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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第六部 ~閑話~ブレーメンの音楽隊
54/77

末路

夜汽車の中の二人。

唐突に現れる、闇にその身を落とした古の大魔女。

二人の乗る車両を掴みあげ、己の口の中に放り込もうとする敵に対し、ゴルデンはいとも容易く勝負をつける。

ゴルデンは、大魔女の末路について語るのだった。

その6 末路


 その夜も例外ではなく、夜汽車は空いていた。

 車両には我々しか乗客がおらず、慣れ親しみすぎて、まるで空気のような汽車の音と振動の中でうとうとしかけていた。


 車掌が機械的に切符を確かめ、車両を出て行き、わたしは眠りに入ろうとしたのだが、それを許さないピリピリとしたものがあった。

 わたしは目を開き、辺りを見回したのだが――振動で揺れる、ほの白い照明や、染みのある白い壁、赤い布が張られた座席など――なんらおかしなところはない。いつもの車両である。

 

 目の前のゴルデンは、暗黒の窓に頭をもたせかけて、眠っている。


 ゴトゴトゴトゴト……。

 (……欲しい)

 ゴトゴトゴトゴト……。


 目はすっかり冴えた。

 確かに聞こえた。欲しい、と「それ」は言った。

 地の底から響くような重い声で、ずしんと腸にくるような。


 ゴルデンは、寝息を立てている。力の抜けた顔をして、組んだ腕がゆるみかけていた。


 (……欲しい。それを、欲しい)

 また、聞こえた。

 わたしは外套の内側で指先を立て、いつでも魔法陣を描けるように構えながら耳を澄ます。

 

 ……闇の気配がする。それも強大なものだ。

 この強大な闇は、あの、かまどの番人に匹敵すると言っても良い。

 (まさか、これは)

 

 (……欲しい……)

 ゴトゴトゴトゴト……。


 ゴトゴトゴトゴト……。

 ……キシャアアアアアアアアア……。


 急なカーブにさしかかり、車輪は悲鳴を上げる。汽車は威勢よく汽笛を上げ、落ちかけた速度を持ち直した。

 耳をつんざくような汽笛の中で、わたしは耳を澄まし、聞き取り、そして確信する。

 いつの時代かは分からないが、ここにも古の大魔女の成れの果てがいる。闇に己を売った、哀れな大魔女が。


 我々の乗る、この車両を途方のないほどに巨大なものが、長く伸びた爪の手でつかみあげようとしている。

 闇夜の中には赤く光る眼があり、原始的な欲望に燃えて、車両を凝視している――。


 ガクン、と車両が飛び跳ねるように激しく揺れた。

 思いもよらないことが起きようとしている。

 わたしには見えた。醜い巨大な手が、この車両の連結を汽車から切り離そうとしている。車掌や運転手には気づかれぬほど自然に、この車両だけを取り外し、何も起こらなかったかのように見せかけようとしている。


 ……。


 「ゴルデン」

 わたしは眠り込んでいるゴルデンの肩を掴むと揺すった。

 ゴルデンは迷惑そうに眉をしかめ、目覚めることを拒否した。構わずにわたしは肩を揺らし続ける。


 「ゴルデン、起きてくれ。気づかないのか」

 

 今まさに、巨大な闇の手が車両の連結を切り離した。

 我々の乗る車両は闇夜に吊り上げられる。

 暗黒の窓は何も映し出さない。

 照明は激しく揺れて点滅し――唐突に灯は切れた。

 全くの暗黒になった車両内には、かぎ覚えのあるあの匂い――死臭――が立ち込めている。

 

 「ゴルデン」


 みしみし、とガラスが音を立てている。

 星のない空だ。真黒な窓の外がどうなっているのか、肉体の目で見ても分からない。

 わたしは両手でゴルデンを揺らし続け、軽く頬を叩きさえしたのだが、どういうわけか、彼は目覚めない。

 (巨大な手がこの車両を握りしめて持ち上げている)

 わたしはゴルデンの肩を掴んだまま、窓の外に目を向ける。

 相変わらず暗黒の色が垂れ込めており、なにも見えない。……なにも見えないのは、巨大な掌が包み込んで窓をふさいでいるから。

 

 大きな黒いものが、ぐるぐると渦を巻きながら強烈な風を起こしている。

 吸い込んでいる。

 全てのものが無造作に吸い込まれている。草や花や夜のけものまでが、渦に巻かれながら力なく吸い込まれてゆく。ちぎりとられた木の枝はみしみしと音を立て、花はあっけなく花びらをむしられて無残な姿となる。けものの子供は悲鳴を上げるが、その吠え声すら巨大な渦に飲まれてしまい、誰にも届かない――。


 それらのものに混じりながら、我々の車両は巨大な手に包み込まれ、ゆっくりとその渦の中に持ち込まれようとしていた。


 (闇の口の中に入ろうとしている)


 ぐっと手首をつかまれて、わたしは視線を窓からゴルデンに戻した。

 紫の目を無表情に開いて、ゴルデンは目覚めている。冷然とした様子だ。冴え冴えとした目の光は寝起きのものではない。

 それでわたしは気づいた。

 ……彼は眠ってなどいなかったのだ。目を閉じながら、しっかりと起きていたのである。


 ゴルデンは紫の瞳をわたしの目に向けた。

 一瞬のうちに封印は解除され、わたしは唐突に自由になった。わたしの右手には木のワンズが現われた。

 ゴルデンはわたしの手首をつかんで自分の肩から離すと、ゆっくりと立ち上がった。


 「かまどの時とは条件が違う」


 ゴルデンは自分も金のワンズを握りながら、言った。


 「この空間は俺の結界だ。かまどの時は、敵の手中に入らねばならなかったが、今は逆だ」

 

 わたしも立ち上がる。四方を見ると、いつの間にか、そこには強固な結界が張られていた。紫水晶の強力なかがやきが、車両を包んでいる。

 この車両は、紫水晶の凄まじい力の宿る、異空間に繋がっていた。

 連結部の外された車両の扉。そこを開けば、圧倒されるような紫水晶の空間が広がっているのである。


 一見、車両は巨大な闇の口の中に放り込まれようとしているように見える。

 大きな手でつかみあげられ、今にも喰われようとしているのだが、実はゴルデンの異空間が、闇をまるごと包み込んでいるのである。空間の魔法が作動している。


 「愚かな」

 ゴルデンが冷ややかに呟くのが聞こえた。


 みしみし、と車両全体がきしんでいる。

 巨大な手が握りつぶしそうに力を加えているのだろう。口の中に放り込み、咀嚼し、東の大魔女の素晴らしい力を取り込むのである。その喜びに打ち震えているのだ。


 あ、と大きく開いた闇の口からは耐えきれぬほどの死臭が溢れており、既にその中には草木や哀れなけものが吸い込まれていた。

 歯のない口の中は不気味なほどの赤であり、ねっとりした唾液が幾層も糸を引いている。


 車両がひとつ切り離されたことに気づかないまま、とっくの昔に遙か向こうまで前進していた汽車は、のんきに汽笛を上げて山道を登ろうとしていた。


 ……ホオオオオオオオオオ……。

 オオオオオ……ホオオオ……。


 ガシュガシュガシュガシュガシュガシュガシュガシュ。


 汽笛も車輪の音も、あっという間に遠のいてゆき何も聞こえなくなる。

 今、我々の乗った車両は闇の口の中に入る――。


 「……本当に、情けがない」


 ゴルデンは無表情に言い、ワンズを掲げて魔法陣を描いた。

 既に敵はゴルデンの結界の中にある。その結界全体に、紫の稲妻が走り抜け魔法が発動した。

 

 わたしは、窓の外の暗黒が派手な紫においやられるのを見た。

 同時に、暗黒状態だった車両の中が紫の光で満ち溢れ、座席も通路も全てが紫に照り輝くのを見た。


 があ、あああああ……。


 地を這うようなうめき声が、奇妙に籠って聞こえる。

 車両は上下に揺れ、わたしは座席につかまった。

 既に灯が途絶えた照明は激しく揺れて天井にぶちあたり、ぱりんぱりんと次々に割れてゆく。

 砕けた破片がぱらぱらと細かく降ってくる――。


 車窓の外を、白い稲妻が駆け抜けた。

 その時、暗黒に覆われて何も見えなかった風景が、一瞬だけ見えた。


 「……」


 巨大な血走った眼玉が、憎悪の限りを込めたまなざしで、こちらを覗き込んでいる。

 赤茶色の瞳には黒ずんだ赤の光が宿り、それは闇の力に満ちていた。古の大魔女の凄まじい魔力が闇の助けを得て、まがまがしい気配を帯びている。

 地の底から響くような彷徨オオオ……オオが鼓膜を打つ。

 視線そのものに、闇の魔法が込められていた。

 

 すんでのところで、わたしはワンズを胸に当て防御の魔法を発動させる。

 

 巨大な目玉は強烈な憎悪の念を視線に込めていたが、白い閃光が全てをかきけした。

 ほんの一瞬姿を現した、古の大魔女のなれの果ての姿は清浄な光に覆い尽くされ、唐突に消滅する。

 車窓の外は突然夜空になった。

 点々と、針の先のように心細い星々の光が写り、一瞬後、宙に置き去りにされた我々の車両は重力に任せて落下を始めた。


 足が床から離れ、天井が目の前に迫った。

 ゴルデンの体が宙を舞う。だが彼は猫のように身軽に回転すると、天井を足で蹴った。

 座席の背もたれにすがりついたわたしは、体が天井に激突するのだけは防ぐことができた。

 

 割れた照明の破片が目の前に浮き上がる。

 窓ガラスが激しく音を立てた。


 ……オオオ……オオ、オ。

 欲しい……欲し……い。



 ……。


 ゴトゴトゴトゴト……。


 床に膝をつき、ワンズを胸に置いたわたしは、聞きなれた汽車の音を聞いた。

 床には割れたものの破片が散らばっており、照明が全て砕けた車両内は暗く、寒々しかった。

 それでも車両は元通り連結されており、何事もなかったかのように機関車に惹かれ続けているのだ。

 

 わたしは立ちあがり、窓の外を見た。

 相変わらずの闇夜であるが、艶消しの黒で塗りつぶされたような感じは消えている。闇夜なりに、外の荒野がうっすらと分かるほどだった。

 

 ゴルデンは、座席に腰を下ろし腕を組んでいる。

 わたしが手探りで座席に座ると、闇の中でもよく分かる紫の瞳でちらりとこちらを見た。

 

 ゴトゴトゴトゴト……。

 ゴトゴトゴトゴト……。


 闇の気配が、薄れている。

 あの強大なものが、嘘のように消えていた。

 勝負はとっくについており、戦いは既に終了している。ゴルデンは片方の眉を上げ、白手袋の手を差し出した。


 「……」


 わたしは木のワンズを彼に渡した。同時にわたしの力は、元通り封じ込められる。

 


 「こんなものだ」


 ぽつりとゴルデンは言った。

 わたしは無言で先を促した。

 ゴルデンは腕を組み直すと、闇夜の窓に視線を向ける。黒い鏡のような窓に、金の巻き毛が写っていた。


 東の大魔女の力である。

 しかも、これは強大な力のうちの、ほんの一部だ。

 かつて大魔女だった者と対峙し、僅かな時間で勝負を付けてしまうことができる。それが本来のゴルデンなのであった。


 かまどの番人との戦いが、いかに不利なものだったのか、わたしは改めて感じる。

 かまどの時は、大きく開いた敵の口の中に飛び込み、飲み込まれる一歩手前の状態で魔法を交わしたようなものだ。それでも互角の力を発揮し、相当の手傷を負ってしまったものの、勝利することができたのである。

 

 目の前のほっそりとした少年は、淡々と窓の外を眺めている。

 特に己の力を誇るでもなく、ただ淡々と。



 

 「大魔女の末路には、幾通りかある」


 ふいにゴルデンは言った。

 

 ゴトゴトゴトゴト……。

 ……ゴトゴトゴトゴト。


 照明のない車両の中で、その声は妙に穏やかに聞こえた。

 眠りを誘うほどの穏やかさである。……実際、彼は眠たそうに見えた。


 懐からウイスキーの小瓶を出すと、それを煽る。

 ゴルデンは無造作にそれをこちらに寄越した。わたしは瓶に口を付ける。

 心地よい酒の熱さが胸に染みてゆく。


 

 「おまえも見た通り、闇に落ち、けだもの同様になった姿。あれもひとつの末路なのだ」


 闇の甘さ、闇の誘惑に負ける、孤独な大魔女たち……。

 わたしは瓶から口を離して、ゴルデンの横顔に目を当てる。

 白い額が暗がりの中に浮き出ていた。


 ゴトゴトゴトゴト……。

 

 「そして、次世代の大魔女に粛清される」


 ゴトゴトゴトゴト……。


 わたしは瓶に口を付けた。

 朝まではまだ時間がある。ウイスキーの力を借りれば、このまま眠りに落ちることができそうだ。


 まぶたを落としかけつつも、ゴルデンの話は続く。


 「また別の末路がある。肉体の限界を迎えた死。いわゆる――死だ」


 ゴトゴトゴトゴト……。


 「その時が近づくと、大魔女は契約に基づいた場所に身を寄せる。死に場所が最初から決まっているのだ」


 死に場所。

 今にも眠りに沈みそうな中で、わたしの中で火花が散る。

 不穏な、冷たい――心細い、火花が。


 (契約に基づいた場所……)

 わたしは心で繰り返した。そして、オパール――魔女の母――のことを思った。

 

 まさか、まさか――。

 (師よ)


 ……。



 だが、ゴルデンはわたしの動揺に気を止めることをしなかった。

 だからわたしは、巨大な不安に心を取られることもなく、またけだるい眠気の中に戻ることができたのである。

 それに、そんな重大で恐ろしいことを、こんなに眠たそうに、子守歌のように口にするわけがないではないか。

 

 ゴルデンは続けた。眠りを誘うような声音で。


 「そして、三つめの末路。本来の姿に戻り、魔法をはく奪される。期限切れを迎えて大魔女を降りるのだ」

 稀ではあるが、こういうパターンもある、とゴルデンは言った。


 大魔女の末路は、主にこの三つがあるという。

 最も多いのが闇落ちなのだとゴルデンは言った。苦々しい表情である。


 「俺に言わせれば、非常に情けがないことだ」


 わたしがウイスキーの小瓶を差し出すと、白手袋の手でそれを受け取り、彼はまた煽り始めた。

 琥珀色の艶やかな酒は、暗闇の中でもよく映える。

 

 

 魔法に携わる者は、生きるものから切り離されている。

 それでも命がある限り、生き続けなくてはならない。

 石を与えられた正当な魔女は、己の使命を全うすべく生き続けなくてはならない。


 人の世界の上に成り立つ、魔法の世界よ。

 人とは違う時間の流れを旅する、魔女は皆孤独だ。

 強大な力を持つほどに、魔女は様々な理を見通すようになる。だがその叡智は他の誰かと共有することができない。

 やがて時の流れは魔女を置き去りにし、いつしか魔女は救いようのない孤独に苛まされるとととなる。

 等価交換の法則は、その孤独を救うことはない。


 ……。


 「ゴルデン、あなたは」


 わたしの呼びかけに、ゴルデンは瞳を動かした。

 

 最愛の妹、同じ時間を生き、側にいた存在を失いながらも、大魔女として生き続けている彼は。

 「……あなたは、闇を、どう思う」


 無言で彼はわたしを眺めた。

 

 ゴトゴトゴトゴト……。

 ゴトゴトゴトゴト……。



 

 「もしや、救いなのかもしれない、と」


 闇の腸の中はぬくもりに満ちており、闇の向こう側には清浄なる青の世界が広がっている。

 その青の中に、純白の少女が住んでいる。

 世界、と呼ばれる少女が。



 わたしの言葉が彼に届いたのかどうかは分からない。

 そこで汽笛が鳴ったから。


 闇夜に悲しく遠吠えをするような汽笛の音。

 ゴルデンはそのまま目を閉じた。



 朝はまだ遠い。

かまど編のゴルデンが、ちょっと不甲斐なく見える気がしたので、一応はフォローです。

大魔女の末路の説明もさせていただきました。

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