまぜこぜになり、ぶつけるような言い方になった。

 膝で握りしめた拳が細かく震えて止まらなくなる。どういうわけか、涙がにじんで来るのだった。


 ゴルデンは立ち上がって何かを取ってくると、またベッドに戻った。

 きゅぽん、と小瓶の蓋を開ける音がし、ゴルデンはウイスキーを飲み下している。

 わたしが振り向くと、口を拭いながら半分ほどになった小瓶を突き出してきた。

 受け取って口を潤し、瓶を返すとゴルデンは残りを口の中に流し込んだ。豊かな香りが闇の中に立ち上る。


 「あなたの妹は、非常に気持ちが悪い」


 と、わたしが言うとゴルデンは思いがけないように目を見開いた。そして、呆れたようにわたしを見つめ、ふいにげらげらと笑い転げるのだった。


 いいから寝ろ、と言われて布団に入ったのだが、どうにも納得できずに隣のゴルデンを見ていた。

 背中を向けて寝てしまったゴルデンは、もう眠りを誰にも邪魔されずに安らかな寝息を立て始めている。

 (……師をどうこうするより、世界の性根を叩き直すのが道理ではないのか)


 「……妹の教育がなっていない。すべてあなたの責任ではないのか」

 腹立ちをごまかすように呟くと、わたしも毛布をかぶった。

 今は少しでも休むべきなのだ――。


 目が覚めるとカーテンから日が差し込んでおり、部屋は真昼の明るさに満ちている。

 ゴルデンは熟睡しており、寝息を立てているのでそのままにしておいた。

 火鉢の火は消えて白い灰になっており、吐く息が白く見えるほど部屋は寒い。身支度を整えながら、わたしはゴルデンの上に毛布をかけなおしてやる。


 やはり、ゴルデンはひどく消耗している。

 これほど深く眠る彼を、わたしは見たことがない。


 毛布の上に、彼の外套をとってきて打ちかけてやると、わたしは部屋を出た。狭くて急な階段を降りると、下の食堂は昼のかきいれ時だった。

 食事をかきこむ農夫たちを見ながら店を出ると、冬の真昼の日差しがわたしの目を打つ。

 それは、激しい閃光だった。


 通りには誰もいなかったと思う。

 扉を背中で閉じ、日差しに目がくらんだわたしは目を閉じた。そして、ぐにゃりと空間が歪むのを感じたのである。


 目を開けると、そこは黒曜石の空間であった。

 茫然としてわたしは立ち尽くす。

 自分で入り込んだわけではない。まるで、何かに引き込まれたかのように、わたしは黒曜石の異空間に連れ込まれたのである。


 わたしは指を構えると、神経を張り詰めて周囲を見回した。

 わたししかいないはずの、わたしの空間である。

 だが、なにかがわたしを見ている。なにかが。


 ……おい、で。


 あの声が聴こえた。振り向くと、様々な色の粒子を振りまく、不思議なオパールの扉が目の前に現れていたのである。


 わたしは扉に向き直った。

 (行くべきではない。今は行くべきではない……)


 この扉を開いた瞬間、何が起きるか。それは以前経験してよく分かっていた。

 

 おいで……早く、ここへ……。


 わたしは後ずさった。扉の方から迫ってくるようだったからだ。

 そのままわたしは黒曜石の空間の中を走った。

 様々な扉を通り過ぎ、ひたすらわたしは走り続けた。

 紫水晶の――ゴルデンの扉を血眼になって探しながら。


 おい……で。


 背後を振り向くと、オパールの扉がすぐ後ろに迫っている。

 わたしは息を切らして走りながら、声を限りに呼んだのだった。


 「ゴルデン、ゴルデーン」

嫉妬は女をサッキュバス化させるのかもしれません。


オパールは、何かペルに伝えるべきことがあるようです。

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