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魔女の愛弟子  作者: 井川林檎
第五部 いばら姫
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~閑話~棺の なか

ウイスキーの産地であるその町では、今まさに葬儀が行われようとしていた。

参列者の乗る乗合馬車を見送りながら、ペルは「依頼」を受ける。

その8 ~閑話~棺の なか



 ウイスキーの町だという。

 歩道を歩いていても、そこはかとなく香りが漂っており、耐性のないものならばたちまち酔ってしまうだろう。

 ゴルデンは、いない。いつのまにか姿を消していた。

 東の大魔女は、酒、それもウイスキーに目がない。

 酒など、こうしていても造ることができるものなのに。


 小春日和だ。

 酒屋の白塗りの壁にもたれかかり、日差しに目をつぶる。

 (等価交換の法則にしたがって、酒を造る)

 空気の中に無数に漂っている、粒子。水分。日差しと植物と、土――。

 瓶を差し出していれば、満たされる。自然の酒が。……十分に酔えるものだし、わたしはそれで育ってきた。

 自然の酒は、すでにわたしを形成する一部である。


 等価交換の酒。

 ……師の、味。


 湿り気を帯びた曇天を見上げる。

 それほど冷たくはない風が通り過ぎ、外套の裾がひらめいた。風に散る黒い前髪を眺めながら、わたしは思う。

 (ずいぶん、離れてしまった)

 師から。

 

 この町に吹く風は、酒臭い。

 あと数時間後、東行きの汽車に乗る頃には、全身が酒臭くなっているだろう。

 目を細めると、風が琥珀色に色づいているように思える。ウイスキーの、琥珀……。


 ガラガラと荷馬車が目の前を横切り、それとすれ違うように乗合馬車がせわしない音を立てて駆けてゆく。

 石畳の通りは、馬車が二台すれ違うのがやっとだ。

 だいぶくたびれて、股の間に白く汗を泡立たせた馬が、満員状態の乗り合いを引いている。

 ぴしり、と鞭が鳴り、馬がさらに速度を上げる。

 異様に目を引いたのは、大きな車窓から見える客たちが全て喪服姿だったから。

 帽子にかぶせたレースで顔を覆った夫人が純白のハンカチを目に当てている。青ざめた喪服の集団の中で、無邪気な子供が一人、夫人の膝にのって窓から外を覗き、わたしを指さして何か叫んだ。


 ま、じょ。


 魔女がいるよ、ねえ母様、全身真黒くろの、魔女が――。


 

 あっという間に過ぎ去った乗合馬車を見送りながら、わたしは心の中で苦笑する。

 魔女狩り法が布かれた地域に入ると、西の区域にいた時よりも、人々が「魔女」という単語を発することが多くなったような気がする。

 ヘクサイェーガーが推奨されるほどの町や村ならば、はなしは別だ。そういった地域は空気がまるで違い、人々は常に怯え、おのれの言動や見た目に異常に気を配る。その反動で、他人の言動にも目を光らせ、告げ口をするといった具合だ。

 だが、そういう過激な地域は、少数である。

 この町は魔女狩り法が布かれてはいるが、人々は魔女を狩ることよりも、もっと別のことに夢中である。

 だから気軽に「魔女」と指さし、大きな口をあけて笑うことができる。


 魔女だなんて、そんなことを言うもんじゃないわ坊や。


 乗合馬車の中で、母親に諭される子供。

 ……。


 

 あつい雲の間からにじむような日差しが溢れてくる。

 それは地上を照らすにはいたらないほどのささやかな色ではあったが、灰色の曇天を僅かに温めた。

 さらに湿り気が強くなった気がする。そして、むわっとのぼりたつような酒の香りも。


 (雨が降るかもしれないな)

 わたしは壁から離れると、ゆっくりと歩き出す。

 ひっきりなしに荷馬車が駆け抜ける車道。忙しい人々は、歩道を歩くこどもには目もくれない。

 わたしは雨宿りできそうな軒下を探した。

 そうしている間にも、「依頼」は踊るように舞い続けている。


 どれも、契約成立には程遠い依頼である。

 この町で聞かれる「依頼」は、「依頼主」が、どこかで契約成立などできるわけがないと分かっていながらも、「ものはためし」と、飛ばしているような、無意識の愉快な余裕が感じられた。

 だから、強力な粘着もないし、攻撃的な勢いもない。

 ちらちらとまわりを踊るような、千鳥足で夜道を散策するような調子で、軽くわたしに絡む程度だ。

 

 だから、わたしはそれらを放置していた。

 ばくぜんと聞き流しながら、わたしは歩き続ける。酒の香りの風に、黒い外套がはたはたと重たく揺れた。


 (ゴルデンは、どこに行ったろう――)


 

 コーン、と、鐘が鳴る。

 近くに教会があるのだろう。どこか物寂し気な鐘は、こもるように響いている。

 わたしは先ほどの乗合馬車を思い出す。喪服の集団で満員になっていた――。


 (葬儀があるのだろう)


 コーン、コーン、と立て続けに鐘は鳴る。

 弔いの鐘だ。

 棺の中のからだに最後のわかれを告げ、そうして棺は土の中に降ろされる。

 白い百合が幾本も投げ込まれ、一握りづつの土塊が順番にかけられてゆく。


 ……。


 (……んでない)


 背筋の流れに逆らって、冷たいものがけあがってくるような気配があった。

 ぞくりとするようなものである。わたしは歩きながら、それに注意を向ける。


 (死んで、ない……まだ)


 弱弱しい声である。

 なるほど、まだ生きている、死んではいない。

 棺の中で息を吹き返したのだろうか。すでに硬直し、心臓も停止していたというのに、なにかの拍子でよみがえったのか。

 だが、もうまもなく、本当に息を引き取るはずである。生き続けるにはあまりにも弱くて冷たい波動だ。

 体もほとんど動いていない。

 固くとざされたまぶたが、ひくひくと動き、かろうじて薄く開こうとしている。

 そして、見てしまう。

 もう、戻れない現実を――。


 トン、トントン。

 蓋をされた棺に釘が打たれてゆく、音。


 讃美歌、すすり泣き。

 やがて棺は男たちに持ち上げられ、埋葬場へと運ばれてゆく。

 揺れる暗闇、息詰まるような花の匂いの中で、彼は必死に叫ぼうとする。声にならない声で。


 (生きている。死んでいない。生きているんだ、生きている……)


 依頼、である。

 わたしは歩を速める。

 等価交換の法則で判断すると、この「依頼」は契約成立が微妙なものだ。

 

 ぽつ……と雨が落ちる。

 大粒の雨だ。一粒、二粒……そして、唐突に土砂降りになる。

 生温かな雨には酒の香りが浸みこんでいるようだ。

 わたしは「依頼主」の運命の縮図を見るために集中する。雨に打たれながら、先を急ぐ。


 棺の中の男は、ここから出たいと強烈に願っている。

 彼は醸造所で長年働いてきた職人で、中流の腕を持ち、無難に人生を送ってきた。それなりに部下からは尊敬されてきたし、家族からは頑固な大黒柱として、内心疎まれながらも大事にされていた。

 彼は長い生涯の中で、「依頼」を飛ばしたことは一度もなかった。

 地に足をつけ、現実を見据えて生きることに徹した人間である。不屈の心を持ちながらも、様々な不満をうまく消化させてきた。だから、「依頼」を飛ばすことなど、これまでなかった。

 

 人生の最後になり、彼ははじめて「依頼」を飛ばした。

 (何事も、自分さえしっかりしていれば何とでもなる)

 そう信念を持ち、辛抱強く物事をやり通してきた。生と死のはざまの今、彼は己の信念が貫きとおせない事態に直面している。


 自分には、どうすることもできない。

 もちろん、他人に助けを呼ぶこともできない。

 まもなくもう、棺は土の中に降ろされ――紐でつるされた棺はゆらゆらと傾き、非常に不安定だ――どうん、と衝撃がある。


 「依頼」の声に悲鳴が混じる。


 雨水を飛ばしながら荷馬車が通り過ぎてゆく。

 車輪に跳ね飛ばされた水たまりの水を浴びる。わたしは行かねばならぬ。

 

 通り雨は次第に引いてゆく。

 土砂降りは勢いを失ってゆき、空にはわずかな光がさしはじめ、やがて、雨は上がる。

 すっきりしない曇天は変わらない。あちこちに水たまりができている。


 町はずれの教会が見える。十字架の屋根が近づいてきた。

 「依頼」の声はどんどん弱くなってゆく。急がねばならない……。

 

 ……。

 

 がらがらと小石を弾き飛ばしながら、教会の方から乗合馬車が走ってくる。

 荷馬車に追い越されながら、乗合馬車はわたしの横を通り抜けた。

 車窓からは、喪服の人々が覗いている。

 ハンカチを目に当てている人も見えたが、大半はなにか、重荷をおろしたような安堵の表情だ。

 (やっと終わった……一杯ひっかけてから帰るか)

 そんな心の声が通り過ぎざまに聞かれた。

 亡くなったひとを悼む気持ちももちろん混じっていたが、もう済んだと、終わってしまったことから次のことへ意識を向けようとする、前向きな声である。窮屈な葬儀の作法や、着慣れない喪服から解放される喜びや、今日の夕食を考える気持ちが亡者への悼みに打ち勝っていた。


 一区切りついた。

 さあ、次のことをしなくちゃ。


 前進、前進。急いで日常へ戻ろう。


 馬車はけたたましく車道を走り抜ける。

 人々はもう、次の事を考えている――。


 

 一方、「依頼主」は弱弱しい声で繰り返している。

 (生きている。死んでいない。生きている……)

 「出してくれ」

 

 ……それが、「依頼」だった。


 

 葬儀が終わり、誰もいなくなった墓地に、わたしは踏み入ってゆく。

 教会の裏に、けっこうな規模の墓地があった。

 十字架の中を通り抜けながら、「依頼主」の墓を探す。

 朽ちて、傾きかけた十字架。

 新しい花が供えられた十字架。

 ……。


 すぐに、わかった。

 

 無数の十字架の中に、真新しい墓ができている。

 十字架にかけられた花輪も鮮やかだ。


 百合の花の花輪は灰色の風景の中、奇妙に鮮やかだ。

 「アルベルト カスパル 堅実な男 ここに眠る」

 石にはそう刻まれてあり、そこにも花が置かれていた。


 この下に、「依頼主」がいる。


 艶のある墓石の上に両手を置き、わたしは目を閉じる。

 この下でもだえ続ける「依頼主」に念を送る。


 彼は今、暗黒の世界の中に、ふっと降り立つわたしの姿を見ているはずである。

 わたしは言った。


 「西の大魔女の代理、魔女の愛弟子が『依頼』を受理した。これは等価交換の法則に乗っ取った『依頼』であり、契約成立可能なものである」

 

 もうまもなく息を引き取る男は、目の前に流れ込む様々な映像を眺め、驚愕している。

 契約成立したらどうなるか。それを見せつけられているのである。



 「もうっ、お義父さん、またっ」


 険のある声。鈍い痛みが走る。

 生き返った体には自由はなく、日常のことは家族の世話にならざるを得ない。

 自分でなんとかしようとするのだが――結局、家族の手間を増やすだけ。そして飛んでくる暴言と暴力。


 「何もしないでよっ、もう、できないくせに」


 

 愛してやまない幼い孫は、母親のスカートにしがみつき、上目でこちらを見るだけだ。

 彼の記憶にある「おじいちゃん」とは別人に見えるのであろう。

 遊んでくれた、欲しいものをなんでも与えてくれた、優しい祖父はもういない。

 ここにいるものは、何か得体のしれないもの。

 ママは、これに対していつも怒鳴っているし、これが何かする度に機嫌が悪くなる。そして、疲れたと言って泣く。

 パパはそんなママにお手上げで、なるべく関らないようにしている。

 僕は、毎日、つまらない……。


  

 「どうしたの坊や、おじいちゃんのところに行って挨拶しなくちゃ」


 お手伝いの女が坊の背中を押し、母親から離そうとするが、坊は絶対に離れない。

 怯えたような表情が、やがて決然とした嫌悪に変わる。お手伝いの女の手を「ぱしん」と振り払い、突然指を突き出す。可愛らしい人差し指で、祖父を指す。


 「魔女だ」


 場が、凍り付く。

 だが、誰も何も言わない。言えない。

 また、坊が怒鳴る。


 「魔女だ、本物の魔女、魔女、魔女……」

 

 出ていけ、ここから出ていけ――。



 ……。


 だが、「依頼主」は、溢れるほどの幸福を瞳に込め、元気の良い男の子に視線を注ぎ続ける。

 喜びに満ちたまなざしには涙が光り、口元はかすかに微笑んだ。

 彼は、孫を愛している。心から愛している。

 自分の全てを引き換えにしても良い。だから、孫の成長した姿を見届けたい。



 「今まで、あなたを尊敬し、かしづいてきた家族から背を向けられても?」


 是。


 「あなたが愛してやまない、もとめてやまない孫でさえ、あなたを疎んでも?」


 ……是。


 いいんだよ。もう、俺はやるだけやった。

 部下からはちょっとした尊敬を集めていたし、女房が生きている間だって、実は何度も女に言い寄られて、ちょっとだけ火遊びをしたこともある。

 息子はいい男に育ち、俺をしのぐほどの職人に成長した。

 嫁は神経質すぎるし、孫の育て方がなっていない。何度もしかりつけてやったのだが、あの性根はついになおらなんだ。だが、俺のことはあれで尊敬していたからな。

 孫は、おじいちゃん大好きって何度でも言ったものさ。

 毎日キスしに走ってくるんだ。

 おじいちゃん、抱っこしてって。竹トンボをつくってくれってねだる時もある。

 俺の作る竹トンボは性能がよいそうだ。友達と遊んでも鼻が高いんだと。


 

 集められるものは、もうみんな、集めきったんだ。満足な、人生だったよ。

 今更、嫁に殴られようとそしられようと、どうということはない。

 俺はただ、孫の姿を見ていたいだけなんだ。

 あれは賢い子だ、元気な子だ。まだ生きているならば、孫の側にいたい。ただそれだけなんだ――。


 ……。


 

 「契約成立だ。これより遂行する」


 宣告をする。

 死にかけている男の持つ運命の縮図。もう命が枯れる寸前だったそれは、突然異様な輝きを取り戻す。

 もう、戻せない。


 ばあん。ばあん。ばあん……。

 「出してくれ、ここから出してくれ」

 ばあん、ばあん。ばあん……。


 わたしは墓標の前から去った。

 墓石の下からは、はっきりと、棺を内側からうち叩く音と、強い声が聞こえている。

 わたしが墓地を出たのと同時に、寺男がひょこひょこと墓地に入っていった。見回りだろう。


 そして寺男は聞くのだ。

 墓の下から聞こえる異様な物音を。

 腰を抜かしかけながら彼は走り出し、大声で言う。

 「生きてるぞ、大変だ、生きている……」


 やっと葬儀から解放され、羽根を伸ばそうとしていた親族たちは呼び戻される。

 遅い食事を取っていた孫は「行かなくちゃ」とせかされて、とたんに不機嫌になる。だだをこね、ちょっと行き過ぎた癇癪を起したので、父親からぴしりと叩かれ、大声で泣きわめき始める。

 誰もが不機嫌な様子で、葬儀の場に再び駆けつける。


 

 もう、時間になる。

 曇天の向こうでは、午後の日がゆっくりと傾きかけているだろう。

 雲の合間から覗く日差しも、濃いオレンジ色を帯び始めていた。

 教会を出て再び酒の香りのする町の中を歩き、駅へ。


 酒屋の前で、ゴルデンが振り向いていた。

 外套が風にあおられ、紫の裏地が巻き上がっている。

  「なにをしている。行くぞ」

 言うと、ゴルデンは速足で歩きだした。わたしは後ろからそれを追う。

 その時、乗合馬車が我々の横を通り過ぎた。


  「……」

 

 立ち止まって馬車を見送るわたしを、ゴルデンはいぶかしそうに眺める。そして、片方の眉をわずかに上げた。

 「惜しいことをしたものだな。あと僅かで、そんな苦痛を感じずともよい人生で終わったはずなのだが」

 たまたま、魔女の愛弟子に出くわしたばかりに。

 

 「それでも、生きたいと言った」


 わたしは答えて、ゴルデンの横を通り過ぎた。

 わたしは「依頼」をわけ隔てすることはできない。等価交換の法則に乗っ取り、契約成立が可能であるならば、「依頼主」に打診をかけるだけだ。

 契約遂行後にどうなるのか。

 何と引き換えに契約を成立させるのか、全て見せた上での遂行である。それがわたしの「仕事」だ。


 

 「ゴルデン、あなたは酒臭い」

 すれ違った時、強烈なウイスキーの香りがしたのだ。

 


 町の香りが全身に染みついている。しばらくはこの香りと共に旅を続けることになるだろう。


 東へ。

生きられる限りは生きていたい、当たり前の事

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