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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第六部 ~閑話~ブレーメンの音楽隊
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四人のこども 2

すぐさま粛清を始めようとするゴルデンを制するペル。

得体のしれない情がペルを突き動かす。


その8 四人のこども 2


 空き家のはずの家の中に、四人のこどもがいる。

 貧しい身なりの彼らは闇の力を身にまとい、日のささない玄関ホールの中で、瞳を奇妙な色に光らせているのだった。


 彼らが手にしているものは、楽器のかたちをした闇である。

 この楽器を奏でることで、さらなる闇を呼び寄せるのだろう。さっきまで賑やかに打ち鳴らしていたおかげで、屋敷の中は蠢く闇の気配で満ちていた。

 無数の触手をうねらせた闇は楽器が音を奏でるごとに力を増し、屋敷の窓の隙間から外に流れ出して村に躍り出るのである。この闇こそが、村を覆い尽くす疫病の正体なのだ。


 一際小柄なこどもが縦笛を握りしめている。利発そうな――と、わたしは思った――顔立ちをしており、目が黄色に光っている。小柄ではあるが、最も年長なのであろう。他のこどもを押しとどめるようにして一歩前に出て、わたしの顔を見上げているのだった。


 わたしはゆっくりと腰をかがめ、視線をこどもと合わせる。

 こどもは怯えを知らない様子で、しっかりとわたしを見返してきた。

 期待と喜びが満ちたまなざしである。

 

 かかさま、と彼はわたしを呼んだ。

 ついに迎えに来てくれた、戻ってきてくれた、僕たちのかかさま――。


 こどもは闇の中に輝く瞳を――すでにその瞳は闇の魔法に侵されている――無邪気に見開いていた。


 縦笛を持つ、この小さなこどもの名はカスパル。

 カスパルの後ろにいるこどもらについても、わたしは読み取った。

 アコーディオンの少年がエドガー。青い目がらんらんと輝いていた。

 カスタネットの少年はジャコモ。少し緑がかった灰色の目が、猫のように瞳孔を開いてこちらを見つめていた。

 シンバルを両手に持ってぶらりと下げているのは、エリク。最も幼いのであろう、無垢な笑顔で、闇の力をみなぎらせた赤い瞳をこちらに向けている。


 ……。


 ゴルデンが、わたしの背後で金のワンズを構えている。いつでも魔法陣を描くことができるだろう。

 彼は、粛清すべきだ、と言った。

 このこどもらを、粛清すべきだ、と。


 間違いではない。間違いではないのだが――。


 体をかがめたまま、わたしは静かに彼らの名を順に呼んだ。

 なにか喋らなくては、今にもゴルデンが魔法を放ちそうだった。


 「カスパル、エドガー、ジャコモ、エリク」


 ぱっとこどもたちの表情が変わった。

 闇に浮き上がる光る瞳たちがいっせいに笑みをたたえ、きゃあっと歓声をたてて、わたしに突進してくる。

 両手を突き出して、母を求める幼子の姿だ。


 かかさまだ。

 やっぱりかかさまだ――。


 だが、彼らの両手の指先は無数の触手を蠢かす忌まわしい闇が絡みついており、彼らが大きく開く口はおぞましい程赤い。喰らわれたら最後である。彼らは闇の使者だ。


 ばちん、と弾けるような音を立てて紫の閃光が走る。

 紫水晶の稲妻は、わたしと四人のこどもの間に割って入り、突進してきたこどもたちを容赦なく跳ね飛ばした。

 こどもたちは宙を舞い、あるものは天井に背中を打ち、あるものは床に転がり、あるものは壁に体を強打した。

 

 「かかさま……」


 驚いたように光る眼を見開いて、カスパルが床を這いながら手を伸ばす。

 その手がわたしの木靴に触れるか触れないかの瞬間に、ゴルデンがまた魔法を発動させた。

 ガラスが破裂するような音が鳴り響き、同時にカスパルは悲鳴を上げて手をひっこめた。

 わたしはゴルデンの結界に守られており、闇のこどもたちはその結界を超えることができないのだ。


 肩越しに金のワンズを突き出し、魔法を発動させたゴルデンの横顔を、わたしは見上げた。

 紫の瞳が冷然と見返してくる。

 わたしは思わず彼を睨んだ。


 「なぜ、かばう」

 わたしをどうしてかばうのだ。


 ゴルデンは冷たい表情を変えないまま、金のワンズをひっこめた。結界は未だ張られたままだ。

 わたしは紫水晶に守られながら、うめき声をあげて這い寄ろうとするこどもたちを見つめた。


 「闇に喰われるような真似はしない。わたしは魔女の愛弟子だ……」

 

 ちらっとゴルデンの瞳に何かが光った。

 一瞬、ゴルデンの眉間に険しいしわが寄ったが、すぐに彼は元の冷然とした顔つきに戻った。表情が読めない。


 「このこどもたちは、わたしに任せてくれないか」

 ぶつかるほど近いゴルデンの肩をおしやりながら、わたしは言った。

 自分でも戸惑うほどの強い感情が、わたしを突き動かしている。

 それにさっきから下腹部に宿る何かが、必死に訴え続けているのだ。

 (そもそも、これが何なのかは分からないのだが)

 わたしはゴルデンを見上げながら、そっと片手で下腹部を探った。

 

 なにかが、蠢いている。

 訴えている。

 わたしの心を、揺すってる――。


 

 「無理をするなと言ったはずだ」


 ゴルデンは冷たい程の口調で答えた。

 言葉とは裏腹に表情は冷たい。わたしはやはり、違和感を覚える。

 彼は、確かにわたしを案じているのだが、同時にわたしではない何かに意識がいっている。

 正確な意味でわたしを案じているのではなく、なにかの理由があって、わたしに「無理」をさせないように抑え込んでいる。


 (なにが、起きている?)


 なにか、ぞわぞわと掻き立てられるようなものがあった。

 ゴルデンは無言でわたしを眺め、スッと視線を外した。何を言っても結界を外す気のない横顔である。

 わたしはゴルデンから離れ、紫水晶のバリアに両手をつき、顔を寄せて結界の外を見た。

 こどもたちがやっとのことで近づき、結界から覗くわたしの顔を見て光る瞳を輝かせている。

 そしてまた駆け寄ってきて、派手に突き放された。

 

 どたんばたんと床や壁に体を打ち付ける音と、シンバルやカスタネットなど、楽器が衝撃を受けて濁音の旋律を奏で立てる。

 すると、闇がまたわらわらと呼び寄せられてきて、小さな体が砕かれんばかりに打ちのめされているこどもたちに闇の力を与えては、彼らを回復させるのだった。


 「見ただろう」

 ゴルデンが言った。

 「あれは、こどもではない。闇の魔法使いだ。忌むべき存在だ」


 ……。


 「俺は審判者として、これを裁かねばならぬ」


 わたしはゴルデンをもう一度見上げた。

 視線を合わせない彼に苛立ち、もう話しかけるのは止めた。

 自分でも何がどうなっているのか分からない。闇は闇であり、正統な魔女ならば排除する対象である。

 このこどもたちを心配したり、愛しんだリする理由は、どこにもない。


 それなのに、今わたしは、激しくなにかを掻き立てられている。

 わけのわからない感情がこみ上げており、それは主に下腹部にある何かが働きかけて生まれているらしかった。


 わたしは結界の内側から、何度でもこちらに突進してくるこどもたちに呼びかけた。


 「カスパル、エドガー、ジャコモ、エリク」


 ゴルデンが後ろで舌打ちする音が聞こえた。構わずわたしは語り掛ける。


 「こちらに来てはいけない。離れたところに並び、手に持っている楽器を今すぐ床に置くのだ」


 今にも突進して結界にぶちあたってきそうだったこどもたちは、それを聞いて動きを止めた。

 実に素直に言われた通りにし、ホールの中央で一列に並んだ。

 ところが、楽器を手に持ったまま途方に暮れているのである。


 「どうした、カスパル、エドガー、ジャコモ、エリク」

 わたしはそんな彼らを叱るように言ったのだが、しょげた顔つきの四人を見ているうちに、はっとした。

 楽器は、手放すことができないのである。

 彼らの体の一部のようになっているのだ。


 (これは)


 こみ上げてくる感情の衝動を抑え込みながら、わたしは彼らを読み取った。

 闇の中から、ゆらゆらと陽炎のように、映像が沸き出てくる。

 



 (ゆらゆら……ゆら……)


 カスパル。利発な子。五人兄弟の一番末の子で、貧しい両親は彼を捨てざるを得なかった。


 (ゆらゆら……)


 エドガー。きかん気がつよく、喧嘩っ早い。正義感が強く、幼い妹を守っていた。だが、両親が亡くなり、妹はどこかにもらわれてゆき、彼だけが残された。


 (ゆら……ゆら)


 ジャコモ。引っ込み思案の性格のせいで、誰にも理解されなかった。陰気な子だと家族から疎まれ、ある日、彼は自ら家を出た。


 (……ゆら)


 エリク。……彼は、両親を目の前で失った。強盗が入ったのである。



 わたしは彼らを見つめる。

 疑いを知らない目で、彼らはわたしを見上げている。闇の力に満ちた光る眼で。


 ホールは全ての扉を閉ざしており、かろうじて天窓から僅かな光が差し込んでいたが、雪模様の空のために、その日差しは非常に弱い。

 だが、その弱い光が無感情に彼らの足元を薄く照らしている。

 非常に、寒い。

 


 闇の魔法に守られながらも、彼らは寒さを感じているだろうか。

 

 寄る辺のない身の上の彼らを受け入れたのが闇の魔法を扱う魔女である。

 魔女はその懐の中に彼らを招き入れ、温めた。

 彼らは魔女の温もりに慰められ、力を与えられ、そして魔女を「かかさま」と呼んだ。


 その「かかさま」は、今はもう存在しない。

 闇に染まった魔女は、いずれ闇に喰らい尽くされる。あるいは粛清されるか。

 そうしてこどもたちは、戻るはずのない「かかさま」を待ち続けているのである。

 「かかさま」の指示通りに、闇の魔法の楽器を打ち鳴らしながら……。


 

 「わかった。いい子だ」

 わたしが言うと、こどもたちは安堵した表情に落ち着く。

 ふいに、彼らの思考が飛び込んできて、不覚にもわたしはうろたえた。


 (良かった、良かった、かかさまは怒っていない)

 (かかさまは、ぼくたちを痛い目に遭わせないようだ)

 (良かった――)


 

 「ゴルデン」


 わたしは振り向くと、金のワンズを構えているゴルデンに掴みかかった。

 ゴルデンは紫の目を動かし、わたしの視線を受け止める。


 「頼む。わたしに任せてくれないか」


 ゴルデンは苦虫をかみつぶしたような顔をした。

 腕を掴んだわたしの手を取り、溜息を着く。


 「ゴルデン、別の方法がある。こどもたちそのものを粛清するのではなく、こどもたちに群がっている闇を葬り去るのだ。手の楽器さえ離れれば、このこどもたちは害のないものに戻る」


 「それで」

 と、ゴルデンはわたしの手を掴みあげたまま、無感情に促した。

 わたしは突き動かされるように喋り続けた。


 「闇の魔法にとりつかれている『契約』さえ解除できれば――」

 

 一つの方法が、ある。

 魔法がかかわるところには何らかの契約があるはずである。

 その契約を解除することができれば、魔法は無効になる。

 最も簡単なのは、その契約を結んだ魔女本人が、己の力を使って契約を解除することだ。それが一番手っ取り早い方法なのであるが。


 今回の場合、件の闇の魔女は、すでにこの世にいないのである。

 契約を結んだ魔女が死んでいるということは、その契約を解除することは、基本的にはできない。

 永久に魔法は解けない。

 だが、その魔女以上に強い力の持ち主が、圧倒的な魔力を使えば、契約を解除することは可能だ。

 力づくの仕事となるが、それ以外には方法がない。

 

 (できるはずだ……)

 わたしならば。

 魔女の愛弟子、黒曜石の魔女たるわたしならば、そんな下らない三流の魔女をはるかに超えた強大な力を持っている。だから――。


 

 「たすけてあげて」


 不意に、声が届いた。

 不思議な声だ。

 こどもの声――よりももっと幼く、もっととりとめのない――わたしははっとする。聞き覚えがあった。


 紫の瞳の、運命の子。恐ろしい程の力を生まれながらに授かった、不思議な胎児。


 ゴルデンにその声が届いたとは思えない。

 ゴルデンは大きく息を吐くと、非常に面倒くさそうに吐き捨てた。


 「一時間だけだ」


 紫水晶の結界が煙のように消滅する。

 同時に激しい風が沸き起こり、ホールを取り囲む扉が次々に開いた。

 

 ばん、ばん、ばあん……。


 破れて綿の出たソファや、壊れたテーブル。

 散らかった本。


 部屋の中の荒れ果てた様子が、一度に見えた。

 そして、破れたカーテンがかかったテラスから、弱弱しい日差しが差し込んで来る。

 薄暗いホールは、それでわずかに明るくなった。


 「きゃあっ」


 その微かな光の増加すら、こどもたちには強かったのだろう。

 唐突に差しこんだ日差しに怯え、こどもたちは光の当たらない陰に入り込み、がたがたと震えたのだった。


 

 いくつかある部屋のひとつから、カタンと何かが落ちる音がして、突然オルゴールが鳴りだした。

 不似合いなほど楽し気な旋律が、ゆっくりとまわり、そして止まる。

 カ、チン……。


 ぜんまいの切れる音が響いた。



 一時間だけの約束で、ゴルデンはわたしの封印を解きワンズを握らせた。

 木のワンズを構え、わたしはこどもたちに――否、こどもたちを包み込む、闇に向き合う。

 魔法を放てばこどもたちが傷つくだろう。それでは、意味がない。


 ゴルデンの粛清を引き留め、自分にまかせてもらった意味がないのだ。


 ゴルデンが後ろで見守っているのを感じながら、わたしは大きく息を吸った。

 闇を打ち破るのではない。


 

 闇に、飲まれてみようと、わたしは思う。

 

 ゴルデンは手を下さずに、じっと見つめているだけだ。腕を組み、冷たい無表情で。

 ……一時間は、完全なるわたしの自由時間である。その一時間が過ぎれば、ゴルデンは即座に動き、闇のこどもを直ちに粛清してわたしを救い出すだろう。

 もしわたしが、生きていれば、だが。


 らんらんと暗がりに光る、けもののようなこどもたちに近寄ると、わたしは大きく腕を広げた。

 こどもたちが、わあっと歓声をあげて、わたしに突進し、腕の中に飛び込んで来る。わたしは四人を抱きとめる形になる。

 同時に、わらわらと触手を蠢かせる闇が、わたしににじり寄る。


 (くちゃくちゃ……ぐちゃ)


 まるきり無防備なわたしは、迫りくる闇を、ただ見つめる。

 こどもたちの頭を抱きかかえながら、ただ。


 (くちゃくちゃくちゃ……ぐちゃぐちゃ……)


 闇がわたしを取り囲み、その輪は狭まってゆく。闇独特の甘ったるい死臭が漂い始め、いつかわたしは直接肌に闇の触手が触れるのを感じていた。


 目の前に無数の触手が迫り、唐突に大きな赤い口があんぐりと開いた。

 わたしの体など、一息で飲み下しそうな口が、唾の糸を光らせながら。


 (師よ)


 一瞬、師が大きく頷く姿が浮かび上がり、次の瞬間、わたしは闇の腸に取り込まれたのだった。

魔女の愛弟子版ブレーメンの音楽隊、どうぞお見守りくださいm(__)m

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