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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第六部 ~閑話~ブレーメンの音楽隊
55/77

四人のこども 1

疫病が流行る村。

そこで西の大魔女は何かを伝えようとしていた。

師の幻に導かれたどり着いた屋敷には、四つの小さな影が住み着いており、彼らは闇との契約を守るため、うるさい程の演奏を繰り返しているのだった。

その7 四人のこども 1


 降車しようとする我々を、乗客たちは目を剥いて見送った。

 切符を確認しに来た車掌ですら、穴があくほど我々の顔を眺めていたほどだ。

 「本当に降りるのですか」

 この村は、今――。


 降りなくてはならない理由がある。

 その村には師の気配が籠っていた。汽車が駅に近づくにつれそれは確信に変わった。

 師は確かに、ここに何らかの痕跡を残している。

 汽車の振動とは別に、鋭く目につきささるようなトラメ石の閃光が、わたしを揺らすのだった。


 「ゴルデン、あなたは降りることはない」

 駅に到着する前に、わたしは言った。

 正面に座ったゴルデンは軽く眉を上げ、小ばかにするようにわたしを眺めたものだ。


 「ほう……」


 紫の瞳がちらりと輝いた。腕を組み、見下ろすような表情で彼は言った。


 「俺は、俺の所有物を放置するわけにはいかんのでな」

 「……」

 所有物、という言葉を彼が口にすると、複雑な心地になる。あのおぞましい儀式が脳裏に蘇りかけるのだが、どこかでわたしは甘さを感じているのだった。……絶対に、それは知られてはならないことであるが。


 「それに、西が何かを残しているのだろう」

 腹の立つほど分かりにくい教示を、な。

 ゴルデンは呟くように言うと、それ以上何かを喋ることはなかった。

 

 そして我々は、その村に降り立ったのである。

 異様な匂いが漂う、そのホームに。


 

 伝染病が、その村を喰いつくしている。

 もともとはそれなりに豊かな農村だったはずが、ここ数か月の流行り病のおかげで嘘のように荒れ果て、あちこちで死体や病人の身の回りのものを焼く煙が上がっている。

 空は灰色の雲に覆われ、病んだ村は、いつ降るとも知れぬ雪を待っていた。

 凍てつくような鋭い風が地をさらい、どこかから飛ばされてきた灰が粉々になって足元を舞う。


 おかしな匂いは、ホームを出るといっそうひどく鼻についた。

 村全体を死の匂いが覆っている。

 無人の改札口をくぐり、クモの巣があちこちに張った陰気な待ち合いを通り抜け、曇天の村に足を踏み入れる。

 空だけではなく、地上も煙っている。

 あちこちで燃されている灰が飛び交い、冷たい風にさらされて白く舞い上がっていた。

 

 (呼吸をすると、この灰まで吸い込んでしまいそうだ……)

 

 わたしは目に見える風景をじっくりと見渡した。

 口や鼻を手で覆う必要は感じなかった。この伝染病は、明らかに魔法の成すものである。

 ここには闇の魔法が巣食っていた。


 衣擦れの音がして、ゴルデンがわたしの横に並んだ。

 無造作に木のワンズを差し出す。それを受け取ると、わたしはゆっくりと息を吸い込み、空を見上げて目を閉じた。

 師の残したものを、探らねばならぬ――。


 (師よ……)


 まぶたの裏では、トラメ石の閃光がくっきりと浮き上がっていた。

 師はここに、何かを残している。強烈な訴えがここにはある。

 それは、この村に巣食う、闇の魔法と関りがあるようだ――。


 ふいに、懐かしい香りを感じて目を開けると、わたしは愕然とする。

 数歩前に、痩せた黒衣の姿が立ち、振り向いてこちらを見つめている。茶色の瞳は鋭い光を宿し、わたしの瞳を射貫くように強い。

 あまりにもはっきりとした映像だった。

 そこには師の魔力までが込められており、トラメ石の気配は一瞬にしてわたしを貫いた。


 膝をつき、胸をおさえるわたしには構わず、ゴルデンは鼻を鳴らした。気に入らない、というふうに。

 「幻でしか、現われることができない貴様が、何を教示するというのだ」

 どこか謎めいた悪態である。

 貫かれた痛みのために、わたしは喘ぎながらゴルデンを見上げた。

 冷たい程に厳しい横顔で、ゴルデンは師の幻を対峙している。


 澱んだ風が、我々と師の間を吹き抜けた。


 「師よ、ここに何があるというのです」

 かろうじて立ち上がり、わたしが問いかけると、師の幻は瞳を閉ざし、前を向いて歩き始めた。

 問いには何も答えないまま、師の背中は白くけぶる空気の中に溶けて行き、やがて薄れて消える。

 消えた先には闇の気配が待ち受けていた。


 (やはり、闇か)

 この闇を調べよと師は指示している。


 ……。


 

 うねるような流れを作り、無数の思念がわたしをめがけて降りてくる。

 病と貧困にあえぐ村人たちの声であろう。

 体をねじるような苦痛と、家族を失った絶望、明日をも知れぬ日々への恐怖。

 暗いうねりがわたしをめがけて突き進む。

 

 (タスケテ……)

 (コワイコワイ……イヤダ)

 (タスケテ……)


 赤ん坊を残して逝った母親。

 子供ばかりになった家。

 寝たきりの老人が取り残され、なすすべもなく、寝床の中で死を待っている――。


 ……。


 「依頼」にすらなっていないものばかりだ。

 それほど余裕がないのだろう。飢えと病と、周囲の村や町に見捨てられ、時がたつにつれどんどん閉ざされてゆくことへの恐怖が村全体をさいなんでいる。

 どよめくような嘆きは重たく陰鬱な力を持っており、わたしはワンズを胸に当てて防御した。

 受け入れられることのない声達は、ささやくようなすすり泣きに変わり、わたしの周囲を回って散った。


 

 かまどの番人の時とは異なる。

 あの時は村全体が番人の手の中にあったのだが、この村はそうではない。

 どこか一点に闇の拠点があり、それが原因となり、おかしな病を呼び寄せている。

 

 いくぞ、とゴルデンは歩き始め、わたしはふらつく足を踏みしめながら前に進んだ。

 揺れるゴルデンの外套を追いながらも、更にわたしは分析を続ける。


 一呼吸ごとに、情報が伝わるのだ。

 それでわたしは理解する。

 この村に巣食う闇は、非常に単純なものである。己の存在を包み隠す術を知らないどころか、もしかしたら己が闇であることすら知らない可能性があった。

 無邪気さすら感じる、奇妙な闇の気配を、わたしは追い続ける。

 

 やがてゴルデンは足を止めてわたしを振り向いた。

 無言で歩くわたしを前に行かせる。

 一瞬、視線が合う。


 「……無理を、するな」


 ただの一言であったが、確かに彼はそう言い、わたしを(否――そうではないような気がする。彼は別の何かを案じ、そのために気を配っているのだ)案じた。

 どこか不自然なものを感じたが、今は師の指示するところに従わねばなるまい。

 わたしは意識を、闇の追跡に戻す。

 

 

 駅から続く石ころだらけのあぜ道は、左右に広大な畑を広げていた。

 だがその畑は今や燃え跡となっており、何一つ残ってはいない。焼けた土と、白い灰の粉があるばかりだ。

 ここに奇怪な白いものが横たわっており、泥と灰にまみれている。よく見るとそれは、家畜のものらしい骨なのだった。


 人間だけではなく、病は家畜にまで蔓延している。

 病んで死んだ家畜を燃やした跡が、どこにでも見られた。全身が露になったものもあれば、ちりぢりになったものもある。一方で半分泥にうずもれ、汚れた姿を曝しているものもある。

 それらは全て、異様なにおいを放っているのだった。


 ここは骨の村である――。


 

 わたしは足を止めた。

 再度深呼吸をし、闇の情報を得ようと試みる。

 場所はすぐに分かった。

 

 瞳を開けると、もくもくとあふれるほどの煙が左手方向から流れ込んでおり、遥か向こうでは、今まさに何かが焼かれているところであった。

 曇天の中で紅蓮の炎が燃え上がり、それは黒い煙を上げて、どこまでも流れてゆくのだ。


 何を燃やしているものか、わからない。

 ただ、痩せた農夫は光のない目をしており、無表情で棒を使って炎を掻きまわしている。

 焼けるように。

 まんべんなく火が回り、間違いなく灰になるように。


 ……。


 件の闇の在りかは、我々の前を横断する、この濃い煙の流れる方向にある。

 すなわち右手の方向。

 わたしは手で口と鼻をおさえ、煙の中を通過した。潜り抜けると、少し行ったところに右方向へ進む、細いあぜ道が見える。草花が燃やされた跡が生々しい、黒い小道である。


 今わたしの目には、一見の屋敷が見えている。

 オレンジ色の屋根にはささやかな風見鶏がついており、小さいながらも小奇麗な屋敷だった。

 それは村の外れにあり、高い塀で囲まれている。

 空き家のようである。持ち主の姿はそこには見えない。


 こめかみが脈打つほどにわたしは集中をする。

 その家には、今、なにがいるのか。

 闇はどのような姿をしているのか。


 ……夏になればさぞかし気持ちの良い風が入るだろうと思われるテラスにはカーテンがかかっており、そこから中でうごめく姿が透けて見える。

 複数の――いち、に、さん、し……四つの影だ――ごく小さなものが活発に動いているのが分かる。

 唐突に、楽し気なシンバルの音が鳴り響いた。

 

 シャン、シャン、シャン――。


 わたしは、右手に続くあぜ道に足を踏み入れる。

 くしゃり、と木靴の下で焼けた土がつぶれた。

 

 シンバルに合わせるように、次はアコーディオンがでたらめな調べを響かせ、そしてカスタネット、縦笛と続く。

 奇妙なカルテットが奏でられる。

 まるででたらめの、即興の曲なのであるが、彼らが楽しんで演奏していることが分かった。


 噛みあっているようであっていない、各々好き勝手に鳴らしているようでいて、妙に調和している、なんとも言えない旋律だった。

 

 煩いな、とゴルデンが呟いている。

 わたしはその旋律を聞いているうちに、確信した。


 この闇の者たちが、意識して病を村に流行らせたわけではない。

 ただ、闇は闇を呼び寄せるものである。

 彼らがいることにより、様々な黒いものが村に集い始め、結果としてそれが病となった。

 

 そうではあっても。


 (……闇は葬らねばなるまい。ましてやこれは、魔法が絡む闇)


 いきさつは分からない。

 だが、さっきちらりと見えた、四つの小さな影は、闇に取りこまれ、闇の中で息衝いている。

 彼らは闇の魔法で活かされており、彼らの奏でる音楽が病に力を与えているのだ。


 「音を奏でよ」


 唐突にそう聞こえる。

 わたしは顔を上げた。

 黒い小道は陰気にけぶる村の中を通り抜け、村はずれの、高い塀の屋敷に続いている。

 もうその屋敷は目の前に見えている。

 赤い煉瓦の塀からは見事なけやきの木が見えており、外からその屋敷の中を覗くことはできない造りになっていた。

 

 「音を奏でよ」


 また、聞こえた。

 わたしはワンズを握りしめ、その声に集中し、そして悟った。

 これが、「契約」なのであろう。あの四つの小さな影が闇に身を落とした時に、闇の魔法使いと交わした「契約」なのである。

 だから彼らは日がな一日、わけのわからないままに音を打ち鳴らす。

 そしてその音が更に病を呼び込み、終わりのない疫病の恐怖に村を曝しているのである。


 

 「悪徳商人か、それに類する者の屋敷だったのだろう」

 ゴルデンが言った。

 「こういった農村では、作物を売りに出したり、逆に足りない物資を他から買い取る案内人がいることがあるのだが、あの屋敷にはそういった者が住んでいたのだろうな」


 高い塀と、二階の窓まで包み隠すような、大きなけやきの木。

 後ろ暗いことがある屋敷――。


 だが今は、その屋敷は持ち主がいないはずである。

 かわりに奇妙な四つのものが、そこに息づいている。


 いわくのある場所には、闇が巣食いやすいものだからな。

 ゴルデンはそう呟いた。


 澱んだ空気が冷たい風に掻きまわされている。

 重たい空から最初のひとひらが舞い落ちた後は、頬が切れるような寒気がやってきた。

 大ぶりの雪が、渦巻く風に踊りながら、焼けた畑に落ちてくる。


 病んだ村に、白い雪が。


 

 件の調べは、まだ続いている。

 やがて我々は屋敷の門の前にたどり着いた。

 ツタがからみつき、長く人が訪れないままになっている、煉瓦の塀だ。

 一見、不気味な程静かな空き家であるが、わたしの耳にはちゃんと届いていた。

 闇の魔法が奏でる、奇怪な即興の音楽が。


 

 鍵のかかった、さび付いた門に向かい木のワンズを向ける。

 開放の魔法が働き、門は音もなく開いた。

 ぼうぼうに生い茂った草は冬を迎え、ぼろぼろに枯れて折れ曲がっている。玄関に続く石だたみには黒い苔が生えており、長い事人の出入りが途絶えていることを物語っていた。

 

 ツタに覆われた玄関の扉の前に、一瞬、師の幻が立つ。

 師はわたしに向かい頷くと、ゆっくりと屋敷の中に姿を消した。

 

 またこれか、ろくなことがない、とゴルデンが言うのを無視してわたしは歩を進める。

 

 どんちゃかどんちゃかと、魔法の調べが耳に痛い程気まぐれに鳴り響いていた。

 まるで酔っ払いが大声で歌っているようなものである。

 

 (演奏しなくちゃ)

 (演奏しなくちゃいけない)

 (もっともっと)

 (約束なんだ……)


 それは子供の声であった。

 必死にすがりつくような、子供たちの声。

 扉にワンズを向けかけて、わたしは動きを止めた。


 こども、だ。

 この中にいるのは子供である。

 だが、子供であろうと、闇は闇だ。わたしはワンズを扉に向けた。音もなく扉は開き、薄暗い館の中が露になる。


 コツン、とホールに足を踏み入れると、子供たちのつぶやきがさらに聞こえてくる。


 (もっともっと演奏を)

 (もっともっと……)

 (休んじゃいけないんだ)

 (約束なんだ)


 かあさまとの、約束なんだ……。


 身を切るほどに冷たい風が舞い込み、我々の背後で扉を閉める。

 埃臭い屋敷の中で、わたしは暗がりにうずくまる、四つの小さな影を見た。


 こどもたちはそれぞれ楽器を持っており、大きな目でわたしを見上げている。すりきれた服装で、汚れた肌をしているが、それぞれ元気そうな様子だ。

 こどもたちの頬は丸く、身体はすこやかだった。

 だが、彼らを育んでいるのは闇である。

 闇が彼らを、育てている――。


 ただの好奇心、興味。首をかしげて、彼らはわたしを見ていた。


 玄関のホールに四人は並び、そろって見上げながらひそひそと囁き合っている。

 闇が彼らを色濃く包み込んでおり、どんなに頑是ない姿であろうとも、彼らはやはり闇の者なのであった。


 やがて、一番年長らしい、小柄な男の子が歩み出る。

 ワンズを胸に構えるわたしに、彼は首をかしげてこう言った。


 「戻ってきてくれたの」


 ずきん、と下腹部の何かが蠢き、わたしはそこに鈍い痛みを感じた。

 その言葉は何かを無理やりに呼び覚ますようだった。


 戻ってきてくれたの、かあさま――。


 かあさま。


 ……。


 大きく見開いた瞳は澄んでおり、期待の輝きを宿している。

 わたしは、認めざるを得なかった。それを、愛おしいと思ってしまったことを。

 体の深い部分、ちょうど下腹部にあるものが揺すぶられて、その本能は呼び覚まされた。


 母性。



 

 「闇は……」

 ゴルデンが背後で無感情に言う。


 「粛清しなくてはならない。闇は」

情と魔法の定めと。

ゴルデンとペルの立ち位置が、逆になることもあるのです。

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