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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第一部 白雪姫
6/77

代償

馬との契約が成立した時、師の意思がペルに指示を出した。

その5 代償


 湯気のたつアヒル肉が切り分けられた。

 うちのアヒルです、と勧められるままに食べると、脂がのった上等なものである。

 田舎の領主らしく、鼻の先を酒焼けさせ、ぱんぱんに太った頬に愛想の良い笑顔を刻んで、次々に料理や酒を勧めてくる。簡素な調理法ではあったが、食材が新鮮であるため味は申し分ない。

 ただし、酒が下品である。

 あまり香りのよくないブランデーを無言で舐めていると、領主が我々に旅の話を求めてきた。

 そのための歓迎である。

 ゴルデンは咀嚼したものを上品に飲み下すと、さりげなく口をぬぐい、それから語りだした。

 「珍しいお話をお求めなら、なかなかお応えできないのですが、ちょっと、ぎょっとするようなことがございまして」

 それほど洗練されていない給仕のやり方で、お手伝いが空いた皿を下げる。

 かちゃかちゃと荒い音が立つが、屋敷の住人にとっては気になるほどのことではないらしい。

 屋敷の主人である、この土地の領主。

 その両脇には夫人が二人。

 右隣には領主の妻であろう、白髪交じりの細い夫人が、横目で夫の飲みすぎを気にしている。

 左隣の女性には、見覚えがあった。

 (花嫁の、従者――)

 偽の花嫁は、いまや若奥様として悠然と席についている。肩を出した若い女性らしい姿をしており、はつらつとした生気に溢れているが、表情はどこか暗く、苛々とした様子が読み取れた。

 

 幸せに、なりたかったのよ。


 ふいに、蛇がしゅっと素早く這った時のような訴えが聞かれた。

 肉を噛みながら見上げると、グラスに唇を着けて、沈んだ様子の若妻が見える。酒を飲むふりをしているが、目は虚ろで食も進んでいない。手元の料理はくちゃくちゃに切り遊ばれており、片手はナプキンをもてあそんでいた。

 

 幸せに、なりたかったのよ。

 それがいけないことなの?


 また、聞こえた。

 若妻の暗い瞳は薄く潤い始めている。ほとんど涙がこぼれかけそうになっているのだが、この席の誰にも気づかれることがない。

 

 癇性の、奥様。


 と、お手伝いの中年女は腹の中で嘲笑っている。

 執事らしい痩せた老人も似たような感情を腹に持っている。

 義両親は、嫁をもらった瞬間に突然やさぐれてしまった愛息子のことが気がかりで、不慣れな土地に来たばかりの花嫁のことなどまるで眼中にない――。


 幸せに、なりたかったのよ。

 

 わたしはその依頼から視線を外した。

 しゅっ、しゅっと音を立てながらわたしに這い寄ってきたその依頼は、しばらくわたしの様子を見つめていたが、やがて同じことを呟きながら去っていった。永久に叶わないその願いは、散じて消滅することもなく、醜い姿を曝しながら部屋を回り、屋敷の中をさ迷い、そして外に出ていった。


 幸せに、なりたかったのよ――。


 

 「もっと肉をどうぞ」

 と、領主は勧めた。

 更に切り分けられた肉にナイフを入れながら、ゴルデンは流れるような口調で話し始める。

 「貧しい領主の姫が嫁ぐにあたり、旅の途中で、従僕の召使と入れ替わってしまったという話を聞いたことがございます」

 

 激しい音を立てて食器が床に落ちた。

 若妻が青ざめている。

 食べられもしなかった皿は足元に砕けてしまった。

 慌てて寄ってきたお手伝いを避けるように若妻は立ち上がり、気分が悪いと言い訳をして退席した。

 「嫁いできてからまだ馴染まないもので、緊張しているんでしょう」

 勘弁してやってください、と領主がとりなし、ゴルデンは華やかな微笑で頷いた。

 ゴルデンの物語はそれから流暢に続き、旅人の珍しい噂話として受け取った領主は、ひどく面白そうに聴いていた。だが、物語は最後まで語られることはなかった。

 騒々しい音を立てて食堂の扉が開き、大声で怒鳴りつける声と、それに負けないほどの声で抗議する叫び声がけたたましく響き渡ったのだ。

 「これ、またんか小僧」

 と、押さえつける庭男を振り切って飛び込んできたのは、昼間見かけたアヒル番の少年である。

 つぎの当たった尻を振りながら領主の妻にすがりついた。

 「大奥様、たすけてくださいよ」

 と、甘えた声を出し、情けを乞うている。

 どうやら、アヒル番の管理役は領主の妻であるらしい。

 あっけにとられた顔をする領主に目くばせし、年老いた良妻は小さな召使を抱き起した。どうしたのか優しく聞いている。

 「魔女なんですよ、あいつ」

 と、彼は言った。

 「あの、新しく来たアヒル番の女ですよ。若奥様の従者だったとかいう。あいつ――」

 「まあ、魔女だなんて、何を言うの」

 「だって、魔法を使うんです」

 必死の表情で、手ぶりを交えて少年は訴えた。

 どうして、何があったの、と、穏やかに問いかける老婦人に答えようとして、はたと彼は止まった。バツが悪そうな顔をする。

 「あの金色の髪の毛が欲しくて。アヒル番の間に、髪の毛をほどいて櫛を入れる時があるんですが、その時、ほんの一本だけ引き抜こうとするんです、俺が」

 やましいことを打ち明けているので、そばかすまみれの顔が真っ赤になっていた。声も小さい。

 「でも、そうする度に風がふいてきて、俺の帽子が飛ばされてしまって、おまけに今日はアヒルまで――」

 まあまあ、このしょうがない子を向こうに連れておいで、と老婦人はお手伝いたちに命じた。

 あきれ返った顔をする主人に絶望しながらも、少年はまだ必死に身振り手振りで主張しているが、太ったお手伝いに捕まえられ、ひきずり出されてしまった。

 「親戚の子でしてね、小遣い稼ぎにアヒル番をしてくれているんですが」

 少々空想癖があって、と領主が苦笑いをしている。

 ゴルデンはわたしを横目で見て、グラスをさりげなく置いた。

 それを合図にわたしたちは立ち上がり、もう遅いから休ませてもらいたい旨を伝える。

 残念そうな顔をするものの、明日に発つわたしたちに無理を強いることはできず、領主は名残惜しそうに承諾した。

 

 うふ、ふ。だって、髪の毛が。


 ふいに昼間にかいだ、不思議なラベンダーの風を思い出して、わたしは壁に手をついた。

 酔ったか、とゴルデンが振り向き、顔をしかめる。

 夜更けと共に、魔法の香りが強くなっている。

 仕事はこれからだ――。

 

 「西の大魔女の代理、魔女の愛弟子として、この依頼を打診する」

 暗い客間の中で、わたしはポケットの小瓶を手のひらに乗せ、宣告をする。

 小瓶の中の黒い馬は目を覚ましており、しきりに前がきをした。

 わたしはコルクの蓋を開けた。

 馬の姿をした「依頼」は勢いよく瓶から飛び出し、くるくるとわたしの周りを飛び回る。

 木のワンズを向けるとその依頼は動きを止め、勢いよく嘶いた。

 

 弦楽器の調べが高まる。

 暗黒の中へ吸い込まれ、闇たちにむさぼられる「未来」が現われる。

 それでも良いのか、という打診である。

 闇にむさぼられ、喰いつくされた後は、何も残らない。

 否。

 闇に力を吸収され、その魂は搾取され続ける。永久に明るい場所には出られない。正常なる輪廻の輪に戻ることができなくなる。

 次元が変わる。存在しなくなる。忌まわしいものとなる。――それでも?


 怒りの調べが大きく突き上げ、ほとんど痛みを感じるほどになった。

 ごうごうと熱く燃え盛る業火の勢いを受け、部屋の中は風が吹いたように荒れる。

 シャンデリアは揺れ、カーテンはめくれ上がった。

 「静かにさせろ」

 と、ゴルデンが迷惑そうに言った。

 わたしはワンズを馬に着きつけ、そのまま魔法陣を描いた。

 契約成立、である。

 「この契約は等価交換の法則の上に成り立ち、成就される」

 

 面倒くさい契約だな、とゴルデンは言い、暗い部屋を嫌そうな顔で見回した。

 燭台は倒れ、シャンデリアは傾いていた。

 そうじが行き届いていない家具からは埃が舞っている。

 契約は成立した。後は――師の領分だ。

 「師よ」

 わたしは呼吸の中で呼びかけた。

 師よ。


 目を閉じた瞬間、くるくるとわたしは回り、頭から落ちた。

 急降下してゆく時間の流れの中で、わたしはある風景を見せられる。

 静寂に満ちた、穏やかな西の大魔女の館での生活だ。

 師は振り向いた。茶の瞳でわたしを捉える。(ああ、これは)

 そして師は言った。

 (ああ、これは、いつのことだったろう――)


 「不在の折、契約が成立した場合、おまえが遂行せよ」

 

 (いや、これは師の意思か)

 師は突然、トラメ石のはめ込まれたワンズを突き付けた。

 額にそれを受け、わたしは視界は茶金色の光に遮断される。

 トラメ石の輝きだ。

 しかしその輝きはすぐに薄れ、かわりに靄がかかり、無数の淡い光が踊る、オパールの力が目の前を覆った。

 「師よ」

 と、悲鳴じみた声で呼びかけた瞬間、ぱあんと頬がさく裂して、わたしは目を開いた。

 胸倉をつかみ、わたしの頬を張ったのは、ゴルデンだった。

 暗闇の中でも紫に燃えるゴルデンの瞳を見上げ、ひりひりする頬を感じながら、わたしが言った。

 「師の言葉を受けた」

 つ、と熱いものが頬を伝ったので、指で触れるとそれは涙だった。

 「契約の遂行を任された」

 「西の大魔女の居場所は」

 と、ゴルデンが言うので、わたしはかぶりを振った。むなぐらを捉える手が唐突に離れ、どさりとわたしは尻もちをついた。

 涙と、じんじんする口元をぬぐいながら、わたしは顔をあげる。

 待ちかねたようにこちらを振り向き、しきりに前がきをしている黒い馬の姿が見えた。

 

 行かねば。


 師とわたしの絆は、未だ切れない。



 暗黒のトンネルの中に足を踏み入れると、弦楽器が一層早口に声高に歌い始める。くるくると激しく舞うような調べだ。曲調の悲哀の色は息を静め、今は怒りと歓喜の流れになっていた。

 やがて悲痛なほどの強い祈りとなり、一瞬の静寂を置いて、またも同じ流れを繰り返すのだ。

 「契約は成立した」

 先端に灯をともした木のワンズを掲げてわたしが言うと、甲高い馬のいななきがトンネルの中でこだまし、カツカツという蹄の音が勢いよく近づいてきた。

 深い闇の中にまぎれ、青毛の馬の姿は見えない。

 だが、赤く光る眼が二つ、目の前に来ていた。

 ――壁には切り落とされた首が命を失った姿で打ち付けられている。

 そこから抜け出した魂はまだ健在で、魔法の力で生きながらえていた。

 この馬は、生まれながらの魔法使いである。

 「契約成立、たしかに」

 人語で馬は答えた。深い男の声で、小川の流れのように澄んでいる。

 喋る馬か、とゴルデンが呟いた。

 「そのためにおまえは恐れられ、首を切り落とされなくてはならなかった」

 ゴルデンの言葉に、馬はぶるぶると鼻を鳴らした。

 かつかつと前がきをし、契約の遂行をせかしている。

 

 贈り物を。

 美しい、わたしの主人に、わたしの愛を。


 本当にするのかおい、とゴルデンが咎めるような声を発したが、わたしは木のワンズを胸に置き、それから天に向けて大きく魔法陣を描いた。

 源の魔力を封じられてはいるが、黒曜石はわたしに応じてくれ、魔法は発動した。

 天から渦を巻くようにして降りてきた夜空のきらめきは契約主を包み込み、その瞬間、暗闇にまぎれていた黒い馬の姿が美しく浮き彫りになる。

 荒々しくたてがみが伸びた、若駒。

 しかしその目はいまは穏やかな光を宿し、跳ねまわりもしなければ、いななきもせず、運命を受け入れた。

 魔法の渦は馬を包み込むとぎゅっと凝縮し、ひときわ甲高く悲鳴のような調べが沸き起こり、唐突に消えた。

 無となった暗闇の中で(……むしゃ)微かに咀嚼の音が聞こえ始め(むしゃ……むしゃ)やがて、ばりばりというかみ砕く音が混じり始める。苦痛のうめき声など一切聞こえないまま、馬は闇に喰いつくされた。

 

 ふいにラベンダーの香りが漂ってきた。

 穏やかな衣擦れの音を聞いて、わたしは振り向いた。

 暗闇の中であるにも関わらず、薄紫の仄明るい輝きに包まれて、彼女は立っている。

 この上なく美しく癖のない金髪をときほぐした姿で、その人は全てを見ていた。


 「ファラダ」

 と、馬の名を呼んで彼女は駆け出し、壁にかかった首に縋りつこうとして悲鳴を上げた。

 完全に命を失ったその首は、腐敗を始めていた。触れた指に粘ついたものを感じて、彼女は叫び声をあげた。

 「いやよどうして」

 彼女は振り向いて、わたしたちに叫んだ。

 品のある、白い顔に深い悲しみを刻んで、彼女は馬の首を指さしている。

 「どうして、こんなことを。わたしにはファラダしかいなかったのに」

 その女性の生涯をつかさどる精巧で無慈悲な運命の歯車は、それまでとは違う向きで回り始めていた。

 わたしには確かにそれが見えた。

 もう止められない。それが契約だったから。

 

 わたしの主人を、花嫁に。

 真実を、明らかにして。

 これが、わたしの、愛――。


 ふいにわたしの目の前に、穏やかで美しい映像が湧き上がる。

 ラベンダー畑がどこまでも続く、遥か遠い国で。

 (駆けてゆこう、どこまでも)

 疾風のようにたてがみを靡かせて、野をかけてゆく黒い馬。

 その背には、きゃしゃな少女を乗せている。

 素足のまま馬にまたがり、生まれたままの無邪気な笑顔で彼女は言う。

 (駆けてゆこう、どこまでも一緒に)

 馬は一層速度をあげて彼女の笑いは高くなり、野道の両脇を飾る広大なラベンダーの畑は、優しい香りを風に乗せた。


 くらりとするわたしを、ゴルデンが後ろから支えた。

 「だらしがないぞ」

 と、耳元で叱咤する。

 それでわたしは自分を取り戻すと足を踏ん張り、強力な魔力に生まれながら恵まれてしまった、本物の花嫁と向き合った。

 この女性は魔女ではない。

 が、魔女に匹敵する魔力を秘めており、自分でも気づかないうちにそれを使ってしまう。

 力の源を封印されている身には、少々面倒なほどの相手だ。

 強い嘆きの波動が押し寄せてきて、わたしはワンズを胸に当てた。バリアの魔法である。

 

 「これが、あの馬の贈り物だ」

 と、ゴルデンがわたしの横から歩み出て、乙女の前に立ちふさがった。

 涙にぬれた顔で彼女はゴルデンを見つめる。

 贈り物、と口の中で繰り返した。ゴルデンは頷き、彼女の目をぎゅっと見つめようとした。

 しかし彼女は魔法が発動する前に視線を振り切り、髪を振り乱して細い腕を宙に掲げた。指を鍵状にしている。

 

 「そんな贈り物はいらないわ」

 

 乙女の表情が醜く歪み、細い腕には力の筋が浮き上がった。

 鍵状に曲がった指は何もない宙に食い込んでいる。

 「いけない」

 わたしには見えていた。

 その指は、屋敷の寝所で眠っている、偽の花嫁の首をわしづかみにしている。

 カッと目を見開いて、乙女は叫んだ。

 「わたしの望みは――これよ」


 闇夜をつんざく恐ろしい悲鳴が屋敷の方で上がった。

 ゴルデンは顔をしかめて目をつぶり、わたしはそれを見届けた。

 命がひとつ、魔法の力で手折られた。

 この魔法は、等価交換の法則に乗っ取っていない。

 

 歪んだ魔法を発動させた報いはすぐにやってくる。

 髪を振り乱して立つ彼女の周りに、じりじりと闇はにじり寄っていた。

 無数の触手を細かく震わせ、強大で甘やかなエネルギーのにおいを味わっている。獲物の質に満足して、闇はにじり寄る速度を速め、乙女の足元に絡みついた。

 何の防御も知らない乙女は、闇のされるがままになっている。

 

 「ファラダのところへ行くわ」

 そう言って、乙女は目を閉じた。

 みしゃ、と咀嚼の音が聞こえ始め、一口味わって食欲を掻き立てられた闇たちは、一斉に彼女に襲い掛かった。

 醜い闇に取り囲まれた中から、みしゃみしゃ、くちゃくちゃという音が聞こえてくる。

 壁の腐った馬の首は、どろんとした目でそれを見ていた。

 

 「おい――」

 ゴルデンがわたしの肩を掴んだ。

 激しい怒りに満ちた紫の瞳ににらまれ、わたしはまたも、魔女の怒りの凄まじい痛みに耐えなくてはならぬ。

 「痛い」

 わたしはワンズを胸に当てた。

 ゴルデンは呻きながら飛びのき、やっとのことで怒りの冷たい刃を封じ込めたが、すぐまたわたしの元へ近寄ると、拳をかためて頬を殴った。

 「これが契約か、おまえ」

 簡単に吹っ飛ばされて、岩の壁に背中をぶつけ、わたしは一瞬、息が詰まった。

 何とか立ちなおすと、闇たちは最後のひとかけらも残さず平らげて、空気中に散じてゆくところだった。

 ぎらついた紫の目でわたしを見据えると、ゴルデンは胸糞が悪そうに「はっ」と息を吐き、金のワンズを握ってわたしに向けた。

 乱暴な魔法が発動し、わたしの体は再び岩に打ち付けられた。

 動けなくなったわたしの手から木のワンズをもぎとると、憎々しそうにゴルデンは言った。

 「西の大魔女のやり方か、これが」

 「契約は遂行した。あとは知らない」

 金縛りが解けて、わたしは地に崩れた。

 唾を吐きかけたいのを抑えるかのように視線をそらし、ゴルデンは唇を噛んでいる。

 拳が細かく震えていた。

 猛烈な紫の嵐が彼の中で吹き荒れていたが、やがて驚異的な意志力でそれを抑え込み、打って変わった冷たい声でゴルデンは言った。

 「行くぞ、戻るんだ」

 面倒なことにならないうちに、狸寝入りを決め込むぞ。

 そう言って、ゴルデンは足早に、元来た道を歩き始めた。


 謎の死を遂げた若妻の葬儀の準備で、翌朝、屋敷は嵐のように騒がしかった。

 それで誰にも構われずに済んだわたしたちは、昼の汽車に乗るために、一晩世話になった屋敷を後にする。

 空は柔らかに晴れ、牛馬の匂いが村に漂っていた。

 コーン、と、弔いの鐘が鳴り始める。

 

 師トラメは、必ずいる。

 この世界のどこかに、必ず――。

 あの黒い馬との契約が成立した瞬間にもらった、師からの指示が、今のわたしの全て。

 「東、だな」

 ゴルデンが確かめるようにわたしに言い、わたしは頷いた。

 東行きの汽車で良い。それしか、師へ続く道はない。

 ひなびた待ち合いで、わたしたちは汽笛の音をきく。最初はずっと遠くから、繰り返される汽笛の音は次第に力強く大きくなってゆき、ごとごとと、せわしない汽車の気配が近づいてきた。

 そして改札が始まる。 

馬と結婚したかった女性の話は世界各国にある?みたいです。

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