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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第六部 ~閑話~ブレーメンの音楽隊
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四人のこども 4

世界は己の中をさらけ出しながら、ペルに「依頼」を送る。

この上もなく残酷な「依頼」、だが避けられない「依頼」を。

その10 四人のこども4


 苦痛な程に澄み渡る空気は肌に痛い程だ。

 神経を冒すほどの清浄さは、わたしの気分を滅入らせる。呼吸をすると、おごそかなパイプオルガンの調べに籠る力が体に取り込まれるようだ。

 異質な力、清浄で聖なる、無垢の白い魔力――。


 背後では四人のこどもがうめき声を上げている。明らかに、もがき方が弱弱しくなっている。

 ……急がねば、ならない。


 わたしは目の前の少女と対峙しながらも、この部屋の外側に神経を向ける。

 闇を突き抜けた場所にある清浄な青い空間、青い球体。その中にあるちっぽけな白い部屋。

 今わたしはそこにいるわけだが、蠢く闇が、青の向こう側に存在している。


 (こどもたちは、闇から離れてしまっている。今なら――)

 素早くわたしは思考をめぐらした。今ならば、残った魔力を使い、あの闇を砕くことができる。全ての闇は無理だが、このこどもたちを取り込み、搾取していた一部の闇を粉砕することならば。


 

 さらり、と衣擦れの音がして、わたしは我に返る。

 世界がわたしの目の前まで近づいていた。頭ひとつ分背丈が高い。身長までゴルデンに似ている。


 「あなたが、『母』になるの」


 再度、少女は繰り返した。

 意味がわからない、とわたしはつっけんどんに返す。そんなことよりも気にかかることがある。

 こどもたちのことと、そして。

 「『依頼』とは……あなたの『依頼』とは……」

 早打ちのように脈が高鳴りだす。


 「依頼」。世界からの「依頼」。

 わたしは相手の目を見る。あけすけになっている思考を読み取る。


 呼吸が止まりかける。

 これは。この「依頼」は――。


 (師よ)


 「冗談じゃない」


 (師よ、師よ、これでは――)


 「そんな『依頼』を送られて、たまるか……」


 わたしは耳をふさぎ、目を閉じる。受け取ってはならない。受け取ることはできない。

 この「依頼」は、しかも契約成立が可能なものだ。

 魔女の愛弟子として、それは遂行しなくてはならない――。


 できる、ものか。


 「かかさま……苦しい」

 「かかさま……かかさま」

 背後から、ますます小さくなってゆくこどもたちの声が聞こえた。

 

 わたしは激しい葛藤に揺れ動きながら、少女に背を向けた。

 全身がおこりを患ったように震えている。ワンズを握る手に力が入る。かたかたと歯を鳴らしながら、わたしは薄く目を開けた。


 もう一度、今しがた見た世界の思考を反芻する。

 彼女が秘めている、わたしへの「依頼」。

 

 「西の大魔女の、命を頂戴」


 澄んだ小川の音のような、鈴の音のような、そんな響きで、「依頼」が踊っていた。

 未だ発せられない「依頼」だが、もうまもなくそれは送られてくる。

 彼女はそれを、わたしに送り付けようとしている――。


 

 「あなたが『母』になるのよ。もう時間がないの」


 ばさり、と翼がはばたく音が響いた。

 パイプオルガンの、らせんを描くような音色に合わせるように、天井から白い羽根が無数に舞い降りてくる。

 ふわりふわりと羽根は目の前を回りながら落ちて行き、わたしの髪や肩にかかる。

 

 「オパールの魔女……『母』のところに西の大魔女は休んでいるわ。あなたはこれから、急いでそこに行くの」


 歌うような響きだ。

 世界は子守歌を歌うように、それを言う。

 わたしはぼんやりと、床の上でもがくこどもたちを眺める。

 助けないといけない。彼らに僅かに残る、命の欠片が燃え尽きる前に――。


 だが。


 す、と白くて冷たい手がわたしの肩に乗った。

 その瞬間、怒涛のような流れがわたしの中に入り込んで来る。

 情報だ。オパールの魔女の居場所。

 

 これから更に東に向かった先の、……という駅で降りる。

 その村から徒歩で向かった山にオパールの館がある。

 誰も寄り付かないような、閉ざされた場所だ。そんなところに人が住んでいることを知らない者のほうが多い……。


 映像が頭の中に流れ込んで来る。

 冷たい空気。凍り付いた、何億年前からの雪。

 そして止むことのない、純白の雪の嵐――。


 

 「わかった?」

 静かに世界が言った。

 そこに行くの。そうして、あなたはするべきことをするの――。


 ごとごとと心臓が音を立てている。

 冷たい汗が額から流れ落ち、顎をつたう。

 わたしは足がすくんでいた。

 動けなかった。


 師は、このためにわたしを闇の中へ誘ったのか。


 自分を、殺させるために――。


 (師よ)

 痛いほどの清浄な空気がわたしを威圧し、全ての動きを封じている。

 何も防ぐ手立てがないまま、今、その「依頼」は発せられる。


 (師よ、師よ)

 発せられた「依頼」はひとひらの純白の羽根の形になり、わたしの目の前に浮かぶと、くるくる舞った。

 契約成立可能――。

 魔女の愛弟子は、これを受理しなくてはならぬ。遂行しなくては、ならぬ――。


 「西の魔女の命を頂戴」

 ……これは魔法の契約解除の方法。


 世界を苛む病の原因は、遙か昔、西の大魔女たる師と世界が交わした契約によるものだ。

 無垢な少女、一点の曇りもない少女の元に「世界」のひとつとなるべく打診がきた時、少女はそれを受け入れた。ただ一つ残る、気がかりな点。それを解決すべく、少女は自分が「世界」になるべく、西の大魔女に「依頼」を送った。


 「おにいちゃんの心に、永久にわたしを刻み付けて」


 等価交換の法則の代償は、ほんの僅かでも心に曇りが生じたならば、闇が彼女を侵食しはじめるだろうということ。そして、一度侵食を始めたら、その闇は彼女の命を喰らい尽くすまで止まらないこと。


 

 そっと視線を動かすと、顔の横に世界の目があった。大きな紫の瞳が潤むように輝いている。わたしの肩を掴む指に力がこもった。


 「最初はね、大丈夫だったの」

 おにいちゃんの心に、わたしがいることは分かっていたから。それだけで満足していたの。それが心のよりどころだったの……。


 パイプオルガンの音が遠くなったようだ。

 世界は静かな声に、陰りを込める。


 「でもね、あなたがたのいる側の次元で、闇があまりにも増えすぎた」

 増えた闇は、世界の住む青い清浄なる空間を、侵食し始める。それに呼応するように、彼女の中に潜んで閉じ込められていた、唯一の暗点が表に出てきたのだった。


 誰にも、渡さない――。

 おにいちゃんを、誰にも。


 ……。


 

 西の大魔女、師の命を差し出せば、この契約は解除される。

 世界をむしばむ病は癒され、彼女は死の淵から蘇る。

 そして――世界は今までと変わらず、存在し続けるのだ。闇の向こう側で。我々とは別の次元で。


 (師よ)


 今、分かった。

 師には、もう、世界と交わした契約を解除できる力が残っていない。

 師こそ、命の淵に立っている。物理的な生命の限界にたどりつき、そして、「母」のもとで体を休めているのだ。

 ……その時を待ちながら、「母」のもとで眠っている。


 あまりにも長い時を生きた師。

 わたしは彼が、どれほどの年月を生きて来たのかわからない。

 彼は永遠だと思っていた。時を超え、いつまでも生きているのだと思っていた。


 だが、彼は今、消えようとしている。

 

 このまま消えてしまったとしたら、世界と交わした契約は二度と解除できなくなる。

 死んで消滅する前に命を刈り取り、その命に宿る力で契約を解除する。


 等価交換の法則は、成り立っている。

 この契約は、正統なものだ。

 

 ……。


 一瞬、脳裏に師の振り返る姿が浮かぶ。

 それは、初めて見る師の微笑みだった。穏やかな微笑み。肯定の頷き。そして師は鋭い光の宿る眼を伏せ背中を向ける。消える――。


 「『母』として、するべきことを考えなさい」


 世界はそう言うと、すっと手を離した。

 ふわふわと舞い降りる無数の白い羽根。

 わたしは気を失いかけ――そして、我に返る。

 振り向くと世界が無防備に微笑んでいた。


 (殺してしまえ)


 強烈な願望がわたしを支配し、わたしはワンズを握りしめて彼女に向き直る。

 彼女は微笑んだまま目を伏せた。

 

 (時間だ――)


 ふいに、聞き覚えのある声がわたしの意識に平手打ちをくれる。わたしはぎょっとして、今自分がしようとしていたことに気づいた。ワンズを握る手は力が入りすぎて、爪が掌に食い込んでいた。

 約束の時間が過ぎようとしている。

 ……いけない。 

 今は、他になすべきことがある。

 足元のこどもたちは、土色になりかけていた。

 「かかさま、寒いよう」

 エリクが泣き声を上げている。

 「かかさま」

 「かかさま、怖い」

 エドガー、ジャコモ。

 死の恐怖が彼らを打ちのめしていた。

 誰にも抱きしめられることなく、満たされることなく、彼らをこのまま逝かせてはならない。それでは彼らの残渣を闇に送り込むだけだ。


 「カスパル、エドガー、ジャコモ、エリク 」


 わたしは呼びかけると、触れたところから体が焦げ付くのも構わず、一塊になっている四人を両腕に抱えた。

 彼らの体を膝に乗せ、片手でワンズを握る。わたしは白い部屋の外に意識を向けた。

 

 ぐにゃりと空間が歪み、我々は部屋の外に押し出される。

 青い清浄なる空間が我々を迎えた。我々は清い風が吹く中を、不安定に漂っていた。

 白い羽根が無数に舞い踊り、我々の周囲を回っている。これは世界からの手助けだ。

 羽根に守られながら、わたしは上を見る。

 どこまでも青い空間、時折白い雲が漂うだけの場所だが、向こう側に蠢く闇の姿が広がっていた。

 わたしは一点に集中する。

 このこどもたちをつなぎとめる、一部の闇。その部分だけに意識をまとめ、ワンズをかかげた。


 魔法陣を大きく描く。

 

 黒曜石の稲妻がワンズの先端から飛び出し、渦を巻きながらその流れは青の空間を貫いた。

 一瞬にして、黒曜石の力は闇の腸に穴を空けた。

 遙か向こう側で、無限にこの世を覆う闇の、ごくわずかな一部に、ささやかな風穴が開いた。


 だが、その部分の闇こそ、こどもたちを苛んでいた元凶だったのだ。


 わたしは胸の中に抱え込んだ四人の体から、急激に熱が失われてゆくのを感じた。

 同時に肌を焼け焦がすような、凍結と灼熱の苦痛も消えた。

 

 「カスパル、エドガー、ジャコモ、エリク 」

 

 ぐったりとして動かない四人に呼びかけつつ、わたしは闇の中に開いた、ささやかな風穴に意識を集中させる。

 魔力の残りは、そう多くはない。

 わたしは四人を抱きかかえながら、闇の向こう側に意識を向けた。

 ともすれば途切れそうになる意識を、白い羽根たちが助けてくれた。くるくると我々の周囲を回りながら、羽根はわたしを誘導する。……闇の向こう側、もといた場所へと。


 

 「行きなさい。そして、急いで」


 世界の声が脳裏に響き、空間がぐにゃりと歪む。

 わたしはこどもたちを抱きかかえ、目を閉じ――そして、気が付いた。


 

 ここは、空き家の玄関ホールである。

 隙間風が吹き込むせいでひどく寒い。カタカタと開きっぱなしの扉たちが揺れており、薄暗い日差しがホールを冷たく照らしていた。

 

 はらり――と、大きな羽根のひとひらが床に舞い落ち、同時にわたしは膝をついた。

 どさり、と四人のこどもの体は床に放りだされる。

 はっとして彼らの元へ這いよると、微かにまだ息があるのが分かった。


 こつん、と靴音が響き、わたしの横にゴルデンが立つ。

 彼を見上げてその表情を確かめている余裕はなかった。わたしは急いで四人の元にゆくと、一人ひとりの手を引き寄せて胸で温めた。

 もう、触れても大丈夫だ。

 他者から力を吸い取ることもなく、触れたものを苛むこともない。ただの力のない、やせた手だった。


 「カスパル、エドガー、ジャコモ、エリク 」

 呼びかけるとこどもたちは薄く目を開いた。


 カスパルの茶色の瞳。

 エドガーの青い瞳。

 ジャコモの緑の瞳。

 エリクの黒い瞳。


 どの瞳も無垢で――ただのこどもだ――闇の力など、秘めてはいない。

 今まさに尽きようとしている命の残り香の中で、四人のこどもはわたしを見て、そして目を閉じた。

 最後に目を閉じたのはカスパルだった。

 カスパルはわたしを見上げると、かすれた声で言った。


 「かかさま、温かい……」


 わたしの胸で、四人の手が冷たく強張ってゆく。

 ひざまずいたままのわたしの横に、ゴルデンが膝をついた。白手袋の手が伸び、わたしの手をほどき、胸にかかえた四本のやせこけた腕をひとつずつ離す。

 

 四人のこどもは眠るように目を閉じて床に横たわっていたが、じきに時の魔法が解けようとしていた。

 こどもたちの体はさらにどす黒くなり、強張ってゆき、乾いてゆき――やがて粉々に砕けて空気に散った。

 最初からなにもなかったかのような、空虚な空間の中に、もう闇の力など纏っていない四つの楽器が壊れて転がっている。

 縦笛、シンバル、アコーディオン、カスタネット――。


 

 わたしはゆっくりと、ゴルデンを見上げた。

 世界に瓜ふたつの、非の打ちどころのない顔立ちがわたしを見下ろしている。

 わたしは二つの事を言わねばならぬ。


 「オパールの魔女の居場所が分かった」


 そこに、行かねばならぬ。そして――。


 全てを知っているかのように、ゴルデンは無言でわたしを見返した。

 わたしはその紫の瞳を見つめ、片方の手で自分の下腹部に触れた。

 紫の瞳に、微かな光が揺れる。


 「ゴルデン、あなたには分かっているのだろう」


 下腹部に手を当てたまま、わたしは問いかける。

 何が起きているのか。ここに、なにがあるのかを。

 わたしの中に送り込まれた「印」が芽吹き始めている。すでにそれは意思をもっているではないか――。


 ゴルデンはふいに視線を外すと、わたしの両手をつかんで体を広げさせた。

 闇のこどもに触れた部分の衣服が破れてはだけており、そこから傷められた皮膚が覗いている。

 胸、腹、腕――。


 紫の瞳に異様な光が宿り始める。

 強烈な輝きは、怒りだった。

 凍り付くほどの激しい怒りを、ゴルデンはかろうじて抑え込み――そして、放り出すようにわたしの両手を離した。目を背けて顔をしかめている。



 「……聞け」


 押し殺したように、彼は言った。


 「これきりだ。あと一度、同じようなことをしたら」


 身を危険に曝したら。

 つまり、胎内のものを危険に曝すようなことがあれば――。


 紫の瞳が、射貫くように光る。冷酷な――それは、わたしを案じている温かさではない。そんなものからはかけ離れた、恐ろしいまでの威圧感だ――眼光は、わたしを深くえぐったのである。


 「貴様の自由をはく奪する。貴様を石に閉じ込める」


 わたしはゴルデンの瞳を探ろうとしたが、彼は視線をそらしていた。

 紫の炎が彼の全身を包んでいる。

 彼は怒っている。否、憎悪している。




 激しい憎悪が彼の中で渦巻いている。

 認めなくてはならない――わたしは彼を、恐ろしいと思った。

 そして、同時にもう一つのことに気づいたのである。


 白い幻の影が、燃え上がる紫の塊のような彼の向こう側に揺れていた。

 それは悲し気な目をしており、彼以外のものは何も見ていないのである。

 世界である。世界の幻影が、彼を求めてここまで来てしまったのだ。

第六部終了です。

第七部はハーメルンの笛吹きでございます。


読んでいただいて、心からの感謝を送ります。ありがとうございますm(__)m

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